2022年11月6日日曜日

アロエの成長

窓辺のスリー・アミーゴ


 去年の8月のノートに書いたアロエの今です。唐突ですが私はアロエの世話が本当にヘタなのです。ここまで何度も調子を崩させたり、気を使って植え替えしたらまた弱ったりで、(自分の腕は棚に上げて)「いつも何かしら問題がある人」というレッテルを貼ってしまっていました。でも、写真を見比べるとこれでもけっこう大きくなっていることが分かりました。これはなかなか嬉しかった。

 アロエ類は陽光が好きなイメージが強くて(ハワイのカンカン照りの道端で雑草と一緒に生えていたし)、基本的には外で育てるものだと思うのですが、こうしてなんとか室内でも生きて少しでも成長していてくれるのはありがたいです。過酷な我が家の環境、ケアに負けずこれからもがんばってほしいです。笑




 前回出てきた茶ばんだエメリアエは、きれいな緑色にもどりましたよ〜
 ホムセン出身のこの草は成長障害で妙ちくりんな姿ですが、元気です。

 じつは、最初の植え替えの時にとれてしまった子株を1つだけ小さい鉢に入れていたところ、調子を持ち直して順調に成長してきてですね、、、嬉しくて調子にのって水を与え過ぎ、若干徒長気味にしてしまいました。綺麗に太って青々とした状態を保つのと「やりすぎ」の境界線が少し難しいなあという気がしてます。


マクラータ

 私は変態なのでこういう植物の葉っぱがとれてしまうと、カッターでスライスして断面をなめるという奇行に走ってしまう。苦くも無く甘くもなく、ただただ、「植物が一生懸命貯めたもの」の健気な味がします。うう~む。。姿見て良し、なめて良しとはこりゃ参った。。。※良い子はまねをしないでネ




 半年ほど前にやってきたユーフォルビア・ファイヤースティックが優雅に手を振って「私のお味見もぜひどうぞ」と誘ってきます。ダメ、絶対。この鉢に2週間に一度ほど大型のじょうろで目一杯水をやるのですが、一回一回、なんか気味が悪い程でかくなっていくので最近コヤシをやるのをやめました。私は恥ずかしながら肌が少し弱いのでこいつの手入れはちょっと命がけです。一番どうしたらいいか分からない草。


こんなに高く伸ばす必要ある?と見る度思ってしまうH.ヴェノーサ.テッセラータの花


ハオルチオプシス属の特徴を備えたお花

 まあこのようにして、近所のホムセンに月イチていど行くたびに草のコーナーを覗いては、新しい葉っぱが増えたり、増えなかったりしているわけなのですが。。。この店にある草は皆けっこう見るのも悲しい状態になっていることが多いのです。江戸の火消しのさすまたかよ?と思うくらい見事なワイの字に成長したリトープスなどは平常運転です。

 さすがの私も最近は深読みし出して「この状況、わざとでは?」と思い始めました。こういった草花を適当にキープして「ほどほどに可哀想なすがた」にしておき、助けてあげる、という私のような愚かなカモをおびき寄せているのでは?そうしていつまでも私のような蒙昧なお人よしが購入していくから、可愛そうな草花の売買は永遠と続くのでは?と。


2022年11月1日火曜日

はらはらと~紅葉降るなり 犬の背に


 彼奴の換毛期が到来しました。ブラッシング用のレーキをかけると、いつかお祭りで見たワタアメの機械のように無限に毛がとれます。とても楽しいです。フサホワ系大型犬の例に漏れず、シャイロシェパードのアンダーコートもとても細くて柔らかく、わた埃みたいにふわふわと舞います。毛量は、たぶん多くの人が思うよりかは少ない方だと思うのですが、それでも体が大きいのでなかなかです。我が家ではこの時期、全てのものにこのホワ毛が混入してくるので、私自身も気付かないだけでこれまでに相当量の犬の毛を口に入れてるはず。でもま、私は犬毛は食物繊維の一種と捉えているので、今日も心の平穏は保たれているのでありました。

 編み物が得意で家に糸車を持っている友人曰く、シャイロの毛は「紡げる毛質・長さ」なのだそうです。バージニアには頼んで愛犬の毛を送れば紡いで毛糸にしてくれる人もいるので、少し気になっています。今年は手はじめに、子供と一緒に比較的カンタンなフェルト作りにチャレンジしてみようか?コディの毛のフェルト石鹸を作ろうか?などと、夢を膨らましています。家の者より、「洗えば洗うほど手が汚くなる石鹸」などという、なんとも不敬なコメントも来ているのですが・・・(私は私で「石鹸なんかにしたらせっかくのコディの獣臭が分からなくなるからいやだ」と思っている)





 くだらない計画ですが、こういうことを思案する際、そろそろ脳裏に「思い出作り」という単語がよぎることが侘しい、愛犬の7歳の終わりです。私達はいつもニコイチで色んなところへ行き、色んな事をしてきたからか、もう本当に長い長い日々を共にしている様に感じています。「犬の飼い方」という本を開けば、こういう風に犬とベタベタと癒着した暮らしをしたり定期的に留守番させないのは犬自身のためによくないとか、分離不安にさせてしまうとか、色々書いてありますね。それはまったく論理的に正しいものです。

 でもときどき思うのです。

 やっぱりそれってそんなにダメなことなのかい?と。

 まだまだ人が大家族で、どっかの村や、町はずれで、ウシやらウマやらヒツジやらと共にアナログな生活をしていた頃。といってもそんなのは100年にも満たない、人類史においては「ついこないだ」程度の昔ですが、家の外で日がな一日ヒモもつけずにゴロゴロしていたりして、行き交うニワトリの向こうに寝そべって、これだ、この人に着いていこう、と自分で決めたその人をずっと横目で追いながら生きる、犬とはそんな連中だったはず。そういう性格のヤツが、選び抜かれた「動物のトモダチ」として、犬と言う生物の命を繋いできたはず。

 信頼しているその人が「おいで」と言ったらすぐに来て残り物をもらい、隣村まで仕事に行くとなったらついていく。その人が寝たらふとんの近くに陣取り、「変な物音がした。行こう」と言ったら、夜の3時でも目を光らせながら闇夜の中に飛び出して行く。そういう暮らし方は、ごく普通のものだったはずだと思うからです。



 


2022年10月20日木曜日

パラ活のその後

  

 近所の人から近くの農場でとれた青りんごを沢山もらったので、コディ飯に刻んで入れてみました。私達の食卓において食べきれないものや、いらないもの(調理したイモの残りとか、焼きジャケの皮とか)はほぼ何でも入れてます。なにしろ奴は、パラダイムをまぶせば殆ど何でも食べることが分かったので。ということで、犬用のグリーンフードミックス「パラダイム」を使い始めて約6か月が経過し、使用感やら気が付いたこまごまとした変化などをメモします。


