2021年5月27日木曜日

春の終わり


 
 ナボコフは、タンポポのことを太陽から月に変わる植物と小説の中で表していました。茂り出した青葉の隙間を通ってくる、暮れていく晩春の光の中で一瞬あめ色に光っている様子などを見ると、路傍の雑草であっても、たしかに官能的に見える瞬間があることに気付きます。この季節特有のこの光は、ものの特別な一面をクローズアップする効力があるように思う。こんな時、例の毛むくじゃらも、いっそう素敵に見えるような気がします。



2021年5月1日土曜日

なにが君のしあわせ



 休日、コーキング剤を片手に這いまわるガレージでの作業が終わりました。かわいそうなミミズが潜り込む穴をおおかた塞ぎ終え剤を乾かしている間に、ガレージの隅にヒト・イヌ兼用のエクササイズコーナーを作りました。雨の日や日没後は、ここで娘や犬を遊ばせようという魂胆です。引っ越して少しスペースが出来たので、ついついこうして余計な事を考えてしまう。

 犬用に作られたエクササイズ用具もいろいろ見たのですが、コディくらいのオオイヌだと、道具が小さすぎたり、逆にとても巨大で高価だったりして、こういうのは最初に良い道具をそろえるのがうまく行くカギだとは分かりつつも、二の足をふんでしまいました。当面は自分用のフィットネス器具をそのまま流用して、いつもはしない動きなどをさせるにとどまりそうです。少しくらいグラグラ、ガターン!となるようなオブジェクトの上でも、ボールを見せると細かい事は頭からふっとぶタイプなので色々な動きを一緒に出来るのではと、期待しています。


「できました」
なにか違うような気がするが……



 コディはグラグラボードの上に前足を置くことが出来たので、その後、ボールを空き箱の山の中に隠してもらい、一生懸命探していました。あらためて、犬となにか新しいことに挑戦するとき、自分の犬が「これをあげれば(すれば)とても喜ぶ」ということ、報酬がどんなものごとかが事前にはっきり分かっている事は非常に大事だと思いました。

 アンパンマンのマーチに「何が君の幸せ 何をしてよろこぶ」というフレーズがありますが、まさにそれが重要です。わからないまま終わらないための唯一の方法は、自らの手で何十時間、百時間幾千時間と、犬と一緒に何かに取り組み相手の心を探求する時を過ごすしかないのですが、犬とは無尽蔵の愛を持ったいきものなので、そういうヒトの努力の過程や、たとえそれがむだなあがきであっても、無限に応えてくれます。だから、そういった一見地味な日々の努力が可能であり、且つ苦にならない人々が、また犬を飼うという事の恩恵をとくべつ沢山享受できる人、という事でもあると考えられます。