2026年2月9日月曜日

グッドエンディングに向けて


 1月に話していた全身の健康診断を受けてきたうちの犬ですが、その結果、右の肛門腺にアポクリン腺癌がみつかりました。アポクリン線癌は、全体としては悪性度が高いものが8割くらいの、サイズに関わらず、リンパ節にすぐ転移したり浸潤を起こしやすい種類のがんだということでした。基本的に治る事はないそうです。かかりつけ医の勧めを受けて、いったん外科医の訪院がある二週間後に手術の予約を入れました。その間に腫瘍学専門の獣医科医院に予約をとり、ここから先の取り組みについて詳しく話を聞くことになりました。

 血液検査の結果は例の肝臓の数値以外はすべて正常でした。がんが住み着いているだけで、まだあまり体の機能を破壊していないということだと理解しました。今後の麻酔や投薬などがあってもがんばれそうです。しかし、7歳すぎから50項目以上に分かれた詳細なブラッドパネルをしてきましたが、よく考えてみたら血液検査だけでは犬の早期のがんは拾えないですね。なんで今までこのことに思い至らなかったのだろう。

 最善を期するなら、定期的なCTやソノグラフに投資するしかないんだな。それでも、年間行える回数には限度があるでしょうし、なんでも人より時計の進みが早い動物です。調べたところ、ごく初期のがんや、転移も「微小転移」の段階では、CTでも写らないと知りました(がんのタイプによっては大きくなる前に転移が始まることも知りました)。早期発見には運の要素が大きく関わるなと思いました。今までこういうことは全部お医者さんまかせであまり調べてきませんでしたが、また、「自分で調べて自分で対策」は基本だったな、と思い出させられました。それに、調べても実際やっただろうか。犬のがん難しいな。

おーーーい コディーーー

 コディ君お前さん、どうやら死ぬらしいぞ。
 前、話した20歳まで生きてみる計画、忘れちゃったの。

 でもまあ、心配しなくていいからね。生き物はみないずれは死ぬんだから。
 まだまだいいことはたくさんあるから、時間はあるんだからお楽しみにね。
 たまには我慢しないといけない事もあるだろうが、そういう時はがんばれ。

 診断をうけとった日の夜、改めてコディを呼び、大きなさんかく耳に向かって、その先の脳みそによく沁み込むようにこれらをよくよく、言って聞かせました。コディは真剣に話しかけてもらえて興奮し、私のズボンに石頭をこすりつけて喜んでいました。これから1000日先なのか、500日先なのか、300日なのか、もっともっとずっと短いのか分かりませんが、別れの時は確実に来るんだと思い知らされた私は、自分の寝床に行ってドアを閉め、布団をかぶって泣きました。心のどこかでコディは超・超・長生きして、いつまでも、いつまでも、一緒に遊んでいられるような気がしていたからです。

はーい! ぼくはここよー

 このあいだの雪には手こずっていましたが、まだまだ活発に駆け回るし日々のトレーニングにも反応よく、筋肉もちゃんとあるし「この大きさの犬の11歳としてはむしろ元気」とお医者さんにも言われた犬っち。

 犬を飼うことは、犬を学ぶこと、犬のいる人生から学び続けることだと思いますが、私の教科書は私の知らない間に、勝手に新しい章に突入していました。本当をいうともうこのあたりで読むのをやめたい気持ちもある。すばらしい犬の伝記だったと、楽しいことばかりの一生だったと、この最後の章は残して、本棚に戻せたらどれほどよかったな。

 ここからは、考えをつくして、できるだけ楽しい旅路にしていくのが自分の役割だと思いました。たとえ暗闇に向かう旅でも、コディが安心してついて来られるように、明るい背中の飼い主として行こう。少しの変化で慌てたりめそめそしたりせず、最後まで立派な飼い主をやるんだ、勤めを果たすんだと思いました。

