屋内だョ!全員開花(写真外にも大量にある)
家計簿を確認していて大変なことに気が付きました。
去年一年間、うちで育ててる観葉植物関連でのトータルの出費が0円になり、複利(※手持ちの草が生み出す子株)だけで楽しんでいる、趣味として『完全自走状態』を達成していたことに気付きました。ちかごろはやりのFIRE状態です!シュミだからHobby Independence, Retire Early、名付けてハイヤー!かな。いえいえ、私はリタイアなしのただのハイで満足です。
もうひとつ0円になったのが「スナネズミのおやつ代」です(虫が苦手な方、すみません)。近年の物価高のあおりを受けてか、ミルワームもすきなだけ買おうとすると結構高いなあと思うようになっていました。それで、家で野菜くずなんかを利用して繁殖させることにしました。例の雑草ゾーンで草の種とったり、食べられる雑草をむしったりしてせっせと与え、今二世代目がもうすぐサナギになるところまで進んで、幼虫がわきわきしてきて賑やかです。ワーム・インデペンデンス(ワイヤー!)になる日が近づいています。
植物に関しては人並みに欲求もあり、「あの品種ほしいな」「こんな鉢ほしいな」「こんな植え方はどうだろうか」「そのためにあんな石コロが欲しい」などと妄想すること多々です。が、手持ちの草がどんどん増えている状況なので、今はこれらの管理だけで十分です。おそらく今年中に今の自分が管理できる限界点に到達するでしょう。無限に沸いてくる子株はそろそろちぎって捨てるフェイズに入っているのかもしれないですが、なかなか捨てることができません。私の弱点です。
もうひとつ0円になったのが「スナネズミのおやつ代」です(虫が苦手な方、すみません)。近年の物価高のあおりを受けてか、ミルワームもすきなだけ買おうとすると結構高いなあと思うようになっていました。それで、家で野菜くずなんかを利用して繁殖させることにしました。例の雑草ゾーンで草の種とったり、食べられる雑草をむしったりしてせっせと与え、今二世代目がもうすぐサナギになるところまで進んで、幼虫がわきわきしてきて賑やかです。ワーム・インデペンデンス(ワイヤー!)になる日が近づいています。
餌になる生き物としては、最近子供に「スズメガの幼虫も買ってくれ」とせがまれています(スズメガの幼虫も、「ホーンワーム」といってアメリカでは餌用生物のひとつです)。9ヶ月先の11歳の誕生日プレゼントにイモムシを予約する我が子。心配です。今年はアメリカの小学校の最高学年、日本で言えば5年生になる年です。特に女子は急に大人びて性格や趣味に応じてグループができ、メイクアップセットのことや芸能人、Kpop Demon Hunterの話やなんかで盛り上がっているころです。そんな中でカメムシだ、イモムシだ、インコだスナネズミだとしている我が子供。(かといって理科や算数がとりわけできるわけではないのです!)
以前、海外で『日本人』を育てるというブログに書いた通り、わがやは運動の習い事が非常に忙しく、またなにもない日の夜も子供は本でも読んでとっとと早寝しなさい、というお家なので、日本語のオンラインスクールや補習校に子供を行かせることができていません。それで、小さいうちは家で教えられるものは家でやろうという試みを続けて約5年目になりました。
家の子供は日本の学校ではこの春5年生になる年ですが、国際結婚家庭の子としては少し変わっていて高学年になっても未だに日本語の方が少し上手なようです。正確には、日常会話は英語の方が流暢で、日本語は言葉選びや言い回しで迷うことがある一方、日本語の方が難しい語彙が分かり(『特殊詐欺』とか『水道管の凍結・破断』とか)読む本も日本語の方が難しいものを読んでいる、という状態です。今後中学校にかけて英語のボキャブラリーなどが貧困になるのではないか?と心配しています。今は現地校の英語の成績が悪くないのでそのままにしていますが、学年が上がったら英語の先生を頼んだりした方がいいのかも知れないです。
しかしこうやってうちで日本語でものを教える試みも、いったいいつまで続けられるのかなぁと最近は思い始めました。私自身が教えやすい言語が日本語であるという都合や、有事の際に日本に移住しても速やかに馴染んでやっていけるようにと(旧共産圏出身の家族の方針です)子供には日本語で勉強させていますが、英語とはほんとにかすりもしない程かけ離れた言語で、2つのことばの間で無理させているなあといつも思います。それに、子供ももっと大きくなれば、「親とお勉強」なんてだるいなと思う時もくるはずです。
バイリンガルの人間を育てることって、実際にやってみると、家族じゃなければできない程かなりの労力がともないますし、「グローバル人材」とか「国際交流」とかキラキラした文脈で語られ過ぎてるような気がしています。それ以外に道がなくてやっている者からすれば「家庭の事情で仕方なく目指すもの」という位置づけです。(※このことについては補習校なし日本語学習のその後という別ブログも書きました。)
雪がきれいに積もりました 自宅警備員も出動。
こうやって考えてみると、私は外に出かけていってお金をとってくるような、いわゆる「0を1にする」ような仕事は今はあまりしていませんし、今後またフルタイムで就労したとしても、子供や家のことを抱えながらビシバシやっていく能力も、時間的余裕も、もしかしたら不足しているのかも知れません(もともと仕事はかなり好きな方だったのですが、今は子供や家のことをちゃんとやることが自分の最重要課題であるとはっきり感じています)。
でも、後方支援で生活の基礎をかためる作業、いわゆるコストを0にすること、0を0のままにしておくための観察力や先回り力にかけてはけっこうちゃんとやれちょる、私は結構イケちょるのではないか、と思い始めました。「0にする人」!これを私の暫定の職名としたいと思います。カッコいいなあ(自画自賛でハッピーライフ)。
0状況は数字に出ないので、その重要性がなかなか気付かれることがないですね。
「0にしている存在」も感知できないこと多々です。ある一定以上の想像力が要るので、、
職場などでもそういう人を見つけたら大切にしなきゃなと思いました。