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2025年6月1日日曜日

「あなたの犬、咬みますよ」

 


 所用で知り合いの家に行った時、そこの家の、もう成人した子供さんがウエストバージニアのパウンド(保健所)から引き取ったという若い犬と出逢いました。ヒーラー系の小柄な雑種で可愛い犬です。子供さんの大学院がお休みの間、友人夫婦に預けられたというその犬の目つき、挙動を一目見てあれ?と思いました。この犬は以前だれかを咬んだことがあるのでは、と感じたからです。



 その知り合いは私よりかなり年上で、よい関係ですがなんでも言い合えるようなすごく親しい間柄というわけでもないのです。そこへきて、しかもまだ何も起こっていないうちから「この犬咬みそう」なんて、あまり空気を気にしない私でもさすがに言えないぞ。でもちょっと考えてしまいました。


 今思えば問題行動の段階で相談してくれていた時に、当たり障りのない助言しかできていなかったな。私が地域の訓練士さんのおすすめのリストを持って行ったりしていたころ、彼等はまさに事故が起こるせとぎわにいたのに。そんな人に悠長に『アドバイス』とは我ながら聞いてあきれる。その咬まれて死んだ近所の老犬、保健所送りになった同僚の愛犬への責任は私にもあるのだ。

「グッドボーイはどこかな?」と探すフリをする私
自分を見つけてもらえるかも知れない嬉しさで頭を抱えてるコディ

 ここで私がやいやいすると「少しのことでおおげさな人」みたいに見られることが多いのもまた悩む所です。

 〇行動を起こさない➱ 犬が事故を起こす、友達が怪我をする、犬の命がなくなる
 〇行動を起こす  ➱ 何事も起こらない、自分はうるさい友達と思われる

というような構図になったりします。これはウィン&ウィンの逆で、マケ&マケみたいな、不毛な二択です。ただ私が「うるさい友達」と思われるポジションで満足していればいいだけなのですが、悲しいかな、「よき友人と思われたい」という願望が私にも存在するんですよね・・・

 間をとってやさしく指摘したり、訓練をすすめたりすればいいじゃんと思うかもしれないですが、経験上、やさしく指摘するのだと危機感がちゃんと伝わらないことが多いです。犬に関して、大抵の人は実際に問題が起こってはじめてあれ・・・ちょっとやばいかな?となるものだからです(そういう必要性にピンと気付いて未然になにかしようという性格の飼い主だと、そもそもあやしい状況までいかないことが多いです)。

チラッ

 何よりも、私がこういう些末な大人の都合みたいなことをことをごちゃごちゃと思案している間にも、今すぐにでも軌道修正しなければならない目の前の怪しい犬が、何のおとがめもなく、「また自分の思い通りにやれた」と自信をつけている様子が手に取るようにわかります。私の中に住んでいる『犬しつけ職人』が居ても立っても居られなくなる瞬間です。

 こういう時「もし私が犬の訓練士の資格でも持っていたなら、もっとはっきりと進言できたのかな。」と思います。いや、無理かもしれないな。世の中でもまれる中年をやって久しく、すぐ相手の立場や気持ちを考えすぎるクセがついてしまって、それは良いことだと思うのですが、目の前の問題に即座にとりかかって目標を達成したり、現状を打破する際のスピード感みたいなものが大幅ダウンしたと思う。


 こういう時、嫌われ者になったり、うるさい人と思われてもいいから、ブレイクスルーする力が欲しい。上手に伝える術はどこかにあるはずで、それをさがし続けないといけないと思う。場面や状況、相手によっても変えていかないといけないし、そういうのを「本物のソーシャルスキル」と言うのだと思う。ただあたりさわりのない、安心させるような耳ざわりのいい事を言って、相手の問題を真剣に解決しようとしない、それだと相手は結局は失敗したり、困ってしまうことが多い。そういうのは真の意味での社交上手ではないし、なにより不誠実である。


