2016年3月4日金曜日

ピットブルのこと


 新年早々ランで犬にはねられ華麗に宙を舞ったばかりの私でしたが…

 ドッグランでコディの事を気に入らなかったらしい、大型のオスのピットブルが、歯を剥き出しで突進してきました。コディはそれ以前にも地面にころがってお腹を出して、好きなだけオシリの匂いも嗅いでもらって、どこまでも低姿勢だったので、「大丈夫そう」と思った矢先でした。

 向かってきたきた犬とコディの間に入った時、スキー用のグローブをはめた手に衝撃を感じ、その時は相手の歯がちょっと当たった程度と思っていましたが、場が収まってからしばらくすると、左手が痺れてズキズキしていることに気付きました。手を出してみるとなんと!小さな穴が開いて、傷口の大きさのわりにびっくりするくらい血がたくさん出ていました。帰りに薬局でベタダイン(日本のイソジンみたいな薬)を購入し帰路につきました。

 奇しくもこの日は夕方からの獣医さんのアポイントメントで、コディの去勢手術の日程を決める事になっていました。不運だったとはいえ、ランでこのように成犬オスから厳しくマークされたのは初めてのことだったので、そろそろ潮時かも知れないと感じました。本当は月齢16カ月から24カ月の間でと考えていたところを、日程を早めて14カ月目(=今月)に行う事に決めました。※ここから先はピットブルに関して超ながながと自論・暴論?展開しているので、よかったらそれでもOKな方だけお読みになってください。


ランに嫌な思い出を残さないため、同じ場所に午後もう一度訪れた。
ほとんどハスキーちょっぴりウルフmixの女の子とは以前からの仲良し。


 それにしても、ピットブルほど「人を憎んで犬を憎まず」だと思う犬はいません。

 この現象、アメリカだけかもしれないけれど、カジュアルな感じでピットブルを飼う人が、とにかく多すぎるように思います。またこの犬種は基本的にラン向きではないと思いますが、(子犬・若犬のころなら楽しめる個体も多いですが)無理にランで遊ばせようとする人も目立ちます。

 犬の事について真面目に勉強していないオーナーがとても多いのも気になっています。今回の犬の飼い主さんも、自分の犬の様子は一応ちゃんと見ているものの、犬の出すサインをあまり理解しておらず、自分の犬が他の犬にものすごくマッチョにしているのが全く分かっていないようでした(それどころか「ジュノー、ナイスよ~」と褒めていた)。たまたまその場に居合わせた別の飼い主さん曰く、コディが来る前にも何度もほかの犬と小競り合いがあったそうなので、パックドライブの強い犬で、恫喝癖がついていたのだと思います。

 私は以前、とてもお世話になった知人がこの犬を沢山飼っていて、生れたての子犬と触れ合ったり成犬ともよく一緒に遊んだ、ほんとうに楽しい思い出がたくさんあるので、ピットブルには特別な親しみを感じています。いろんな個体と触れ合って私が知った事は、ピットブルはとても性格が良く、楽天的で人間に対して非常に従順なので、教えてあげれば本当に様々な事が出来る犬達だということです。わざわざランへ連れてこなくても、トレーニングやアクティビティを通して十分幸せにしてあげることが可能です。

 またもう一つ気になっている事があります。最近、この界隈でピットブルにポジティブ・レインフォースメント(+R)のトレーニングのみで頑張ってる人もよく見かけます。このあたりは意見が分かれるところと思いますが、個人的には、ピットにはバランス型の訓練が適すると考えます。バランスというのは、良い事をした時はどんどんクッキーを貰えて褒められるけれど、望ましくない行いをした時は、その行為に帰結(コンシークエンス)があるのだと犬が分かっているべきだという事です。

 このあたりは個体の差が激しい部分になりますが、非常に強い闘争心を持つように改良された過去のある一部のピットブルのドライブは、普通の飼い主には理解できない・普段のその犬の姿からは想像もつかないくらい激しい事があり、その分強いブレーキが必要だと思うからです。闘犬の本能とは、おなかに穴が開いたり、究極的には命を失うまで闘争を続ける可能性があるということであり、激烈な欲求です。クッキーや褒めでリダイレクトできる類のものではありません(繰り返しますが『一部のピットブル』についての話で、一般的には、蚊も殺さない優しい犬が大半ということは、強調しておきます)。

 気を付けねばいけないのは、自分の犬が一生のうち一度でもそういう、強烈な闘争本能に火がつく境地に陥ったとして、たとえその1回だけであったとしても、他者やほかの犬に致命的な危害を加えるのには十分なのだということを、飼い主がしっかり認識していなくてはいけないという点です。それを踏まえたうえで、ピットと暮らすのに最もたいせつなことは、飼養管理(マネンジメント)をきっちりとやることにつきます。周囲の人や動物も、犬自身も、安心して暮らしていけるライフスタイルを維持するためには、無用な興奮や争いの可能性のある場所を避け、観察と勉強を重ねながら、落ち着いた環境下で丁寧に犬を飼うことが不可欠です。


