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2023年10月25日水曜日

気持ちのいい秋


 夜空を見上げると、カシオペア座が目に付く頃となりました。朝夕の冷え込みも顕著になってきて犬君は絶好調です。飼い主の方はというと、犬のメンタルと気圧の関係に興味を持っています。コディは年を取ってから物音に敏感になっているのですが、一日の間に気圧の変化が激しい時は、特にちょっとした物音で不安が高まりやすい傾向にあるように思えます。急に雨など降ってくると私の周囲にチェックしに来る回数が増えるし、ふと気が付くと自分でクレートに入るという行動が見られるのもこのような日です。目に見えて天候が変わる前からソワソワしている事も多い気がしています。

 一方高気圧の続いている時期は、ドアの前でせがんで積極的に庭へ出ていくし、一日中外で過ごしても平気な様です。表情を見ると精神的にも安定しているように感じられます。たまに近所の人が打つ鉄砲の音が聞こえると文字通り尻尾巻いて帰って来ますが(笑)、もともと調子のいい日は不安からの回復も早いですね。今日は短い停電があったのですがクレートの中でオヤツを食べると、また颯爽と外へ飛び出して行きました。毎日元気で楽しそうなコディを見ていると、私も気分がよくなります。飼い犬のQOL(生活の質)は飼い主のQOLに直結した問題だなあと、改めて思います。



 学校から帰ってきて一番にコディと遊んでいる娘。最近8つになりました。トレーニングもどきのような遊びを二人でコソコソやっています。娘が作った謎のルールにあわせて犬が動いていたり、なぜか娘が石コロでトリーツを砕いて、それを犬がジーッと見ていたりしてすごく楽しそうです(笑)。話の通じる大きな動物が号令に合わせて動いてくれるのが面白いようです。コディの方も、一緒にゲームをしてくれる人に強い興味を示して執着する犬なので、これからこのふたりはもっと仲良くなれるでしょう。

 ある調べによると、犬の知能は人間の子に換算すると平均2歳~2歳半だそうです。たし算やひき算が出来るとか、言葉をおぼえるとか、所謂「技能」にフォーカスするとそのくらいとなるのかも知れないですが、精神面で見ると犬と娘はここ1、2年でようやく対等になってきた感があります。同じ年にオギャアと生まれて、ここまでの彼らの成長を思うとついニヤニヤしてしまうのですが、これは親心的な感情かもしれないです。子供が小さい頃など特に、まわりの人と比べて自分の中での「親」という感情の芽生えが遅くて「このままで一体じぶんは大丈夫だろうか」と気になっていたけれど、大丈夫になってきた気がする。




 田舎の集落に越して3年目が近づいています。なにもないところですが、もうずっとここで暮らしていたんじゃないか?と思うくらい時の流れがゆっくりで、広い空に山からの雲が、また毎晩天の川が見えるところが嬉しいです(スターリンク衛生も見えました)。少しずつ都市化は進んではいますが、治安も良く古き良きアメリカの生活を残した土地に住めることは幸運だと思います。人ものびのびしているし各自好きに生きている感じで気楽です。

 周辺には庭が大きい家が多いのですが、この頃の季節になると一日中外で過ごしている犬達をよく見かけるようになります。犬種的にはピレネー犬、その他家畜を守る系の犬達(アナトリアンシェパードも見かけます)、シベリアンハスキーなどの比率が多いようです。ジャーマンシェパードやオーストラリアンシェパードは飼い主が外に居ると自分も出てきますね。牧羊犬の中でもコリーは単独でも敷地内に座っている姿が印象的でけっこう独立心が高いんだなと感じます。

 私の家の近くの個人宅では、庭のニワトリの護衛のためかマレンマと思しきの子犬が飼われ始めました。車で通りかかる度に、ヨタヨタした大型犬の子供が一丁前に吠えたり、庭の隅でめんどりに飛びかかるマネをして遊びにさそっていたりして本当に可愛いのです。


Graptopetalum 'Murasaki'

 田舎ならではの小事件にも事欠きません。最近だと敷地の中をスカンクが横切るのを見て戦慄した事と(もしコディが見つけたらと思うと)、それからこの写真見てください、私が「タコ部屋」と呼んでいる鉢ですが、これ、誰がやったと思いますか。細いクチバシ型の切れ込みがあります。私の裏庭の一角を根城にしているマネシツグミの仕業です。

 時期的に餌が減ってきて新しい味覚にチャレンジしようとしたのでしょう。一枚上の写真で見ると隣のキュービックフロストもちょっとやられています。娘が「おまんじゅうさん」と呼んで可愛がっていたリトープスなんか、土からほじくられて穴を開けられ、無惨な姿で床に落ちていて久々にブチきれました(笑)。最近、夏の休眠が終わって少し活動再開という感じになってきていて、初めて育てるリトープスの脱皮を心待ちにしていたのに、、、グリーンハウスが欲しくなりました。


娘のリトープス 非業の死から2日前の姿



 二鉢のエメリアエも元気です。右にいるやつれた顔をしている方が、2022年の3月末に奇抜な姿でやってきた個体の現在です。子株だらけになっているせいかすぐ茶ばんでしまうしドンドコ際限なく花を咲かすし、ちょっと行き急いでる感じがします。それにしてもロゼットを形成する多肉植物は、売られている時点で徒長しておかしくなってしまっていても、家で世話してるうちにまずまずそれらしい姿になっていくという好例を見せてもらっています。愛着のある草。

 左の比較的きれいな方は同じ、22年3月末のポストの最初の写真の、左端に映っていた個体です。奇抜な株を植え替える時、ポロっととれた1つだけの子株を2回植え替えた状態です。葉っぱも傷んで、根も数本の状態から1年半ほどで左の状態になるので、丈夫だし成長が早い草だなという印象。私はやっぱりエメリアエが大好きで撫でまわしてしまいます。葉の表面がザラザラしてて気持ちいいんです。




 レツーサです。これは去年の8月に「根が伸びず葉が縮れてきてしまった」と書いていた個体の現在です。私最近、急にこの草の機嫌の取り方がわかってきたんです。ちょいちょい世話をしていたら徐々に元気を取り戻してくれ、今月になって突然親株が傾いたと思ったら、下から子株が生えてきました。多肉植物は丈夫で一度あ~失敗したかなと思っても、悪あがきを受け入れてくれる寛容な点もいいですね。


Echeveria lilacina

 おいおい、犬のブログでいつまで道草を食っているんだ、とそろそろ思われていることでしょう。これで最後にします!2年前のブログでEcheveria lola "Mexican Hens and Chicks" として紹介していましたが、調べたり、購入した園芸店にも確認してエケベリア・リラシナ、北米での通称は『ゴーストエケベリア』ということが分かりました。基本ずっとほったらかしだったので不格好だし、すっかり鉢よりも大きく広がってしまいましたね~ちと可哀想な状態です。

 北米の学校には学年末に先生にあげる「ティーチャーズ・ギフト」というのがあって、迷惑かもしれませんが、私はいつも多肉植物の寄せ植えをあげることにしています。子供が紙粘土で飾った小鉢なんかに入れると、簡単でもそれっぽくなるので便利なのです。写真のリラシナは2年前に葉挿しで増やしたものの最後の2株です。今年のギフトに活躍してくれるかもしれません。




 二年間も窓辺でゆっくり成長してきたルームメイトを失うのは寂しいような気もしますが、大丈夫!最近引き取ってきたリラシナをまた分解してあるんです(笑)。今回のは結構状態がいいので、また2年後には、可愛い姿に成長してくれていることを期待しています。さてさて、道草はもう本当に終わりにしますね。次回の道草では「ひと夏の間にとてつもない状態になってしまった我が家のアロエ」をお届けします。



 よし、よし、コディ君、そんな目で見るのはやめなさい。おやつをあげよう。私が植木屋やホームセンターに行く時は必ずコディも連れていかれるのです。「植木屋ひきまわしの刑」です。こういうの、コディは内心どう思ってるのかな。特にホムセンは機械だらけで、コディにとっては嫌な音もするのでしょう、時々体をブルブルっと揺すってがんばっています。でも「行きたくない」とは絶対ならないところがこの犬の面白いところです。なんでもいいから飼い主についていくぞという気合を常に感じます。はなればなれが一番いやなんですね。

 シェパードなど牧羊犬の仲間は昔から飼い主を守って交通事故に遭うとか、飼い主を追って燃える家の中に飛び込んでしまうなどの話がときどき聞かれますが、こうした環境への不安よりも、飼い主との分離(セパレーション)への不安の方が勝る傾向があるためではないかと最近思っています。人間のまわりで多種多様な作業にあたるため基本的に知能が高いほうへ、些細な変化を感じやすい方へとチューンアップされています。それらは不安を感じやすいことと表裏一体だということなんだと思います。