 人間の教育現場でもよくある葛藤なのですが。

 なんだかんだ10年くらい教育関係の領域の末席をうろついていると「この子は、幼いころにあまりしつけをしてもらえなかったんだな」という子供に出会う事があります。しつけって、勉強以前の問題で学校とかへ行くずっと前から「父さん母さんはこう考えるんだ」「ウチではこうやるんだ」ということからくる、その人の行動原理を形作るものということですが、この部分が抜けてる子がちょっと増えてる気がします。

 今の学校って、子供が小さい時は「まだ小さいから愛情を求めている」とか、低学年くらいになると「苦手も個性だから尊重し、良い所を見つけて褒めて伸ばす」というアプローチで、『子供の人権』とか、最新のナントカ式教育技術をうたう『識者』みたいなのが急に出てきて、耳ざわりの良い事を説き、今実際に目の前の子供に起こっている問題の実質的な解決が先延ばしにされてしまうことが多いと思う。親も「プロの先生が言うのだからこの通りでいいのだ」と安心させられてしまったりして、その子供の勉強だったり素行上の問題について本当に責任を持って取り組んでる人が実はだれもいない、という図になっていたりしています。

 そうこうするうちに、こういう子達の多くが小学校ではぼんやりとした不適合を起こし、4、5年生くらいから学力も伸び悩むようになり、中学校位になると思春期もあってだんだんまわりから手を差し伸べてくれる人も引いていき、親も仕事で忙しかったり、なおかつ衰えてきて積極的に介入したり子供の軌道修正ももはや出来なくなり、だれからも真剣に向き合ってもらったことがないから自分自身の価値に気付かず、大人を尊敬することも知らず、よって手本となる人もいない、夢もない、得意な事もない、誰からもなんとなく放置された若者が残される・・・そんなに珍しい話ではないと思う。

犬の口元のこの「ふぐふぐ」した所が大好きです
コディの「ふぐふぐ」は触り心地も匂いもとてもかわいい

 この経路を逆算して子供に接するので、私は小さい子供に対しても、子犬などに対しても、比較的厳しいと思います。すると「○○ちゃんのきびしいお母さん」「こわい先生」と思われることもあります。いつの間にかよそんちの子供のしつけを肩代わりさせられてる時もあります。

 でも、犬の子だって小さなよちよち歩きの頃からその10ヶ月後の姿を想像しながら育てないとならないですよね。抱きしめたいほど愛らしい子犬の中にも「今、正した方がいい考えや行動」というのはある。そういうのをひとつひとつ優しくでもしっかりとしつけてやるのは重要な飼い主の、というか飼い主にしか出来ない役割だと思います。人の子供も同じなのではないかな。小さい頃から傍について「あなたたちは大人からどう見られているか」「社会からどんなふるまいを求められているのか」「その中でどう幸せを目指していくか」子供に知らせて、時に手本を見せてあげることが親やまわりの大人の責任なのではないかな。

 とかなんとかああでもない、こうでもないと思いめぐらせながら歯科治療を受けていた今日です。実は今日の日記は全部歯医者さんのイスの上で書いてます。「ウエストバージニアのパウンドから引き取ったウチのダルメシアン、同居の犬を咬むんだよね。今日マズルを買うわ。」という歯科衛生士さん。すわ、チャンス到来!!!「今日からすぐやるといいこと」を紙に書いて渡しました。それにしても『ウエストバージニアのパウンド』はいったい、どうしたことか?興味がわいてきました。一度覗いてみたいです。

~オマケ~


 チビのスナネズミがやたらと人に慣れてきました。見ているとずっと手の上にだっこされています。私はストレスで死を覚悟して固まってると思ってたのですがこの状態のままトイレットペーパーの芯などを差し出すとカリカリかじっていたり、そのうちねむたそうな感じになってきます・・・どうやら娘の言う通りほんとにリラックス?しているのかも??