おかずがてんこ盛りでパラダイムが見えない


 気付いた事ですが、まず、やけに毛並みがきれいになってきました。しっかりとツヤやコシがある感じの毛で、これが餌のためなのか、そこに混ぜている油分のためなのかは定かではないのですが、とにかくつやつやしてます。油分は、CBD、フラックスシードオイルや、コールドプレスのヘンプオイルなど植物性のものを中心に、人間用にその週に冷蔵庫に入ってたやつをわけてあげて添加しているので、特別どれがよい影響を与えたのかは定かではないです。

 次に、体重が減りました。コディは5歳頃からずっと55キロ前後でメンテナンスしてきました。これでもかなり絞っていると思っていたのですが、パラダイムに変えてからすーっと体重が減って一時50キロ前後になりました。でも、特段「痩せた」という感じもなく、弱弱しい感じもなく、すごく元気で走り回っています。夏休みにドッグシッターさんの家に泊まるので餌をドッグフードのみに戻したところ、すぐに体重が増加に転じていたので、「ドッグフードってかなり効率の良いエサだな」と感じたものです。

 この犬は成犬になってからはずっと1日1回の給餌なのですが、パラダイムはドッグフードのみの時と比較すると若干、腹持ちがいいようです。油類のおかげかもしれません。あと、シェパードにありがちかもしれませんがコディは水をあんまり飲まないので、パラダイムを潤かす時の水の量を調節して、水分補給の助けにしています。まあ気休め程度かもしれませんが…、、、。



 困った点ですが、ときどき食糞するようになりました。トレンディな食生活のおかげで、突拍子もない何かの栄養素が不足しているのでは、と少し心配になりました。コディは今までも、ときどき土を食べたりしてかかりつけの獣医さんに相談しているのですが、「とっても元気、健康」「面白い味がするから興味持ってるんだと思う」という解説しか受けたことがないのです。

 とりあえず経過を観察していますが、栄養面で偏り過ぎないようにふだんのドッグフードも混ぜたり、「ドッグフードだけの日」も作るように注意しています。ここ半年は一か月の間にパラダイムの期間、ふつうのドッグフードの期間、ベジタリアンの日、それから餌なしの日を設けてきました(生餌は体調崩すリスクが高いので暫く前にやめました)。しかしパラダイムの薬草みたいな匂いにやたらと反応するところを見ると、フンにもその匂いが残ってるのかもしれないですね。美味しそうでついつい食べちゃうのだろうか。


こらっ

 それにしても、アメリカは生活コストが高くなりました。特にガソリンや、肉類の価格の上昇が生活を直撃しています。卵はさすが物価の優等生と言うべきか、比較的リーズナブルだったのでパラダイムをやる時のたんぱく源としても重宝していたのですが、最近はこれも価格の上昇が見られます。バージニア州はもともとそんなに物価が低くない州なのですが、アジアンスーパーでエノキ1パック5ドル(750円)とかになっているのを見ると、おちおちと気軽にラーメンも食べていられないなあという感じになってきました。

 でも、犬が毎日ランチの時間を楽しみにしてるので、何かちょっとでもうまいものを食べさせたい。コディはいつも「自分が餌をもらっている」ことをよく分かっていて、どうも感謝しているようなのです。ドッグフードでもパラダイムでも、とにかく食べた後一回私の所に来て、耳を倒して目を細めて擦り寄ってきます。フードのにおいのするきしゃない口で私の顔をひと舐めしようと迫ってきます(笑)。食に対する無垢な喜びを見ると、また明日も絶対何かうまいものを食べさせようと決意する飼い主となるわけであります。



2022年10月18日火曜日

W&ODトレイル


 2ヶ月に及ぶ夏休み戦争も終わり、ふと気が付くと私達の住むバージニア北部の田舎ではすっかり季節が変わっていました。特に朝夕なんかは草つゆも薄っすらと凍り、犬の吐く息も白く、藪からは微かな虫の声が聞こえます。朝夕の散歩で視界の端を行き過ぎる木々の梢がいかにも夏をがんばりぬいたという風体で、冷たいそよ風に遊んでいます。木の葉は、そして、ある瞬間に思い立ったように枝から離れ、はらりはらりと一回切りの遊覧飛行へと旅立って行きます。コディはいつの間にか口のまわりに白髪が増えてきました。

話しかけると耳だけで「きいているよ」と返事します おりこうですね ※親バカ

 ここは最近よく歩いている、近所のワシントン・アンド・オールド・ドミニオン・トレイル(W&OD Trail)です。1800年代後半から900年代にかけて使用された鉄道の線路の上を舗装した全行程116キロ、幅約30メートルの「最も細長い広域公園」としてノーザンバージニア公園局に管理されています。地元のランナーやサイクリスト達にとってはお馴染みのトレイルであり、最近は電動の乗り物で行き来する若者や元気のいいお年寄りなんかも見かけるようになりました。

 W&ODトレイルの面白い点に、主要なトレイルの横に沿うようにして「ブライドル・パス」という小道があることが挙げられます。最小限の整備をされたこの道はホースマン専用路なのです。私とコディはサイクリストの邪魔にならないよう、ふだんはこの馬用の道を歩いています。午前中などに行くとときどき小山になったもう見るからにホカホカの「おみやげ」が落ちてることもあってコディは大喜びです(やめ~い)。

 馬専用路は、土が柔らかい所に他の通行者の足あとがついていたりして、静かですが、にぎやかです。おそらく早朝に散歩しているコディよりでかい足あとの持ち主もいるんですよ。どんな犬か分からないけど、コディより2まわりはでかい足です。となりを歩いている人間の足あとは、作業靴を思わせるものなので、近所の牧場で家畜を守っている犬かも知れません。いつか会ってみたいです。あと雨の日に行くとすれ違うのがジャーマンシェパードの飼い主ばかりで面白いです。シェパードの飼い主には規則正しい毎日の習慣を守るタイプが特別多いのか?雨の日でもガタガタ、ピーヒャラピーヒャラ言う犬を飼っているからか?両方かな…


 季節が変わりだんだん朝晩の冷え込みが厳しくなってきたので、外に置いていた植物も中に入れはじめました。上の写真の奥の方にあるゲンコツみたいなサボテンは、珍奇な見た目で夏中楽しませてくれました。いつも思うのですが、多肉植物って安いのにこんなに面白くていいんでしょうかね?なんか、申し訳なくなっちゃいます。屋内で育てると光量の問題があるので心配ですが、せめて長生きできるようにまめにチェックしてこうと思ってます。年度終わりに小学校の先生への贈答用でキープしてたエケベリアだけややネグレクトされてて罪悪感がある。笑


 子供も無事、アメリカの小学1年生になり、元気に学校に通ってます。9月の終わりに7歳の誕生日も迎えて、ひとまずはここまで無事に大きくなってくれてありがたいな、ありがとう、という気持ちです。習い事でここ1年ほどアイススケートをやっていたのですが、先日急にアイスホッケーをやりたいとか言い出し、とんとん拍子に話が進んで、今はちびっこ用のチームに入ってプレーしています(手前の白いヘルメットがチビ)。先日初めての遠征試合があり、大きい子達に交じって1スコア入れていました。

