2023年8月30日水曜日

麻酔と鎮静




 最近、お茶を入れるのが少し上達した気がするのですよ~。今日のお茶を見てください。ズズッとすすって、ふう、うまい。まあまあ食うに困らず、屋根があり寝る場所があり、本があり、仲良しの犬がおり、好きな時間にでかでかとしたマグカップにたっぷり熱々の茶を自分で煎れて飲めることは本当にありがたい。Knock on wood。などと急に今ある現実に感謝したくさせるのが、茶の主な効能だと思います。

 私はもともと茶を飲み過ぎなんです。お医者さんが見たらもう絶対にカフェインのとりすぎ!と言われるはずです。飲むのは主に紅茶で、自称サンクトペテルブルクで一番のお茶の消費者・こと義父と並んでも全く遅れをとらないレベルの茶飲みです(ロシア人の年寄りは紅茶が水の代わりなんです)。最近は家で抹茶をたてるとかいう余計なことまで始めてしまい、道具をすこしずつ集めています。その一環で茶の煎れ方にも少し注意を払ってみようか、という気になっています。どうせ茶の飲みすぎで叱られるならうまい茶を飲んで叱られたい(誰に?)。

 病院へ採血へ行くたび「脱水気味」と言われるのも絶対にこの茶の飲みすぎが原因だと思っているんです。私最近、健康診断の結果がパーフェクトではなくなってきたんですよ。これまで特に何もしなくてもずっと健康花丸だったのに。以前、コディの時計がカチッと「老化・死」に向かって傾いたのを感じた時のことをここに書きましたが、私も今生物としてあの頃のコディとだいたい同じあたりにあることを感じます。「成長」に向かってぐんぐん伸びるばかりだった段階が完全に終了し、これからは現状をまずまず維持しながら、だんだんと消滅に向かっていくのだろうという、漠然とした予感を。


一服しているとなんとなくそばの定位置に来てコロンとする犬

 コディ君、犬、8歳、などという存在は私よりももっともっと消滅に近いはずですが、本人は全く気にせず今日もちょっとした物音にびっくらこきながら一心に生きているようです。そうそう採血と言えば、先日動物病院で血液検査をしたのですが、コディは肝臓の数値がやや高め(ハイ・ノーマル)と分かりサプリメントを処方されました。こやつも全然水を飲まないのです。そんなところまで飼い主に似なくていいよという感じですが、、、最近は定期的に鶏を骨ごと煮た煮汁を作って、フードにかけて与えて水分補給に気を付けています(飼い主も煮汁を飲んだら?という感じですよね)

 前に書いたことがありますが、コディが採血に非協力的になったため今回から血液検査は鎮静下で行う事にしました。同時に今年するべきワクチン一式も全て前倒しして、健康診断や以前つまっている疑惑のあった肛門腺のチェック等も全て一度にしてもらうよう、事前に病院に掛け合って予約をしておきました。この方式はトータルで見るとコディにとってはかなりのストレス減につながりました。獣医師や看護師さん達のストレスもかなり減ったのではないかと思います。アメリカの獣医さんの説明では、現行の麻酔や鎮静剤はかなり安全なものになっているということです。日本語だと麻酔科の先生の書かれたこの記事がとても簡単にまとめてあってわかりやすかった

 それにしても、アメリカの獣医さんって費用の見積もりやサービスなどについて聞けばすぐプリントアウトやPDFをくれるのに、こちらからアクションしなければ施術上のオプションなどもわりあい黙ってスルーされます。私の通っている獣医さんだけかも知れませんが、いつも違う獣医さんや獣医看護師さん達に当たるし、同じ相談に対しても個々の獣医さんの答え方やアプローチが違う事があり(セカンドオピニオンをとりにいく手間は省けますが)、日本のようにいつも同じ先生がしかも聞く前に向こうからこと細かに説明をしてくれるといったことはあまりないと気付かされました。もちろん先生によるのだと思います。ただ、全体的にははっきり「これ」といった対策や治療などについては、あるていど能動的に意思を示すことが大事だと思いました。

 北米に住んで10年くらいですが、この国では何ごとにおいても日本風に静かに指示を待ってきちっとその通りに動くだけではだめで、どんどん気軽に意見を言ってみたり、時と場合によっては不快感をあらわにしてみたりすることは有効です(日本ではそんなのは最後の手段、くらいのものだと思います)。調べてきて自分が知識を持っている事は必ず示し、「それについてあなたはどう思うか?」と、「聞く」んじゃなくて能動的に答えを引き出していった方が、より短時間で核心に迫った回答を得られることにも気付きました。気付くのに10年かかってしまった。しかし、人間の医者でも同じ現象が起こるかと思うとぞっとしませんが。

肉が出てきた。突然「昨日からここで待っていました」という顔をする犬




2023年8月27日日曜日

くさい!