 スナネズミがこんなによく人に慣れるとは知らなかったので、どうやったの?と聞いたら「お母さんが言った『おどろかさない、5秒くらいの短い間やさしくだっこする、暴れてもケージに下ろさない、掴まれたり撫でられても落ち着いていたらすぐケージに下ろしてミルワームをあげる、落ち着いていられる時間を少しずつ延ばす』ことをやった。」と言います。

 聞くとこのやり方をなんとかの一つ覚えみたいに毎日10回、20回と愚直に繰り返していたようなのです。時間のある小学生すごい!ということと、やはりストレスでは?という一抹の不安、それからスナネズミもトレーニングが入るんだ!と二重の意味で感心しました。そして、トレーニングの基本はやっぱり頻度だなと確信しました。チビは、もう一匹の方も全く同じことしたけどあまり覚えがよくない、お勉強が苦手なのかな、とかブツブツ言っていました。こんなに小さな齧歯類だけど個性がちゃんとある!と感心しました。


2022年3月29日火曜日

コディのバックパック



 サクラやアンズの花が満開のバージニア北部、ここ数日はかなり冷え込んで、陽光の中で時折パラパラくる粉雪が光っています。我々のほうは、前回のノートに書いていた秘密兵器が来たので、ここ1か月ほど慣らし運動をしていました。なかなかいいかんじです。トングと、軍手もゲットしました。私の軍手は、なんと花柄です(全くもってイラナイ情報)。




 コディが背中にしょっている緑の袋がその「秘密兵器」です。ノルウェーのサーミ自治区にある小さなキャンプ用品会社にオーダーしました。容量は40リットルで、ちょっとしたヒト用デイパックよりもたくさんものが入ります。テントなどの野外用品に使う布地を工業縫製で縫い合わせてあります。これが届くまですごい紆余曲折があって、ノルウェー語しか対応してないオーダーサイトからは注文も振り込みもできず、発送も基本的に国内のみだったため、直接交渉してインボイスを作成して送ってもらったのでした。時間はかかりましたが、スタッフの方がとても親切に対応してくれたので実現しました(ありがとう)。

 最初の2週間ほどは空の状態でしょわせて歩かせて、慣らし運動と荷重分配の確認をしましたが、左右のウエイトの違いに結構繊細なので、そこさえ気をつければあとは比較的シンプルで非常に使いやすいバックパックです。なによりこの緑色をすごく気にいっています。派手じゃなく、でもバックグラウンドには埋もれず、素朴だけどちょっと目を引くような、しかしカッコつけすぎない、なんともいえないいいデザインだと思います。

 日本やアメリカだと「犬のバックパック」といえばファンシーか、スポーティか、タクティカルか(軍隊みたいなスタイル)みたいな極端な選択肢しかなくて、それぞれのカテゴリにマッチする犬の場合は良いのですが、コディ男のようにファンシーでもスポーティでもタクティカルでもない犬にとっては「どれをしょってもなんかヘン」という状況になってしまうのが悩みでした。また、私はこれは「犬に荷物をしょわせる」という文化がないことが原因と思っているのですが、容量自体も多くないものがほとんどで、ハイキング以外の実務に耐えるような製品がありません。





 私とコディがせっせと片付けた通りを地元のホースマンが通っていきます。思わず口元が緩んでしまいます。私達2人の秘密のプロジェクトによってきれいに保たれた道をあなたたちは何も知らず歩いて行くのだと、ちょっとほくそ笑みに近い笑いです(笑)。

 ニュースを見ればウクライナ情勢がヘッドラインを席巻する中、私は自分にできる事を実直に続け、家族や子供や、こういう光景が見られる日々を守っていかねばいけないと感じています。遠くの世界の不正に対して憤ることと同じかそれ以上に、今目の前にある問題を自分のものとして捉え、能動的に取り組むこともまただいじだと思います。家族や友や隣人のために働くこと。(がらくた拾いみたいな些細な事でも)思い立ったことをすぐ実行できる健康や時間があることに感謝して過ごしています。


2022年2月23日水曜日

コディ7歳


 1月初旬、犬のコディが無事7歳の誕生日を迎えました。

 コディの最近の主な関心事はトレーニングと散歩です(というか生まれた時からずっと主な関心事ですかね;)相変わらず子犬の様にドスドス跳ね回り飼い主がやりたいことには何でも付き合うという気概を見せてくれるので、嬉しいです。本気でどこにでも一緒に連れて行ってもらえると思っているので、私は常に「50キロを超える犬のカタマリと共に生きる人」としての人生を余儀なくされているわけですが、私自身も車のルームミラーにコディが写っていないと違和感を感じるのでどっこいどっこいといったところでしょう。嗚呼、シェパとシェパ飼いの共依存