 シェパードを飼う時は、根源的にそういう犬たちだと知った上で、独立心のある犬を選び、なるべく小さいうちから自信を高める練習をしてあげることで、そういった精神の面をうまくマネジメントしていくことが鍵になるかと思います。完全に出来ているわけではない私がこう書いても説得力はないと思うのですが、犬はいつ始めても一生懸命、応えてくれます。どんな試みも決して無駄じゃないと思うのです。

2022年10月18日火曜日

W&ODトレイル


 2ヶ月に及ぶ夏休み戦争も終わり、ふと気が付くと私達の住むバージニア北部の田舎ではすっかり季節が変わっていました。特に朝夕なんかは草つゆも薄っすらと凍り、犬の吐く息も白く、藪からは微かな虫の声が聞こえます。朝夕の散歩で視界の端を行き過ぎる木々の梢がいかにも夏をがんばりぬいたという風体で、冷たいそよ風に遊んでいます。木の葉は、そして、ある瞬間に思い立ったように枝から離れ、はらりはらりと一回切りの遊覧飛行へと旅立って行きます。コディはいつの間にか口のまわりに白髪が増えてきました。

話しかけると耳だけで「きいているよ」と返事します おりこうですね ※親バカ

 ここは最近よく歩いている、近所のワシントン・アンド・オールド・ドミニオン・トレイル(W&OD Trail)です。1800年代後半から900年代にかけて使用された鉄道の線路の上を舗装した全行程116キロ、幅約30メートルの「最も細長い広域公園」としてノーザンバージニア公園局に管理されています。地元のランナーやサイクリスト達にとってはお馴染みのトレイルであり、最近は電動の乗り物で行き来する若者や元気のいいお年寄りなんかも見かけるようになりました。

 W&ODトレイルの面白い点に、主要なトレイルの横に沿うようにして「ブライドル・パス」という小道があることが挙げられます。最小限の整備をされたこの道はホースマン専用路なのです。私とコディはサイクリストの邪魔にならないよう、ふだんはこの馬用の道を歩いています。午前中などに行くとときどき小山になったもう見るからにホカホカの「おみやげ」が落ちてることもあってコディは大喜びです(やめ~い)。

 馬専用路は、土が柔らかい所に他の通行者の足あとがついていたりして、静かですが、にぎやかです。おそらく早朝に散歩しているコディよりでかい足あとの持ち主もいるんですよ。どんな犬か分からないけど、コディより2まわりはでかい足です。となりを歩いている人間の足あとは、作業靴を思わせるものなので、近所の牧場で家畜を守っている犬かも知れません。いつか会ってみたいです。あと雨の日に行くとすれ違うのがジャーマンシェパードの飼い主ばかりで面白いです。シェパードの飼い主には規則正しい毎日の習慣を守るタイプが特別多いのか?雨の日でもガタガタ、ピーヒャラピーヒャラ言う犬を飼っているからか?両方かな…


 季節が変わりだんだん朝晩の冷え込みが厳しくなってきたので、外に置いていた植物も中に入れはじめました。上の写真の奥の方にあるゲンコツみたいなサボテンは、珍奇な見た目で夏中楽しませてくれました。いつも思うのですが、多肉植物って安いのにこんなに面白くていいんでしょうかね?なんか、申し訳なくなっちゃいます。屋内で育てると光量の問題があるので心配ですが、せめて長生きできるようにまめにチェックしてこうと思ってます。年度終わりに小学校の先生への贈答用でキープしてたエケベリアだけややネグレクトされてて罪悪感がある。笑


 子供も無事、アメリカの小学1年生になり、元気に学校に通ってます。9月の終わりに7歳の誕生日も迎えて、ひとまずはここまで無事に大きくなってくれてありがたいな、ありがとう、という気持ちです。習い事でここ1年ほどアイススケートをやっていたのですが、先日急にアイスホッケーをやりたいとか言い出し、とんとん拍子に話が進んで、今はちびっこ用のチームに入ってプレーしています(手前の白いヘルメットがチビ)。先日初めての遠征試合があり、大きい子達に交じって1スコア入れていました。

 自分達の家系はアイスホッケーを見る人ばかりで「やる人」が出たことはなかったんで、子供が小さいながら自分の考えで人生の舵を取りだした感があります。今後どこまで続くかは知りませんが、やるからには心身をしっかり鍛えてゲームをよく見て、チームの役に立つ人になれと言っています。まわりの子より始めたのが遅かったらしく課題は沢山ありますが、後方支援に徹したいです。まずは黒いヘルメット代を稼ぐところから(笑)


 「犬を飼う」ということは、特筆するような活動ではなく「生活のなかに犬がいるというライフスタイル」そのものであるとよく思うのですが、「運動の稽古事をしている」ということもまた、生活のなかにスポーツがあるというライフスタイルなんだと、始めてから気付きました。その本質は毎日の学習、トレーニング、観察と考察とメンテナンスの継続です。これも犬を飼う時といっしょですね。

 こうやって考えるとなんだか大事なことは全て犬に教えてもらっている気がしてくるわけであります。おっと…、、、また、世の中の全てに犬を関与させる愛犬家独特の異常な思考回路を披露してしまった。私、ブログをつけてきて久しいのですが、偶に現れるコアな人以外めったにコメントがこないのは多分、この奇天烈な思考が文の随所に漏れているからかなあ?と思っています。まあ、思ったところで直せはしないのですが…(つら)


2022年5月22日日曜日

海外で「日本人」を育てる



 とは言ったものの、自分が実際何人を育てているのか釈然としていない部分があります。6歳の娘の話です。「娘はニホンジンです。」と、思う事にしていますし、アメリカで生まれ育っているから「アメリカジンです。」というのも、妥当に思います。今日何が食べたい、と聞くと「ハンバーガー!」と言ったりしますが、なっとうご飯の日も多いです。にんたま乱太郎に声を上げて笑い、履き古したスニーカーにこっそり「ありがとう」と手を合わせてから捨てている様子などを見ると、「日本人だ」と感じます。生物学的に半分はロシア人であり、父親に言わせると性格は「スラブ的」だと言います。娘のおばあさんは先祖代々ボルガ川のほとりの小さな村に住んでいたメリヤというフィン系ロシア人の民族出身でした。小さなマユゲにユダヤ人が見え隠れする時もあります。言語も、文化も、DNAも、いろいろに混ざったチビな命、それがわが子というのが現状です。

 子が生物学的背景をこえて「何人か」を考えるときひとつの指標になるのが「どの言語で深く思考するか」ついで「その国の文化が母文化として体に染みわたっているか」という点かと思います。私自身を振り返れば、「日本で生まれた」ことや、「日本人から生まれた」こと以上に私を日本人たらしめるものがあるとしたら、「私は日本語で深くものを考える」「日本の文化を熟知している」という点ではないかと思います。

 とりわけ日本語による思考は、私が日本という地理的な座標から遠く切り離されても、いつでも変わらぬ基準点として自我を照らしてきました。義両親についても同じで、移民として40年以上このアメリカで暮らしてきましたが、どれだけアメリカの生活に馴染もうと英語がどれほど堪能になろうとも、思考の深部にはいつもロシア語があり、ソビエト的思考回路があり、日常のいたるところで脳裏にソビエトの詩、歌、美術や歴史の知識があふれます。たとえ自ら国を捨てたとしても、やはりどこまで行ってもソビエトの人なのです。血は水よりも濃いのだ、ということですね。水、血そしてここからさらに強力に自己を醸成する存在は「土」なのかもなあ、とも思います。正確には、血と土と固く抱き合った存在である言語と思考である、とやっぱり思っています。

 そのような観点から見れば、いずれアメリカで義務教育を修了してアメリカ文化に精通し英語による深い思考能力を身に着けることになる娘は、アメリカ人だということになります。生まれた時から疑いようもなくアメリカ人であるよその子供達と比べたら、成長のうちのどこかの段階でアメリカ人に「なる」後天的アメリカ人とも言えるかもしれません。

 ここで日本人の親としては、子供が「アメリカ人」であると同時に「日本人」であることは両立し得るのか、というソボクな疑問が浮上します。さっき書いた考えをもとにすると子が「日本の文化を体験として知っている」「日本語での深い思考が可能」であれば、「およそ日本人」と言えるとも思うので、じゃあ、将来的にそれをある程度可能にするレベルの日本語の力が子供にもあればよいのにな、という願望が芽生えます。