 自分達の家系はアイスホッケーを見る人ばかりで「やる人」が出たことはなかったんで、子供が小さいながら自分の考えで人生の舵を取りだした感があります。今後どこまで続くかは知りませんが、やるからには心身をしっかり鍛えてゲームをよく見て、チームの役に立つ人になれと言っています。まわりの子より始めたのが遅かったらしく課題は沢山ありますが、後方支援に徹したいです。まずは黒いヘルメット代を稼ぐところから(笑)


 「犬を飼う」ということは、特筆するような活動ではなく「生活のなかに犬がいるというライフスタイル」そのものであるとよく思うのですが、「運動の稽古事をしている」ということもまた、生活のなかにスポーツがあるというライフスタイルなんだと、始めてから気付きました。その本質は毎日の学習、トレーニング、観察と考察とメンテナンスの継続です。これも犬を飼う時といっしょですね。

 こうやって考えるとなんだか大事なことは全て犬に教えてもらっている気がしてくるわけであります。おっと…、、、また、世の中の全てに犬を関与させる愛犬家独特の異常な思考回路を披露してしまった。私、ブログをつけてきて久しいのですが、偶に現れるコアな人以外めったにコメントがこないのは多分、この奇天烈な思考が文の随所に漏れているからかなあ?と思っています。まあ、思ったところで直せはしないのですが…(つら)


2022年8月23日火曜日

草の成長(とコディ)

 微妙に続いている「最近の草」シリーズです。子供の夏休み中の現実逃避ですがよかったら見ていってください。おそらくこの世の99%の方にとっては至極どうでもいい植物の話を好き勝手に喋っているので「夏休み疲れが溜まっているのだな」と見なかったことにしてやってください(笑)コディの写真は最後にあります!最近のコディ君はどうしたかな~と、気にして下さってる方は、よかったらこのノートの一番下までスクロールされてみてください。

 さて去年9月のノートで葉挿ししたエケベリアですが、だいたい1年が経過して、直径6センチメートル程度くらいかな?まで成長しました。ずっと室内で植え替えもしてないからか、ぐぐっと大きくなることはないですがゆっくり地味に成長しているようです。この微妙な青灰色が私の大好きな色です。触ると跡が残っちゃうのでいつもじーっと眺めるだけです。

 エケベリアの仲間は、殆ど育てたことがないのですが、唯一強い関心を持っているのが原種「ラウイ」です。あの清楚な姿にとにかく惹かれます。そのうち時間が出来たら種を取り寄せて育ててみたいです。家庭菜園プロジェクト、昆虫用の庭作り、風呂場に南国植物コーナーを作る、コウモリとメンフクロウの巣箱設置計画、テラリウムを量産する、ホビーファーム作りにガチョウの飼育と、今後数年で果たしたいホームプロジェクトがたくさんなので、忘れないようにここに書いておこう。


 去年の6月頃だったかな、ほとんどまるはだかの状態でうちにやってきて、いつの間にか子だくさんのボーボーへと変貌を遂げていた宝草(?)。なんだかボーボー姿も板についてきて鉢の中でワサワサと茂る姿がおもしろいです。葉っぱの質感なども可愛らしく、いつもすてきな草だな~と思いながら見てます。わずか5ドルの植物でこんなに楽しませてもらっていいのかな?という感じ。台所のすぐ手を伸ばせば届くところに置いてあるので、子供の友達が来てワッフル焼き係の疲れが極限を迎えた時など、ふと心和ませてくれる存在です。


 ボーボーといえばこちらも。
 今年3月、ホムセンから持って帰った頃は楚々とした姿だったのにもうぎゅうぎゅうに成長して大変なことになってます。この大きさで子供がたくさん出来るという事は、わりと小柄な品種なのかな。もの集めが好きな者にとって、アメリカのホムセンの適当な品種カードはすごく歯痒いものがあります。この葉っぱもシンビフォルミス系(?)と勝手に思っているけど真相はなぞ。


 シンビはそろそろ植え替えて大きな鉢にうつしてあげたいですね、なにしろ鉢はいくらでもある。時はすでに遅しで、私のもの集め癖はジワジワと再燃し応接間の方まで広がり、すでに窓辺を侵食しはじめていたのであった。


 レツーサ。2株あるのですが私の世話の何かがいけなかったらしく、1株は根があまり伸びず葉がちぢれてきてしまいました。窓辺組は園芸店のお取り寄せ出身なので台所にいるホムセン組とは風格がちがいます。肩をいからせて話しかけても答えてくれなさそうな感じじゃありませんか。そのわりには土被ってるけど…(こういうのにあまり気付かない)


 リミフォリアです。硬葉系は最近分類がHaworthiopsisに変わったそうですね。これ系はポーカーフェイスで何考えてるか分かりにくく水やるタイミングもなんだかイマイチ分からないので苦手意識があって、うちで育てるのはこの株が初めてです。こないだ少し触ったら根がしっかり張っていてひと安心です。男性的な草。


 すみませんまだ続くんです。
 3月に奇抜な姿でうちへやってきたエメリアエは奇抜なまんまワシワシと成長を続け、今はこんなんなりました。徒長したところはもう治りませんが真ん中から正常な葉っぱがいくつも出てきて展開しています。こういうしぶとい感じがかっこいいですね~客観的に見るとエメリアエが一番好きかも知れないな、、、嬉しい事に子株もいくつか出てきて。旅行で留守にした間水が足らなかったらしくちょっと茶色くなってしまった。もう、根っこも大分まわってると思います、植え替えよう(もはや念仏)


 私が草を眺めてああでもない、こうでもないと静かに現実逃避しているところに必ずやってくる犬です。思えばこの犬は子犬の頃から「不注意でモノを倒す」というのをやったことがなく、今こうして彼の足首ほどの高さに置いてある植木鉢なども、一切倒さずに歩き回るので助かります。それにしても犬も子供と同じで大人の異常行動に敏感ですね~。このすごい懐疑の眼差しを見てください。飼い犬だってこういう目で主人を見る事があるのである。

 これを書いている今は子の夏休みも終盤で、ハワイに義父を訪ねる2週間の旅行を終えた所です。コディはその間新しいドッグシッターさんの所で過ごしていました(いつもの人がアジア圏へ里帰りしていたので)。私はここの所ずっと犬の体力向上について考えていたり、ドッグフィットネスの講座を受け終わったりで多少目が肥えてきたのでしょうか、2週間後に再会したコディの体格の変化におどろきました。コディをさわるだけで、この半月間どんなケアを受けていたかは覿面に分かりました。こういうことは、口では何とでもいう事が出来ますが筋肉は正直で、ごまかすことはできませんね。余計な勉強によって私はやっかいな客へと成長してしまったのかもしれません。耳ダニらしきおまけももらってきたので来週は病院です。

2022年7月27日水曜日

うんちから生えたお宝


 犬の糞尿って、長い目で見ると果樹や植え込みの植物などに思いの外影響がありますね。うちの犬は体も大きいし、排泄場所にはいつも気を付けていましたが(日本みたいにおしっこの後を水で流すほどではないけど)、今のうちに越してからも、犬のトイレはかならず庭の柵の外まで歩いて行って「自分の土地ではあるけれど雑草生い茂る一角」ですませるようにしていました。