2026年2月1日日曜日

0にする人

屋内だョ!全員開花(写真外にも大量にある)

 家計簿を確認していて大変なことに気が付きました。

 去年一年間、うちで育ててる観葉植物関連でのトータルの出費が0円になり、複利(※手持ちの草が生み出す子株)だけで楽しんでいる、趣味として『完全自走状態』を達成していたことに気付きました。ちかごろはやりのFIRE状態です!シュミだからHobby Independence, Retire Early、名付けてハイヤーかな。いえいえ、私はリタイアなしのただのハイで満足です。

 植物に関しては人並みに欲求もあり、「あの品種ほしいな」「こんな鉢ほしいな」「こんな植え方はどうだろうか」「そのためにあんな石コロが欲しい」などと妄想すること多々です。が、手持ちの草がどんどん増えている状況なので、今はこれらの管理だけで十分です。おそらく今年中に今の自分が管理できる限界点に到達するでしょう。無限に沸いてくる子株はそろそろちぎって捨てるフェイズに入っているのかもしれないですが、なかなか捨てることができません。私の弱点です。


 もうひとつ0円になったのが「スナネズミのおやつ代」です(虫が苦手な方、すみません)。近年の物価高のあおりを受けてか、ミルワームもすきなだけ買おうとすると結構高いなあと思うようになっていました。それで、家で野菜くずなんかを利用して繁殖させることにしました。例の雑草ゾーンで草の種とったり、食べられる雑草をむしったりしてせっせと与え、今二世代目がもうすぐサナギになるところまで進んで、幼虫がわきわきしてきて賑やかです。ワーム・インデペンデンス(ワイヤー)になる日が近づいています。

 餌になる生き物としては、最近子供に「スズメガの幼虫も買ってくれ」とせがまれています(スズメガの幼虫も、「ホーンワーム」といってアメリカでは餌用生物のひとつです)。9ヶ月先の11歳の誕生日のプレゼントにイモムシを予約する娘。心配です。今年はアメリカの小学校の最高学年、日本で言えば5年生になる年です。子供達、特に女子は急に大人びて、性格や趣味に応じてグループができ、メイクアップセットのことや芸能人、Kpop Demon Hunterの話やなんかで盛り上がっているころです。そんな中でカメムシだ、イモムシだ、インコだスナネズミだとしている我が子供。(かといって理科や算数がとりわけできるわけではないのです!)


 子供の教育費用も0円です。

 以前、海外で『日本人』を育てるというブログに書いた通り、わがやは日本語の補習校に子供を行かせていないので、就学関連にかかる費用がほぼ0です。スポーツの習い事が非常に忙しいので、小さいうちは家で教えられるものは家でやろうという試みの一環です。

 家の子供は国際結婚家庭の子としては少し変わっていて、高学年になっても未だに日本語の方が上手なようです。正確には「日常会話は英語の方がはるかに流暢で日本語は言葉選びや言い回しがおぼつかない時がある一方、日本語の方が難しい語彙が分かり(『特殊詐欺』とか『水道管の凍結・破断』とか)読む本も日本語の方が難しいものを読んでいる」というハイブリッド状況になっています。今後中学校にかけて英語のボキャブラリーなどが貧困になるのでは、と心配しています。学年が上がったら英語のチューターを頼んだりした方がいいのかも知れないな。

 しかし、こうやってうちで日本語でものを教える試みもいつまで続けられるだろうか?と最近は思い始めました。私自身が教えやすい言語が日本語であるという都合や、万が一の時、日本に移住してもやっていけるようにと(共産圏出身の一家の家庭の方針です)子供には日本語で勉強させていますが、英語とは本当にかすりもしない程かけ離れた言語で、2つのことばの間で無理させているなあといつも思っています。バイリンガルを育てることって、実際にやってみると、家族じゃなければできない程かなりの労力がともないますし、「グローバル人材」とか「国際交流」とかキラキラした文脈で語られ過ぎてるような気がしています。それ以外に道がなくてやっている者からすれば「家庭の事情で仕方なく目指すもの」という位置づけです。


