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2019年3月7日木曜日

ドッグラン名人になる


 犬オタクの間ではわりと否定されがちなドッグランですが、「自分の犬が気軽にランに行けるタイプだ」ということは、特に都市型の生活をしているドッグオーナーにとっては大きな安心材料です。私も、最初の愛犬との東京生活を思い出すと、ちょっと家を出ても自然のトレイルなどはあるわけもなく、散歩もリードをくるくるまとめた状態で延々とコンクリートの歩道を歩くというスタイルになりがちでした。自転車での引き運動以外で走れる場所などもなかったので、そこそこ活発なドーベルマンの運動意欲を満たすためには、当時住んでいたマンションの屋上や夜更けの工事現場で遊ばせたりして(←良い子はマネしないでね)だましだましやっていました。

 そのような生活スタイルの中にあると特に、ドッグランは犬にとっては自由に走り回れる貴重な場と言えます。ほかにも例えば、長いドライブの道すがらランに寄って軽く体を動かさせて…、とか、空いてる時刻をねらって子犬の社会化に役立てたり…など、場面に応じて様々な使い方が出来ます。飼い主にとってもほかの飼い主と情報交換が出来たり、友達が出来たりと、地域の社交場としての機能もかなり高いですよね。ランは、その是非はともかく、愛犬家生活上のオプションとしてすごく便利だということは確かだと思います。

 私は現在の犬を迎えてからはじめの3年半、散歩の一環として雨の日も風の日も雪の日も毎日1~2回ランに通いました。また自分の犬が来る前も、ひとりでランに通って柵の外から犬の動きを見るという変態的な時期を過ごしていたこともあります。こうしてここ数年でこの「ドッグラン」という場所にまつわる悲喜こもごもをある程度知り尽くした気がするので、ここで改めて「どうやったら上手に楽しくドッグランとつきあっていけるのか」というところについて考えてみたいと思いました。


1-犬の遊びについて詳しくなっておくこと

 まず重要な前提として、犬の遊びをよくわかっておく必要があります。私個人の感想ですが、ランでのいざこざのほとんどが、飼い主が「犬の遊び」をよく理解していないことに端を発しています。これについては言葉で説明するよりも下の2本の動画を見るほうが分かりやすいかもしれません。この動画のポイントは、犬同士の「MARS」が確認できれば、たとえば激しく噛みあうマネ、戦うマネ、追いかけっこ、押さえつけ、マウンティング、唸ることや吠えることが介在したとしてもそれは良い遊びである、というところです。「MARS」の簡単な説明は動画の下に続けます。




 MARSとは、メタシグナルアクティビティ・シフトロール・リバーサルセルフハンディキャッピングの頭文字を合わせた標語です。メタシグナルとは犬が「これは遊びだよ」と相手に伝えるためのサインで、無駄にぴょんぴょんした動きや派手な表情、プレイバウなどがそれにあたります。アクティビティ・シフトは、遊びの途中でゲームが変わる事です。たとえば追いかけっこからレスリングにシフトしたり、ひとつの遊びに固定しないということですね。ロール・リバーサルはそのまま、役割の交代です。でも自分で見た限りではいつも同じ役回りをすることを好む犬も多いので、これは犬にもよる気がします。セルフハンディキャッピングは、強い方の犬がわざと力を出さないで、相手のレベルに合わせることです。次に、二本目の動画を見てみましょう。




 この動画では、犬同士の遊びが白熱してきてちゃんとうまく遊べているのか不安になってきた時に、一度犬を離し→再び同じ遊び相手の所に戻るか見る、という簡単なテストについて取り上げています。このあたりはみんな自然とやっていることなので、わざわざ教わる事でもないよと思われるかもしれないのですが、これが大型のオスの成犬同士でガンガン遊んでいる所などに出くわすと、たとえ知識があったとしても、本能的に不安を覚えるんですよね。うちの犬ものんびりした性格の割にかなり激しく唸り声をあげながら遊ぶので、あとでそれをFBに投稿した知り合いのところに「なぜ自分の犬がアタック(原文ママ)されているのに止めないのか?」「危険なシェパードをランから追い出せ」というメッセージが来たことがあります。