 ここにはミミズや小さなトビムシ、ワラジムシなどが大量にいて、コンポストみたいになんでもすぐに土に還してくれます。道で轢かれた獣を置いた時も、すぐに骨だけになったりしてハエ類や小さな虫たちの力には驚きました。地下水系にも影響はないとふんで、ここでしたコディのうんちは、拾わず置きっぱなしにしていました(てへ)。そんな一角に生えてきたお宝の話です。

Wine Berry  -  Rubus phoenicolasius
 
 今月に入って「雑草生い茂る一角」にすごい勢いでキイチゴが実りだしました。小さくて宝石みたいなきれいな赤い実が、食べても食べてもなくならないくらい、あっちこっちに鈴なりになりました。バージニアに自生するワインベリーです。形状は、小型のラズベリーみたいで丸みがあり、艶があり、ホールフーズ(日本のザ・ガーデンみたいなスーパー)で売ってないのが不思議なくらい風味があって、タネの食感もプチプチしておいしいです。

 この種は実は東アジア原産のキイチゴで、1800年代後期にラズベリーの品種改良のために輸入されたストックが外部に広がったものとか。日本ではエビガライチゴとか、ウラジロイチゴ等と呼ばれてるみたいです。雑木林と草地の境目みたいなところによく生えていて、広大な農地の辺縁を重機を使って定期的に刈り込むアメリカ人の生活様式が、この種の好む環境ともピッタリだったのでしょう。故郷から遠く離れたこのバージニアの田舎でかなり繫栄しています。

 それにしてもコディのうんちや、獣の死骸からこんなにもおいしいものが実るなんて、、、自然とはなんともありがたいです。キイチゴのもうひとつの楽しみと言えば、キイチゴを食べる時のコディの変な顔です。今年も変わらぬ愛犬の様子が見られて嬉しいな(以下、変ガオのおすそ分けです)。





2022年5月23日月曜日

犬の聴覚過敏とつきあう②




  北バージニアの僻地では、ここ2週間で急に日差しが強くなり、暑くなりました。近所の畑では麦がどんどん育っています。上の写真の、コディの後ろに茂っているのも、麦です。こうしてあっという間に夏になっていくのでしょう。農道では野ばらやスイカズラの仲間が花の盛りを迎えており、風の中になんともいえない良い香りが混じっていて、5月の季語「風薫る」的なかんじをリアルに体感しています。

 今日は、去年の9月にぶつぶつ言っていた「犬の聴覚過敏と付き合う」というテーマの2回目のノートです。5歳頃から特定の音に「おや?」と思う反応をするようになり、6歳半ごろからは雷を恐れてクンクン言うようになったコディですが、現在7歳半に差し掛かり、「その後どうなったか」についてのアップデートです。

 まず、前回のノートで書いたような行動は変わらず、さらにここ6ヵ月の間に、嫌がる音のバラエティが増えました。具体的には、以前から恐れていた「落雷」「アマゾントラックがバックする時に出すピー音」「火災アラーム」等に加えて、

 ・突然鳴るホイッスル音

 ・突然鳴るPCの停電装置

 ・突然鳴る停電時の機器類の停止音

 ・稀に鳴るセキュリティシステムのアラーム音

 ・天井スピーカーからのアンプ接続音


などなどが忌避の対象に加わっています。一部例外もありますが、「突然鳴るハイピッチ音」シリーズが概ねすごく嫌なようです。反応の強度は、音源からの距離によって違いますが、むっくり起きて耳をそばだてる~ハアハアと息をしたり、よだれをたらす、クンクン鳴く、立ち尽くす………程度から、デッキや車庫に自分で避難する、震えながらテンパって2階へ駆け上がる、などなどと開きがあります。

 おもしろいなと思った点が、音への反応は環境に非常に大きく左右されるということです。たとえば「アマゾントラックがバックする時に出すピー音」などは、セラピーの訪問で訪れたざわざわとした市街地の環境の中では、完全に無視して何も感じていない様子が見て取れます。練習の一環として工事現場なども観察させに連れて行きますが、重機の音などははっきりいって落雷より煩いこともあると思いますが、全く平気なようです。音のボリュームというより「断続的に起こっている音か」という点のほうが重要なのだと思いました。

 健康面に関しては、すでに獣医さんに複数回コンサルテーションをしてもらっており、犬の活動レベルやオモチャや餌への興味、食欲、日中の過ごし方、歩様、排泄、屋外での過ごし方といったものには全く変化が見られ無い為、現段階では「現状維持&経過観察」「多分年とってきてるから」と言われました。落雷に関してはアルプラゾラム(alprazolam)という薬剤が処方されました。運動と脱感作トレーニングに引き続き力を入れながら、どうしても必要という場面があった時のオプションとしてとっておきたいと考えています。

 また少し話題からずれるのですが、コディは自宅内の「1Fから地下へ行くための階段」という特定の階段にも、最近すごく警戒するようになってきています。下から吹きあがってくる微かな空気の動きなどから高低差を感じているようで、周辺の廊下を「つり橋をわたる人」のようにかなり慎重に歩くようになりました。採血が出来ない問題の時も書きましたが、ここのところ全体的に警戒心増、ストレス耐性減、なのかなー、という傾向があります。これらの状況は今すぐに生活に支障を来すレベルではありませんが、時とともにやや悪化傾向なのが気になります。

 不安を訴えやすい時間帯としては、日中よりも日没後が多いです。この辺一帯の雷は夜来ることが多いこと、夜は人が寝静まり生活音がないため不審な音が際立つこと、などが関係しているのかなと思います。もともと目が良い犬なので、暗くてものがよく視認出来ない状態が落ち着かないとか、今書いていて気付いたけれど、もしかすると加齢などで視力自体の低下が起きているなどもあるのかも知れません。念のため、今年中に眼科専門医にも予約をとろう(最近すこし目が濁って見える時があるので)。

 ずっと取り組んでいる脱感作(desensitising)トレーニングについては光明もあって、コディは最近、食器洗浄機がガチャガチャ言う音を克服しました。手帳を見ると、最初に食器洗浄機を避ける素振りを見せたのは2020年の10月ですから、それから1年6ヵ月の地道な練習で「音はいやだがとなりで座って我慢ができる」ところまでもどったことになります。落雷や停電関連の音は、食器洗浄機の音にくらべて再現が難しく、それに応じてか拒絶反応も激しいため、トレーニングの形でどこまで克服していけるかは分かりません。でも、何事もやらないよりはマシかと思います。いずれにせよ、音系を克服するトレーニングは長い長い時間がかかると分かったし、先に犬の寿命がつきる可能性も高いですが、チャレンジを続けたいと思います。がんばろう!🐺



 コディは昔から、夜間は色んなものに対する感受性が上昇して表情も変わり、行動も昼とかわってくるので(周囲への探索欲、プレイドライブが非常に強くなる、よく吠える・唸る)、特に田舎に引っ越してからは日没後の散歩は避けてきました。これについて最近とても興味深いビデオを見つけたのでくっつけます。アメリカの田舎のおもしろいお兄さんの生活Vlogで、その人の護畜犬マレンマ・シープドッグの回です。



