2024年11月28日木曜日

犬用ミートローフもどき




 コディの回復祝いと、北米の感謝祭(サンクスギビング)の料理とを兼ねて犬用のミートローフ(もどき)を作りました。人間用のメニューの材料から「コディのお腹に絶対安心だ」という材料だけ抜き出して作ったので、すごく単純なレシピですが備忘録として。

材料

本体
・牛ひき肉 90%赤身のもの 1パウンド(約500グラム)
・ジャガイモ(ユーコンゴールドまたは粘り気のある種)中1こ
・白ごはん おしゃもじに軽く1~2杯程度

グレービー
・お水 1カップ
・かつおぶし(または好みの出汁がでるもの)適量
・片栗粉 大さじ1程度 お水で少しといておく

 このミートローフ(もどき)のカロリーは約1700㎉です。牛ひき肉は調理後さっと湯通しすると脂肪分が、白米を抜けば炭水化物が少しカットできます。一度に与える量は犬の一日の必要カロリー量に準じて決めます(目安として5等分すると1切れ約340㎉になります)。でっか犬仕様なので小型犬の保護者のみなさんはビックリする量かもしれません^^;


ジャガイモをお鍋に入れてゆでます。
その間に牛肉を炒ります。油はなるべく使わずカラ煎りに近いかんじで火を通します
火が通ったら冷蔵庫に移し、さまします
(炒ってからさっと湯通しするとさらに脂肪分が減らせます)

竹串が通る柔らかさになったらジャガイモをボウルに移し、木べらなどでつぶす

ある程度ジャガイモが潰れてきたら白米を加えます。
木べらでまたあるていど形が無くなるまでまぜながらトントンやります
ひやごはんの場合は少しチンして柔らかくするとよいです。

こんな感じでまとまってきます、ミートローフのつなぎの完成

炒ったひき肉を加えます。手でこね合わせると楽です。
消化機能の落ちている犬の場合や、型に入れて成型したい場合は
ここで一回フードプロセッサーにかけるといいと思います。
シリコン型でケーキの型に抜けば色んなお祝いごとに使えそうです。

サランラップの上にボール状になったタネを置き好きな形に成型します

こんな風に成型した場合は30分ほど冷蔵庫でやすませると、でんぷんがβ化して切りやすくなります
型などで成型した場合も、すぐその場で与えない場合は冷蔵庫に入れるといいです。
手作りなので雑菌の繁殖に気を付けます

本体を休ませている間にグレービーソースを作ります。
ソースがあるだけでちょっとご馳走風になりますね
脂肪分を下げたかったので今回はかつおぶしでやりましたが
鶏ガラや牛骨など犬が好きな出汁ならなんでもいいと思います。

すごくいいかんじのおだしがとれました👆
片栗粉を大さじ1程度水で溶いたものを加え、しっかり過熱してとろみをもたせます
片栗粉だととろみがしっかりめで透明な綺麗なグレービーができます
コーンスターチだと白濁したグレービーになりますが、冷めてもとろみが残ります。

人間用のマッシュポテト作りやハム焼きも佳境に入ってきました。
今年は簡単に済まそうと、コストコで買った上の骨付きハムにしたのですが正解でした
見た目はこんなに豪華なのに安価なんです。
調理がすごく簡単で、シナモン風味の甘いグレーズがこどもに人気でした。



 さてミートローフを切り分け、お皿に入れてかつおグレービーをかけ、庭のパセリをちょいと。このあたりでスリッパの下がやけに濡れてることに気付いたんですが、コディの尋常じゃない量のヨダレがキッチンの床に水溜まりを作っていたのでした・・・「何かもらえる」と思った瞬間、真顔で口から滝が出るのでシュールな図になります。キチぺでささっと拭いて何もなかったことに(犬を飼ってないお家からしたら卒倒しちゃう衛生観念でしょう!)←どや




 コディ男や。今年も我が家専用のドアマン兼、24時間セキュリティ兼、ガードマン兼、害獣追い払い係兼、コメディアン兼、テディベア役・・・すべて見事にやりとげてくれてありがとう。君は私の毎日の生活になくてはならない存在だよ。夜中にこっそりハムスターフードを盗み食いしてると知った時は本当にびっくりしたけど、おなかの調子が良くなって本当によかった。これからもよろしく頼むね。