雪がきれいに積もりました 自宅警備員も出動。

 こうやって考えてみると、私は外に出かけていってお金をとってくるような、いわゆる「0を1にする」ような仕事は今はあまりしていませんし、今後またフルタイムで就労したとしても、子供や家のことを抱えながらビシバシやっていく能力も時間的余裕も不足しているのかも知れません(もともと仕事はかなり好きな方でしたが今は子供や家のことをちゃんとやることが自分の最重要課題であるとはっきり感じています)。でも、後方支援で生活の基礎をかためる作業、いわゆる「コストを0にする」労働や「0を0のままにしておく」観察力にかけてはけっこうちゃんとやれちょる、私は結構イケちょるのではないか、と思い始めました。

 0にしておく重要性……未来に起こるわるいことを未然に防ぐ努力……
 これがまた数字に出ないからなかなか重要性に気付かれることがありません。
 交遊関係や職場などでそういう人を見つけたら大切にしようと思いました。


2026年1月25日日曜日

いろいろ思うこと


 先週までの陽気と一変し寒波が通過中の北バージニアです。

 今回の寒波はいつもと違ってなんとなく空気にぬくもり?がある感じがします。山あいのこちら地域では、気温もずっとマイナス10℃台で、風も吹いているのでぬくもっているわけなどないのに不思議です。日曜日は一日中外で雪かきしていましたがとても捗りました。不思議といえば、今回のこの雪、すべて霰(あられ)で出来ているんです!よく見るとビーズみたいに、透明な氷の球体の集合で、「名和晃平さんの彫刻作品」みたいで可愛い雪です。

 コディはこの雪の中にいつも通り勇んで飛び出していき、それからふっと考える顔になったのち、手足を引っ込めたり持ち上げたりしながら小走りで帰ってきました。深い雪が足腰・関節にこたえるのでしょう。11年の犬生をかけてようやく「冬は寒い、雪は冷たい」と分かったのかも知れません。10年前、ドカ雪の中で遊んだ時の日記が残っていますが、こうして遊べたのも犬が若くて元気で、何にも心配のない私達だったからです。過ぎ去りし輝ける時間よ!思い切り雪で遊ぶ全ての犬と人間に幸あれ。


霰(あられ)の図 これ、木の枝や車に積もらないんです
停電になりにくそうで助かります

 コディと今まで本当に色々な冒険をしてきましたが、その無理がつもり積もって、今こうして歯は欠け・すり減り、紫外線で目は濁り、肩や膝も関節炎やら、耳もよくなりすぎて?しまったし、この飼い主のせいでより可哀想なシニアライフになっちゃっただろうか……と、雪遊びをしなくなったコディを見て今日はすまなく思っていました。

 口の中まで土だらけにして野山を走り回っている時、コディの瞳は輝いて本当に生き生きとして見えました。私はその表情を見るのが嬉しくてつい、次から次へと、いろんな冒険に連れ出し、さまざまなことを常に話しかけ、こまごまとしたスキルをことあるごとに教え、能力を伸ばしてセラピードッグをさせと、もしかしたらこの犬の生活をむやみに複雑にしてきたのかも知れないな。よかれと思って田舎に引っ越したことも、それによって出来なくなったこともいろいろありました。


雪の中の移動に手こずり、バツが悪そう


 コディの飼い主歴11年目にして思うのは、「この犬の飼い方について飼い主として胸を張って言えることは何もないなあ~」ということです。自分が「これが良い」と思った判断が果たして正しかったか、それはだれにもわかりません。犬はそのとき・そのときを見つめて生きているので、わたしの方でもその場・その場で最良の判断をし続けて今に至りますが、それが長期的には、特に犬の健康などを考えると、プラスに働かない部分もきっといろいろあったはずです。


眠くて ぶたちゃんのようなコディ

 そういえば、引退した麻薬探知犬が、もう永遠に仕事する日は来ないのに、実働時代の名残で外出中常にボールを咥えたきりになっているのを見たことがあります。犬本人はもちろんその状態が落ち着くし、楽しいからやっています。それを見てふと思いました。命が燃え尽きるまで活動に従事するよう、それで幸福まで感じるよう「そう生まれてきた」犬の宿命とはなんと哀れで、愛おしいものなのかと。

 「そう生まれてきた」原因は、もちろん私達にあります。たとえば、鼻ペチャの犬は健康的でない、鼻ペチャの犬を繁殖することは人間のエゴだ!という人がいますよね。でも私が思うに鼻ペチャだけが人間のエゴじゃないんですよ。私からするとコディだって、疑いようなく私のエゴを具現化し昇華する存在です。ある見方をすれば、私がやりたがることを全て叶えるために、文字通り彼はいつも大喜びで身をすり減らしてきました。飼い主に「私はいいことをしている」といつも思いこませてくれました。この事そのものがこれまで連綿と続く人の「犬作り」の結果です。これは鼻が低いとか足が短いとかいうのとはちょっと比べ物にならないレベルの「生物の改造」です。

 純血種の犬だけに限らず、雑種などであっても、必ずその血筋のどこかで人の手は入っています。現代よりずっとずっと資源の限られた時代にも犬は飼われてきました。「役に立つ犬がほしい」「かわいい犬がほしい」これらはわたしたち人の中にずっと強烈な動機としてあったはずです。そうやって犬の精神の構造(を司る脳の構造)までも人間が選別・制御を繰り返した結果が「犬」です。よって現存する犬とは、程度の差はあれ、すべからく人間のエゴ、都合と需要の産物です。

 鼻がぺちゃんこなのは命にかかわるからいけない、というのは明確で分かりやすいのですが、では、犬がこのような精神構造を持って生まれてきているということは、全く犬の命に関わらないと、私達ははたして言い切れるのでしょうか?むしろ、目に見えないだけで本当ははかり知れないほど多くの犬の苦しみ・孤独や死の源泉になっているのではないでしょうか?たとえどんなに乱暴で怖い主人でも、愛着を感じ好かれようと努力し、しっぽを振って付いていこうとするこの無垢な精神が、どんな肉体の構造よりも犬にとって不当で有害なものになりうることを私達はすでに知っています。

 そうやって考えると、全ての犬を飼う人間が、自分の犬も含め、本質的には犬っていうのはみな私達人間の都合のためにあるべき姿、形、本能を曲げ、時に超・強化された形で生み出されてきたことを認識することに意味があると思う。そしてどんな犬の生もまた、程度の差はあれ、不可避的に私達の都合のために日々費やされているのだという事実について思いを馳せることも必要だと思う。

 私自身も自分の犬を含めてまわりのいろんな犬を思い出すと、思いつくほぼ全ての犬は「可愛い」か「ひとの役に立つ」か、その両方かに仲間分けすることが出来て(愛玩犬や老犬だって「愛情の受け手」として立派に人々の役にたっている)、ほとんど例外がないのです。もしこのどちらにも当てはまらない場合、その犬の命は人間社会では極端に粗末に扱われていたり、あるいはなかったことにされているのだ……なんてなことを、つらつらと考えていた今日でした。

 なんか、ここまで書いてみて、自分に反論したい意欲が湧いてきたな(笑)
 「犬という存在はそれだけじゃないんだよ、と信じたい自分」がいるのですよね。

 人間世界の倫理を凌駕する存在として「自由と超自然」を信奉するわたしとしては、人の需要があるかぎり、鼻ペチャ犬は永遠に鼻ペチャ、ダックスフントはますます短足であっても仕方がなく、キャバリアキングチャールススパニエルを可愛がりたい人は、僧帽弁閉鎖不全症の治療費をたっぷり準備したうえで自由に可愛がるべきであり、それをいけないと思う人はそう信じて一生懸命戦えばいい。犬を捨てることは仕方がないと思う人がいれば、捨てられた犬を拾う行為をもって自らの善性の根拠としたい、そういう人があっていいと思います。

 結局のところ、人間社会というのは、そういうひとの勝手と都合が激しく自由にぶつかる騎馬戦みたいな状態にいつもなってるのが「いい状態」なんだと思う。倫理的に不衛生だったり、個々の人にとってはストレスフルな状況なのだろうけど、歴史を振り返るといつもこのストレス、不快感をバネにして、文化の発展が生じているように見える。人類にイライラしたりツラそうな人が目につくのは、つまり、それが私達のサバイバルに強烈に作用する特徴だからなのではないか。そして犬達には、この宿命の檻の中で、自ら更なる幸福を求める強靭な生物として生きてってくれと思います。


2026年1月22日木曜日

11歳1カ月の宅トレと投薬


 久々のどぴーかんだったので、元・トウモロコシ畑(現・宅地)をうろうろしました。この一角、私が勝手に草を刈ったり木を抜いたり植えたりしている場所です。去年の秋ごろから食べられる雑草があることに興味を持って、もとから生えてるやつを中心にちょっとずつ位置をずらしたりして、いたずらしています。暖かい間は子供が可愛がってるイモムシの食草などもここで沢山入手できました。

 冬になってから気付いたのですが、宅地開発でこういう草ぼうぼうの所が狭まるにつれ、こうして残った僅かなスペースの中で見つかる野生生物の痕跡がより多くなりました。犬もクン活がすごくはかどるようです。困ったことにコディは野生動物のフンが好きで油断すると「パクっ」とやってしまうことがあるので見張らねばならず、なかなか自分のことがすすみません。



 シニア期に入ってからこの「パクっ」が原因でお腹をこわすことが増えました。
 わがやの裏庭を横切る動物といえばシカ、ウッドチャック、コットンテイル(ウサギ)、ポッサム、アカギツネ、スカンク、ハタネズミなどが主です。このどれかのフンにコディは猛烈に当たってしまうようです。このため、最近のコディは拾い食い禁止はもちろんのこと、裏庭を一人でのんびり歩きまわることも禁じられてしまいました。私が監督出来る時間には限りがあるので苦肉の策ですがちょっと可哀想です。


 裏庭に戻ってまた散策していたらコットンテイル(ウサギ)のしっぽだけ落ちてました!これ、犬が庭に出ることが減ったことで、敷地の中にキツネが侵入してきているのだと思う。深夜食堂のあとがところどころあります。「明らかに家禽」という見た目の、可愛がられてたであろうどこかの家の鶏の翼だけが残されていることなどがあると、申し訳ない、うちのキツネが……ととてもすまない気分になります ※うちのキツネではない

 ウサギの尾への反応を見ていて、コディが随分年をとったことを知りました。
 このしっぽ、コディはぱくっと口に入れてもごもごしていたのですが「だめだよ」とやさしく注意するともう「わかった」と納得した顔になり、もとの草の上に置いていました(写真2枚目)。中年頃までのコディなら大興奮してしっぽを空中に咥えて放り投げ、ドスドスと走り回って大騒ぎしていたに違いありません。その後もしっぽを大事に両足で抱え込んで暫くはクチャクチャとやったりしていたはずです。そういえば最近は鹿追いもついにあの煮えたぎるような鬼気迫る感じが薄れて、ちょっとカジュアルな追い方になってきました。物質への執着心が薄れてきたのでしょうか?人間の年寄りなどはものや環境に対する執着は年と共に増すような気がしますが、犬は逆なのだろうか。

身共の手、シワシワ(笑)

 先週と今週の宅トレは犬用スロープの練習がメインでした。コディの場合、このスロープだけは時々やらないと退化してしまうのでいつも頭を悩ませています。体重があるので揺れるスロープに登るのがだんだんおっくうになってしまうのでしょう。

 加齢とともに関節炎がでてきていることから、スロープなどで不自然な体制になるのが苦痛・落ち着かない→スロープをしっかり使えない→外出ができない、などとと問題が連鎖します。特に獣医さんに通えるかどうかは大問題です。自宅診療をしてくれる獣医さんとも連携していますが、コディが車に乗れなくなる日、それが基本的には「医療を享受できる犬生の終わり」を意味していると思っています。スロープは超大型おじじのライフスキルといえます。


ボヨボヨパッド(仮称)をしいてスロープを足で揺らし、「揺れても大丈夫」と教え込む
わざと墜落する場面も再現して「もし墜落しても大丈夫だし死なない」ということを確認させる

「もっとやろう」と言ってます
死なないと理解したのか明るい表情 笑



 スロープを使って、地域のかかりつけのお医者さんにも行ってきました。
 2月の全身の検査の前に、主治医の先生と主要な検査について話し合いました。特に後肢の関節炎に関してはコディの生活の質に直結することから、レントゲンを撮って必要ならばすぐその場で治療(関節内注射など)を行うことにしてもらいました。また、膝に少し腫れがあるということでガバペンチン300㎎を12時間に1錠飲むようにいわれました。シェパードは効きすぎることがあるみたいなんで、多かったら減らしましょうとのことです。

 現在の主治医の先生はなぜかいつもコディの事を補助犬と勘違いしています。
 私が何か補助が必要な人に見えているからでしょうか(残念ながらコディには私のひどい英語の補助は出来ないのです……)。そんな獣医さんですがご本人もジャーマンシェパードを飼っているためか、コディへの愛撫の仕方が私と同じ、犬の頭蓋骨をグワシッと強めに鷲掴みするスタイルで親近感を感じています。今まで出会った犬の中でいうと、シェパードとボーダーコリーはグワシ派が多い気がします。

2026年1月16日金曜日

犬のアンチエイジング(雑考)

今朝のお散歩より

 人間の医療でも「抗加齢」「アンチエイジング」という概念が近年大きく取り沙汰されるようになっていますが、人間が長生きするならペットも、というのはごく自然な欲求かなと思います。うちの犬は2020年からDog Aging Progectという北米のリサーチプロジェクトに登録していて、積極的に治験などには参加してないのですが、犬の加齢についてさまざまな取り組みや研究が進んでいることを知りました。プロジェクトのブログだけでも面白いので、時間がある人はぜひ見てみてください。

 またアメリカではloyalというカリフォルニアのバイオテック企業がシニア犬、大型犬・超大型犬を対象に「犬の健康寿命を延ばす薬」を商品化してワイヤード・マガジンやフォーブスなどで取り上げられました。この薬は3か月~半年に1回の注射か錠剤の薬を摂取するもので、おもに大型犬の間で成長に関わるホルモン(GH)特にインスリン様成長因子1(IGF-1)という物質が成熟後も過剰に発現して老化を促進させることを抑制し、犬の健康寿命を延ばす、とされています。老犬専用の薬剤も別途開発しているようです。現在はリサーチを目的とした試験段階にあり、完全なデータが出る前に販売を開始できる米国FDAの「条件付き承認(Conditional Approval)」を2026年内にも取得できれば、獣医師の処方箋を通じて実際に利用可能になる見通しになっているとのことです。

 わたしたち人間の社会では、生活習慣や医療にかけられる費用などによって個人の健康や寿命に差があることはすでに知られていますが、こういったことがペットの世界にも波及していっていることがより鮮明になる出来事だなあと思いました。こうして健康だけでなく、「若さ」「QOL」にまでも格差が広がっていくのでしょう。犬の寿命、犬の死。こういうのは大昔から富める者も貧しい者も全ての人類に平等にふりかかる不幸だったから、みんなギリギリなんとか我慢できてきたと思うのですが、人類はいったいどうなってしまうのかな。おらの大切なたった一匹の友達シロはおいぼれて病であっけなく死んぢまったのに……その横で長者どんちのポチはええもん食べてええ薬さもろていつまでも若く長生き………こりゃかなり辛そう。

 しかし犬を産業動物という観点から見ると、モノ・お金・時間・人手と、莫大なリソースを割いて育成されるワーキングドッグが元気に活動できる期間を延ばせることには、かなり大きな経済効果がありそうだなとも思います。まあでも、そういう純粋?な目的以外にフトコロ具合次第でアナタタチにも売ってあげるよ!まだ肝心の効果は実証中だけども!とすぐなるところがいかにもアメリカの会社という感じがします。


 さて獣医さんのおすすめでELLE VETというサプリメントをコディにあげはじめてからだいたい半月ほど経ちました。CBDオイルだけでなく、より活性の高いCBDAはじめとするカンナビジオール生薬がベースで、抗炎症・抗ストレス、認知機能のサポートなどを謳った製品です。私はもともと漢方的なものにそんなに信仰を抱く方ではなくて、効果はあまり期待していなかったのですが、コディの様子がなんか少しリラックスしたような気がして「あれれ」と興味を持ってみています。特にちょっとした音でバタバタと慌てることが減ってのんびり寝ていることが増えたように思います。でももともと最近はよく寝てたしな……天候がずっと安定しているのでそのせいかも知れません。もう少し様子を見てみようかな。

 サプリメントをあげはじめて改めて思ったのですが、音に対する不安感はかなりコディを苦しめ、生活の質を下げていたんだなということです。特に10歳を過ぎてからは、寝ていても少しでも家の中で変な音がするとガバッと跳ね起きて「ガレージに避難させてくれ」と言いに来たり、ガレージに避難すると今度は「外で変な音がしたから家に入れてくれ」と訴えにくる回数が徐々に増えて、ちょっと脅迫的といっていい状態になってきていました。一日のうち何度も重い扉を押し開けて入ってきてしまうので、施錠しないといけないことが出てきていました。

 老化のうちの一現象、可哀想だが仕方がないとこれまでも運動や投薬など色んな工夫をしてきましたが、加齢に伴う変化はだんだんに起こるものが多く、付き合ってる飼い主の方も「もとのふつうの状態」をいつの間にか忘れていた気がします。「今あるこの彼の状態はわりと良いものである」と思いたくて、無意識に認識をアジャストしてしまっていたと反省しました。これは、犬の具体的な健康状態を見誤るだけでなく、私がゆくゆくは自分達の関係の健全性をも見誤るのだ、ということを表していると思います。

 飼い主の中の「飼い犬の元気で幸福な姿」の像がいつの間にかゆがんでしまっていたということです。そうすると、正確に自分の犬のQOLを評価することは難しくなってきます。いずれ、客観的に見たら一日のうちほとんどしんどそうにしてるのに「ちょっとトレーニングした時間」とか「オヤツをもらったときの姿」「風の匂いを嗅いでる瞬間」とかを拡大解釈して、私の犬は毎日を楽しんでる!と思う事にするという風に、私自身が変容していってしまうのではないか。

 もし誰かが「あなたの一日のうちの5パーセントの喜びや楽しみは、残り95%の苦しみや痛みを帳消しにする」と言ったら、ほとんどの人は「そうかな」と言うと思うのですよね。自分の犬に対してだったらそれはOK、としようとするのは不公平に感じます。シニア犬の幸せ度合に関して、飼い主としての感受性が衰えていくのだったとしたら、それにかわるなにか客観的指標があるといいな、などと思うなどしました。

パラ活も続けています。

袋に小さな穴が開いていたんです……
なんと、全額返金してもらえました😲 アメリカの会社は、太っ腹なのかお金が欲しいのかよくわからないですねー

2026年1月8日木曜日

11歳になりました🌼

 



 2026年、明けましておめでとうございます。

 今年もコディと人犬一体、インターネッツ世界の片隅で引き続き楽しくやっていこうと思います。そんな私達の様子を見に来てくださっている画面の前のあなた様のご健康と、たくさんの幸せがやってきますように、心からお祈りしています。

 暮れに友人知人に配ってまわる「ホリデーカード」の写真を改めて撮っていたのですが、飼い主的にとても可愛い表情のが一枚あったのでそのまま新年のご挨拶に使うことにしました。コディは角度によってはタヌキとかテディベアみたいな顔に見える時があるのですよ~愛らしいのでブログのトップも少し可愛くしてみようとがんばりました(我ながらセンスのセの字もないのが悔やまれますが……)。

 コディは11歳になりました。後ろ足の弱り方や全身の姿勢に気になるところがあります。姿勢の点では特に去年の10月頃から、少しずつですが猫背気味になってきたのが気になっています。犬本人は毎日数回のトレーニングも意欲的でオフリードでは結構よく走るし、よく食べよく出しなのですが、2月の定期検査で重点的に調べようと思っています。

 ほかにも肝臓の数値など気になるところはぼちぼちあります。年齢とともに悪化してきた音への不安感や関節炎・歯肉炎に対する処方として、先月の中ごろから獣医師の先生に勧められたCBDA(カンナビジオール酸…カンナビノイド生薬)のサプリメントを摂り始めたので今経過を見ています。これについてはあとでまた別の日記にしようかな。


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 前から参加している「ブログ村」も、老齢・高齢犬のカテゴリに引っ越しました。これまで高齢犬の生活についてあまりじっくり考えたり勉強する機会がなく「犬の中年期の延長線」みたいな感じで来てしまったので、これを期に色々なテキストとか個人の方のブログなどを読んで、老犬、特に「超大型としより犬」の生活の質を上げるにはどんなことができるのか学びたいと思っています。

 飼い主の本年の目標は「ためこまない」です。

 「ためこんだほうが良いもの」って、実はそんなにない気がします。もったいなくてしまってる冷凍庫の日本のふりかけとか、プロテインの試供品。使わなければ悪くなるだけです。家計簿にまとめてつけようと思ってるレシート。そのうちスナネズミにやろうと思ってるトイレットペーパーのしん。メールの返信、贅肉。人生に不可欠なお金や、知識などですら、ため込みすぎれば人間、おかしくなってくる気もするし。人にもらったカードや娘がせっせと作ってくれた「おくりもの」も多量にあるんですよね、これは処分しにくいなあ………私自身もカードや手紙を書くのが好きですが、こういうものを気軽に人にあげるのも注意しないといけないな。

 私の場合目下、すぐに改善しないとならないのが本と紙類です。

 子供を補習校にやらずに自分で日本語を教えてるので、学習関係のノートやプリント、使った後のワークブックなどが全部堆積してます。これ以外に教育関係の資料の紙の山があります。最近、戦前の家政学とか女子教育の本を読むのにはまってしまい、PDFを印刷して手元に置いてたり、おもしろかった論文などもすぐ印刷する癖があるのですがこういうのはもうやめないとですよね。己の生活空間が狭まってきていて。ちょっと怖いのが自室が「記憶に残る祖父母の書斎」と全く同じ様相を呈してきてるんですよ、、、つまり私のこの「紙類の山」との闘いは、遺伝子との闘いだということです。

 人生80年とした場合折り返し地点を過ぎてるわけですから、このままだと私は家族のおにもつになってしまいます。これは早期終活の一環として早急に対処せねばならないです!調べかけて付箋づけだけしてある事柄や、書きかけの文章、すでに教材を買って途中になっている講座(園芸関係の講座で生活に直結しないのでついつい後回しになってます;反省)なんかも、順次片付けていきたいです。