私がよく遊んでいたピットブル。ツギハギだらけの顔を擦り付けてくるかわいい奴だった。
元闘犬で、負けたのでポイっとボロ雑巾のように捨てられたのを、貰われてきた犬。
人間が大大大好きで、とても良いコンパニオン・ドッグの素質があった。

 いわゆる「強い犬」、ピットもそうだし、ロットワイラーやドゴ、マスチフ、アキタ、闘犬、護畜犬、etc.を飼ってる人は、「自分の犬との暮らしを楽しみたい」という欲求を満たす前に、まずは社会生活上の責任を果たすべきです。責任とは、犬を100%いつ・何時でも自分のコントロール下に置くことでありまた、このコントロールを得るために手段を選ばないという覚悟です。これは、オビディエンスどころか基本的なしつけにも手こずった先代のドーベルマンが教えてくれた事でもあります。書くとかんたんそうだけれど、犬の一生を通してやりきることはお金も、時間も、精神力も膨大に消費するので、「誰にでもできる」とは到底言い難いことです。

 今日はとりわけ長くごちゃごちゃとウンチクを書いてしまいましたが、とにかく日ごろ街や公共の場でピットがのけ者扱いになっているのが悲しいと思っていたので、考えていたことを書き連ねてしまいました。現状を見てると、自分なんか極端なのでシェルターでピット(含ピットミックス)のアダプトを禁止しろと思う事もあります。非常に残酷に聞こえますがこの犬種に関しては、シェルターが機能すればするほど、レスキューの人達が頑張れば頑張るほど、無責任な飼い主達の間で「飼えなくなったらシェルターに連れてけばいいいや(だれかがなんとかしてくれる)」という考えが蔓延するし、里子にもらったらもらったで、「うちのピットはシェルターから来たから」と、問題行動を正当化する魔法の言い訳を飼い主達に与えてしまいます。これは、問題の核心の一つだと思います。


2016年3月1日火曜日

園芸店へキャラバン




 記念写真ぽい場面で必ず目を閉じるコディ。

 先日思春期に散歩ルートのルーティン化は良くないと偉そうに書いたくせに、よく考えれば自分だって毎朝ドッグランへ行くことで「スケジュールのルーティン化」が起こっていたと反省しました。最近は犬の方も興奮して定時にクンクン鳴くようになってしまっていたし。

 そういうわけでこの日はランへは行かず別の公園でトッテコイをし、ベビー付きで小一時間ほど歩き、その後例の園芸店へ寄って自分・子・犬の三匹で、またぞろ歩きました。自分だけでこのふたりを世話するのはちょっと大変でしたが、冬の間空っぽだった花や樹木のコーナーに苗や蕾のついた若木の数々が、おっちゃん達の動かすフォークリフトで次々と運び込まれる様子を見ていると、何とも言えない春の予感がひしひしと感じられ、行ってよかったと思いました。

2016年2月24日水曜日

この犬な~んだ




 ドッグランに来ていたのはハンガリアン・クーバースの女の子でした。生後五か月。この犬のオーナーの女性とは以前から顔見知りで、もう一頭既に成犬のクーバースを飼っているので、よくこの犬種についての話を聞かせてもらっていました。というのもネット上にある「あなたに適した犬種は?」みたいなセレクター・ツールを使うと、自分の場合、ベルジアンシェパード三種やブラックロシアンテリアと共になぜか参考にあがってくることがある(全然傾向が違うのに)犬種だったのもあり、勝手に親しみを感じていました。

 犬種の詳しい説明はウィキに任せるとして、他の山岳護羊犬と比べるとあまり磨かれてない素朴さを感じる犬です。オーナーの話によれば実際にピレネー犬やバーニーズ等と比べるとずっと実務に傾いた犬達だとか。本質的にソトイヌで、気候が許す限り庭でまったりしている事を好むそうです。この子犬も触ってみると(綿雲みたいな見た目に反して)結構硬めの巻き毛をしていたり、体つきも子犬とは思えないほどがっちりしていて、悪天候下でも職務を全うできるよう頑健なつくりになっているように思いました。警備と言う点ではバッチリで、家(と言っても日本の感覚では「洋館」的な間取り)の中に入れると窓から窓へと、ひとつずつ移動しながら安全確認してくれるそう(笑)。ただオビディエンスは全然ダメで、自分で考え自分で行う、とっても独立独歩な犬とのこと。


こちらはお姉ちゃんのほう。 果敢に挨拶しに行ったコディ(彼女の方は興味ナシ)