2024年11月24日日曜日

牧羊犬の「空間的感度」



 最近、夜中にこっそり娘のスナネズミ飼育コーナーに入って行って、こそこそハムスターフードを食べてるところを現行犯逮捕された犬の後ろ姿です↑。どうりでエサの減りが異様に早いと思っていました。大きな体をまるめて、静かにケージのまわりを歩き回り、小さなバケツに入っていたフードをぽりぽりと食べてました。

 おなかの不調になやまされたここ数週間だったのですが、その検査の結果も何も異常がなく、獣医さんにも「おそらく庭で『食べるべきでないなにか』を拾い食いしたと思われます」と言われたコディです。乳酸菌等サプリを処方してもらい(ハムスターフードも取り上げられ)、失われた体重も回復し、すっかり元通りにしています。

 「家が田舎で裏庭が野原になっている」と言うと犬を飼ってる友達などにはいいね!と言われることが多いですが、落ちてる異物を見つけるのはほぼ不可能だったり、野生動物の出入り(=招かれざるバクテリアやウイルス・寄生虫の出入り)や、時には何かの死骸があったり、時期によっては化成肥料が撒かれていたりと、ペットにとってはわりとリスクもある環境です。犬の安全と健康をとるか、自由と冒険をとるかというジレンマがありバランスがむずかしいです。


じー(凝視)

 ところで、最近たまたま目に留まった文章で牧羊犬についてのおもしろい言葉が出てきました。Spacial Sensitivity、私の翻訳機は「空間的感度」と訳してくれたのですが、日本語ではほとんど聞いた事がない言葉です。これはspatial awareness、空間認識(能力)とやや近似したコンセプトだと思いますが、牧草地などの平面上に散在する家畜をまとめるために非常に優れた空間認識能力を生まれ持つ牧羊犬が、その一面として持つ空間に対する感受性とか過敏さ、と言えると思います。これについての記述が面白いのです。

”…これは牧羊犬のもう一つの奇妙な特徴です。牧羊犬は周囲の空間を敏感に察知し、他の犬、家具や壁などの物体、人など、何に対しても近づきたがりません。犬の首輪に手を伸ばそうとしたのに犬が後ずさりした経験があるなら、それは空間過敏症です。牧羊犬の中には、空間過敏症が顕著で、飼い主から数フィートの距離を保とうとする犬もいます。そうなると、当然、犬をつかんでリードをつけるなどするのが非常に難しくなります。…”

と書かれていました。これはすごく面白いですね。犬のまわりにスペースみたいなものがあるということですかね。いったい、この世界がどんなふうに見えているのか聞いてみたくなります。今まで実際に働いているプロの牧羊犬は何度か見たことがありますが(例)、非常に賢い一方で、なんか野生の動物みたいなところがあったりペットとしては困った行動をする犬が多く「この子らは獣医でおりこうに出来るのか」という純粋な興味があります。こんど獣医さんに行ったら聞いてみようかな(飼い犬の年齢がら獣医のことが気になる人)。


うちの犬はあまりおりこうではないです

 そういう目で見てみると、一応牧羊犬の端くれであるコディもちゃんと(?)この「飼い主から数フィートの距離を保とうとする犬」の片鱗があるので感動してしまいました。今でも何もない草地などに自由にさせるとそのような行動を見せます。コディはまた、若い頃は確かに首輪を掴まれることを嫌がったので、それでしばらく練習をしたことも思い出しました。このブログの中でも何回か書いたと思いますが、撫でられたり体に触れられることも本質的にそんなに好きではなかったです(なでられるのは後から「良い事」と分かったみたいです)。これらは「犬が自分のまわりにある空間をはっきり認識してる」ためだったのかも知れません。

 また、コディが大きな体にも関わらず私自身や家具にぶつかったり、足元に置いてある小さな植木鉢を倒したりといったことがないことについても、言いつけを守ってエライと思ってきたのですが、それも上に書いたような牧羊犬らしさと連続した特徴なのではないか?と思いあたりました。彼の場合「境界」をかなり明確に認識していて、柵などで区切られたスペースから出ない、いったん袋に入れられたものはどんなチャチな袋であっても出さないなど、自分なりに決まりをあてはめながら日常生活上のいろいろな要素について繊細に感じ取っていることが感じられました(ハムスターフードの『バケツ』は境界として認識されなかったようですが!)。