 「私の犬は怖がりで、まずこうやって遊ぶまでに至らないんだけど」という人もいるかと思います。子犬や若い犬でランへの心の準備が出来ていなかったり、生来繊細な性格の犬なのかもしれません。まずは自分の友達で、とても優しい犬を飼っている人に頼むなどし、落ち着いた小グループでの遊びを続けて自信をつけさせてあげることが大事かと思います。それから改めてランにチャレンジするか、もしくは「ランは荒っぽすぎてうちの犬には向かない」と、はっきり判断を下すことも大事なことだと思いました。


2-「飼い主の倫理観を尊重して愛犬の行動をシェイプする

 過度のマウンティング、トリーツを持っている人を付け回す、遊んでいるほかの犬の集まりについてまわり大きな声で吠え続ける、弱い犬のボールなどのおもちゃを奪う、嫌がる弱い犬を執拗に追いかけて地面に押さえつける、などの行動は犬の世界ではわりとふつうだと思うのですが、人間の目から見ると「いじめ」や、下品に見えたりと、倫理的に誤った行動ととられます(「犬の世界ではふつう」と言う理由は、これらの行動をしていて、その後ケンカになったというところを殆ど見たことがないためです)。

 また犬の世界には俗にいう「みそっかす」みたいのも存在している気がして、いじめられやすい犬はみんなに小突かれ続け、泣きながらキャンキャン逃げ回り、またそれを面白がった他の犬にタックルされて転ばされるというのも、わりとよくある光景です。でも、自分の犬がそういう目にあって平気でいられる飼い主はいないと思います。人間の倫理感が、瞬時に「弱いものいじめはだめ」と考えるからです。

 これらを踏まえて、上述したような行動、特にいじめっ子になりがちな犬の飼い主は、犬の自然な行動がどうのとか細かいことを言わずに、「社会生活を営む上でしてはだめな行動」と割り切ってトレーニングを行うことが大切だと思いました。もちろんこうして、犬の自然なふるまいを阻害してまで遊ばせる必要はないと思う人もいると思います。そう思った場合は、行かない選択をすればよいだけです。ドッグランとは、究極的には飼い主のための場所であり、そこに来る人間同士の関係を円満に保つことが大事だと言えます。そのためにはマナーが重要です。

 かくいう私の犬も、若犬の頃から時々この「弱い犬をダッシュで追いかけて地面に押さえつけたい」という強い欲求を見せる事があり、基本、ランでは絶対に目を離さないでいました。「追いかけたい」という意思が宿ると眼付きが変わるので、いつもそのアイデアが浮かぶ0.5秒前、というところで呼び戻すことで工夫していました。マウンティングについても、「やめなさい」と言えば、どんな遠くにいても即座に中止するように教えました。これはたまたまうちの犬がリコールや遠くからのコマンドでも反応する犬だったので出来たことですが、それでも潜在的に他の犬や飼い主の脅威になりえると思っていました。出来るだけそういう行動をしないようにトレーニングを頑張ること、もしそれでもだめだと判断したらいさぎいよくランから退く、ランじゃない別の遊びを開拓するというその見切りも、大変重要なポイントではないかと思います。


3-他の飼い主に寛容になる。積極的にコミュニケーションをとる。

 これはヒトの子育てをやってみてあらためて分かった点でもあるのですが、ヒトの育て方も、イヌの育て方も、100人いたら本当に100通りのやりかたがあります。中には、「貴殿のやり方だけはムシズが走って居ても立ってもいられぬ」と思うような飼い主に遭遇することもあるでしょう。私だって、ふだんはわりと温厚なほうですが、件のピットブルの飼い主に関してはいまだに根に持っているし。