 このビデオの最後5分間くらいで、マレンマの「トビ」の夜のすがたが記録されているのですが、私はこれを見てあっと思いました。もしもコディを夜中、外に家畜と共に留まらせた場合、恐らくこのトビとかなり似た行動をとると思ったからです。

 コディが夜特にワサワサしているのは、彼がそういうヤツだから、というだけでなく、これが実働時代から「有意義だったから残された資質」だったからかもと気付きました。田舎に住むと分かりますが、月や星の明かりしかない夜に表で見張りをしてくれる存在ははっきり言って非常に頼もしいです。犬はセコムやアルソックができるよりずっとずっと前から私達のためにこれをやってくれていたんですよね。年季がちがいます。

 アメリカ産の犬種であるシャイロ・シェパードは端的に言うと「愛玩用の巨大なシェパード」として発展してきましたが、繁殖をするうえで、健康だけでなく「シェパードとしての本能」もなるべく消さないよう心を配っている繁殖家が多い犬種です。熱心な人達は個人的に子犬を集めて、牧羊犬の適正テストを受けさせる人もいます。コディも知り合いと一緒に受けたことがあります。そのような犬種なので、こうした家畜のまわりで働く犬らしい気質がより多く残った個体がいても不思議ではないと思いました。

 それにしても、我々と暮らし始めてから何万年もの間、犬は村や家族単位で比較的密集して暮らす傾向のあった人間たちにくっついて、アンビエントな自然音と共に寝起きし、いつもそれらがあることに慣れていたはずです。それに比べると、現代の犬達は核家族で「家に一人~数人しか人がいない」みたいな環境の中、進歩した建材で気密性が向上し、正に『不自然に』しんと静まり返った屋内で、時々ピッ!とかカタッ!とか音を立てる機械の存在などは、ひょっとするといくら確認しても実態のつかめない不審者の幻影と暮らしている気分なのかも知れません。それは、家や家畜を守るという本能をもつ犬達にとっては、特に不安を喚起させるものなのではないでしょうか。牧羊犬が聴覚過敏に陥りやすいと言われるのには、このあたりにも要因があるのではないかと思いました。


2022年5月22日日曜日

海外で「日本人」を育てる



 とは言ったものの、自分が実際何人を育てているのか釈然としていない部分があります。6歳の娘の話です。「娘はニホンジンです。」と、思う事にしていますし、アメリカで生まれ育っているから「アメリカジンです。」というのも、妥当に思います。今日何が食べたい、と聞くと「ハンバーガー!」と言ったりしますが、なっとうご飯の日も多いし、にんたま乱太郎に声を上げて笑い、なにより履き古したスニーカーにこっそり「ありがとう」と手を合わせてから捨てている様子などを見ると、「日本人だ」と感じます。生物学的に半分はロシア人であり、父親に言わせると性格は「とてもスラブ的」だと言います。娘のおばあさんは先祖代々ボルガ川のほとりの小さな村に住んでいたメリヤというフィン系のロシア人でした。娘のマユゲはユダヤ人が見え隠れする時もあります。言語も、文化も、DNAも、いろいろに混ざったチビな命、それがわが子というのが現状です。

 子が生物学的背景をこえて「何人か」を考えるときひとつの指標になるのが「どの言語で深く思考するか」ついで「その国の文化が母文化として体に染みわたっているか」という点かと思います。私自身を振り返れば、「日本で生まれた」ことや、「日本人から生まれた」こと以上に私を日本人たらしめるものがあるとしたら、「私は日本語で深くものを考える」「日本の文化を熟知している」という点ではないかと思います。

 とりわけ日本語による思考は、私が日本という地理的な座標から遠く切り離されても、いつでも変わらぬ基準点として自我を照らしてきました。義両親についても同じで、移民として40年以上このアメリカで暮らしてきましたが、どれだけアメリカの生活に馴染もうと英語がどれほど堪能になろうとも、思考の深部にはいつもロシア語があり、ソビエト的思考回路があり、日常のいたるところで脳裏にソビエトの詩、歌、美術や歴史の知識があふれます。たとえ国を捨てたとしても、やはりどこまで行ってもソビエトの人なのです。これは、アメリカの移民一世の中ではよく見られる現象です。「血は水よりも濃い」といいますが、この移民の国に住むと水よりも血よりも濃くさらに強力に自己を醸成する存在は「土」であり、それと固く抱き合った存在である言語と思考である、と思えるようになります。

 まっとにかく、そのような観点から見れば、いずれアメリカで義務教育を修了してアメリカ文化に精通し英語による深い思考能力を身に着けることになる娘は、アメリカ人だということになります。生まれた時から疑いようもなくアメリカ人であるよその子供達と比べたら、成長のうちのどこかの段階でアメリカ人に「なる」後天的なアメリカ人とも言えるかもしれません。

 ここで日本人の親としては、子供が「アメリカ人」であると同時に「日本人」であることは両立し得るのか、というソボクな疑問が浮上します。さっき書いた考えをもとにすると、子が「日本の文化を体験として知っている」「日本語での深い思考が可能」であれば、「およそ日本人」と言えるとも思うので、じゃあ、将来的にそれをある程度可能にするレベルの日本語の力が子供にもあるといいいな、というところまでやってきます。




 ここワシントンDCメトロエリアは、日本人や日系子女が学ぶ場としていくつかのオプションが存在します。文化公共事業、および学生支援などを行うワシントンDC日米協会をはじめ、日本語継承センター、文部科学省承認校で高校2年生まである補習授業校ワシントン日本語学校などがその筆頭と言えます。また、全米でも珍しいのですが公立校で英語と日本語によるエマ―ジョン教育を展開しているFox Mill ElementaryGreat Falls Elementaryなどの小学校があります。未就学児についても土曜だけ開園する幼稚園にさくら学園たんぽぽ幼稚園ひまわりの会、日本語で保育を行うホームデイケア・プリスクールにバージニア州ハーンドンのわらべ教室、メリーランド州ベセスダのWEEセンター、などがあります。日系人の若者同士の相互扶助や夏冬のキャンプ・プログラムの運営をしている団体としてオーエン・ネットワークがあります。

 在住日本人の母数としては決して多いとは言えない都市圏にありながら、「日本文化や言語の継承」という観点から取ることの出来る選択肢が複数存在することは比較的恵まれていると言えます。北米において「バイリンガルの技能を高いレベルで維持している(バイリテラシー)」と判定されることは、たとえばバージニア州では「Seal of Biliteracy」の称号が与えられたりAP試験 (Advanced Placement Program Exam)やSAT試験(SAT Japanese with Listening)で大学の単位を先取り取得できたりと、進学や就職活動において実益を伴うので、子にとってもメリットがあります(とはいえDC圏は非常に優秀な人が多く、「マルチリンガルで全ての言語がビジネスレベルに達してる」というようなバケモノ人材もゴロゴロしているため、実際には言語に+αとなる活動や運動系の技能なども同じくらい重視されると思います)。ともかくも子供に多言語教育を施す事にはさまざまな恩恵があるということで、特に日本の義務教育に批准した内容を教えてくれる日本語補習校には、毎年多くの子供達が進学します。