 「一度シェパードを飼ったらもう他の種類の犬を飼えなくなる」という言説をときどき耳にしますが、こうしていつのまにか、ビッチリと隣についてくる犬の存在に慣れ過ぎてしまうためかと思います。「一緒に買い物に行きたいひと」と声をかけると「ワン!」と当たり前のように返事をする存在に慣れきってしまうのです。私は「家の柵の外に出るまで、芝生の上でおしっこしてはいけない」と言うとおしっこしてはいけない、おしっこしてはいけないという目をして健気に小走りする犬に慣れきってしまいました。

 つい最近、アメリカ人のご近所さんがバージニアの土着のハウンドを養子に引き取ったのですが、あまりにもシェパードと行動が異なるのでカルチャーショックを受けました。広いお庭のあるお家(邸宅)なのですが、匂いをとりながらひらひらとそこいら中を駆けまわっていました。ロングリードを着けていないとあっという間にどこかへ見えなくなってしまうのです。何もない草原に座ったとして、自分もすぐ近くに腰を下ろしてジト~~~~~っと熱気の籠った瞳で見つめてくるシェパードとは全然違いました。ハウンドは、個人的にすごくしつけにテクニックを要するのではないかと思いました。


この犬、愛情が重め ※小さくシッポ振ってます 


 とまあ愛犬もめでたく7歳児となったわけですが、日課の散歩も決定版と言えるものに進化してきました。①行きは犬トレ散歩、②コディが地面の匂いを嗅いでいる時は私がスクワットなどの運動をし、そして➂帰りは道に落ちているごみを拾って帰る、という「ごった煮系のパワー散歩」となっています。日本の友達とスカイプで話しながら歩く事もあり、朝夕の散歩がかなり有意義なものになりました。

 コディは、私が道に落ちてるものを拾うためにしょっちゅう止まっても気にしないようです。根気よく待っているので「おりこうだね」とほめると嬉しそうです(今日のノートの一番上の写真が、ほめられた時のようすです)。気が向いたらペットボトルなどを拾ってきてくれることもあります。今、このゴミ拾いのために海外から秘密兵器を取り寄せているので、届くのが楽しみです。


「チン」というコマンドでフセから顎を地面に着ける。チョコベビーみたいな形になる。


 健康面に関しては、一般的に「大型犬のシニアエイジ」と言われる7歳のマイルストーンを通過し、やや下り坂といったところです。この犬は、メンタル的な意味では5歳くらいから老化が始まっていたと感じますが、今後は肉体的な面でも徐々に衰えが見られるようになってゆくでしょう。実際、2021年の間は細かい健康問題を経験しました。その中でも大きかったのはかみなりを本格的に怖がるようになったことと、口・おしりの穴付近になぞの炎症が現れるようになったことです。

 おしりの炎症については、今は寛解していますが、一時期けっこうひどくて、病院へ行くと肛門嚢関連の問題を疑われ検査したりと、わりと大事になりました。結局これといった原因は分からなかったのですがその後も時々赤くなるので、長い付き合いになりそうだと感じています。コディは黒い大きなシェパードなので、見た目でソンをするというか、基本的に病院の人にはものすごく警戒されますし、やっぱりコディ自身もあまり体を触らせないので、主だった検査や治療は鎮静下で行われることになるんだと、実感した一件でした。早期発見が特に大事な犬と言えます。今後は定期的に獣医科に通ってメンテナンスをしながら、原因の特定に務める1年になりそうです。

 また、右の前足に時々痛みがある様です。よく観察したところ、若犬の時にドッグランでひねった所と同じ個所が痛んでいるようで、これも獣医師と相談しながら投薬と、運動に制限を加えながら、筋肉を強くする補助的なエクササイズを今後も続けて経過を見ています。しかしまあ、こういう時に処方される薬がとにかく高いです。アメリカはそもそも動物の医療費の上昇が言われて久しいですが、年齢がそれに輪をかけて、医療費は今後もっともっと必要になっていくと思います。仕事を増やして財布の準備をしておこうと思いました。