 そういえばコディが若犬の頃、ベンチに座っているお姉さんの膝に泥のついた足を置いて伸び上がろうとして、その人の読んでた本で頭をバシッと叩かれたこともあります。このように、ランという場所は「しつけ」に関して自分とは違うメソッドを持った人、違うメソッドで育てられた犬と出会うことが日常茶飯事なので、そういうのも含めて「広義の社会化である」と容認できる人に適していると思います。ドッグトレーニングを真剣にやっている人がドッグランに否定的なのは、このような見ず知らずの犬や人からの影響が看過できないレベルというのも、大きいのではないかと思います。

 またここは私が多くの人と意見が違うと感じる点でもあるのですが、ランは公共の場所なので、トレーニングトリーツやオモチャを持ってくることも本来自由であるべきだと思います。よく「みんなで遊ぶ場所におやつを持ってくるなんて」とか、「オモチャはケンカのもと」と言って、上述したような物品を持ち込む人を敵視するドッグオーナーがいますが、まずは自分の犬に「おやつを持ってる人を付け回さない」「おもちゃをドロップ、leave itする」というマナーを徹底的に教えるべきところではないでしょうか。

 当然のことですが、そもそも持ってこないということが一番賢いに決まっています。しかし、そういうオーナーにはそれでも持ち込むための、なにか理由があるのだと思うし、公共の場なのだから、それは自由であるべきです。するとランにホカホカのマクドナルドを持ち込んだうえ、よってきた犬達に怒る人(信じがたいですが実際に遭遇した)なども登場するわけなのですが、こういった事を人のせいにして熱くなるか、冷静になって「愛犬のトレーニングのチャンスだ」と考えるかで、長い目で見ると成果が変わってきます。

 また変な飼い主を見つけたら、木の陰でヒソヒソしているだけではなく、出来る範囲で本人にうまく説明して分かってもらう努力をするのも大事だと思います。ランの環境がトータルで良くなることが、結局は自分の犬のためになるのです。私はまずその努力をしてみて、それでも改善しない場合は、たとえ友達がいても、まだ何もトラブルが起こっていなかったとしても、その日のランは終了、としていました。与えられた状況下でありえる危険の可能性についてすぐ察知出来て、回避策を打てる、というのは愛犬との暮らしの中でいつも最重要な「リーダースキル」といっても過言ではないと思います。




 ところで、幸運にもドッグラン漬けといっていい幼少期を過ごしたコディですが、3歳半を過ぎたころからランへ行っても殆どほかの犬と遊ばなくなりました。コディも人間なら30代、パーティーだ飲み会だと友達と騒ぐモードを卒業して、自分がほんとにしたいこと(=私と何らかの共同作業すること)にフォーカスする時期に入ったのかも知れません。面白いのが、この「犬と遊ばなくなった時期」と「外ですれ違う犬に警戒するようになった時期」が殆どシンクロしていたという点です。3歳半から4歳の間のどこかの時点で、コディは大人の犬になった、と解釈しました。

 ②の2段落目で書いたことも、自分たちがランへ行く機会を減らしてきた大きな理由のひとつです。記述の行動は実はシェパードという犬種の中ではけっこうよく見られるもので、狩猟本能から来る動きですが、他の犬や飼い主にとってはハッキリ言ってはなはだ迷惑でしょう。このあたりのバランスも考慮しながら、「自分の愛犬かわいさ」の世界から一歩踏み出し、「自分たちはランの秩序にとってマイナス因子になっていないか」という疑問をいつも持つことの重要性を、自分の犬からも教えてもらった気がします。



2019年2月8日金曜日

ドライブとエナジー



 セラピーのリクエストが来ていました。行き先はホスピスでした。よく考えた上、今回は見送ることにしました。今のコディはエネルギーがありすぎるように思うので、訪問中いつ・なんどきでも200%信頼がおける、というレベルに犬が達するまで、終末医療関連の施設は訪問しないでしょう。患者さんたちが本当に貴重な時間を生きている場所です。どのような形であれ、犬がその時間の質を落とすような事は万にひとつ、いや億にひとつでもあってはいけないからです。