私の長年のペットであるヘビ(14才)の餌を買いに、ペット用品店へ。
娘が消えたので探したらネコちゃんの里親コーナーに吸い込まれていた

この子猫が可愛くて、差し出した指にそっと白いお手々を乗せてきました
「マーベリック」という名前のオスの子猫でした。幸せを掴んで欲しい



 今月は学校行事やコディの獣医などで町に行く機会が多かったなあ。幼児の帰りに町に昔からあるちょっとしょぼめのグロッサリー(食料品店)に立ち寄ると、すごい色のカップケーキや、砂糖でネチャネチャした生地にM&Mがこれでもかとちりばめられた大人の顔くらいあるクッキーが棚にぎっしりと並べられ、こうなってくると忙しかった2024年ももう終盤、という雰囲気です。

 最近時々思うのですが、いつか自分がばあさんになった時、私は、こういった日々の普通のアメリカの光景のことを非常に懐かしく恋しく思う時がくるのだろうと思います。砂糖とショートニングの味がする極彩色のカップケーキであったり、地元の無料の新聞についている、どうでもいいクロスワードを娘と一緒に解く日曜日の午後の日差しだったり、乾いた北風にゆれる無人のガソリンスタンドの、錆びた看板の空の雀の巣や、犬を車にのせて通り過ぎるアパラチアの山すその鄙びた家々であったり、私はキリスト教徒ではないけれど、祈るとしたら今なのだということを肌で感じて分かります。今日自分を構成する、ひとつひとつのものについて手繰り寄せ、丹念に確認し、感謝を捧げることが祈りの本質であるのだと。


2024年11月15日金曜日

まずは足元から・・・



 北バージニアの田舎地域では急にぐっと気温が下がってきました。若干の霜も降り始めたので、外に出していた植物を順次、中に入れています。表では、今年もすっかり役目を果たした棚の枯れたぶどうが晩秋の風に揺れています。枯草の風あいを楽しみながら歩いているといつのまにか犬の全身にくっつき虫が付着していたりして、ちょっと隙を見せるとすぐジャブを打ってくる感じがいかにも植物、いかにも自然、といった感じですね。こうした所に住んでいると、人間にとって自然というのは「常に全力で叩きのめさないと制御できない存在」という方が本質であって、私達が慈しんでいる部分というのは、自然という神が、自分の着物の裾かざりらへんでちょっと遊ばせてくれているのに過ぎないんじゃないのかなと思います。

 コディは久しぶりに子供関係の寄り合いに出席する可能性が出てきて、今週は近隣の街まで出てトレーニングをしていました。犬は、「練習だ」と分かると目がきり!として一生懸命です。セラピーワークなどを始め訪問の活動は長く続けられる良いライフワークですが、訪れる場所柄、あまり写真に残せない現場が多い点はちょっと残念です。 


千切れ雲の合間に飛んでいくハクトウワシが見えました


 そんな中ですが、実はここ2週間ほどコディのおなかの調子がよくありません。本犬は食欲もあってボール持って走り回っているのが救いですが、調子いい時と悪い時とが数日間隔くらいできています。すでに病院へ行って検査を始めていますが、まだこれといった要因が分かりません。私は炎症性腸疾患を疑っています。腫瘍などの可能性もチェックしないといけないので来週以降、さらに細かい検査をする予定です。

 また、今年後半に入ってから、後ろ足の筋力に少し衰えが感じられるようになりました。そこで遊びの一環として階段に前足をかけた状態でゆっくりとタテ・スワレをする動きをやっています。コディはここでも「練習だ」と分かると目がきり!として一生懸命です。でも『やるよ』と言うとカッとパワーが沸きすぎて「ゆっくり正確に」が苦手な犬なので、私がいつまでも厳しく合格を出さないと、耳を倒し前足ですがりついて「クウォ~ン」と文句を言ってくるようになりました😂。私も日本語で「ちゃんと落ち着いて丁寧にやんなさい」とか言い返したりして、もう、お互いに付き合いが長くなって遠慮がなくなってきてるわけです。笑

