2014年10月14日火曜日

仕事と犬と



 たまにバイトしている近所のペット用品店にて。

 先日、一匹の犬が遊びに来た。一瞬ヨークシャー・テリアの雑種かな?とも思えるこの犬は、珍しいオーストラリアン・テリアというれっきとした純血の犬で、スエーデンのブリーダーから取り寄せられたのだという。この犬には庭や散歩道で小動物を獲ってしまう癖があり、オーナーの方は犬の急な動きをコントロールできるような、特別なハーネスを買いに来たのだった。元気ハツラツとしたとても可愛い犬で、オーナーの話の通り動くものなら何にでも興味を示していた。それもそのはず、この犬は原産地オーストラリアでは家や農場の敷地内に入ってくる害獣類、なかでもヘビをやっつけることを生業とする使役犬なのだそうだ。爬虫類が豊富で毒蛇もいるオーストラリアならではのテリアなのだった。

 しかし、話を聞いててアレ?と思ったのは、犬に小動物を獲られては困る人が、なんで小動物を獲ることに特化した犬をわざわざ選んで飼うのかという点だった。話を要約すると、オーナーはこの犬種の「溌剌とした可愛らしさ・適度なサイズと利発さに一目で惚れ込み」「小動物への衝動はしつけとトレーニングで対処する」と考えて、家族に迎え入れる事に決めたようだった。確かに、少なくとも人生のうち10数年を共にするパートナーを選ぶにあたって、サイズや外見などのオプションに拘るのはだいじなことである。だけども犬種に与えられた「仕事」とは、使役犬の根幹を成す存在意義といってもいいものである。その仕事をさせないことを前提に飼われたのではちょっと犬がもったいないというか、かわいそうだなと感じた。

 こういう状況を頻繁に目にするにつけ、世の中、まずはじめに仕事があり、そして犬が作られたという事を、考える。これは使役犬に限らないが、どんな犬種でも作出されたいきさつや目的がある。しかし、その意味を真剣に吟味することなく、こういう犬達をペット的に飼いたがる人が巷にはけっこう多い気がする。結果、例えば管理人の地元のシェルターは、里親募集中のジャーマンシェパードや、ベルジアンシェパード、ラブ、ボーダーコリー、それらの雑種などが多々見られる。

 日本でもときどき道行く盲導犬や足の裏が擦り切れるまでソリを牽くアラスカ犬を「かわいそう」で「愛護精神に反する」と言う人が居るが、自分の場合、彼らはそういう仕事がなければそもそもこの世に生れてくる事すらなかったかもしれない犬達なんだと考えることにしている。彼らはもともと、社会の中で特別な使命を与えられ、それを全うして人間を助けるために生みだされた。それを人類の傲慢さだと言ってしまえばそれまでだけど、倫理問題はさておき、そのスピリットの赴くまま一生懸命仕事をすることは使役犬にとっては健全な事だ。その事を知っていれば、その犬が持っている仕事への強い欲求が、家庭犬としては不都合だったからといって「直そう」と考えることは、意味がないだけでなく、ともすると残酷な事だというのが分かるんではないだろうか。

 このオーナーの場合、どうしてもこの犬種を飼いたかったならば、もっと時間をかけて家庭犬向きの血統のなかから、とりわけおだやかな個体を探し出し、早くから作業衝動を昇華できるようなスポーツを積極的に教えてやるべきだったのではないかと思う。仮に小さくて、ふわふわしててどんなに見た目はかわいかったとしても、使命を帯びた「働く犬」なのだ。




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