娘が初めてキンダーへ行く日、自分はスクールバスの所に連れて行ってもらえないと知った時の犬


 と、ここまで色々書いてきてずっこけてしまうかもしれないのですが、娘は補習授業校の1年生には上がらず、うちでのんびり自宅学習で日本語をやっていくことにしました。主な理由は、地理的な距離(上述したような機関の多くはうちから1時間圏にあります)と、またすでにアメリカの学校生活や習い事もある中で、さらに補習校へも行くとなると、子供が教室や机や車の中で過ごす時間が長くなりすぎるということです。ちょっとヒッピー的な考え方かも知れないけれど、今の我が子供の状態を見発達度合いを見、アメリカの幼稚園の成績を見、と総合的に俯瞰した時に「もっと実際の世界でさまざまな人と交流し、本物の自然と触れ、身体を動かしたり時にケガをし、原体験を積むことが必要だ」と感じました。

 普通に考えれば今後長く日本語学習を続けていくわけなので、勉強の習慣をつけるためにも速やかに日本式の学校に入れるのが良いと思いますが、最終的に学校で強制的につけられる『勉強習慣』と同じくらいかそれ以上に、実際の体験とそれに裏付けられた思考力、自信、独立性、社会性、根気そしてそして体力✊などがこれからの世を生きていく人には特にだいじで、まずはこれらの芽を伸ばしたいと考えました。

 また人間の子供を育てるうちに気付いたのですが「子の周囲に質の高い友達の輪がある」ということはかなりだいじな反面、子供が自力でこれを構築&維持していくことが難しいです。特に車社会のアメリカではこの傾向が顕著で、ここでは小さいうちからそういうものを作ってあげるのはじつは重要な親の役割だった、と気が付いたわけですが、しかし親が自分から働きかけて作っていく以外に効率的な方法はなく、一朝一夕では困難です(だから日本でもアメリカでも子供を私立に入れたがる忙しい親、というのが一定数いるのかな、と思います。ネットワークづくりを学校が手伝ってくれるので、、、)。というわけで、今後は犬のブログにときどき「外国で日本人を育てる(という無理難題にのたうちまわる私)ノート」が入ってくるかもしれませんが、ちょっと箸休め的な話題と思って、お許しください。




 ところで娘は昨日初めて「お弁当に箸が入っている事がみんなと違ってると思って急に恥ずかしくなった。」と教えてくれました。先週までは何の疑いもなくお箸とのり弁を持って学校に行っていたのです。クラスメイトは9割以上が白人の地域ですが、初日からお箸も海苔も、スナックに実家から送られたおつまみの貝柱(⇐娘の大好物)も持たせていたのです。かなり能天気な娘も、自分の食べ物がまわりとだいぶ違うということに急に気が付いたみたいで、日露米あやふや人⇒アメリカ人、への変容は既に始まっていると言えるでしょう。

 箸が恥ずかしくなった娘ですが、今朝のべんとうはサンドイッチにして、食器はフォークやスプーンを入れようか?と言うと、箸のままでいいと言ったのでそのままになりました。よく聞いてみるとどうもアメリカ人の子は弁当に野菜がたくさん入っているのに慣れてない子がいるみたいで、娘は茶色や緑色のお煮しめを「ew(きもっ)」と言われることもあるようなのです。「次は、あなたは工場で作ったソーセージや油で揚げたポテトばかり食べてるの?ew、といいなさい。」と言ったら大笑いしていました。

 まだまだ小さい今のうちに身辺の出来事に自分で対処する方法を学んでもらいたいです。相手と同じ土俵に立ってみっともないと思われるかもしれないですが、○○ちゃんにewと言われた、とか先生に言いつけて自分の問題をだれかになんとかしてもらおうとするまえに、小さいうちからハッキリ言いかえしていじわるするべきでない相手だと分からせることはだいじなことです(「何度もいじられる場合や、身体的に被害が及びそうな時は先生に言う」ことと基準は与えています)。それに、言い方は悪いけど、そうやって自分の力で他者を打ち負かす経験をしていないとはっきり言って自信は育たないと思うので、幼稚園の今がチャンスと思って頑張ってもらってます。


タコのようにかしこく柔軟に



2022年4月25日月曜日

パラダイム教に入信


 突然ですが入信しました。笑

 犬の餌とか栄養といったトピックは深遠なるもので、私が犬餌をのぞく時、犬餌もまたこちらをのぞいているといったレベルで膨大な情報がこの世の中に散乱しているわけでありますが、何が良くて何がダメかといったごく基本的なことさえ時代と共に変わっていく様子が伺え、いつまでも「最適解」を掴むことが困難です。でも最近、ひとつ(本当に小さなことですが)まちがいない事実を掴みました。それはコディが「パラダイム」をやたら好むということです。

 パラダイム(Dr. harvey's paradigm)とは近年犬の専門店などに行くと取り扱っていることのある野草や野菜、ハーブ、スピルリナ、根菜類などを中心にした乾燥餌で、使う時に必要量をお湯でもどし、肉類と油脂を適量加えて犬にあげるというものです。犬に手作り食をあげているオーナーさん達の間なんかでわりとよく取り沙汰される餌で、特にオリジナルのレシピには炭水化物が入っていないので、犬のケトジェニックダイエット勢にも一定の人気があるようです。私は日本の犬の健康食のサイトを見ていたら載っていたこの製品に興味を持って、アメリカの公式サイトへ行ってフリーサンプルを頼んだら、かわいいカードと共に試供品が送られてきました(写真上)。けっこうたくさん入っていて、小さな犬さんだったら何食分もとれるのではと思いました。すごく太っ腹です。

こんな風にお湯でもどして使います。薬用ハーブティーとか若干ウコンっぽい香りが漂います。

野菜嫌いのコディがどういうわけかよだれを垂らしながら周囲をウロつく程興味を見せます。


 私はこれまでコディと暮らす中でさまざまな餌を試してきましたが、現時点の世で、犬の総合食として一番研究が進み一番歴史が長い「犬のドライフード」というものに一定の信用を置いているため、これまでコディの献立に手作り食的要素を積極的に取り入れるということはありませんでした。多分これからもないでしょう。でも「自分の犬が何か特定のレーベルの餌が好き」ということはそういうのとは別次元の話で、特にシニア期に入ってきている愛犬のことなので、やっぱり「好きな物があれば沢山食べて欲しい」という気持ちがあります。それが健康的にもそこそこよいとされているものなら、願ったり叶ったりです。