 ここワシントンDCメトロエリアは、日本人や日系子女が学ぶ場としていくつかのオプションが存在します。文化公共事業、および学生支援などを行うワシントンDC日米協会をはじめ、日本語継承センター、文部科学省承認校で高校2年生まである補習授業校ワシントン日本語学校などがその筆頭と言えます。また、全米でも珍しいのですが公立校で英語と日本語によるエマ―ジョン教育を展開しているFox Mill ElementaryGreat Falls Elementaryなどの小学校があります。未就学児についても土曜だけ開園する幼稚園にさくら学園たんぽぽ幼稚園ひまわりの会、日本語で保育を行うホームデイケア・プリスクールにバージニア州ハーンドンのわらべ教室、メリーランド州ベセスダのWEEセンター、などがあります。日系人の若者同士の相互扶助や夏冬のキャンプ・プログラムの運営をしている団体としてオーエン・ネットワークがあります。

 在住日本人の母数としては決して多いとは言えない都市圏にありながら、「日本文化や言語の継承」という観点から取ることの出来る選択肢が複数存在することは比較的恵まれていると言えます。北米において「バイリンガルの技能を高いレベルで維持している(バイリテラシー)」と判定されることは、たとえばバージニア州では「Seal of Biliteracy」の称号が与えられたりAP試験 (Advanced Placement Program Exam)で高校の単位を先取り取得できたりと、進学や就職活動において実益を伴うので、子にとってもメリットがあります(とはいえDC圏はもともと非常に優秀な人が多く、「マルチリンガルで全ての言語がビジネスレベルに達してる」というような人材もゴロゴロしているため、バイリンガルであるというだけではあまり評価に繋がらず、実際には+αとなる活動や運動系の技能などが同じくらい重要視されます)。

 子供に多言語教育を施す事には、目に見えることだけでない恩恵があるということで、毎年多くの子供達が日本語補習校などに進学します。


娘が初めてキンダーへ行く日、自分はスクールバスの所に連れて行ってもらえないと知った時の犬


 と、ここまで色々書いてきてずっこけてしまうかもしれないのですが、娘は補習授業校の1年生には上がらず、うちでのんびり自宅学習で日本語をやっていくことにしました。主な理由は、地理的な距離(上述したような機関の多くはうちから1時間圏にあります)と、またすでにアメリカの学校生活や習い事もある中で、さらに補習校へも行くとなると、子供が教室や机や車の中で過ごす時間が長くなりすぎるということです。ちょっとヒッピー的な考え方かも知れないけれど、今の我が子供の状態を見発達度合いを見、アメリカの幼稚園の成績を見、と総合的に俯瞰した時に「もっと実際の世界でさまざまな人と交流し、本物の自然と触れ、身体を動かしたり時にケガをし、原体験を積むことが必要だ」と感じました。

 普通に考えれば今後長く日本語学習を続けていくわけなので、勉強の習慣をつけるためにも速やかに日本式の学校に入れるのが良いと思いますが、最終的に学校で強制的につけられる『勉強習慣』と同じくらいかそれ以上に、実際の体験とそれに裏付けられた思考力、自信、独立性、社会性、根気そしてそして体力✊などがこれからの世を生きていく人には特にだいじで、まずはこれらの芽を伸ばしたいと考えました。

 また人間の子供を育てるうちに気付いたのですが「子の周囲に質の高い友達の輪がある」ということはかなりだいじな反面、子供が自力でこれを構築&維持していくことが難しいのだということです。特に車社会のアメリカではこの傾向が顕著で、小さいうちからそういうものを作ってあげるのはじつは重要な親の役割だった、と気が付きました。友達の輪は、親が自分から働きかけて作っていく以外に効率的な方法はなく、一朝一夕では困難です(だから日本でもアメリカでも『子供を私立に入れたがる忙しい親』というのが一定数いるのかな、と思います。ネットワークづくりを学校が担保してくれるので、、、)。というわけで、今後は犬のブログにときどき「外国で日本人を育てる(という無理難題にのたうちまわる私)ノート」が入ってくるかもしれません。



 ところで娘は昨日初めて「お弁当に箸が入っている事がみんなと違ってると思って急に恥ずかしくなった。」と教えてくれました。先週までは何の疑いもなくお箸とのり弁を持って学校に行っていたのです。クラスメイトは9割以上が白人の地域ですが、初日からお箸も海苔も、スナックに実家から送られたおつまみの貝柱(⇐娘の大好物)も持たせていたのです。かなり能天気な娘も、自分の食べ物がまわりとだいぶ違うということに急に気が付いたみたいで、日露米あやふや人⇒アメリカ人、への変容は既に始まっていると言えるでしょう。

 箸が恥ずかしくなった娘ですが、今朝のべんとうはサンドイッチにして、食器はフォークやスプーンを入れようか?と言うと、箸のままでいいと言ったのでそのままになりました。よく聞いてみるとどうもアメリカ人の子は弁当に野菜がたくさん入っているのに慣れてない子がいるみたいで、娘は茶色や緑色のお煮しめを「ew(きもっ)」と言われることもあるようなのです。「次は、あなたは工場で作ったピンクのソーセージばかり食べてるの?ew!っていったら?」と言ったら大笑いしていました。

 まだまだ小さい今のうちに身辺の出来事に自分で対処する方法を学んでもらいたいです。相手と同じ土俵に立ってみっともないと思われるかもしれないですが、○○ちゃんにewと言われた、とか先生に言いつけて自分の問題をだれかになんとかしてもらおうとするまえに、小さいうちからハッキリ自分の意見を言って、『いじわるするべきでない相手』と分からせることはだいじなことです(「何度もいじられる場合や、身体的に被害が及びそうな時は先生に言う」ことと基準は与えています)。それに、言い方は悪いけど、そうやって自分の力で他者を打ち負かす経験をしていないとはっきり言って自信は育たないと思うので、幼稚園の今がチャンスと思って頑張ってもらってます。


タコのようにかしこく柔軟に



2021年8月19日木曜日

よしなしごと


 夏が過ぎてゆきます。娘のアメリカの学校びらきまであと丁度一週間となりました。本当に長かった「ホームスクーリングもどき・うぃずコロナ」もあと1週間です。パンデミック以降、子供達が学校で学ぶ権利や、普通に友達と話したり遊んだりする暮らしは圧迫され続けてきましたが、あがき続けた1年と5カ月が終わろうとしています。頑張っても誰に表彰されるわけでもない地味な日々の連続の中で、私は大量の時間といつのまにか髪の毛を失いましたが(昨日、1年半ぶりに会った美容師がびっくりするほど)、子供らのために力いっぱいがんばったと思うので、満足です。

 ところでここ2カ月ほど草に手を出していました。ふだん一人で何かの作業に従事する「個人の時間」を何よりも大切にしているたちなのですが、半年以上自分の時間が全くなかったので、見えないうっぷんが溜まっていたのでしょう。そういう時、逆にこうやって全く関係ない事に着手して、さらに自分の首を絞めてしまう悪いクセがあります。上の写真のは、学生のころ日本で集めていた種類で、とてもなつかしいです。たまたま立ち寄った古道具家で「品種不詳土ナシダニあり根っこ2本」みたいな状態で物置から引っ張り出されてきた個体ですが、家で養生していたところ元気を盛り返してきました。新葉も出ています。すごい生命力ですね~。



実験的に室内で育てているギボウシ(Hosta 'Guacamole')につぼみがついた



 草だの、爬虫類だの魚だの、両生類だのを愛好して幾星霜ですが、こういったいきものが好きなのは、こうして逆境に強い生きる力であったりとか、生きようとする姿勢とか、まわりを気にせず自分の都合のいいほうに勝手にどんどん伸びたり、体温や感情がない(なく見える)分、自分の時間を生きている様子がひときわ鮮烈に感じられるせいかと思います。


たのしみです


 しかしアメリカで日本と同じように趣味のことをやろうとすると、たとえばいい用土や道具がぜんぜん見つからなかったり、あっても高かったり、大量だったり、取り寄せなどで時間が掛かったりで、着手しにくいことがあります。また冒頭の話のように死にかけのやばい状態の草なども平気で売っていたりするので、どんなに安い草でも丁寧に世話をして売っていた日本の地元の植木屋を思い出し、恋しく思いました。ここでは、あらゆるサービスが玉石混合で、よい店や人を調べる事自体に多くの時間や費用を費やさねばなりません。チャイルドケアなどもおなじですね。日本の保育園のような、朝から夜まで、食育あり、連絡帳も書いてもらえて時間外の突発保育もあり、などなどなど…のレベルを期待しようとすると、月に2000ドルは必要です。安価に、非常にバラエティ豊かなサービスを享受することができるという点では、日本はすごくいい場所だと感じます。