 犬は、前肢に意識が集中している生き物で後肢は工夫しないと重点的には使いません。この部分を鍛えるにはあるていどの負荷が必要になりますが、これが犬の場合かなりの難題です。特に体重のある犬の場合はすぐ膝などに負担がかかるので案外ちゃんと鍛えるのが難しい箇所だと思います。とにかく、腸と足元の健康は本当に大事だな、なるべく保存をと、地道にできる事をやっています。


番でしょうか、ハクトウワシがもう一羽続きます。見えるかなー

 そういえば前回ぶつぶつ言っていたアメリカの大統領選挙も終わりましたね。
 二大政党の応援合戦も終わり、どこかホッとしたような街のようすです。

 私とコディが今住んでいる村一帯は北バージニアの中でもかなりコンサバティブ(保守的)な地域ですが、ここに来る前に住んでいた街は逆にかなりリベラルな地域でバージニア州に住んでかれこれ15年弱、政治的には180°の環境を経験してきたことになります。それで気付いたことがあるのですが、ほとんどのアメリカ人はコンサバティブであれ、リベラルであれ、共通点がひとつあって、それは皆政治的な議論には熱心だけど、自分の足元に落ちているごみを拾うひとはあまりいないということです。笑

 リベラルな街にいた8年間は、特に印象的でした。その頃私は赤ん坊を背負ってコディのひもを腰に巻いて、毎週自宅周辺のブロックの歩道をブロワーで掃除したり生垣の伸びすぎた枝を摘み、落ちたごみがあればささっと拾っていたのですが(スモールトークが苦手なのでいつも超速で)、民家の間を縫うように進む公共の道はごみがたくさん落ちていました。それについては誰も気にしてない感じでした。わりと仲の良かったナチュラリストのご近所さんがある日「季節ごとにゴミ拾い作業員の方を雇うし、その人達の仕事を奪わないため」と教えてくれました。

 私はそれは変だな・・・と思いました。毎日通る道について「数カ月に一度大掃除をするから今は汚れてても平気」という考え方はまあなんとなく分かるけれど、なんか納得はしにくい。それに、ある地点のゴミの総量が減れば業者の仕事の質があがり、決められた時間内でより広範囲に清掃が進み、私達の生活の質も上がり、清掃業者のレビューも良くなって、みんなそっちの方が良いんじゃないだろうか?やはりもとからゴミが少ないに越したことはないはずだ、と思っていました。

 でもそれより気になったのは「誰かの仕事を奪わない」とか、なんとなくいいかんじの理由をつけてやらないことを正当化しているところでした。ゴミのことは単なる一例ですが、自分のすぐそばに散乱している問題に取り組まずに、自分だけは快適な部屋の中で地球環境とか、動物や女性の権利の議論に興じようという人、という図に、しばしば出会った気がします。大義のためには滅茶苦茶がんばるけど、自分自身や至近距離の人のくらしを良くすることについてはやけに力を出し惜しむような。でも別の見方をすれば私のような考え方も「些末な事にばかり気をとられて大局的でない」と思われるのだと思います。きっと、悪気もないのでしょう。

 でもアメリカ人て、これがたとえばユニフォームなどを作ってただのゴミ拾いを「#地域の保全活動」みたいな形に整えてあげると急に「コミュニティのために!!!」と、我先に飛び出してきてやってくれるところもあるんですよね。自由奔放に見えるアメリカ人ですが、ああいうのってメディアで見るごく一部で、一般大衆は意外と『体裁』をかなり気にしているし、常識から逸脱することにも過剰に警戒するように見えます。

2024年11月1日金曜日

新しい友達/大統領選挙



 先日、近所に住む日本人のイヌ友さんの子犬を見に行ってきました。ピチピチ生後7か月(だったかな)のドーベルマン君です。可愛いですね~。バネ仕掛けの人形みたいにビョインビョインしてました。目がくりくりで骨と皮しかない可愛いカチカチの頭で「愛の頭突き」をしてきました。うちの先住犬も若い頃こうだったな、と非常に懐かしく思いました。コディも少しの間、お庭で一緒に遊ばせてもらえましたが、相手はまだ体の出来ていない若犬なので怪我させないよう頻繁に呼び戻されて、ちょっと気の毒でした。写真もなんか不完全燃焼の時の顔ですね。