 ホスピスへ行くにあたって、犬たちはおよそ三週間にわたる追加トレーニングを受けます。このほかにも、目的に応じて訓練を受けねばならないシチュエーションはいくつかあります。機会は多くない(無いほうが良い)ですが、銃の乱射や自然災害の後に活動に行くユニットなども、ハンドラーの勉強と訓練ならびに、犬のストレス耐性の選考テストを更に受けます。以前ドッグランで出会った介助犬のハンドラーの方が言った、「犬は、テストに受かってからが本番よ。」という言葉を思い出します。ひとつの課題をクリアしても、またより複雑な課題が現れて、常に勉強が続きます。


 話は変わりますが、エネルギーと言えば、作業犬界隈の人々の書いているものを読むとしばしば「ドライブ」と「エナジー(エネルギー)」という単語が出てきます。「ドライブのある犬」とか「ハイエナジーな子犬」とかいう風に使われますが、人によってことばの遣い方が微妙に異なるような気がしていました。混同しがちなこの言葉について、自分なりにいろいろ見聞きした情報をもとに意訳してみると

 ①ドライブ=犬の本能に根差した動機 作業欲求につながる
 ②エナジー=犬の魂に根差した欲求 感情のパワー(動機を実行する力)

みたいなところでしょうか。こうしてみると良い作業犬というのは、ドライブとエナジーが高いレベルでバランス良く備わっていてることが大事だと分かります。ドライブには種類(フード・ドライブとか、レトリーブ・ドライブとか)があるとされますが、その中でも作業犬に必須なのはプレイ・ドライブ;狩猟への欲求だと言われています。簡単に言うと食べ物よりもおもちゃに執着するタイプの犬がこのカテゴリに含まれます。

 先祖代々作業目的で増やされてきた系統の犬というのは、このエナジーレベルとドライブの度合いに相関があって、程度の差はあれ、生まれてきた時点でこれらを併せ持っていることが多いですね。でも、ほかの系統の犬や、ミックス犬の場合でもハイエナジーかつハイドライブの犬は居ます。反面、こういう犬の中でエナジーレベルは高いのに、ドライブはそんなにない・なく見える、という犬も、わりとよく見かける気がします。


フレンチブルドッグによるIPO3の実演

 ポイントは、「エナジー」は生まれ持ったもので生涯変わることがないその犬の性質ですが、「ドライブ」に関しては、犬のもともと持つ興味の方向性に合わせて人がディレクションを与え、共同作業の経験を通して高めてあげることができるという点です。ドライブが高まると、「もっと作業をして、成功したい」というルーティーンが生まれ、ある作業を成功させるというその過程において、エナジーの捌け口も生まれます。レスキューやシェルターから犬が貰われてくるとき、しばしば「オビディエンスのクラスを受けてください」と言われるのは、こうして犬のドライブが高まっていく過程において、犬の中で飼い主自体に対する期待と執着(=ヒトから見た「絆」)が強まるからだと思います。

 一般的に作業犬とされる品種じゃなくても、ハイエナジーな犬は、ドライブの方向性を見極め、能力を育ててあげることで本当に色んなことが出来るようになる可能性を秘めていると思います(上のビデオをご覧下さい)。ただ、これらのダイヤの原石達は日常生活のなかでは扱いにくい傾向にあると思うので、純正なコンパニオン・ドッグを目指したいという場合には、五段階評価で言えばドライブ3/エナジー2、みたいな犬が良いのではと思います。[note:]上のフレブルは体格やハンドラーの様子等を見るに、もともと優れた犬が優れた訓練技術のある人に育てられたものと推測します。やればどんなフレブルでも出来る!という意味ではありません。

 なんてなことを考えながら、日曜日の犬トレ通学していました。犬の「ドライブ」と車の「ドライブ」をかけたつもりだったんですが(え~)、、、行って帰って2時間以上、山を越えて美しいバージニアの田舎道を走るので、本当にさまざまなことを考える時間があります。子供漬けの1週間の貴重な癒しと言えます。