 ここ1週間のコディ君です。アパラチアン・トレイルに短いハイキングに行ったり、園芸店に連れて行ってもらってこやしの袋の上でローリングしたりと悠々自適に過ごしていました。上の写真はその後ペット用品店でシャワーをしているところです。こうして、オフロの中でヨレヨレになっている姿もとても可愛いですが、大きい図体&6歳という大の成犬のくせに、ク~ンク~ンといかにもか細い声を出すのが少しはずかしい。今回は特にとなりの洗い場にいたアメリカン・エスキモードッグ達がキリッ!とした表情で、サクッと洗ってもらっていたので、コディの情けなさが際立っていました。頭脳は子犬の時のままなのです。「あかちゃんおじさん」と呼ばれてます。


2021年8月1日日曜日

ホームスクールもどき:1年5ヵ月の振り返り


 娘5歳10ヶ月についての話題です(最後の方にコディ君も出てきます)。

 去年の3月、新型コロナウイルスの流行を受けて、バージニア州全域で学校が休校となり、引っ越しも重なってプリスクールを退学した時から始めた「ホームスクールもどき」も1年と5ヵ月目に突入しました。子供は、日本の学齢だと春から年長で、アメリカの学齢だと、秋からキンダーガーテン(幼稚園)に進む頃です。

 見様見真似、子供を寝かせてから手順本などを読み教育関係のポッドキャストなどを聞きかじり、主宰していた「オンラインプレイグループ」と、友人らと週1で開催した「ラーニングポッド」(いずれ、別記します)を軸にしながらスケジュールを組んで、なんとかかんとかやってきたわけですが、そんなあがきも数年後見返せば面白いのではないかと思い、ここに記録したいと思います。


 まず、ホームスクールもどきをやって困難だった点についてです。一言で言うと、親、めちゃくちゃ大変ということです。一人っ子家庭であり、しかももともと要領が非常に悪くマルチタスクができない私の場合、自分の持ちうるマンパワーのじつに75%は家庭学習とそれにまつわる労働に消費されてしまい、のこりの15パーセントで仕事、犬の世話、犬の運動、引っ越しの後片付け、運転、買い物、家の修理、などなどを過不足なく行うのは非常に困難でした。

 大変さの要因として、5歳すぎという年齢もあったように思います。本来幼稚園という社会の末席で人の波に揉まれているであろう年代の人を家庭に留め置いているわけですが、同年代の子供達と自由に遊ぶことはできないので、それに見合った活動量を家庭内で満たす必要がでてきます。手先を動かしたり、知的好奇心などを満たしてやる題材が日に複数個必要になりますが、興味の幅が犬などとは比べ物にならない位広いのです(あたりまえですね…、すっかり基準が犬になってました)

 活動の前後の準備や後片付け、材料の用意などを先だって行う必要があるので、計画性と計画を遂行するエネルギーがないと(どちらかだけがあってもダメ)、ただ無為に時間が流れるということに容易に陥ります。4歳から5歳という非常に感受性ゆたかな時期を核家族の非常に小規模な輪の中で過ごしたことによって、子供達の身体能力や心理に、中長期的な意味でどのような影響が出るのかといった点が不明なことも、心配事項です。


 次に、ホームスクールもどきをやってみて良かったかなあと思う点を見てみます。まず思い出がたくさん出来たことは良かったところだと思います。と言っても毎日毎日をギリギリ及第点くらいにするのが精いっぱいだったため、「すごい所に行った」とか、「特別すごいことをした」とか、そういうことは本当に何もないのですが、チビが朝元気よく目を覚ますところから夜ふとんに送り込むところまで、毎日の成長を欠かさず目に焼き付けることが出来たのは、貴重な体験だったと思います。わが子を育てるとは、この世で自分だけに与えられたプロジェクトであり、その報酬の一つにこの「二度とない時間を共有することができる」というものが挙げられるのではないかと感じました。


 家庭学習に関しては、子供の興味に沿ってカスタマイズした勉強ができるという点が一番よかったと思いました。私達の場合は語学、(年相応な内容の)社会科やお金の話、もらった日本の「どうとく」の教科書(こちらでは学ぶ機会がない)、アメリカの歴史(5歳児なので「むかしのえらい人」などがメイン)等、初等教育で教わる機会の少ない題材を自分の子供の興味に沿う形で取り入れられたことはよかった。運動などの習いごとを、時間を気にせず自由に組み込むことが出来たのも非常に助かりました。

 また、コロナを契機として、さまざまなオンラインクラスの開講が増えたことの恩恵もかなりあったように思います。娘はオンラインクラスを利用して、音楽と生け花のクラスをとりました。生け花は、おばあちゃまたちに混ざって一丁前に質問したりして、楽しかったようです。音楽の先生は外国に住んでいたので、自分の知らない遠くの世界に思いを馳せたようでした。まだ「好き」の方向性が定かではない子供に新しいアイデアを与えたり、その様な子供の様子をつぶさに観察できた事も、今後の子供そだてに役立つのではないかと思われました。



 最近のコディ君です。北バージニアでもワクチン接種が進んで、ホームパーティなどが多少開けるようになってきました。このような時、コディの役割はテーブルの下で皆の足を温める係です。人間とゲームをすることが好きなので、話の合間に誰かが小さなピンポン玉などを意味ありげに転がしたりするとすぐ目を光らせながら寄ってきます。「家でパーティをすると、かならず最後は皆フュリーと遊んでいる」と、ブリーダーがコディの母犬について話したことを思い出します。コディはきっと母犬に似ているのだろうと思う瞬間です。

 また、ボールや転がされたものを拾ったら、私の手のひらまで持ってきて置くよう教えてあるのですが、こういうのを人に見せるとすごく賢く見えるらしく、けっこう感心されたり話題のタネになるので、なんてことのない日常動作ですが教えてあげてよかったな~と思います。

 こうして家の中では猫を被っているコディ男ですが庭に居る時は引き続き猛犬のフリにも余念がありません。人が通りかかると芝居がかった吠え方で知らせます。私がコディを呼び戻そうとドアを開け、道行く人に「犬が失礼しました。」と言うと、「He should bark.(君の犬は吠えるべきだ)」「That's his job!(それが彼の仕事だからね!)」などと返ってきます。今まで都会や郊外で暮らしてきて、犬が吠える事は近所迷惑でしかない、という文化に親しんできたため、都会と田舎でのものの価値基準の異なりを実感するところです。


2021年6月1日火曜日

だれかの靴を履かない事



 向いていないこと、やってもできないことをみとめる事ほど、自分の子供や愛犬に対してすることが困難を極めるものもないと思います。いちおう、教育関係の末席にひっついている者として、また地域の子供達を集めて勉強会兼プレイグループなどもしている中で、面談などの場になると必ずこの「うちのコができないこと(潜在的にその子に不向きな事もある)を、どう出来るようにするか」というテーマが、往々にして立ち現れることに感心を持っています。育児の命題のひとつなのではないでしょうか。

 この問いに関しては、人の子と比較すると犬などは動物であり、はじめからできる事が明らかに限られているのでまだ「まし」です。呼び鈴が鳴って、毎回、爆吠えしてうるさかったとしても、「そうか、コディは我慢する努力をしたけど、できないんだね」と思ってもらえます。(そしてそのあと直されます。笑)

 ところがこれが子供のことになると一変して、みんな我が子の可能性は無限大のように感じてきてしまうわけです。そして、「まわりの皆は出来ているのに、うちの子供は出来ない」と、急にみんな気をもみだしてしまいます。私も人の親として、この感情は身にしみてわかります。だからこそ時折こうして、「人には生まれながらの向き・不向きがある」ということについて考えたくなります。


野ばらの季節になりました。ブログに香りを残せないことが残念だー。


 未就学~小学校くらいの子供達の暮らしを観察していて、やるせなく思う事があります。人と比べて発達がゆっくりな子らのことです。彼らは毎日、ねんどしたりつみきしたり、草はらの端から端までチョウを追いかけたり、野花をつんで遊んでいたのに、5歳のある日急に学校生活が始まって、突如、他の子との比較の対象になります。「なんであなたは出来ないの」と、大好きな親に怒られる子が出てきます。私が「義務教育」というシステムの根源的な欠陥だと感じるところです。