 コディの「完全燃焼」というのは、ヒグマのようにお互いに後肢で立ち上がり雄たけびを上げ相手の首を狙って嚙みまくる(フリ)どすこいぶつかり稽古を小一時間、それかオトリ役の犬を追い回して首を狙ってピンダウンするトドメさし(フリ)なので・・・・・・よく相手を吟味しないといけません。けれど世の中本当にうまくできていて猛獣に襲われる気分が心の底から好きな変態ユニークな子がたまにいるのですよね。そういう子達と出会ってこられたことは本当に幸運でした。


日本語の家勉をやってると来ます


 さてアメリカでは大統領選が近づき、なんとなく街や人々の空気が変わってきました。4年前の大統領選前夜、私とコディは深夜のDCを徘徊したのですが、ちょっとスリリングで楽しかったのでよく覚えています。街はまた板張りになっているそうで、「近づかないように」と日本大使館から通達も来ました。日米メディアではハリスの評価が総じて高いようですね。

 私個人の所感としては、ここ数年の物価の大幅な上昇、違法薬物の蔓延や治安の悪化、バランスを欠いたように見える学校教育関係の政策が次々と生まれるなど、ここ4年間だけでもこの国に急速にさまざまな変化が起こっている事を日々自分の目で見て、生活を通して、時に直に影響を受けることで実感して来ました。

 同じくここ数年で国際情勢もかなり、大丈夫かなという状態になってきていますよね。これを書いている今現在も地図上のさまざまな場所での戦争と大国同士の緊張関係が続いています。国際舞台での米国のプレゼンスが弱まっていることを実感します。


ごみ置き場にされてることに気付いた犬


 近年の新聞やニュースなどでは地球環境、機会の平等、多様性、移民政策、SDGs等が常に取り沙汰されてきて、全体的に見て『社会的弱者の救済』がトレンドでした。これまでのアメリカという国はそこそこ秩序ある社会と経済力があったから、これらにまつわるさまざまな政策が実現してきたと思います。しかし、実際に日々暮らしている者からするとだんだんそういった文化的「あそび」を許してきた基盤が崩れ去ろうとしているのではないか?それに伴い、人々の生活の質も落ちてきているのではないか?と感じることが多くなりました。



 先日コディが歯の手術をした時にふと頭に浮かんだのが、もしかして今、アメリカ中で、治療が出来ずに安楽死になる犬が増えているのではないかという考えです。ペットの安楽死の件数については包括的な統計がなく、さっと示せるデータがないので完全に憶測なのですが・・・

 北米のペットの医療費は以前ちょっと触れたとおりもともとインフレ率を遥かに上回るスピードで上昇してきたのですが、ここ数年で人件費や医薬品費、医療設備費などの高騰が追い打ちになったのか、さらに割高になった感があります。私達の場合も、検査と日帰りで歯を数本抜く処置で、一般家庭のひと月分の生活費くらいのコストがかかりました。もし、入院が必要な高度な手術や、治らない病気の治療だったら?さまざまな事情で医療費の準備ができない家庭も多いはずです。なついてくれて、ずっとついてきてくれた犬なのに、どうしてもお金がないから助けてやれない、そのような人が増えているのではないか?とふと想像しました。

 飼い犬を苦しませてしまうことは犬の飼い主として一番辛く苦しい事ですが、一般的な中流のアメリカ人の視点から見ると、働いて税金を払い、各種ローンや保険料を支払い、ものの値段がどんどん上がる中、家族を養い、ガソリン代の高騰や高度オートメーション化にAI化で職もいつ失うかも知れないという危機感の中で、どうしても無い袖が振れない、また今回だけはと家中からお金をかき集めたとしても、もし今後もずっと治療が続くようならあきらめなければならない人、というのが一体どのくらいいるでしょうか。そうやって治療を泣く泣く放棄する人を非難できる人が、またどれだけいるでしょうか。

 犬好きなので犬を例にとりましたが、このようなことが多くの人々の生活の色々な場面で生じているのが、今のアメリカの現状なのだろうと思います。大統領選挙というのは昔から「4年に1度のセレブリティ大運動会」みたいなもので、こういった民草の現状を候補者が本当に理解することは難しいのかも知れませんが、見た目や性別や話し方ではなく、実務能力こそを政治家に求めたい、周囲を見渡すと多くのアメリカ人がそう感じているように見えます。これはメディアには決してとり上げられることのない、「地に足をつけて日々の生活を営み家族を支える多くの平凡なアメリカ国民の思い」ではないかなと思います。