2018年5月4日金曜日

犬も血で飛ぶ



 ジブリの映画「魔女の宅急便」の中でキキが絵描きのウルスラに、「魔女は血で飛ぶんだって」というシーンが出てきます。子供の頃は何の事を言っているのか、全く意味が分からなかったこの台詞ですが、「血筋」の中に受け継がれる特別な性質だとか、性格傾向というものが確かにあると分かるようになった今では、短いながら言い得て妙だなと思うフレーズのひとつです。


🐩


 娘のための児童書を借りに、バージニア州アナンデールにあるジャパニーズアメリカン・ケアファンドの図書館にお邪魔していた折、たまたまこんな本が目についたので、手にとりました。「盲導犬になれなかったスキッパー」、著者の藤崎順子さんは地元DCの方のようで、本の中にこんな風にきれいな字でサインが入っていました。スキッパーは盲導犬候補の子犬の時にパピーウォーカーの藤崎さん宅に来ましたが、盲導犬の選別に落ちます。しかし、譲渡先の警察犬訓練施設でサーチワークの才を見出され、数奇な運命を経てイタリアの空港で爆発物探知犬として従事、引退後、また藤崎さんのもとへ戻ってくるという、ドラマティックな一生を送った犬でした。

 この本を読んでみて私がただただすごいなあと思ったのは、犬の「血の力」です。特別な目的があり、そのために選別・繁殖を重ねた犬というのは、均一で安定した素質をもっています。盲導犬の例でいえばスキッパーの様に、たとえ犬の事に全く経験のないパピーウォーカーに預けられたとしても、きちんとベーシックなケアとしつけさえ受けることが出来れば、1年後ちゃんと盲導犬の卵として選別テストの場に立つことが出来る。誰が育てても同じような成果物が得られると分かっているから、パピーウォーカーというシステムが成立するんですよね。これはとてもすごいことです。

 セラピードッグ・インターナショナル(TDI)のウェブを見ていても、似たような事でハッとすることが書かれていました。 “A Therapy Dog is born, not made ; セラピードッグは作られるのではない、そう生まれてくる”という一文です。犬のマナーやスキル面は、トレーニングで幾らでも補う事が出来るが、持って生まれた気質を曲げることは難しいし、そうすることは犬の為にも有意義とは言い難いでしょう。




 とまあ、そんなことをだべっているうち、コディのTDIテストの日がやってきてしまいました。話が長くなりそうなので、一旦ここで切ろうと思います。次は(果たして興味がある人がいるか分かりませんが)アメリカのセラピードッグのテストでやったことを、少し書いてみようと思います。コディの、テスト前最後の練習をしてもいいか問い合わせたら、快く迎え入れてくれたメリーランド州ウィートンのWestfield Wheatonモールのマネジメントの皆さん、喋って私のテンションを鎮めてくれた友人E氏、および写真を撮ってくださった兎に角みんなでアメリカ生活のちえぽん氏に、深く感謝いたします。


2018年1月30日火曜日

ぼうし事件/体罰訓練

新しい車に自力で乗れない弱虫だと分かり、特訓中


 今朝、強風のドッグランで遊ばせていたところ(寒かった!)、かなり強い突風が来て、かぶっていた薄手の野球帽が、あっという間に20メートルほど向こうへ行ってしまいました。「あッ!」と声を出したところ、コディが駆け寄ってきたので、思わず「コディ君帽子取って!」と言った所、ぴゃ~っと走って行って拾い、私の手の上に持ってきて置いてくれるという出来事がありました。今まで、こんな口語口調でなにかさせようとしたこともなければ、帽子を「トッテコイ」させたことなどもなかったので、単語単語でというよりは全体の雰囲気で内容を把握したのでしょうが、一度で言われた事がすぐ分かった事にとても感心しました。本当に、あまりにもタイミング良く現れて助けてくれたので、まわりのドッグオーナー一同から拍手が起こっていた(笑)。