 義務教育とは、皆がお金をかけずに、だれでもある一定の質の教育を受ける事が出来るという点で非常に優れたシステムです。けれど年齢をベースにした制度のため、必ず不適合を起こす子供が出てきます。いきものは、同じ年齢でも、心身の発達や性質には開きがあるのは、動物の子供を育てたことのある人ならだれもが自然に知っているにもかかわらず。

 私は少し大きい子供達に勉強を教えていますが、人間の子供の個体差の振れ幅はすごくあります。かつて自分自身がそうだったように、今やっている題材に、頭の成長がぜんぜん追い付いていない子なども、わりとすぐに分かります。人よりゆっくり何かを探求したい子供もいます。教科書の中で、さわりだけの単元をやって、はい、次!ではとても物足りないと思う、知りたがりな子もいます。

 義務教育の忙しいカリキュラムから抜け出て、時間を与えてあげるだけで、別人のように輝くのではないかと思うことがあります。机に座ってなにかをするより、クレヨンやらタイルを虹色にならべるのが大好きで、一日やっても飽きない奴もいます。所謂、「異能」というやつですが、そんな子らにとっては学校は、彼らの居場所のフリをしているだけの場所に留まるでしょう。

 かわいそうだと思う一方で、そういう子を守ってあげすぎることもまたちがうのではないかという気がしているから、悩ましいところです。近代以降のアメリカの学校教育では平均的な発達段階の集団からはずれた子供達を「発達障害」「学習障害」「〇〇エクセプショナル」etc……、、、として子細に区別したり、制度上有利な処遇をする傾向があります。でも、こうした教育プログラムを経た子供達の大勢が人一倍成功し、幸せな大人になったという話はあまり聞きません(たまたまうまく適合して、すばらしい効果が見られる人もいると思いますが、ここでは全体としての話をしています)。

 子供のうちから「定型発達ではない、特別な人」「あなたはユニークな人」としてとりわけ大切に扱われたとしたって、学校が終わればいずれは人生という競争の場に出て行かねばならないことは決まっています。子供達はどの道自分に与えられた現実に満足したり、もっと重要なのは、そんな現実の中に自らの幸福を見出して行かねばならなくなります。

 勉強や、知の世界を探求することとは、人生における「幸福への感受性」を高める主要な手段の一つだと思います。どの子にとってもそうであって欲しいと強く思います。そのためには、その個体における「向き・不向き」を恐れずに認める事、親もそんな子供を認めて、子供にとっては親に受け入れてもらえる事が、まずはその第一歩と言っても過言ではないのでは、と思っています。






2021年4月12日月曜日

相容れぬものたちー犬と子供

トウモロコシ畑の前で

 このブログにもごくたまに登場してきた「ちいさいにんげん」こと娘は、現在5歳6ヵ月です。この頃は心身ともにずいぶん成長してきました。そのせいかは分かりませんが、ひと月ほど前でしょうか、初めて犬が自分から娘を遊びに誘う素振りをみせました。『シャイロ・シェパ―ドは子守り好きな犬種』と言われる中、コディは徹頭徹尾、「何かを一緒にしてくれる人」にしか興味のない奴で、娘が寄ってきてもいかにも迷惑そうに避けたり、または完全に無視&抱きしめられるのなんて本当にもっての外(グーッと言って逃げる)、という態度だったので、突然の変化におどろきました。

 変化のきっかけは、ある日庭で子供が「犬的にすごくいいかんじの棒切れを拾って」初めて「犬に向かって上手いぐあいに投げた」瞬間でした。犬がこの人間は実は、何かを一緒にしてくれる人なのでは???と、あからさまにピーン💡と閃いた表情をしていたので笑いました。それからは庭で用もなく2匹でチョロチョロする姿が見られるようになったりして、互いに利害の一致をベースとした、何らかの関係が芽生えた様子が見て取れました。とはいえ犬の方は娘の事を完ぺきに信頼しているわけではなくて、まだまだ気安く触られたりするのは本意ではないようです。必要以上に近寄ったりじゃれたりといったことは、ありません。


狭いアパート時代も折り重なりながら成長してきた


 彼らの様子を見ていると、「犬と子供」の関係性は、世の中においてわりと誤った印象を持たれているもののひとつではないかと思います。一見すごくかわいく、ほほえましいですが、実際は犬側の多大な譲歩やガマンによって成り立っている場合も多いように思います。

 時々、小さな子供達を対象に「犬とどう関わるか」というミニワークショップを、実地やオンラインでやっています。特に実地だと、コディくらいの大きさのシェパード犬に触れる機会は殆どないので、子供達は皆大ハシャギです。その一方で、小さな子供と犬との正しい関わり合いは(自制心が未熟であったりして)困難な場合も多い事、子供のみならず両親・おじいちゃんおばあちゃんなどの家族も、犬との安全な関わり方をあまりきちんとは考えたことがない場合も、多いことに気付かされます。

 アメリカの数字ではありますが、犬の咬傷事故の犠牲者の68.0%は、5歳以下の子供です。その中では3歳児が被害に遭う率が最も高く、全体の15%を占めています。また犬にかまれるというと狂暴な野良犬などを想像しやすいですが、実はほとんどの子供は面識のある犬(自分の家の犬だったり、親戚や友達の家の犬など)に噛まれています(NIH調べ。米国で飼われている犬の全体数を考慮すれば、実際に噛まれ病院へ行くほどのケガをする率はそう高くはないとはいえ、世間では、「犬と子供」というかわいいコンビを推進するのと同時に、犬は本来、小さな子供にとってはけっこう危険な動物だということ、また子供は犬との安全なかかわり方を学び、実行できるようになるまでに、思ったよりも長い期間を要するという事実も、広く知られて欲しいと感じます。


2020年10月1日木曜日

急に涼しくなりました。

Lake Skaneateles, New York


 疫病に暴動に山火事にと、波乱ばかりの2020年に夏も遠慮したのか、今年の北バージニアは本格的に暑くならないうちにすっかり秋模様となってしまいました。どこへも行かずに終わってしまった今夏なので、今まで撮りためた写真を引っ張り出しては眺めて旅行へ行った気になっています。

 上の写真は、以前住んでいたニューヨーク州北部の街で、ちょうど今頃の時期によく魚釣りをしていた湖のデッキからの眺め。五大湖周辺のこのエリアはヒトの手指に似た細長い形の湖が多数あり、全部まとめて「フィンガー・レイクス」と呼ばれています。ここはその中のスキニーアトラス(スカニースルズとか、スキニアレスと表現されることも)という湖です。かつては北米でも有数の水質と透明度を誇ったのですが、17年頃から毒性のある青緑色の藻が大量発生してしまい、水質の再生が課題となっています。地域の努力でまたきれいな水が戻ってくることを、本当に心から願ってやみません。


スマイル100万点

 犬5歳娘5歳と、「おれたちのコロナ戦争」も継続中です。現地校がなくなって、週に一回のデイケア以外は自宅でホームスクーリングもどきをしている娘が、PC上でお友達に「まいにちたのしいよ。」と言っていたのがせめてもの救いと言えます。

 自分の方はといえば、日中は家や子のせわをして夜皆が寝静まってから仕事をしたり、買い物へ行ったりなどしているので、寝不足です。元気盛りの犬とわが子と、こんなにも濃密な時間を過ごせる1年間は今後一生ないと思いますが、たまに突発的に一人になりたい時もあります。ぶらっと一人で…、中央アジアでも行きたいな。ウクライナでもいい。バルト三国もいいですね。


この足裏みてください

 今週は、犬をブラッシングして、オフロに入れて、全身乾かしアンダーコートをすきました。歯石のチェックをし、ほんの先っちょを切ってお茶を濁す爪切り&パッドの間の毛を切って、4つの足裏を写真のの状態にするまでで半日が経過してしまった。これでも大分スピーディになったつもりでした。兎に角みんなでアメリカ生活のホワイトシェパードわんた氏は、足裏トリムをしたら藪でケガしやすくなったと聞いて以来、どうするのが正解なのかは分からないのですが。

 「いそがしい」とか言いながらこうして自分で不要な作業工程をいろいろ作り出し、ムダな労働と分かっていつつ一旦手を動かし始めると止まれないのが悪いクセだなと思いますが、犬はきれいになったから、まあいいや。


あらっ!手が入ってしまった。

 犬をきれいにして出かけた先は地域の獣医さんです。この場所でずっとやってる小さな病院なんですよ。セラピードッグの活動を続けるためには、定期的に健康診断のフォームを更新しなければなりません。コディは獣医での素行があまり良くないので(診察室内で、この図体でなんでというくらい巧みに注射や診察から逃げ回る)獣医さんや看護師の皆さんにはせめて清潔な犬を診てもらいたい。