 コディと夏を満喫シリーズ継続中。もう、くさいんです。とにかく写真見てください。この顔、いたずらっこの顔しています。この後一瞬のスキをついて再びドボンしていたんです、今度は頭から、、、。アメリカではドッグランの中によかれと思って犬用の水浴び桶を持ってくる人がいるんですが本当に心の底からやめて頂きたいです(笑)こうやって一瞬でべちょべちょになった上床をまんべんなく転げまわる輩がいるんです……、、、本人は嬉しいと思うのですが、水は跳ねるし、毛の中に木くずは入り込むし、とにかくなんかくさいし、です。

 それにしてもこういう大きくてダブルコートの犬の水遊びとは実に贅沢なものだなあと思います。身体を洗ったり乾かしたりするのって、基本半日がかりですし、バスタオルも何枚も使います。洗う場所もきちんと検討して必要ならプロにやってもらうこともあるでしょう。うかつに家の風呂場などで洗うと深刻な詰まりが発生しますし、中年になってくると切実な話ですが、腰が悪い人は洗えないです。また翌日から数日間は抜け毛が大量に発生するので、頻繁に掃除が要ります。こうしてシャンプーしない場合も、わざわざ車で山の方まで運転して清流まで行く人もいると思います。もし周囲の大型犬で頻繁に水遊びさせてもらえている犬がいたら、すごく献身的な飼い主さんがいると見てまず間違いないでしょう。幸せな犬です。



 シャンプーとブローをしてフカフカにもどっても、未舗装路を闊歩しているうちにすぐまた土埃まみれになってしまうのです(笑)。コディは庭のホースから出るそのままの冷たい井戸水で身体をワシワシ洗ってもウンともスンとも、震えもしないので、その点はとても助かっています。




 お風呂に入れられて乾かしてもらった後のコディ。ふざけてゴロンゴロンして気持ちよさそうです。自分の希望で田舎の静かな家に引っ越したせいでコディが音に敏感になったのかも知れないとここ暫く気をもんでいたのですが、広い原っぱでたっぷり遊んでもらったり、満足いくまでじっくりと匂いを嗅いだり、ただ寝転んでいる時、犬はとても楽しそうに見えるのです。東京から帰ったばかりだと、ここが比較的涼しくて乾燥した土地であることもありがたいと感じます。正直今は何が正解なのかは分かりません。この選択をより良い解に近付けることは可能だと信じ、取り組んでいきたいです。


2023年8月16日水曜日

Bazil Newman Riverfront Park (&草)


  あっという間に、夏です。…と思ったら近所のホムセンでは早くもハロウィンの商品への入れ替えが始まってたりして、「ちょっと待ってくれ~!」と思いました。まだ夏を満喫した実感もないうちに、慌ただしいですね。私達はアッと言う間に過ぎ去った東京帰省を終えて、バージニアに帰ってきたばかりです。

 今週は、帰省の間シッターさんの家で過ごしていたコディを連れ出してせっせと夏らしいことをしました。木の生い茂った公園の開拓が楽しいです。自分とコディのオヤツを持ってきておき、公園の見どころっぽいところに来たら腰を下ろして分けて食べます。ずっとこうしていつまでもコディと冒険を続けたいですが、果たしてあとどれだけ付き合ってくれるだろうか、などと考えるようになりました。

 Bazil Newman Riverfront Park(地図)は、ポトマック川の流れに沿った公園です。最近、このポトマック川という奴がだんだんわかってきたのですが、この川は水流が変則的なのと、水面下に思わぬ障害物があることもあるのでちょっと注意が必要です。急に深くなったところに、動かせないぐらい大きな流木が沈んでいたりするので、たまにリードをつけたまま犬を泳がせているひとを見ますが危ないなーと思います。近くに住宅街を流れるグース川の注ぎ口があるので降雨後一週間ぐらいは水質的にも犬の水遊びはやめたほうが良いでしょう。


川に降りられるところがあると大急ぎで寄っていくコディ
私がどんな顔をしているかすごくチラチラ見てくる



 お呼びでないかも知れませんが・・・草たちも元気にしています

 休暇中、水やり係(私)がいなくなったので各自茶色や紫に変色していましたが、緑に戻ってきました。今回の日本では作家さんの作ったいい植木鉢をいくつか買って、船で送ってあるんで、届くのが非常に楽しみです。割れずに海を超えてくれますように。いやあ、早く草を植えたいですね。何を植えるかも何も決まっていないけれどひたすら楽しみだーーー。(二回目)




 ご覧ください、色白の草も生えてきました。こういうのは色彩の変異としてはグレードが低く、日本では誰も見向きもしないですが、海を渡ったここアメリカではお客さんが来るたびに、ワオ!イッツソープリティ!植物ヲソダテルノウマイ!ベリービューティフル!と言ってもらえます。場所が変われば評価が変わる典型ですね。私達人間は植物にはない足がありますから、自分が最も評価してもらえるであろう場所へ少しずつでも動いていきたいものです。