 獣医さんから「念のため肛門腺に優しい食事を」と指導を受けました。具体的には食べなれたえさに食物繊維をプラスするというだけですが、よく低糖ダイエットなどに使われるサイリウムパウダーを勧められたのにはおどろきました。ドッグフード1カップあたり、おおさじ1杯を添加します。そのままだと、少しの水分で皿にくっついて残ってしまうので、フィッシュオイルを加えて少しこねこねしてから与えています。上の皿がコディの1日分のえさです。時間がある時はこれをロープをつけた、小さな穴をあけた空の牛乳の容器に入れて庭を引きずっていき、なんちゃってトラッキングをさせます。また、ときどきオーブンでカボチャを焼いて与えています。

 ベースにしているドッグフードはここ数年はずっとVictor Purpose Performanceです。このフードはちょっと心配になる位安いのですが、アメリカの国内産だという点と、時々読む警察犬のフォーラムでおまわりさんがおすすめしていたので試したところ便の状態が良くなり、以来ずっと使っています。使役犬は忙しくておなかこわしている暇がないので基本、最も失敗の少ないエサ(大抵はすごく粗食)で一生やっていく犬が多いですが、コディもその作戦を踏襲しました。これにゆで卵や、スープを作った時にでた鳥肉、ゆでた野菜などを入れています。


 ここ最近の犬のアップデートは以上です。そうそう、そういえば数日前、春一番かは分かりませんが夜中にものすごい強風が吹きあれました。翌日にコディが窓辺でウ―――ッと唸るので見てみると、前に友達がプレゼントしてくれた鳥さんのおふろが倒れていました。コディはあまり唸らない犬なので驚きましたが、「いつもの様子とちがうもの」に敏感でよく気が付きますね。


2021年9月27日月曜日

収穫の秋(?)


 

 突然肌寒い日々が続いている北バージニア地方です。日中は日差しが暑いのですが、朝夕はかなり冷え込むようになってきました。家のまわりにワインのためのブドウを作っている家が点在するのですが、道から、棚のブドウがずいぶん育ってきているのが見えます。近所のダイズ畑も、急に黄金色に色が変わり、小さなエダマメみたいなやつ(というか、正にエダマメですね)が鈴なりになっています。収穫の季節がもうすぐそこといった風です。

 そんな中私とコディは「散歩しながらゴミをひろう」という新たなあそびを始めました。こういう犬とやるどうでもいいミニゲームみたいなのを考えるのが大好きですが、、、私はいつも犬とばかり遊びすぎで人間とぜんぜん遊ばないので、たまに自分でも「これでいいのか」と心配になるのですが、、、まあ、この調子で30ウン年来ているので今更の改善は見込みにくいですよネ、、、とにかく、毎朝1時間の有酸素運動の時間を、まわりに目を光らせながら歩くようになりました。写真は今日の朝の収穫?です(今日はとくに大漁でした)。

 この地域には、入植期から残存する、土やジャリがむきだしの未舗装路が多くあります。通称Loudoun's Rural Roadsなどとよばれ、史料価値があるらしく保存の試みがなされています(資料1資料2資料3資料4資料5)。放っておくと数カ月ほどでボコボコになるため、定期的に砂利を継ぎ足しているようです。昔のままの道というのは、現代のように車がひっきりなしに往来することに耐えうる強度がないのだと思います。そこへ行くと馬などは、悪路でも丈の高い植物の茂った農耕地でも平気で進んでいくし、騒音はないし道はもとの綺麗なまま、ガソリンはいらないわ、時折コヤシまで撒いていくわで、「ちょっとそこまで」ののりものとして優れた点が目につき、地元のホースマンが通りかかると見とれてしまいます。