 コロナのパンデミックのおかげで獣医さんの方式も大分変わっていました。車からドロップオフしたあとは、病院のスタッフの方で全ての工程をやって下さいます。途中で獣医さんが出てきて、行った治療と検査結果等を口頭で教えてくれます。待合室などで不要な混雑も起きないこのやり方は、検診程度で訪れる患者にとってはいいなと感じました。あとで看護師の方にも話を聞きましたが、飼い主から離されることで診察室内での行動が改善する犬も多いそうです。でも「コディアックはあなたと一緒にいた方がおりこうだけどネ」と言われてしまいました。あらら。


2019年10月24日木曜日

元気です

元気です^^

 北バージニアも、ようやく朝夕の冷え込みが秋を感じさせる頃となりました。今、木々の葉もどんどん色が変わっており、数日単位で野山の情景が変わっています。美しい季節となりました。

 我が家では毛の生えた兄に続いて娘・「ちいさいにんげん」が、無事に4歳を迎えました。初めてのお誕生日会は50名近くの人に来てもらえ、それだけで別の記事に起こしたいほど、印象的な日となりました。こういう事があると改めて「友達っていいな」と思います。子供が人生の早い段階において、「暖かい人の輪の中にいられるかどうか」は、親が進んで助けてあげることのできる、数少ない項目のひとつかもしれません。そのことは、いずれ自分の力で「日系/ロシア系アメリカ人」としてこの国で人生を歩んでいかねばならない娘にとって、特に重要なことの様な気がしています。




 友達は犬にとっても結構大事みたいですね。コディは人間中心主義者ですが、そんな彼にとっても、落ち着いた環境で気心の知れた犬と遊ぶ事は、心に刺激を与えてくれるようです。コディは家で、「ショーン」とか「ニック」とか、特に仲のいい友達犬の名前を口にすると、耳をピンとたててワン!と大きな声で鳴きます(単語が「ネコ」とか「アライグマ」だと、ワンワン💢という感じでドアまでダッシュするので、反応の違いは明らか)。名前の指す相手がだれかをはっきりと認識しているようです。犬同士でも、一緒に遊んだ経験が彼の脳裏にしっかりと記憶されている事が伺えます。写真は、最近できたお友達で、しばいぬの「花野」ちゃんです。子犬の可愛さの中にクールさを覗かせる日本犬、最高ですネ。



フサフサ君のとっておきの顔を見てください 笑

 訪問活動ログ。今回、特別に屋内の写真を撮らせてもらえました。アメリカの外務省にあたる所の、付属機関の中で、沢山のセキュリティを通過した先にある場所(セラピードッグも鑑札まで外して身体検査を通ります)。私はコディがいなかったらここに来ることはおろか、こういう場所があるという事すら、一生、知り得なかったでしょう。犬が私の知らない新しい場所に連れていってくれるようです。がんばっているコディの事を誇らしく思いました。

 以前は少し難易度が高かったまるまる2時間の訪問も、きちんとこなせるようになってきました。秘訣は犬を立たせておくことかもしれないと思っています。「say hi」というキューで、立って近くの人にあいさつに行くことを教えたので、受動的に撫でられるばかりでなく、自分から挨拶に行ける事がどうもプラスに作用しているような気がします。ほんの些細な要素を微調整するだけでも、ストレスが軽減されることを実感しています。今後も観察を続けたいと思います。



2019年6月2日日曜日

いちご祭りにて


 週末は、バージニア州スカイ・メドウズ州立公園ストロベリーフェスティバルに足を運びました。ワシントンDCからだと大体1時間20分ほどの場所に位置し、豊かな自然とワイナリーに囲まれた風光明媚な田舎の公園です。山積みになったいちごのカートンの出店を抜けると、ノーマン・ロックウェルの1940年代の大衆絵画からそのまま抜け出てきたような、年老いた大道芸人がいました。アメリカにもさるまわしがあることを初めて知りましたが、動物愛護の気運も高まるこのご時世においては、こうして野生生物を使役して収入を得るということは、失われていく文化・芸能のひとつと言えるでしょう。

 3歳と8カ月を迎えて、知性が犬を上回ってきた「ちいさいにんげん」の世話が本当に忙しくなり、最近全体的に遊び足りていないコディは、悪い子でした。最近気付きましたが、犬って、足元が芝生だとてきめんに行動が変わりますね。この日の朝も運動が足りていなかったコディは走りたそうにあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、終始いれ込んでいて、いちご屋のディスプレイに突然前足を乗せたり(!)しまいには大きなダニを2匹くっつけて帰って家で念入りにブラッシングにかけねばならず、100点満点でいうと20点くらいのワルでした。

 どこへ行っても、行儀がいい、頭がいいと、割と褒められることの多い犬ですが、慢心せずいつもきちっとコンディションを整えてくることの重要性を再確認しました。


ワルの顔になっております。

 スカイ・メドウの名前の由来になったと思われる、広い空と丘陵を背景に写真を。こんな風景がどこまでも続いています。ワイドアングルのレンズじゃなかったのが残念です。そういえば最近、仲の良い友人の子供が洗礼を受けたのですが、家族の由来のあるヨーロッパの一地方に一族で何十人も集っている写真を見ると、とても賑やかで楽しそうでした。

 そんな様子を見た後だと、私達の家族写真はとても寂しく感じます。皆遠い所からやってきて、今この地に根付こうとしている3人きりのチームです。自由と孤独とが心中に去来します。喋らなくても、いたずらをしたり自己主張をしたり、フカフカとした毛の温かさを家庭に添えてくれる犬の存在は、我が家にとってとても意味があるのではないかと思いました(たとえワルであっても)。


2019年5月4日土曜日

セラピードッグの準備クラス



 愛犬もかつて通ったことのある、セラピードッグのための準備クラスに、お呼ばれしました。と言っても、リクエストは犬の方にではなく、3歳6ヵ月の娘にです。この日、セラピー犬、介助犬、ファシリティドッグ候補の若イヌなど、合計6頭の賑やかなクラスで、簡単なノーズワークごっこや犬のパズル、double leash walkingと呼ばれる二本のリードを使った犬との歩行、読み聞かせ、ブラッシング、犬にコスチュームをつける、などなどのタスクを一緒に練習していきました。クラスの終わりにトレセン長が娘に歩み寄り、「大きくなったら、サービスドッグのトレーナーになってここで働いてネ!」と言ったところ、「私はおひめさまのねこを育てる人がいい」とか言って、自己主張していた(笑)。犬に舐められたり踏まれて泣いたりしながら育った娘は、ネコが好きです。

 娘が将来なりたいものは、「ピンクのウサギをお世話する仕事」とか、「みんなに食べ物をあげるしごと」「お買い物をする仕事」「虹をつくる仕事」などなど、わりかしコンセプチュアルなものが多いです。可愛いものとか、おひめさまが大好きで、アメリカの女の子の王道を行く嗜好の持ち主と言える一方、「お買い物をする仕事」のリストの内容があぶらあげだったり、プリャニキ(ロシアのおやつ)だったり、いきなり懐から小判を出すマネをしたり、文化的にいろいろ混ざっていて、面白いと思います。いつまでもこのユニークさを失わず、強く生きていってほしいと願います。


お風呂に入れられた後

 ここ一週間ほどは、天気が良くて涼しい日が続いていたので、犬も日がな一日ベランダに寝そべって過ごしていました。体重があるのに、痛くないのかなと思うのですが、家の中でも外でも、固い地面に直にゴロ寝します。特に、「屋外の」「半日陰」「固くて冷たいコンクリート」みたいな条件がそろった場所が大好きな様です。雑木林からの風がくるので、いろんな匂いや音もすぐキャッチ出来て、寝ながらでも好奇心が満たされるのだと思います。水も、室内の清潔なボウルにためてある水道水より、外に出しっぱなしになっているお皿の、小枝や落ち葉入りの「はっぱのアロマウォーター」の方が好きです。

 私の住むこのボロ屋は、雑木林に面しややせり上がった台地に建ててあるため、このベランダはちょうど林床から5メートル程度のところにあり、ちょっと木の上の秘密基地のような雰囲気です。木陰のおかげで一日中薄暗く、狭く、穴ぐらみたいな場所が好きな私にとってはパーフェクトな家です。ベランダの至近距離まで野生のタカやノスリやフクロウ達が来たりして、住んでいてぜんぜん飽きることがありません。でも、娘にとっては狭すぎることが、だんだんと不便になってきていました。あと数年、いやもしくはもっとすぐに、この家を後にせねばならならなくなるでしょう。