 パラダイムは栄養バランスの観点からは100点満点ではないという返しもあります。確かにそうなのかも知れません。でも、昭和生まれの中年の私からしたら犬ってもともと残飯食べて、子犬のうちに死ななかったヤツはなんやかやで7~8年くらい生きて、何かの病気やケガで死ぬ、というのが過去何百年間のライフサイクルだったと思ってるので「こんな立派な物を食べて、早々死ぬことはないだろう」と思います。尚、7~8年というと本当に短く聞こえますが、「犬のアクティブイヤー」という観点から見ればこの7~8年は、「彼らが生を謳歌する」という意味では個人的には悪くない年数だと思います。もちろん、出来る限りの健康と共に長生きするのがベストなのは言うまでもありませんが。


 ちょっと脱線するのですが、犬餌のことで思い出した小話があります。旧ソ連出身の義父によると、少なくとも1950~60年代頃までのロシアやヨーロッパ周辺国では、「ドッグフード」という概念は非常に希薄だったと言います。この時代、一般の人々がどのように犬の餌を準備していたかというとちょうど日本人が残飯に汁をぶっかけた「犬まんま」をやっていたように、自分達の食事を準備する時に極力薄味にした肉や魚のスープを作り、パンやジャガイモなどの所謂「テーブルスクラップ」にかけて与えていたと言います。「缶フード」などの類も、軍用犬などには使われたかも知れないが一般的には普及していなかった、と言います。

 義父は、当時一緒に住んでいた祖父母が、自分達の生まれた1920年代から変わらぬやり方でこうして犬の餌を毎日準備していたのを見ていました。当時ロシアでは一般家庭に冷蔵庫がなかったので、その日の食材はその日に入手することが多く、「粗食だが鮮度は悪くなかった」そうです。役所の繁殖プログラムでイーストヨーロピアンシェパードを飼っていた義母の家でも餌については全く同じだったそうです。


ミーハーオイルも手に入れました。

 ペットの長命化が言われて久しい昨今ですが、私が色々見たり読んだりして来て感じているのは、餌とかよりもなによりもまず予防含む医療全般が進んだことが犬の寿命を劇的に伸ばしたということです。人々が定期的に獣医でワクチン接種をするようになってから、子犬はあまり死なずに育つようになりました。

 比べて、犬餌はわりと遅れて進歩してきた印象というか、私が覚えているおよそ40年くらい前までの日本でも一般家庭の犬はビタワン的なグレードの餌を食べ、あとは食卓の残り物とか、たまに貰えるビスケットやおせんべいを牛乳にひたしたやつなんかを食べていました。因みに日本で1960年代にビタワンとかデビフのような犬用配合飼料が出る前は、愛犬家達は犬に幼鶏用配合飼料を与えたりして育てていました(資料:ビタワン公式)。実際は各家庭で汁を足したり、卵を入れたり工夫して餌やりしていたとは思いますが、養鶏用飼料といえばほとんどはくず米、くず麦、フスマなどで、たんぱく源として魚粉や大豆かすが気休めにちょっと入っている程度のものです。日本の年寄りの猟師さんなどは寒い時期になると、ラードを犬の餌に加える人も見た事があります。

 今の人たちには信じてもらえないかもしれないですが、そんなのでも犬達は生きていました。昭和中期から後期に限れば、犬というのは家族としては二軍の存在であり、ぜいたくな住処や餌を与える人はまだまだ一部でした。私の祖父母の家の犬達…ペットのボクサーやサモエドなども、それで普通に12歳位まで生きて、死んでいきました。彼らの食事は現代のスタンダードからすると相当粗悪と言わざるを得ないものでしたが、その割に長生きだったのはやはり運動をたっぷりして、定期的に獣医に通っていたからだと思われます。

 田舎なんかではとくに、大部分の犬達は外に繋ぎっぱなしで車庫の一部をベニヤ版で囲ったような所に古布を入れて犬小屋にしたりと、とにかく今とは比べ物にならないほど雑な扱いを受けていましたが、みんな毎日元気よく吠えてシッポをちぎれんばかりに振って、大急ぎで餌を食べ、端的に言えば現代を生きる犬達となんら変わりのない命の時間を享受しているように見えました。犬とはなんと柔軟な生き物か……。………ものすごく脱線してしまいましたが、とにかく、こういう原体験のために私は「犬はかなりの粗食に耐える生き物」という刷り込みがあるのかもしれません。



 だからといって「コディも残飯やいぬまんまを食べよ」ということではなく、必要に応じていいものを取り入れてなるたけ元気に長生きしてほしいなと、思ってます。トータルな意味での犬の健康には運動、医療、知的刺激、栄養がバランスよく存在することが肝だということは、もはや疑いようもありませんが、それらについてできるかぎりの最善を尽くした後は、あとは天命があるだけだと理解します。人間もきっと同じでしょう。



2022年3月30日水曜日

最近の草


 そだてている草(多肉植物など)の近況です。犬も子供もまっったく関係のない記事でごめんなさい。いつぞやもボヤいていた通り、私の地方の園芸やは管理があまり良くないところが多いので、買った株をすぐバラバラにして養生したりしていると、鉢ばっかり増えてしまいます。でも、こういう草は一般的にはミニチュアの頃が一番可愛いとされ貰い手も多いんで、これでいいのかもしれません。根がきちんと張って太ってきたやつから友達にあげたりしていますが、結構喜んでもらえます。



 去年の8月の時点ではこんなに初々しかった宝草。それから子株がボーボーに生えてきていつのまにか「ヤンママ風」の様相を呈しています。そろそろ植え替え時なのかもですが、これはこれで可愛いのでいじりたくないです。でもこのままだと根づまりしそうなのでやっぱりそろそろ土を変えた方がいい気もします(めんどくさし)



 これも去年の8月頃に買ってきて解体して、そこから発根していたエケベリア・ローラですが、こんな風になっています。盆栽用の浅鉢に入れて放置してたのであまり育ってないのですが、先週重い腰を上げて植え替えて見ました。大きく育ってほしいやつはちゃいろの鉢に入れてみました。夏に向けてバンバン光を当てたいです。先週の金曜あたりを最後にバージニアは氷点下の夜は終わったので、今後は外で管理します。デッカくなってネ。


 一番最近来たやつ、ハオルチア・エメリアエ。近所のホムセンでひと冬ネグレクトされてたようでとんでもない姿になっているけど、「もともとこういう植物だ」と思い込むことにしました。すると、これはこれで可愛く思えてくるので不思議です。窓がブツブツしてて触ると気持ちがいい。いつか子株がとれたら、植え替えをしてピチピチのプリプリに仕上げてやりたい草。



 休眠処理という名の屋外放置を経て芽を出しているギボウシ左グアカモレ・右ゴールドスタンダード。いやあ強い!こんな小さな鉢で何度もガチガチに凍ってもう絶対死んだと思っていましたが生えてきましたね~。枯れ葉など体積物をそのままにしたのと、完全に乾燥させたのがよかったかもしれません(むしろ中途半端に水やってたら死んでたかも)。しかしさすが日本の野草、アメリカにはるばる渡ってきても大和魂は受けつがれていると思いました。

