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2016年2月9日火曜日

ゲームウォッチな日々

朝のドッグパーク後の車内
コディ1歳、ちび4カ月(写真クリックで拡大)

 色んな人からちょくちょく、どうやって、あなたひとりで小さな赤ちゃんと大きなパピーを一緒に世話できるの?と聞かれる。答えは簡単である。ぜんぜん世話できていないのだ!もちろん助けの手を差し伸べてくれる人の助けはどんどん借りようとは思っているけれど、なにしろ毎日のことである。祖国の実家から遠く離れ、友達ナシ、お金ナシ(アメリカのチャイルドケアは目玉が飛び出るほど高い)の自分、日常はまさにこちらを立てればあちらが立たずといった感じで、なつかしのニンテンドー・ゲームウォッチをプレイしているような気分になってくる。なにかにじっくり集中してやり抜くという事は諦め、生活がなんとか一定の形態を保っていられるように要所要所で必要最低限のメンテナンスをする。俗に言う「ていねいなくらし」とは対極にある状態だけども、これが今の自分にできる精一杯なのである。

 コディを家族に迎える前、近所に住むドッグトレーナー兼、ドッグサイコロジスト兼、一児の母でもある知人が言っていたことを思い出す。「あなたの状況で子犬を迎えるのには反対だよ。子供にかける時間も犬にかける時間も削られて、どっちつかずになる。そしてあなたは疲れ果ててしまう」と。それを聞いて自分も「きっとそうだ」と思ったものである。しかし当時の機会を逃せば、犬を子犬から育てられる機会はひょっとしたら五年、十年後になるかも知れないという予想も同時にあり、考えた末にの決定だった。「シェパードを飼う」と決めていた以上、子犬と自分がゆっくり向き合う事ができる時間が必要で、子供が生まれてくる前の7カ月間は、それが思う存分できる最後のチャンスと分かっていた。それで、子犬を連れてきたその日から、毎日最低2回の運動(散歩じゃなくちゃんとした運動)、2回のトレーニングを、出産前後の5日間を除いて、毎日欠かさずに続けてきた。

 結果どうだったか?

 友人の予想通り、私は毎日クタクタである。やはり間違った選択をしたんだろうか?子供が結構早起きで、朝5時ぐらいにはもう起きてしまうので、そこから遊んで、食べさせて、換えるものを換え、また少し遊んでやり、それから車へ連れて行ってカーシートに入れる。カーシートに入れるとなぜか寝はじめるから、その間が犬の運動時間となる。ふしぎなもので、毎日朝の運動、昼の散歩、夜のトレーニング、合間合間に子供の相手をしたり家の清掃をやったりで肉体的に疲れ、ついでに夜中もちょいちょい起きて睡眠時間も欠乏気味になると、クリエイティブなことが全く考えられなくなって、ただ目の前にあるルーティンワークに集中するようになる。

 けれどもこんな生活を数年がんばれば「すこし成長した娘」と、「頼もしい成犬になったコディ」とのたのしい未来が待っているような予感もなんとなくあるのだ。「あした」とか「あさって」ではなくて、いつかくる「未来」を楽しみに思うかんじ。

 今まで生きてきて、確率的に、こういうかんじをもって生きていた時間をあとで思い出すと「ああ、あの時は幸福だった」と思う事が多い。だとすれば、自分は今幸福の内にいる可能性が高い。いかにもシヤワセ!と目で見て手で触れ、味わえないのは残念だけれど、幸福は虹などと似て、遠くからとか他の人からはよく見えるけれども、自分がその中に居る時はわからない性質のものだからだ。
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