 次の家は、住むと予定している年数的に、コディの最後の家になると思います。考えれば考えるほど、犬の命は短く、儚く、本当に寂しい事です。出来ることならば、広い庭とプールにアヒル小屋のある、お屋敷みたいなお家に住まわせてやりたいですが、それは叶いそうにないので、「車で10分以内に空地やきれいな川のある場所」というのを絶対的条件に入れて探しています。全体的に段差が少なくて、小さくても庭がある家を想像しています。他にも、「大きな老犬」が住むのに適する環境とはなんだろうと、今から考えています。

 また最近は件のながら散歩と並行して、「むこうから人がきたよ」だの「犬がきたよ」だのと、犬にせっせと話しかけるようになりました。多分、傍から見たらあぶない人みたいに見えてる可能性もありますが、「今のうちからこうしておけば、もしそのうち愛犬の目が見えなくなったり、耳が悪くなることがあっても、二人五脚で楽しく散歩が出来るのでは」という実験です。

 うちの犬はトレイルのような場所で何かの気配がすると、グッと首を持ち上げて尾を立てますが、そういう時「あれは人だよ。」というとシッポが下がるので、なんとなく意味は分かっているようです。犬が来るときも、「あれは犬だよ。leave the dog.」とか言うと、時々鼻息を荒くしながらも素通りすることが出来ます(※)。散歩道で何かに遭遇する前の段階で、心の準備が出来るか・どうかは、コディの心の平穏度に密接にかかわっていると感じます。(※コディは雑木林のトレイルの様な場所では、他の犬に対して警戒し吠えます。)

 もうひとつ面白いのが、上手にふるまえた時「おりこうさん!あとでオヤツがもらえるね。」と言うのですが、これをちゃんと覚えていて、家に帰ってからおやつの棚の前で待っています。わりと記憶力がいいので感心します。どうも犬の中で、「あとでオヤツ」というアイデア自体が報酬化しているようです。

 効果があるのか、ないのか分からない、細かいことばかりですが、人・犬ともに事故や病などのライフイベントが、いつ訪れるかは分かりません。これは、先代の犬に教わったことのひとつですが、いつも、どこかで、来るべき犬生のシナリオについてなんとなくシュミレーションしておくことは大事だと感じています。


2019年4月1日月曜日

手に汗にぎった事


 バージニア州ハーンドンにある、フレッド・クラブツリー公園にて。地図だけでは見えにくいですが、いたるところに小川があり、一部泳げるような深さになっている場所もあります。公園内の遊歩道も結構高低があり、ハイキングや水泳が好きな犬ならばおすすめ。コディも今年最初の水遊びを楽しみました。こういう所に来ると、ラブとか水遊びが好きな犬を飼ってる犬ともがいたらいいのになと、妄想してしまいます。


 別件、3歳半の子供の認知能力を過信してはいけないなと知った出来事。

 うちは古くて狭いタウンハウス(メゾネット的な家)なので、コディのえさ皿と水入れは、スペースの制約上玄関のお客さん用のバスルームに置いてあります。昨日夕飯の準備をしながら、コディが水を飲みに行けるよう「『コディ君のドア』開けてあげて」と娘に言ったところ、ガチャガチャと扉を開ける音がしたので安心してまたレンジに向かっていました。ところがしばらくして、娘がモジモジしながら寄ってきて「ママやん、でも…わたしコディ君が車にひかれちゃうかも知れないと思う」と言ってきました。何か間違ったことをしたような気がしているらしく、目が泳いでいました。

 瞬間、異常事態が起きている事を知り、あわてて家の外に目を向けたところ、なんとコディがリードもつけない裸んぼの状態で共用駐車場の方をトコトコ歩いているではありませんか(!!!)。娘は、バスルームの戸と玄関の扉を勘違いして、がんばって重い鍵を開けコディを外に出してしまったようです。もう、なりふり構わず二重戸を開けて大声で「コディ君なにしてるの👹(日本語)」と言ったところ、ピュッと戻ってきて、胸をなでおろしました。コディも何かいつもと状況が違うと思っていたらしく、家に入ってからハアハア呼吸を整えていました。

 うちは女児なので、時々年齢以上に大人っぽいものの見方を示すことがあり、「これくらいなら分かるだろう・出来るだろう」と信用しすぎたことがまちがいでした。今回は、何もなかったからよかったものの、これで近所の外ネコが横切っていたらとか、知らない家の子を驚かせて転ばせちゃったら(それで顔や頭を打っちゃったら)とか、このアメリカの訴訟社会における「最悪の展開」の糸口というものは、常に日常生活の至る所に隠れているだけに、手に汗握ってしまった一件でした。



2019年2月5日火曜日

雪あそび



 冬の雑木林は綺麗です。コディはキツネやシカの痕跡を探して忙しくしています。こういう活動は、楽しいだけなのかと思いきや、けっこう緊張するようです。時たまブルブルブル!と大きく体を振るったりして、気を紛らわせているのを見かけます。別の日に見ていたトラッキングのビデオで、インストラクターが「匂いの追跡はストレスフル」と言っていたのを思い出し、そうなんだと思いました。

 興味本位で匂いを嗅いでいるのと違って、自律してある匂いに集中しそれに全神経を集中させた状態を持続することは、かなりの忍耐力を要するでしょう。でも、地面に鼻をつけてゆっくり慎重に動物の気配を追いかけている時の姿はなかなか様になっています。この慎重さ丁寧さを練習でも発揮してくれたらいいのにな~と思います。

 こういう時に不意打ちで「スワレ」の指示を出してみたりすると、一瞬、どんな報酬があるのか思い巡らせている目でこっちを見てからゆっくり実行します。犬の頭の中にちっこい天秤があって、いつも飼い主の乗ってる皿に(僅かでも)比重が置かれた状態にしておきたいです。うちの犬にとってキツネやシカの誘惑は手強く、まだまだ修業が必要でしょう。




 この日子供と雪遊びをしていて思ったのですが、1匹の犬にこうしていろいろ教えたりして育てる事は、雪だるまを作ったり、砂の城を建てたりすることと似ているなという事です。100パーセント完璧だ!と思えるものが出来上がることは、なかなかないし、一生懸命やってても、知らない誰かに踏み荒らされてしまったり、突然の波にさらわれることもあります。幸運にも最後まで制作を続けられたせっかくの「作品」も、いつかは自然に帰っていきます。

 雪や砂をむりに何かの型にあてはめようとするよりも、手元にあるこの雪の美しさ、浜辺の砂の暖かさをただ享受しながら生きるのがいい、そう思う人も沢山いると思います。そういう人にとっては、たとえば私が常に犬にあれをしろ、これをしろとやるのを見て「不毛だ、可愛そう」と思うかもしれません(実際、身近な人にそう言われたこともあります)。しかし、「この砂で城を建て、登って景色が見たい」と思うタイプもいます。だれかが作りかけで放棄した作品のひび割れを埋めながら、形良く仕上げることが好きな人もいます。すごく人ぞれぞれです。

 特になんのオチもない話なのですが、、、雪の雑木林を見ていると、自分の飼い犬との巡り合わせというのは、この無限にあるように見える雪の中からの、偶然のひとつかみと出会うのに等しい、稀な出来事なのだから、大切にしなければならないような気がします。

 上の写真は、夕方の散歩の様子です。ひもつきボールがしばらく届かなかったので、トレ散歩のご褒美はコングのボールに靴ひもを通したもので代用していました。積極的にひっぱりっこをする事はないですが、こうしてボールの部分に食いついたまま、引っ張ってもらって歩くのが好きなようです。碓氷峠を超えていくディーゼル機関車の気分でした。1キロくらい飽きもせずこのまま歩いていました。実に嬉しそうな顔をしています。


かわいいDella


 モンディオリングのクラスが続いています。2時間の授業の間、自分が直接コーチしてもらえるのは20分程度で、それ以外の時間は全て他の人の練習を見ることに費やされるのですが、これが意外と勉強になります。この競技はヒールは右側でも左側でもよかったり、所謂IPO等で見られるようなぴっちりと横に着くツケはしなくても良かったりとゆるい部分もある反面、声での指示と体を使った指示(手によるサインなど)を一緒に出してはいけない等、今までと少し違ったルールがあります。

