地域のスポーツ専門店に行った時ふと感じたことです。最近思っていたことなのですが、「この世に住むオジサン達、もしかして・・・・・・・。コミュニケーションが・・・・・・。下手?🤔」ということです。もしここを読んでいらっしゃる中に、いわゆる世に言うオジサンの方がいらしたら申し訳ありません。いや、能力が無いとかそういう意味で言っているんではないんです。そういう私自身も人とのコミュニケーションはそんなに上手な方ではありません。それなのになんだかエラソウに申し訳ないです(言い訳がましくなってきたのでやめます)
セラピーの訪問でも思うのですが、犬への近付き方になんとなく性差があります。初めから「あらかわいい、あなたの犬すてきね」とまず私(ハンドラー)の目を見ながら近づいてくる人は女の人が多いです。「この犬と関わるには、まずこの犬の保護者と平和な関係を築くべき」という観念を感じます。これは、子育ての現場でもそうなんです。公園とかで、だれかの子供だけに声をかけて、その親に全く挨拶をしない人というのはいません。そういう人がもしいたら「変わった人」と思われるでしょうし、プレイグラウンドで「変わった人」と思われる事はまずい事だと多くの女の人達は本能的に、または経験上、知っています。
一方セラピーで訪れるファシリティでも、普段の生活で寄るこういうお店でも、後ろから無言でス―――――ッと付いてきて犬とだけ交流し、ハンドラーの方は一切見もしないという行動パターンを取る人が一定数おり、男性が圧倒的に多いです。「異様にエネルギッシュで私の相槌を待つ間もなくすごく喋りまくってしまう人」もわりと男性に多いですね。コミュニケーションスタイルが変わってる人がわりと散見され、「中庸」というものが少なく、みなそれぞれのスタイルに突出する傾向がある気がします。
こうしてみなそれぞれの方向に突出した結果、思いの外不器用な生を生きているオジサンは意外と多いのではないか、と思っています。もちろんコミュニケーションが上手なオジサンも沢山います。この写真のスケートショップの店長さんも磨かれた素晴らしいコミュニケーション能力の持ち主でした。だからスポーツ用品店でマネージャーをしているのでしょうね。
オジサンについてさらに大変だなと思うのが、この生来の不器用さに、競争心とかがくっついてきてしまう時です。彼らの悲しさというのは「これはオジサン的には全くふつうだ、論理的である」という行動をとったとして、それがしばしば女の人の怒りにふれることだと思います。「プレイグラウンド」の例えで書いたように、女の人は本能や経験を駆使して平和に暮らすことがうまいので、そういう女の人の理念みたいなのとおじさんの論理がぶつかり合った場合、おじさんの考え方がおかしい、そうはいかんだろ、と怒らせてしまう。
競争心のあるオジサンはここで競争したくなりますからたとえどんなにくだらない議論でも、相手を負かさないとスッキリしないわけです。女の人はそもそも議論は競争だとは思ってない人が多いので、ここでも認識に違いが出ます。このような戦いの行く末として、友人、家族や伴侶に手痛く人格を否定されたりして、心に傷を負ったオジサンというのもわりと世間でよく見られるものな気がしています。
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