 話をもとにもどしますが、この地面の「ボコボコ」の上を、近隣で働くお兄さんやおじさん達のトラックがどんどん走って行く時、荷台にちょっと置いてあったカンとか、ドーナツの袋とか、そういったものがはずみでぽろっと道に落ちるようです。よく見ると、ストーリー性を感じるゴミがあります。小さな飼葉桶が落ちていたこともあります。アンティークショップに置いてありそうなガラスの瓶をみつけた時もあります。写真をとっておけばよかったかな。

 空き缶は危ないので自分でひろいますが、紙箱系やペットボトルがあった時は、コディに拾わせます。指で指し示して拾わせて、手の上に持って来させます。まだ、手近な所にあるオブジェクトしか持って来られないですが、だんだんに遠い所に落ちてる異物(ごみ)を識別できるようにしてみたいと思います。この半月ほどでこの近隣のはおおかた拾いつくしてしまったので、今後は別の道へも足をのばしてみたいと思います。


2021年4月12日月曜日

相容れぬものたちー犬と子供

トウモロコシ畑の前で

 このブログにもごくたまに登場してきた「ちいさいにんげん」こと娘は、現在5歳6ヵ月です。この頃は心身ともにずいぶん成長してきました。そのせいかは分かりませんが、ひと月ほど前でしょうか、初めて犬が自分から娘を遊びに誘う素振りをみせました。『シャイロ・シェパ―ドは子守り好きな犬種』と言われる中、コディは徹頭徹尾、「何かを一緒にしてくれる人」にしか興味のない奴で、娘が寄ってきてもいかにも迷惑そうに避けたり、または完全に無視&抱きしめられるのなんて本当にもっての外(グーッと言って逃げる)、という態度だったので、突然の変化におどろきました。

 変化のきっかけは、ある日庭で子供が「犬的にすごくいいかんじの棒切れを拾って」初めて「犬に向かって上手いぐあいに投げた」瞬間でした。犬がこの人間は実は、何かを一緒にしてくれる人なのでは???と、あからさまにピーン💡と閃いた表情をしていたので笑いました。それからは庭で用もなく2匹でチョロチョロする姿が見られるようになったりして、互いに利害の一致をベースとした、何らかの関係が芽生えた様子が見て取れました。とはいえ犬の方は娘の事を完ぺきに信頼しているわけではなくて、まだまだ気安く触られたりするのは本意ではないようです。必要以上に近寄ったりじゃれたりといったことは、ありません。


狭いアパート時代も折り重なりながら成長してきた


 彼らの様子を見ていると、「犬と子供」の関係性は、世の中においてわりと誤った印象を持たれているもののひとつではないかと思います。一見すごくかわいく、ほほえましいですが、実際は犬側の多大な譲歩やガマンによって成り立っている場合も多いように思います。

 時々、小さな子供達を対象に「犬とどう関わるか」というミニワークショップを、実地やオンラインでやっています。特に実地だと、コディくらいの大きさのシェパード犬に触れる機会は殆どないので、子供達は皆大ハシャギです。その一方で、小さな子供と犬との正しい関わり合いは(自制心が未熟であったりして)困難な場合も多い事、子供のみならず両親・おじいちゃんおばあちゃんなどの家族も、犬との安全な関わり方をあまりきちんとは考えたことがない場合も、多いことに気付かされます。

 アメリカの数字ではありますが、犬の咬傷事故の犠牲者の68.0%は、5歳以下の子供です。その中では3歳児が被害に遭う率が最も高く、全体の15%を占めています。また犬にかまれるというと狂暴な野良犬などを想像しやすいですが、実はほとんどの子供は面識のある犬(自分の家の犬だったり、親戚や友達の家の犬など)に噛まれています(NIH調べ。米国で飼われている犬の全体数を考慮すれば、実際に噛まれ病院へ行くほどのケガをする率はそう高くはないとはいえ、世間では、「犬と子供」というかわいいコンビを推進するのと同時に、犬は本来、小さな子供にとってはけっこう危険な動物だということ、また子供は犬との安全なかかわり方を学び、実行できるようになるまでに、思ったよりも長い期間を要するという事実も、広く知られて欲しいと感じます。