 無事新葉も出てきたので、また今年も室内で育成してみたいと思います。ゴールドスタンダードは西日で焼け死ぬと知ったので今年は同じ失敗はしないようにしたいです。というか、気を付けてあげないとちょくちょく植物が焼け死ぬ家です。普通に天気のいい日にデッキとかに出て照度計で計っても8万ルクスは固いので、さっさとサボテンでも買ってきた方が良いのかも知れません(この思考、破滅への入り口)。


2022年3月29日火曜日

採血が出来ない問題



 木の芽時を迎えているここ北バージニアの田舎です。数日は天候が良かったので、例のパワー散歩ができました。上の写真は、これでだいたい2日間4回分の散歩の分量です。大型犬1頭と成人1人で取り組むとけっこうな収穫がありますね。この犬はとても力持ちです。記念写真?を撮った後は、仕分けをしてリサイクルに出します。

 セラピードッグの訪問も、先方からの連絡が来はじめました。こんどは、某旧ソ国の部門です。これを書いている今は日曜日ですが、今もあの閉鎖空間の中で朝も夜もなく働いている人がいることを思います。でも最近、この訪問活動のやり方もそろそろリファインしないとな、という懸案事項が出てきました。




 上はこの1カ月、3回目の獣医科訪問で撮った写真。コディの獣医嫌いは徐々に悪化していると感じていましたが、齢7歳にして採血を拒否しだしました。飼い主の度重なる獣医訪問の苛立ちが伝わっているのか、伺うような目をしてるのがちょっと笑えます(笑)。いや、これから年をとって、尚更検査が大事になるのに、本当は笑いごとではないのですが。

 この日は口腔に出来た発疹の治療の経過を見ておしりのチェックと、フィラリア予防薬の処方のためのルーティーン採血をすることになっていました。2回目の訪問ですでに採血が出来なかったため「トラゾドン」を処方され、前日の夜と当日の訪問2時間前、時間を計って服用していた・・・にもかかわらず、獣医看護師の人が針を近づけると受付まで聞こえる大声を出して身をよじり、獣医さんが「採血は危険」という判断になったようです(…)。

 私からすると大声を出して抵抗すれば災いから逃れられるとは学習して欲しくなかったので、そのままガッと血をとって欲しかったのですが、獣医さんや看護師さんからしたら「口を開けて暴れる大きなシェパード=危ない」となるのも、理解できます。もう少し小さい犬の場合はマズルをして強制的に補綴して施術をする選択肢もあるが、コディの場合は活動レベルや興味、食欲、歩様、排泄、屋外での過ごし方といったものに全く変化が見られない為、また歯のクリーニングを麻酔下で今後半年以内に行う可能性があるということで、一旦「現状維持&経過観察」とし、採血や検診、必要な予防接種のセットは麻酔下でやることにまとまりました。トホホです。

 それにしても、これまでに幾度となく獣医さんで治療を受ける練習を、山ほどの報酬とともに繰り返してきたわけですが、どんなトレーニングも万能ではないということを思い知りました。本当にやれやれです。この採血の件や、音に敏感になってきていることは、中年を過ぎて徐々にストレス耐性が低下してきているということでもあるのかな?と感じます。少しでも改善策を探るために、調べたりプロの知り合いなどに聞いてみたいと思います。同時にセカンドオピニオンをとりに行くことも考えて、良い獣医さん探しを続けています。コロナな日常が終わったばかりで、どの獣医科もまだまだアポイントメントが取りにくい状態のため、検査などは早め早めにやったほうが良いためです。


 人間でもそうですが、犬もどれだけ一生懸命練習をしたとしても、何もかもにおいて完璧とか、いつも優等生、というわけにはいかないのでしょう。コディだってとても優しく頭のいい犬ですが、砂糖に覆われた中に優等生と野生児という二面性がこう、ピタッとサンドになっていて、鈴カステラみたいな状態になってるのだと思います。私はこういうタイプの犬はパンチがあってむしろ好きなのですが(多分、自分もどちらかというとそういうタイプだから)、現実問題困る事もあります。肩の力を抜きながら改善にむけて出来ることをしていきたいです。


コディのバックパック


 サクラやアンズの花が満開のバージニア北部、ここ数日はかなり冷え込んで、陽光の中で時折パラパラくる粉雪が光っています。我々のほうは、前回のノートに書いていた秘密兵器が来たので、ここ1か月ほど慣らし運動をしていました。なかなかいいかんじです。トングと、軍手もゲットしました。私の軍手は、なんと花柄です(全くもってイラナイ情報)。


 コディが背中にしょっている緑の袋がその「秘密兵器」です。ノルウェーのサーミ自治区にある小さなキャンプ用品会社にオーダーしました。容量は40リットルで、ちょっとしたヒト用デイパックよりもたくさんものが入ります。テントなどの野外用品に使う布地を工業縫製で縫い合わせてあります。これが届くまですごい紆余曲折があって、ノルウェー語しか対応してないオーダーサイトからは注文も振り込みもできず、発送も基本的に国内のみだったため、直接交渉してインボイスを作成して送ってもらったのでした。時間はかかりましたが、スタッフの方がとても親切に対応してくれたので実現しました(ありがとう)。

 最初の2週間ほどは空の状態でしょわせて歩かせて、慣らし運動と荷重分配の確認をしましたが、左右のウエイトの違いに結構繊細なので、そこさえ気をつければあとは比較的シンプルで非常に使いやすいバックパックです。なによりこの緑色をすごく気にいっています。派手じゃなく、でもバックグラウンドには埋もれず、素朴だけどちょっと目を引くような、しかしカッコつけすぎない、なんともいえないいいデザインだと思います。

 日本やアメリカだと「犬のバックパック」といえばファンシーか、スポーティか、タクティカルか(軍隊みたいなスタイル)みたいな極端な選択肢しかなくて、それぞれのカテゴリにマッチする犬の場合は良いのですが、コディ郎のようにファンシーでもスポーティでもタクティカルでもない犬にとっては「どれをしょってもなんかヘン」という状況になってしまうのが悩みでした。また、私はこれは「犬に荷物をしょわせる」という文化がないことが原因と思っているのですが、容量自体も多くないものがほとんどで、ハイキング以外の実務に耐えるような製品がありません。



 私とコディがせっせと片付けた通りを地元のホースマンが通っていきます。思わず口元が緩んでしまいます。私達2人の秘密のプロジェクトによってきれいに保たれた道をあなたたちは何も知らず歩いて行くのだと、ちょっとほくそ笑みに近い笑いです(笑)。

 ニュースを見ればウクライナ情勢がヘッドラインを席巻する中、私は自分にできる事を実直に続け、家族や子供や、こういう光景が見られる日々を守っていかねばいけないと、思いを新たにしました。騒がず、弱った心に鞭打って奮い立たせ前に向かって歩み続ける事が時に必要だと、40年前ソビエトを捨て亡命者となった私の家族達は教えてくれました。

 遠くの世界の不正に対して憤ることと同じかそれ以上に、今目の前にある問題を自分のものとして捉え、能動的に取り組むこともまた重要であると思いました。家族や友や隣人のために働くこと。(がらくた拾いみたいな些細な事でも)思い立ったことを実行できる健康や時間がある今日一日を感謝しながら生きようと思いました。