 コディ、彼女は高嶺の花過ぎるよ。100遍くらい顔を洗って出直してこないと。と言っても洗顔が大嫌いなおまえにとってはチャレンジだろね・・・。

 この後何かがクリックしあったのか、ちょっぴり追いかけっこをして遊んでくれたお姉さんクーバースでした。それにしてもコディ、メス犬へのチェックが念入りになってきているな。未去勢で1歳過ぎ、場合によってはテンション高め、比較的ラフな遊び方を好むと、ドッグランでは煙たがられがちなキャラを潜在的に備えているのでちょっと気を付けて見ていてやらないと。



2016年2月19日金曜日

バージニア州 タマラック・パーク



 またまたお散歩ログです。向かったのはバージニア州タマラック・パーク。この日は気温はそこまで低くなかった(マイナス7度くらい)ものの、風速が20マイル以上あり、子供は家に置いてでかけました。家のヒトに感謝。

 ふだん週末は「犬の放牧」はしませんが、こういうピクニック日和とは程遠い日は例外です。ねらい目はお屋敷や高級住宅街のなかにぽつんとある緑地帯です。みんな、自分のところで何エーカーもある庭を持っているので、こんな日にわざわざ公園まで出かける人はいない(※一部例外あり。後述します)。


2016年2月9日火曜日

ゲームウォッチな日々

朝のドッグパーク後の車内
コディ1歳、ちび4カ月(写真クリックで拡大)

 色んな人からちょくちょく、どうやって、あなたひとりで小さな赤ちゃんと大きなパピーを一緒に世話できるの?と聞かれる。答えは簡単である。ぜんぜん世話できていないのだ!(笑)。もちろん助けの手を差し伸べてくれる人の助けはどんどん借りようとは思っているけれど、母国の実家から遠く離れ、友達ナシ、お金ナシ(アメリカのチャイルドケアは目玉が飛び出るほど高い)の自分、日常はまさにこちらを立てればあちらが立たずといった感じで、なつかしのニンテンドー・ゲームウォッチをプレイしているような気分になってくる。なにかにじっくり集中してやり抜くという事は諦め、生活がなんとか一定の形態を保っていられるように要所要所で必要最低限のメンテナンスをする。俗に言う「ていねいなくらし」とは対極にある状態だけど、これが今の自分にできる精一杯なのである。

 コディを家族に迎える前、近所に住むドッグトレーナー兼、ドッグサイコロジスト兼、一児の母でもある知人が言っていたことを思い出す。「あなたの状況で子犬を迎えるのには反対だよ。子供にかける時間も犬にかける時間も削られて、どっちつかずになる。そしてあなたは疲れ果ててしまうよ」と。それを聞いて自分も「きっとそうなるだろう」と思った。しかし当時の機会を逃せば、犬を子犬から育てられる機会はひょっとしたら五年、十年後になるかも知れないという予想も同時にあり、考えた末に決めたのだった。「シェパードを飼う」と決めていた以上、子犬と自分がゆっくり向き合う事ができる時間が必要で、子供が生まれてくる前の七カ月間は、それが思う存分できる最後のチャンスだった。それで、子犬を連れてきたその日から、毎日最低二回の運動、一回のトレーニングを、出産前後の5日間を除いて、毎日欠かさずにやっている。

 結果どうだったか?

 友人の予想通り、私は毎日クタクタである。やはり間違った選択をしたんだろうか?と思うこともある。子供が早起きで、朝5時ぐらいにはもう起きてしまうので、そこから遊んで、食べさせて、換えるものを換え、また少し遊んでやり、それから車へ連れて行ってカーシートに入れる。カーシートに入れると寝るから、その間が犬の運動時間となる。ふしぎなもので、毎日朝の運動、昼の散歩、夜のトレーニング、合間合間に子供の相手をしたり家の清掃をやったりで肉体的に疲れ、ついでに夜中もちょいちょい起きて睡眠時間も欠乏気味になると、クリエイティブなことが全く考えられなくなって、ただ目の前にあるルーティンワークに集中するようになる。

 けれどもこんな生活を数年がんばれば、すこし成長した娘と、頼もしい成犬になったコディとのたのしい未来が待っているような予感もなんとなくあるのだ。「あした」とか「あさって」ではなくて、いつかくる「未来」を楽しみに思う気持ち。今まで生きてきて、確率的に、こういう気持ちをもって生きていた時間をあとで思い出すと「ああ、あの時とても幸福だったな」と思う事が多い。だとすれば、自分は今、幸福の内に生きている可能性がある。いかにもシヤワセ~!と目で見て手で触れ、味わえないのは残念だけれど。「幸せ」は虹と似ていて、遠くからだと見えるけれども、自分がその中に居る時はわからないものなのかもしれない。