 今まではごく自然に声と手の合図を同時に使って犬を動かしていたので、いざ声の合図だけにしてみたら、コディは実は「フセ」をちゃんと分かってなかった(!)ことが判明しました。それに、今までどんな時も楽勝でできていたセパレーション(ハンドラーと1分以上離別する。ハンドラーは見えないところに隠れる)で失敗したりと、「え~!」と思うような行動を連発するので、びっくりしました。最近ちゃんとしたトレーニングを全然受けてなかったことを思い出させられたし、改めて定期的にクラスとか、それに類する場へ行くことや、環境や題材を変えて、色々な状況をヒト・犬共に経験することの大切さを思い出しました。



 
 いちおダブル育児ブログなので(たまには)人間の方の子供のことも書きます。ワシントンDCで行われた、ワシントン日本商工会の新春祭りに初めて足を運びました。ワシントン日本商工会は、DC地区のビジネス・コミュニティー内のつながりを深めながらアメリカ社会における文化交流と理解の促進を目して設立された組合で、対外イベントの新春祭りが特に有名です。来場者も年々増えているそうです。前にボランティアで通っていた国立動物園のすぐ傍のマリオットホテルが会場でした。

 娘はここで初めて、自らの力でお賽銭をあげて、おみくじを引きました。結果は「小吉」。チビだから、小さい吉が大きさに釣り合っています。もちつきや、ししまいにパックンしてもらったり、和太鼓の演奏を見たりと(オニやかみなり様が大好きなのでとても喜んでいた)、貴重な体験を沢山することが出来た。大人の言う指示を聞いて、その通りに出来るようになってきているのがいいと思いました。犬トレで言うところのインパルスコントロールはまだ全然だめですが、いずれ出来るようになるでしょう。犬とか他の生き物に比べ、霊長類の桁違いの「脳力」を日々見せつけられます。




 仲良しのお友達とこっそりホテルの階段に登っておしゃべりとかしていました。耳をすますと「ねんど持ってる?」とか、「わたしは階段からジャンプしたことある」「おもちが大好き」とか聞こえてきて、3歳4か月でも、ちゃんと話題があることに驚いた。

 家の子供も含め、このくらいになると皆アメリカの保育園(プリスクール)に通っているので、まわりのお友達は、だんだんにメインの言語が英語に切り替わっていっています。娘も幼稚園(キンダーガーテン)に進むころには、英語脳になっていくのかな。そんな彼女ですが、コディにトンカツもぐら先生という独創的なあだ名をつけたり、蝙蝠の写真を見て「ねずみドラゴン」と言ったり(←これはなんかすごくわかる)、おもしろい日本語の感覚をもってるので、忘れちゃったらもったいないなと思っています。




2018年9月19日水曜日

犬の医療費

病院では暴れん坊で大変だったので、写真はナシ。かわりに、「チョウが来る」と言われて植えたのに、3年間害虫などにやられっぱなしだったミルクウィードについにやってきた、オオカバマダラの記念写真をば


 コディの病院を変えました。今までは、GoogleとYelp両方でとても高い評価がついていたVienna Animal Hospitalに通っていましたが、「小さい人間」が保育園に通いはじめたことから、googleなどの評価は多少劣るが通学路の近くにあって立ち寄りやすい、近所の「R獣医科医院」に決めました。今後は定期メンテナンス的な健診・ワクチンや定期的に投与する薬はここでもらい、なにか応用的な出来事が起きた場合は慣れ親しんだ前の病院・前の先生の所へ戻る、という風にしていこうかなと考えています。

 病院を変えるにあたって、ダニ媒介性感染症のスクリーニングやフィラリアの血液検査等も念のため全て受けなおし&三年に一度のワクチン数種とボルダテラもやったので、注射だらけの初診となってしまい、コディは抵抗を試みていました。唸ったり怒ったりすることは一切ないですが、振りほどこうとする力がすごいので、私+男性のテクニシャンの方×2の、3人がかりで補ていしていましたが、結局耳の検査はできずじまいでした。もといた方の病院でも、「この犬は耳のチェックは鎮静剤をあげないと無理」と言われていたので、よっぽどいじられたくなのでしょう。

 前回のログにも書きましたが、成犬になって、「嫌なことは 嫌」と表明してくることが増えたように思います。耳のことは、家で私と1対1の時は中までのぞかせてくれますが、それも家族がまわりにいたりすこしでも物音や気になることがあるとダメです。耳に関しては今まで特に嫌な思い出があるとかでもなく、シェパらしいというかどこか根本的に他人を信用していないような感じです。将来この事がもとで病気のサインを見過ごしたりだとか、大きな事態に発展しないといいんですが。また、そういう事に気付けるように自分でも(基本の健康チェックなど)いろいろ覚えていこうと思いました。

 もうひとつ大きな変更点は、ノミ・ダニの予防薬を、塗布薬のフロントラインから飲むタイプのNEXGuradに変えたことです。子供が犬をなでたり、触れ合うことが増えてきたので、子供により安全なVrabectoかこのNEXGuardにしようと検討していましたが、前者が3か月に1回の投与なのに対し後者は月イチで、フィラリア駆虫薬と同じサイクルで与えられるのが忘れ防止になって、いい点だと感じます。まずは数か月テスト的につかってみようと思いました。またVrabectoはセオリー上は三か月に一度の投与でOKですが、数種あるダニ媒介性感染症のうち一部に対しては、二か月目で防止効果が薄れるという説を獣医関係の知人に聞き、非常にダニの多いエリアに住む犬としてはどうかな?と思ったのも、この考えを後押ししました。

 この日の会計は390ドルでした。前の医院と比べると、全体的に良心的な価格になっている印象を受けますが、この値段はそもそも北バージニアのスタンダードにくらべて高いのか?低いのか?よくわかりません。もっと調べてみる余地があると思いました。コンシューマー・レポートの記事を読んでいたところ、私たちが生活に必要なサービスや、人間の医院と同じように、獣医科医院についても「ドクター・ショッピング」することがおススメされていました。アメリカの獣医科医院では、さまざまな医療費のベースに診療費(physical-exam fee)を設定していることが多いので、家のまわりの数件の医院にまずこの診療費を聞いて回るだけでも、その地域内で比較して高いお医者さんと、そうでないお医者さんがわかるということでした。


 大事な家族の医療費をケチるなんて不届きな感じに聞こえるかもしれないですが、Bloombergによると1991年から2015年にかけて米国の飼い主たちが獣医代に使った費用の総額は、4.9ビリオンドル→35ビリオンドルと、インフレや失業率などを考慮してもかなり異常な伸び率になっているので、個人のレベルでは、ふだんの医療コストはなるべく抑える工夫をし、その分をもしもの時のためにためておくのが得策なのかなと改めて思いました。個人で出来るもうひとつの工夫にペット保険もありますが、これに関しては自分でいろいろ計算してみた所、金銭的なメリットは薄いように思う(というか、運がかかわる)とこれももう少し勉強が必要だなと感じました。アメリカのペット保険については興味がある話題なのでそのうち別記事にでもまとめられたらと思います。

 そういえば産後の一番身動きできない時期に「モバイル・ヴェット」と呼ばれる移動診療所(VIP Petcare)も利用したことがありました。今はもう必要がないのでアカウントなどもそのままになっていましたが、基本のワクチンや処方箋などを安価にとれるので、必要に応じて使っていくのも手だと思いました。廉価な治療という点では、全米各州に支院のあるVeterinary Centers of America(VCA)系列の医院も定評があり、たまたまかもですが私の地域のものはとても評判がいいので一考の価値がありそうです。また、ペッツマートなどの量販店に入っているような企業がチェーン展開している獣医さんであっても、担当してくれるお医者さんによってはとても良いケアが受けられると聞いたので、運と適切な機会があれば試してみたいと思いました。




 一方、生まれて初めてパン生地を触り、感動しているちび。焼く前のパンだから「パンの赤ちゃんだよ」と言うと、「かわいい~」とか言って喜んでいました。かわいいの意味を本当に分かってるのかはよく分かりませんが、小さいものや、やわらかいものには条件反射的に「かわいい~」と言ってきます。「赤ちゃん」という単語も好きなようです。保育園では、とても女の子っぽい性格の子と、先生に言われました。なんとなく同年代の子供と比べて言語・精神面の発達が遅い印象があるので、まわりのペースにつられてあまりきびしくあれをしろ、これをしろとか言わないように気を付けないと。でも、「望みすぎないこと」の大切さは、今まで育てた二頭の犬、実家のドーベルマンとコディにしっかりと教えてもらっているので、安心ですね(笑)。この後は、オーブンの中でパンが膨らむ様子に釘付けになっていました。