2022年8月23日火曜日

草の成長(とコディ)

 微妙に続いている「最近の草」シリーズです。子供の夏休み中の現実逃避ですがよかったら見ていってください。おそらくこの世の99%の方にとっては至極どうでもいい植物の話を好き勝手に喋っているので「夏休み疲れが溜まっているのだな」と見なかったことにしてやってください(笑)コディの写真は最後にあります!最近のコディ君はどうしたかな~と、気にして下さってる方は、よかったらこのノートの一番下までスクロールされてみてください。

 さて去年9月のノートで葉挿ししたエケベリアですが、だいたい1年が経過して、直径6センチメートル程度くらいかな?まで成長しました。ずっと室内で植え替えもしてないからか、ぐぐっと大きくなることはないですがゆっくり地味に成長しているようです。この微妙な青灰色が私の大好きな色です。触ると跡が残っちゃうのでいつもじーっと眺めるだけです。

 エケベリアの仲間は、殆ど育てたことがないのですが、唯一強い関心を持っているのが原種「ラウイ」です。あの清楚な姿にとにかく惹かれます。そのうち時間が出来たら種を取り寄せて育ててみたいです。家庭菜園プロジェクト、昆虫用の庭作り、風呂場に南国植物コーナーを作る、コウモリとメンフクロウの巣箱設置計画、テラリウムを量産する、ホビーファーム作りにガチョウの飼育と、今後数年で果たしたいホームプロジェクトがたくさんなので、忘れないようにここに書いておこう。


 去年の6月頃だったかな、ほとんどまるはだかの状態でうちにやってきて、いつの間にか子だくさんのボーボーへと変貌を遂げていた宝草(?)。なんだかボーボー姿も板についてきて鉢の中でワサワサと茂る姿がおもしろいです。葉っぱの質感なども可愛らしく、いつもすてきな草だな~と思いながら見てます。わずか5ドルの植物でこんなに楽しませてもらっていいのかな?という感じ。台所のすぐ手を伸ばせば届くところに置いてあるので、子供の友達が来てワッフル焼き係の疲れが極限を迎えた時など、ふと心和ませてくれる存在です。


 ボーボーといえばこちらも。
 今年3月、ホムセンから持って帰った頃は楚々とした姿だったのにもうぎゅうぎゅうに成長して大変なことになってます。この大きさで子供がたくさん出来るという事は、わりと小柄な品種なのかな。もの集めが好きな者にとって、アメリカのホムセンの適当な品種カードはすごく歯痒いものがあります。この葉っぱもシンビフォルミス系(?)と勝手に思っているけど真相はなぞ。


 シンビはそろそろ植え替えて大きな鉢にうつしてあげたいですね、なにしろ鉢はいくらでもある。時はすでに遅しで、私のもの集め癖はジワジワと再燃し応接間の方まで広がり、すでに窓辺を侵食しはじめていたのであった。


 レツーサ。2株あるのですが私の世話の何かがいけなかったらしく、1株は根があまり伸びず葉がちぢれてきてしまいました。窓辺組は園芸店のお取り寄せ出身なので台所にいるホムセン組とは風格がちがいます。肩をいからせて話しかけても答えてくれなさそうな感じじゃありませんか。そのわりには土被ってるけど…(こういうのにあまり気付かない)


 リミフォリアです。硬葉系は最近分類がHaworthiopsisに変わったそうですね。これ系はポーカーフェイスで何考えてるか分かりにくく水やるタイミングもなんだかイマイチ分からないので苦手意識があって、うちで育てるのはこの株が初めてです。こないだ少し触ったら根がしっかり張っていてひと安心です。男性的な草。


 すみませんまだ続くんです。
 3月に奇抜な姿でうちへやってきたエメリアエは奇抜なまんまワシワシと成長を続け、今はこんなんなりました。徒長したところはもう治りませんが真ん中から正常な葉っぱがいくつも出てきて展開しています。こういうしぶとい感じがかっこいいですね~客観的に見るとエメリアエが一番好きかも知れないな、、、嬉しい事に子株もいくつか出てきて。旅行で留守にした間水が足らなかったらしくちょっと茶色くなってしまった。もう、根っこも大分まわってると思います、植え替えよう(もはや念仏)


 私が草を眺めてああでもない、こうでもないと静かに現実逃避しているところに必ずやってくる犬です。思えばこの犬は子犬の頃から「不注意でモノを倒す」というのをやったことがなく、今こうして彼の足首ほどの高さに置いてある植木鉢なども、一切倒さずに歩き回るので助かります。それにしても犬も子供と同じで大人の異常行動に敏感ですね~。このすごい懐疑の眼差しを見てください。飼い犬だってこういう目で主人を見る事があるのである。

 これを書いている今は子の夏休みも終盤で、ハワイに義父を訪ねる2週間の旅行を終えた所です。コディはその間新しいドッグシッターさんの所で過ごしていました(いつもの人がアジア圏へ里帰りしていたので)。私はここの所ずっと犬の体力向上について考えていたり、ドッグフィットネスの講座を受け終わったりで多少目が肥えてきたのでしょうか、2週間後に再会したコディの体格の変化におどろきました。コディをさわるだけで、この半月間どんなケアを受けていたかは覿面に分かりました。こういうことは、口では何とでもいう事が出来ますが筋肉は正直で、ごまかすことはできませんね。余計な勉強によって私はやっかいな客へと成長してしまったのかもしれません。耳ダニらしきおまけももらってきたので来週は病院です。

2022年7月27日水曜日

うんちから生えたお宝


 犬の糞尿って、長い目で見ると果樹や植え込みの植物などに思いの外影響がありますね。うちの犬は体も大きいし、排泄場所にはいつも気を付けていましたが(日本みたいにおしっこの後を水で流すほどではないけど)、今のうちに越してからも、犬のトイレはかならず庭の柵の外まで歩いて行って「自分の土地ではあるけれど雑草生い茂る一角」ですませるようにしていました。


 ここにはミミズや小さなトビムシ、ワラジムシなどが大量にいて、コンポストみたいになんでもすぐに土に還してくれます。道で轢かれた獣を置いた時も、すぐに骨だけになったりしてハエ類や小さな虫たちの力には驚きました。地下水系にも影響はないとふんで、ここでしたコディのうんちは、拾わず置きっぱなしにしていました(てへ)。そんな一角に生えてきたお宝の話です。

Wine Berry  -  Rubus phoenicolasius
 
 今月に入って「雑草生い茂る一角」にすごい勢いでキイチゴが実りだしました。小さくて宝石みたいなきれいな赤い実が、食べても食べてもなくならないくらい、あっちこっちに鈴なりになりました。バージニアに自生するワインベリーです。形状は、小型のラズベリーみたいで丸みがあり、艶があり、ホールフーズ(日本のザ・ガーデンみたいなスーパー)で売ってないのが不思議なくらい風味があって、タネの食感もプチプチしておいしいです。

 この種は実は東アジア原産のキイチゴで、1800年代後期にラズベリーの品種改良のために輸入されたストックが外部に広がったものとか。日本ではエビガライチゴとか、ウラジロイチゴ等と呼ばれてるみたいです。雑木林と草地の境目みたいなところによく生えていて、広大な農地の辺縁を重機を使って定期的に刈り込むアメリカ人の生活様式が、この種の好む環境ともピッタリだったのでしょう。故郷から遠く離れたこのバージニアの田舎でかなり繫栄しています。

 それにしてもコディのうんちや、獣の死骸からこんなにもおいしいものが実るなんて、、、自然とはなんともありがたいです。キイチゴのもうひとつの楽しみと言えば、キイチゴを食べる時のコディの変な顔です。今年も変わらぬ愛犬の様子が見られて嬉しいな(以下、変ガオのおすそ分けです)。





2022年5月23日月曜日

犬の聴覚過敏とつきあう②




  北バージニアの僻地では、ここ2週間で急に日差しが強くなり、暑くなりました。近所の畑では麦がどんどん育っています。上の写真の、コディの後ろに茂っているのも、麦です。こうしてあっという間に夏になっていくのでしょう。農道では野ばらやスイカズラの仲間が花の盛りを迎えており、風の中になんともいえない良い香りが混じっていて、5月の季語「風薫る」的なかんじをリアルに体感しています。

 今日は、去年の9月にぶつぶつ言っていた「犬の聴覚過敏と付き合う」というテーマの2回目のノートです。5歳頃から特定の音に「おや?」と思う反応をするようになり、6歳半ごろからは雷を恐れてクンクン言うようになったコディですが、現在7歳半に差し掛かり、「その後どうなったか」についてのアップデートです。

 まず、前回のノートで書いたような行動は変わらず、さらにここ6ヵ月の間に、嫌がる音のバラエティが増えました。具体的には、以前から恐れていた「落雷」「アマゾントラックがバックする時に出すピー音」「火災アラーム」等に加えて、

 ・突然鳴るホイッスル音

 ・突然鳴るPCの停電装置

 ・突然鳴る停電時の機器類の停止音

 ・稀に鳴るセキュリティシステムのアラーム音

 ・天井スピーカーからのアンプ接続音


などなどが忌避の対象に加わっています。一部例外もありますが、「突然鳴るハイピッチ音」シリーズが概ねすごく嫌なようです。反応の強度は、音源からの距離によって違いますが、むっくり起きて耳をそばだてる~ハアハアと息をしたり、よだれをたらす、クンクン鳴く、立ち尽くす………程度から、デッキや車庫に自分で避難する、震えながらテンパって2階へ駆け上がる、などなどと開きがあります。

 おもしろいなと思った点が、音への反応は環境に非常に大きく左右されるということです。たとえば「アマゾントラックがバックする時に出すピー音」などは、セラピーの訪問で訪れたざわざわとした市街地の環境の中では、完全に無視して何も感じていない様子が見て取れます。練習の一環として工事現場なども観察させに連れて行きますが、重機の音などははっきりいって落雷より煩いこともあると思いますが、全く平気なようです。音のボリュームというより「断続的に起こっている音か」という点のほうが重要なのだと思いました。

 健康面に関しては、すでに獣医さんに複数回コンサルテーションをしてもらっており、犬の活動レベルやオモチャや餌への興味、食欲、日中の過ごし方、歩様、排泄、屋外での過ごし方といったものには全く変化が見られ無い為、現段階では「現状維持&経過観察」「多分年とってきてるから」と言われました。落雷に関してはアルプラゾラム(alprazolam)という薬剤が処方されました。運動と脱感作トレーニングに引き続き力を入れながら、どうしても必要という場面があった時のオプションとしてとっておきたいと考えています。

 また少し話題からずれるのですが、コディは自宅内の「1Fから地下へ行くための階段」という特定の階段にも、最近すごく警戒するようになってきています。下から吹きあがってくる微かな空気の動きなどから高低差を感じているようで、周辺の廊下を「つり橋をわたる人」のようにかなり慎重に歩くようになりました。採血が出来ない問題の時も書きましたが、ここのところ全体的に警戒心増、ストレス耐性減、なのかなー、という傾向があります。これらの状況は今すぐに生活に支障を来すレベルではありませんが、時とともにやや悪化傾向なのが気になります。

 不安を訴えやすい時間帯としては、日中よりも日没後が多いです。この辺一帯の雷は夜来ることが多いこと、夜は人が寝静まり生活音がないため不審な音が際立つこと、などが関係しているのかなと思います。もともと目が良い犬なので、暗くてものがよく視認出来ない状態が落ち着かないとか、今書いていて気付いたけれど、もしかすると加齢などで視力自体の低下が起きているなどもあるのかも知れません。念のため、今年中に眼科専門医にも予約をとろう(最近すこし目が濁って見える時があるので)。

 ずっと取り組んでいる脱感作(desensitising)トレーニングについては光明もあって、コディは最近、食器洗浄機がガチャガチャ言う音を克服しました。手帳を見ると、最初に食器洗浄機を避ける素振りを見せたのは2020年の10月ですから、それから1年6ヵ月の地道な練習で「音はいやだがとなりで座って我慢ができる」ところまでもどったことになります。落雷や停電関連の音は、食器洗浄機の音にくらべて再現が難しく、それに応じてか拒絶反応も激しいため、トレーニングの形でどこまで克服していけるかは分かりません。でも、何事もやらないよりはマシかと思います。いずれにせよ、音系を克服するトレーニングは長い長い時間がかかると分かったし、先に犬の寿命がつきる可能性も高いですが、チャレンジを続けたいと思います。がんばろう!🐺



 コディは昔から、夜間は色んなものに対する感受性が上昇して表情も変わり、行動も昼とかわってくるので(周囲への探索欲、プレイドライブが非常に強くなる、よく吠える・唸る)、特に田舎に引っ越してからは日没後の散歩は避けてきました。これについて最近とても興味深いビデオを見つけたのでくっつけます。アメリカの田舎のおもしろいお兄さんの生活Vlogで、その人の護畜犬マレンマ・シープドッグの回です。



 このビデオの最後5分間くらいで、マレンマの「トビ」の夜のすがたが記録されているのですが、私はこれを見てあっと思いました。もしもコディを夜中、外に家畜と共に留まらせた場合、恐らくこのトビとかなり似た行動をとると思ったからです。

 コディが夜特にワサワサしているのは、彼がそういうヤツだから、というだけでなく、これが実働時代から「有意義だったから残された資質」だったからかもと気付きました。田舎に住むと分かりますが、月や星の明かりしかない夜に表で見張りをしてくれる存在ははっきり言って非常に頼もしいです。犬はセコムやアルソックができるよりずっとずっと前から私達のためにこれをやってくれていたんですよね。年季がちがいます。

 アメリカ産の犬種であるシャイロ・シェパードは端的に言うと「愛玩用の巨大なシェパード」として発展してきましたが、繁殖をするうえで、健康だけでなく「シェパードとしての本能」もなるべく消さないよう心を配っている繁殖家が多い犬種です。熱心な人達は個人的に子犬を集めて、牧羊犬の適正テストを受けさせる人もいます。コディも知り合いと一緒に受けたことがあります。そのような犬種なので、こうした家畜のまわりで働く犬らしい気質がより多く残った個体がいても不思議ではないと思いました。

 それにしても、我々と暮らし始めてから何万年もの間、犬は村や家族単位で比較的密集して暮らす傾向のあった人間たちにくっついて、アンビエントな自然音と共に寝起きし、いつもそれらがあることに慣れていたはずです。それに比べると、現代の犬達は核家族で「家に一人~数人しか人がいない」みたいな環境の中、進歩した建材で気密性が向上し、正に『不自然に』しんと静まり返った屋内で、時々ピッ!とかカタッ!とか音を立てる機械の存在などは、ひょっとするといくら確認しても実態のつかめない不審者の幻影と暮らしている気分なのかも知れません。それは、家や家畜を守るという本能をもつ犬達にとっては、特に不安を喚起させるものなのではないでしょうか。牧羊犬が聴覚過敏に陥りやすいと言われるのには、このあたりにも要因があるのではないかと思いました。


2022年5月22日日曜日

海外で「日本人」を育てる



 とは言ったものの、自分が実際何人を育てているのか釈然としていない部分があります。6歳の娘の話です。「娘はニホンジンです。」と、思う事にしていますし、アメリカで生まれ育っているから「アメリカジンです。」というのも、妥当に思います。今日何が食べたい、と聞くと「ハンバーガー!」と言ったりしますが、なっとうご飯の日も多いし、にんたま乱太郎に声を上げて笑い、なにより履き古したスニーカーにこっそり「ありがとう」と手を合わせてから捨てている様子などを見ると、「日本人だ」と感じます。生物学的に半分はロシア人であり、父親に言わせると性格は「とてもスラブ的」だと言います。娘のおばあさんは先祖代々ボルガ川のほとりの小さな村に住んでいたメリヤというフィン系のロシア人でした。娘のマユゲはユダヤ人が見え隠れする時もあります。言語も、文化も、DNAも、いろいろに混ざったチビな命、それがわが子というのが現状です。

 子が生物学的背景をこえて「何人か」を考えるときひとつの指標になるのが「どの言語で深く思考するか」ついで「その国の文化が母文化として体に染みわたっているか」という点かと思います。私自身を振り返れば、「日本で生まれた」ことや、「日本人から生まれた」こと以上に私を日本人たらしめるものがあるとしたら、「私は日本語で深くものを考える」「日本の文化を熟知している」という点ではないかと思います。

 とりわけ日本語による思考は、私が日本という地理的な座標から遠く切り離されても、いつでも変わらぬ基準点として自我を照らしてきました。義両親についても同じで、移民として40年以上このアメリカで暮らしてきましたが、どれだけアメリカの生活に馴染もうと英語がどれほど堪能になろうとも、思考の深部にはいつもロシア語があり、ソビエト的思考回路があり、日常のいたるところで脳裏にソビエトの詩、歌、美術や歴史の知識があふれます。たとえ国を捨てたとしても、やはりどこまで行ってもソビエトの人なのです。これは、アメリカの移民一世の中ではよく見られる現象です。「血は水よりも濃い」といいますが、この移民の国に住むと水よりも血よりも濃くさらに強力に自己を醸成する存在は「土」であり、それと固く抱き合った存在である言語と思考である、と思えるようになります。

 まっとにかく、そのような観点から見れば、いずれアメリカで義務教育を修了してアメリカ文化に精通し英語による深い思考能力を身に着けることになる娘は、アメリカ人だということになります。生まれた時から疑いようもなくアメリカ人であるよその子供達と比べたら、成長のうちのどこかの段階でアメリカ人に「なる」後天的なアメリカ人とも言えるかもしれません。

 ここで日本人の親としては、子供が「アメリカ人」であると同時に「日本人」であることは両立し得るのか、というソボクな疑問が浮上します。さっき書いた考えをもとにすると、子が「日本の文化を体験として知っている」「日本語での深い思考が可能」であれば、「およそ日本人」と言えるとも思うので、じゃあ、将来的にそれをある程度可能にするレベルの日本語の力が子供にもあるといいいな、というところまでやってきます。




 ここワシントンDCメトロエリアは、日本人や日系子女が学ぶ場としていくつかのオプションが存在します。文化公共事業、および学生支援などを行うワシントンDC日米協会をはじめ、日本語継承センター、文部科学省承認校で高校2年生まである補習授業校ワシントン日本語学校などがその筆頭と言えます。また、全米でも珍しいのですが公立校で英語と日本語によるエマ―ジョン教育を展開しているFox Mill ElementaryGreat Falls Elementaryなどの小学校があります。未就学児についても土曜だけ開園する幼稚園にさくら学園たんぽぽ幼稚園ひまわりの会、日本語で保育を行うホームデイケア・プリスクールにバージニア州ハーンドンのわらべ教室、メリーランド州ベセスダのWEEセンター、などがあります。日系人の若者同士の相互扶助や夏冬のキャンプ・プログラムの運営をしている団体としてオーエン・ネットワークがあります。

 在住日本人の母数としては決して多いとは言えない都市圏にありながら、「日本文化や言語の継承」という観点から取ることの出来る選択肢が複数存在することは比較的恵まれていると言えます。北米において「バイリンガルの技能を高いレベルで維持している(バイリテラシー)」と判定されることは、たとえばバージニア州では「Seal of Biliteracy」の称号が与えられたりAP試験 (Advanced Placement Program Exam)やSAT試験(SAT Japanese with Listening)で大学の単位を先取り取得できたりと、進学や就職活動において実益を伴うので、子にとってもメリットがあります(とはいえDC圏は非常に優秀な人が多く、「マルチリンガルで全ての言語がビジネスレベルに達してる」というようなバケモノ人材もゴロゴロしているため、実際には言語に+αとなる活動や運動系の技能なども同じくらい重視されると思います)。ともかくも子供に多言語教育を施す事にはさまざまな恩恵があるということで、特に日本の義務教育に批准した内容を教えてくれる日本語補習校には、毎年多くの子供達が進学します。


娘が初めてキンダーへ行く日、自分はスクールバスの所に連れて行ってもらえないと知った時の犬


 と、ここまで色々書いてきてずっこけてしまうかもしれないのですが、娘は補習授業校の1年生には上がらず、うちでのんびり自宅学習で日本語をやっていくことにしました。主な理由は、地理的な距離(上述したような機関の多くはうちから1時間圏にあります)と、またすでにアメリカの学校生活や習い事もある中で、さらに補習校へも行くとなると、子供が教室や机や車の中で過ごす時間が長くなりすぎるということです。ちょっとヒッピー的な考え方かも知れないけれど、今の我が子供の状態を見発達度合いを見、アメリカの幼稚園の成績を見、と総合的に俯瞰した時に「もっと実際の世界でさまざまな人と交流し、本物の自然と触れ、身体を動かしたり時にケガをし、原体験を積むことが必要だ」と感じました。

 普通に考えれば今後長く日本語学習を続けていくわけなので、勉強の習慣をつけるためにも速やかに日本式の学校に入れるのが良いと思いますが、最終的に学校で強制的につけられる『勉強習慣』と同じくらいかそれ以上に、実際の体験とそれに裏付けられた思考力、自信、独立性、社会性、根気そしてそして体力✊などがこれからの世を生きていく人には特にだいじで、まずはこれらの芽を伸ばしたいと考えました。

 また人間の子供を育てるうちに気付いたのですが「子の周囲に質の高い友達の輪がある」ということはかなりだいじな反面、子供が自力でこれを構築&維持していくことが難しいです。特に車社会のアメリカではこの傾向が顕著で、ここでは小さいうちからそういうものを作ってあげるのはじつは重要な親の役割だった、と気が付いたわけですが、しかし親が自分から働きかけて作っていく以外に効率的な方法はなく、一朝一夕では困難です(だから日本でもアメリカでも子供を私立に入れたがる忙しい親、というのが一定数いるのかな、と思います。ネットワークづくりを学校が手伝ってくれるので、、、)。というわけで、今後は犬のブログにときどき「外国で日本人を育てる(という無理難題にのたうちまわる私)ノート」が入ってくるかもしれませんが、ちょっと箸休め的な話題と思って、お許しください。




 ところで娘は昨日初めて「お弁当に箸が入っている事がみんなと違ってると思って急に恥ずかしくなった。」と教えてくれました。先週までは何の疑いもなくお箸とのり弁を持って学校に行っていたのです。クラスメイトは9割以上が白人の地域ですが、初日からお箸も海苔も、スナックに実家から送られたおつまみの貝柱(⇐娘の大好物)も持たせていたのです。かなり能天気な娘も、自分の食べ物がまわりとだいぶ違うということに急に気が付いたみたいで、日露米あやふや人⇒アメリカ人、への変容は既に始まっていると言えるでしょう。

 箸が恥ずかしくなった娘ですが、今朝のべんとうはサンドイッチにして、食器はフォークやスプーンを入れようか?と言うと、箸のままでいいと言ったのでそのままになりました。よく聞いてみるとどうもアメリカ人の子は弁当に野菜がたくさん入っているのに慣れてない子がいるみたいで、娘は茶色や緑色のお煮しめを「ew(きもっ)」と言われることもあるようなのです。「次は、あなたは工場で作ったソーセージや油で揚げたポテトばかり食べてるの?ew、といいなさい。」と言ったら大笑いしていました。

 まだまだ小さい今のうちに身辺の出来事に自分で対処する方法を学んでもらいたいです。相手と同じ土俵に立ってみっともないと思われるかもしれないですが、○○ちゃんにewと言われた、とか先生に言いつけて自分の問題をだれかになんとかしてもらおうとするまえに、小さいうちからハッキリ言いかえしていじわるするべきでない相手だと分からせることはだいじなことです(「何度もいじられる場合や、身体的に被害が及びそうな時は先生に言う」ことと基準は与えています)。それに、言い方は悪いけど、そうやって自分の力で他者を打ち負かす経験をしていないとはっきり言って自信は育たないと思うので、幼稚園の今がチャンスと思って頑張ってもらってます。


タコのようにかしこく柔軟に



2022年4月25日月曜日

パラダイム教に入信


 突然ですが入信しました。笑

 犬の餌とか栄養といったトピックは深遠なるもので、私が犬餌をのぞく時、犬餌もまたこちらをのぞいているといったレベルで膨大な情報がこの世の中に散乱しているわけでありますが、何が良くて何がダメかといったごく基本的なことさえ時代と共に変わっていく様子が伺え、いつまでも「最適解」を掴むことが困難です。でも最近、ひとつ(本当に小さなことですが)まちがいない事実を掴みました。それはコディが「パラダイム」をやたら好むということです。

 パラダイム(Dr. harvey's paradigm)とは近年犬の専門店などに行くと取り扱っていることのある野草や野菜、ハーブ、スピルリナ、根菜類などを中心にした乾燥餌で、使う時に必要量をお湯でもどし、肉類と油脂を適量加えて犬にあげるというものです。犬に手作り食をあげているオーナーさん達の間なんかでわりとよく取り沙汰される餌で、特にオリジナルのレシピには炭水化物が入っていないので、犬のケトジェニックダイエット勢にも一定の人気があるようです。私は日本の犬の健康食のサイトを見ていたら載っていたこの製品に興味を持って、アメリカの公式サイトへ行ってフリーサンプルを頼んだら、かわいいカードと共に試供品が送られてきました(写真上)。けっこうたくさん入っていて、小さな犬さんだったら何食分もとれるのではと思いました。すごく太っ腹です。

こんな風にお湯でもどして使います。薬用ハーブティーとか若干ウコンっぽい香りが漂います。

野菜嫌いのコディがどういうわけかよだれを垂らしながら周囲をウロつく程興味を見せます。


 私はこれまでコディと暮らす中でさまざまな餌を試してきましたが、現時点の世で、犬の総合食として一番研究が進み一番歴史が長い「犬のドライフード」というものに一定の信用を置いているため、これまでコディの献立に手作り食的要素を積極的に取り入れるということはありませんでした。多分これからもないでしょう。でも「自分の犬が何か特定のレーベルの餌が好き」ということはそういうのとは別次元の話で、特にシニア期に入ってきている愛犬のことなので、やっぱり「好きな物があれば沢山食べて欲しい」という気持ちがあります。それが健康的にもそこそこよいとされているものなら、願ったり叶ったりです。

 パラダイムは栄養バランスの観点からは100点満点ではないという返しもあります。確かにそうなのかも知れません。でも、昭和生まれの中年の私からしたら犬ってもともと残飯食べて、子犬のうちに死ななかったヤツはなんやかやで7~8年くらい生きて、何かの病気やケガで死ぬ、というのが過去何百年間のライフサイクルだったと思ってるので「こんな立派な物を食べて、早々死ぬことはないだろう」と思います。尚、7~8年というと本当に短く聞こえますが、「犬のアクティブイヤー」という観点から見ればこの7~8年は、「彼らが生を謳歌する」という意味では個人的には悪くない年数だと思います。もちろん、出来る限りの健康と共に長生きするのがベストなのは言うまでもありませんが。



 ちょっと脱線するのですが、犬餌のことで思い出した小話があります。旧ソ連出身の義父によると、少なくとも1950~60年代頃までのロシアやヨーロッパ周辺国では、「ドッグフード」という概念は非常に希薄だったと言います。この時代、一般の人々がどのように犬の餌を準備していたかというとちょうど日本人が残飯に汁をぶっかけた「犬まんま」をやっていたように、自分達の食事を準備する時に極力薄味にした肉や魚のスープを作り、パンやジャガイモなどの所謂「テーブルスクラップ」にかけて与えていたと言います。「缶フード」などの類も、軍用犬などには使われたかも知れないが一般的には普及していなかった、と言います。

 義父は、当時一緒に住んでいた祖父母が、自分達の生まれた1920年代から変わらぬやり方でこうして犬の餌を毎日準備していたのを見ていました。当時ロシアでは一般家庭に冷蔵庫がなかったので、その日の食材はその日に入手することが多く、「粗食だが鮮度は悪くなかった」そうです。役所の繁殖プログラムでイーストヨーロピアンシェパードを飼っていた義母の家でも餌については全く同じだったそうです。


ミーハーオイルも手に入れました。

 ペットの長命化が言われて久しい昨今ですが、私が色々見たり読んだりして来て感じているのは、餌とかよりもなによりもまず予防含む医療全般が進んだことが犬の寿命を劇的に伸ばしたということです。人々が定期的に獣医でワクチン接種をするようになってから、子犬はあまり死なずに育つようになりました。

 比べて、犬餌はわりと遅れて進歩してきた印象というか、私が覚えているおよそ40年くらい前までの日本でも一般家庭の犬はビタワン的なグレードの餌を食べ、あとは食卓の残り物とか、たまに貰えるビスケットやおせんべいを牛乳にひたしたやつなんかを食べていました。因みに日本で1960年代にビタワンとかデビフのような犬用配合飼料が出る前は、愛犬家達は犬に幼鶏用配合飼料を与えたりして育てていました(資料:ビタワン公式)。実際は各家庭で汁を足したり、卵を入れたり工夫して餌やりしていたとは思いますが、養鶏用飼料といえばほとんどは穀類、くず米、くず麦、フスマなどで、たんぱく源として魚粉や大豆かすが気休めにちょっと入っている程度のものです。日本の年寄りの猟師さんなどは寒い時期になると、ラードを犬の餌に加える人も見た事があります。

 今の人たちには信じてもらえないかもしれないですが、そんなのでも犬達は生きていました。昭和中期から後期に限れば、犬というのは家族としては二軍の存在であり、ぜいたくな住処や餌を与える人はまだまだ一部でした。私の祖父母の家の犬達…ペットのボクサーやサモエドなどもそれでみんな普通に10歳とか12歳位まで生きて、死んでいきました。彼らの食事は現代のスタンダードからすると相当粗悪と言わざるを得ないものでした。その割にみんな長生きだったのはやはり運動をたっぷりして、定期的に獣医に通っていたからだと思われます。

 田舎なんかではとくに、大部分の犬達は外に繋ぎっぱなしで車庫の一部をベニヤ版で囲ったような所に古布を入れて犬小屋にしたりと、とにかく今とは比べ物にならないほど雑な扱いを受けていました。みんな生まれてから一度も風呂なんか入ったこともなさそうな犬達でしたが、毎日元気よく吠えてシッポをちぎれんばかりに振って、大急ぎで餌を食べ、端的に言えば現代を生きる犬達となんら変わりのない幸せな命の時間を享受しているように見えました。犬とはなんと柔軟な生き物か……。

………ものすごく脱線してしまいましたが、とにかく、こういう原体験のために私は「犬はかなりの粗食に耐える生き物」という刷り込みがあるのかもしれません。



 だからといって「コディも残飯やいