1月に話していた全身の健康診断を受けてきたうちの犬ですが、その結果、右の肛門腺にアポクリン腺癌がみつかりました。アポクリン線癌は、全体としては悪性度が高いものが8割くらいの、サイズに関わらず、リンパ節にすぐ転移したり浸潤を起こしやすい種類のがんだということでした。基本的に治る事はないそうです。かかりつけ医の勧めを受けて、いったん外科医の訪院がある二週間後に手術の予約を入れました。その間に腫瘍学専門の獣医科医院に予約をとり、ここから先の取り組みについて詳しく話を聞くことになりました。
2026年2月9日月曜日
グッドエンディングに向けて
1月に話していた全身の健康診断を受けてきたうちの犬ですが、その結果、右の肛門腺にアポクリン腺癌がみつかりました。アポクリン線癌は、全体としては悪性度が高いものが8割くらいの、サイズに関わらず、リンパ節にすぐ転移したり浸潤を起こしやすい種類のがんだということでした。基本的に治る事はないそうです。かかりつけ医の勧めを受けて、いったん外科医の訪院がある二週間後に手術の予約を入れました。その間に腫瘍学専門の獣医科医院に予約をとり、ここから先の取り組みについて詳しく話を聞くことになりました。
2026年2月1日日曜日
0にする人
家計簿を確認していて大変なことに気が付きました。
もうひとつ0円になったのが「スナネズミのおやつ代」です(虫が苦手な方、すみません)。近年の物価高のあおりを受けてか、ミルワームもすきなだけ買おうとすると結構高いなあと思うようになっていました。それで、家で野菜くずなんかを利用して繁殖させることにしました。例の雑草ゾーンで草の種とったり、食べられる雑草をむしったりしてせっせと与え、今二世代目がもうすぐサナギになるところまで進んで、幼虫がわきわきしてきて賑やかです。ワーム・インデペンデンス(ワイヤー)になる日が近づいています。
2026年1月25日日曜日
いろいろ思うこと
先週までの陽気と一変し寒波が通過中の北バージニアです。
今回の寒波はいつもと違ってなんとなく空気にぬくもり?がある感じがします。山あいのこちら地域では、気温もずっとマイナス10℃台で、風も吹いているのでぬくもっているわけなどないのに不思議です。日曜日は一日中外で雪かきしていましたがとても捗りました。不思議といえば、今回のこの雪、すべて霰(あられ)で出来ているんです!よく見るとビーズみたいに、透明な氷の球体の集合で、「名和晃平さんの彫刻作品」みたいで可愛い雪です。
コディはこの雪の中にいつも通り勇んで飛び出していき、それからふっと考える顔になったのち、手足を引っ込めたり持ち上げたりしながら小走りで帰ってきました。深い雪が足腰・関節にこたえるのでしょう。11年の犬生をかけてようやく「冬は寒い、雪は冷たい」と分かったのかも知れません。10年前、ドカ雪の中で遊んだ時の日記が残っていますが、こうして遊べたのも犬が若くて元気で、何にも心配のない私達だったからです。過ぎ去りし輝ける時間よ!思い切り雪で遊ぶ全ての犬と人間に幸あれ。
そういえば、引退した麻薬探知犬が、もう永遠に仕事する日は来ないのに、実働時代の名残で外出中常にボールを咥えたきりになっているのを見たことがあります。犬本人はもちろんその状態が落ち着くし、楽しいからやっています。それを見てふと思いました。命が燃え尽きるまで活動に従事するよう、それで幸福まで感じるよう「そう生まれてきた」犬の宿命とはなんと哀れで、愛おしいものなのかと。
「そう生まれてきた」原因は、もちろん私達にあります。たとえば、鼻ペチャの犬は健康的でない、鼻ペチャの犬を繁殖することは人間のエゴだ!という人がいますよね。でも私が思うに鼻ペチャだけが人間のエゴじゃないんですよ。私からするとコディだって、疑いようなく私のエゴを具現化し昇華する存在です。ある見方をすれば、私がやりたがることを全て叶えるために、文字通り彼はいつも大喜びで身をすり減らしてきました。飼い主に「私はいいことをしている」といつも思いこませてくれました。この事そのものがこれまで連綿と続く人の「犬作り」の結果です。これは鼻が低いとか足が短いとかいうのとはちょっと比べ物にならないレベルの「生物の改造」です。
純血種の犬だけに限らず、雑種などであっても、必ずその血筋のどこかで人の手は入っています。現代よりずっとずっと資源の限られた時代にも犬は飼われてきました。「役に立つ犬がほしい」「かわいい犬がほしい」これらはわたしたち人の中にずっと強烈な動機としてあったはずです。そうやって犬の精神の構造(を司る脳の構造)までも人間が選別・制御を繰り返した結果が「犬」です。よって現存する犬とは、程度の差はあれ、すべからく人間のエゴ、都合と需要の産物です。
鼻がぺちゃんこなのは命にかかわるからいけない、というのは明確で分かりやすいのですが、では、犬がこのような精神構造を持って生まれてきているということは、全く犬の命に関わらないと、私達ははたして言い切れるのでしょうか?むしろ、目に見えないだけで本当ははかり知れないほど多くの犬の苦しみ・孤独や死の源泉になっているのではないでしょうか?たとえどんなに乱暴で怖い主人でも、愛着を感じ好かれようと努力し、しっぽを振って付いていこうとするこの無垢な精神が、どんな肉体の構造よりも犬にとって不当で有害なものになりうることを私達はすでに知っています。
そうやって考えると、全ての犬を飼う人間が、自分の犬も含め、本質的には犬っていうのはみな私達人間の都合のためにあるべき姿、形、本能を曲げ、時に超・強化された形で生み出されてきたことを認識することに意味があると思う。そしてどんな犬の生もまた、程度の差はあれ、不可避的に私達の都合のために日々費やされているのだという事実について思いを馳せることも必要だと思う。
私自身も自分の犬を含めてまわりのいろんな犬を思い出すと、思いつくほぼ全ての犬は「可愛い」か「ひとの役に立つ」か、その両方かに仲間分けすることが出来て(愛玩犬や老犬だって「愛情の受け手」として立派に人々の役にたっている)、ほとんど例外がないのです。もしこのどちらにも当てはまらない場合、その犬の命は人間社会では極端に粗末に扱われていたり、あるいはなかったことにされているのだ……なんてなことを、つらつらと考えていた今日でした。
なんか、ここまで書いてみて、自分に反論したい意欲が湧いてきたな(笑)
「犬という存在はそれだけじゃないんだよ、と信じたい自分」がいるのですよね。
人間世界の倫理を凌駕する存在として「自由と超自然」を信奉するわたしとしては、人の需要があるかぎり、鼻ペチャ犬は永遠に鼻ペチャ、ダックスフントはますます短足であっても仕方がなく、キャバリアキングチャールススパニエルを可愛がりたい人は、僧帽弁閉鎖不全症の治療費をたっぷり準備したうえで自由に可愛がるべきであり、それをいけないと思う人はそう信じて一生懸命戦えばいい。犬を捨てることは仕方がないと思う人がいれば、捨てられた犬を拾う行為をもって自らの善性の根拠としたい、そういう人があっていいと思います。
結局のところ、人間社会というのは、そういうひとの勝手と都合が激しく自由にぶつかる騎馬戦みたいな状態にいつもなってるのが「いい状態」なんだと思う。倫理的に不衛生だったり、個々の人にとってはストレスフルな状況なのだろうけど、歴史を振り返るといつもこのストレス、不快感をバネにして、文化の発展が生じているように見える。人類にイライラしたりツラそうな人が目につくのは、つまり、それが私達のサバイバルに強烈に作用する特徴だからなのではないか。そして犬達には、この宿命の檻の中で、自ら更なる幸福を求める強靭な生物として生きてってくれと思います。
2026年1月22日木曜日
11歳1カ月の宅トレと投薬
久々のどぴーかんだったので、元・トウモロコシ畑(現・宅地)をうろうろしました。この一角、私が勝手に草を刈ったり木を抜いたり植えたりしている場所です。去年の秋ごろから食べられる雑草があることに興味を持って、もとから生えてるやつを中心にちょっとずつ位置をずらしたりして、いたずらしています。暖かい間は子供が可愛がってるイモムシの食草などもここで沢山入手できました。
冬になってから気付いたのですが、宅地開発でこういう草ぼうぼうの所が狭まるにつれ、こうして残った僅かなスペースの中で見つかる野生生物の痕跡がより多くなりました。犬もクン活がすごくはかどるようです。困ったことにコディは野生動物のフンが好きで油断すると「パクっ」とやってしまうことがあるので見張らねばならず、なかなか自分のことがすすみません。
先週と今週の宅トレは犬用スロープの練習がメインでした。コディの場合、このスロープだけは時々やらないと退化してしまうのでいつも頭を悩ませています。体重があるので揺れるスロープに登るのがだんだんおっくうになってしまうのでしょう。
現在の主治医の先生はなぜかいつもコディの事を補助犬と勘違いしています。
2026年1月16日金曜日
犬のアンチエイジング(雑考)
2026年1月8日木曜日
11歳になりました🌼
2026年、明けましておめでとうございます。
今年もコディと人犬一体、インターネッツ世界の片隅で引き続き楽しくやっていこうと思います。そんな私達の様子を見に来てくださっている画面の前のあなた様のご健康と、たくさんの幸せがやってきますように、心からお祈りしています。