 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組で「ワンチャンスペシャル」が組まれていたので視聴しました。ふわふわした可愛いネーミングに反して内容が濃くて見応えがあった。フォーカスされていたのは著名なトリマーの方、悪性腫瘍専門の獣医さん、噛む犬の訓練士さん。訓練士は、北栃木愛犬警察犬訓練所の中村さんという方が取材されていました。所謂体罰込みの独特の訓練スタイルをされてるみたいで、かなり賛否両論ありそうですが、本当に心血を注いで頑張っているんだということは「犬の遊びタイム」でファインダー越しに和犬がゴロゴロ出てくるのを見て感じました。どれも普通に考えたら殺処分になってるような犬ばかりだと思いました。

 私もかつて、日本で知人のケンネルに居候していた時文字通り手の付けようがない、行きつく所まで犬格が荒廃した柴犬の身の回りの世話を手伝ったことがあるので、一般的に言われているドッグトレーニングの方法論がおよそ意味をなさない犬、特に洋犬を「ふつうに」飼い育て「ふつうに」躾けて問題なく暮らしていけてる殆どの愛犬家にとって、想像も出来ない事が和犬で起こりえると学びました。かわいい仔犬を育てていたのに、いつの間にか半野生の猛獣になってしまう感じで(近付くと雄たけびを上げはじめ、飼い主であっても体の毛一本でも触ろうものなら本気で噛みに来ます)、かなりの根気とテクニックを費やさないと直らない犬、というか普通の人は直せないので殺処分されてしまうのですが、そういう犬がときおり出てきます。フィジカルにビシビシやる訓練法に否定的な人は多いと思いますが、一度でもそういう犬を経験すると、正直なところ一定の理解が出来てしまいます。

 自分自身のことを振り返ってみても、私は今は比較的おりこうといえる「コディ」という犬に恵まれていますが、今の犬とほぼ同じやりかたで躾けた先代のドーベルマンはおりこうと言うには程遠い状態でした。ですから、飼い主が用意できる環境はもちろん遺伝や犬との相性、犬に副次的な情報を与える存在(例えば同居の家族。とりわけ子供やお年寄り)によって、訓練環境が劇的に変化してしまうことや、飼い主一人が頑張っていても、犬がおかしくなっていく状況も現実として起こりえるという事は実際に経験しています。テレビに出ていた噛み犬の飼い主さん達も皆頑張ったけどダメで、疲れてしまい、それでも我が子を愛している様子が伝わってきて、たいへん心が痛みました。

 ドッグトレーニングの方法論は星の数ほどありますが、犬が人間社会の生活にきちっと適合出来、正しく人とコミュニケーションがとれ、飼い主さんも納得できて、精神的にも安心させてあげられるのが「良い訓練」の条件ではないかなぁ、と思っています。この3つのバランスのどれかが欠けると、コマは回らないイメージです。だから犬が人間の世界でどうしてもどうしてもうまくいかない場合、物理的な力の行使を辞さないという心構えは理解できます。

 私が、大きな犬の飼い主だからかもしれません。「イヌ本来の性質やQOLはどうなる、ヒトの都合の押し付け、傲慢」と言われれば、そうなのですが、私にとってはそんなことよりも自分の犬が自分や家族や、だれかの生活を危険にさらさない、いつなんどきでも社会秩序を乱さない、そういったことの方がまず重要です。「そうできるよう努力している」とか、言い訳はダメなのです。世の中の人は結果しか見てくれません。この約束をやぶれば愛犬の命はなくなります。凶暴そうな大型犬の愛犬に向けられる社会の目を一度でも経験した事のある者なら分かります。だから、愛犬との全ての楽しみは、上記のような「社会の一員としての義務を果たした」その後にあります。

 NHKのこの放送後一部の愛犬家やトレーナー界隈が騒然としていると知りました。シーザーミランにしても、中村訓練士にしても、武闘派のトレーニングはよく批判され、実際自分だったらやりはしないだろうと思う訓練方法も多いです。しかしプロの訓練士さんが誰かにお金をもらって、飼い主の人生と飼い犬の生命がかかっているプレッシャーの中、何十年も人生の時間と労力を投資して編み出してきた方法論について、一定の敬意を払いながら議論する必要性を感じます。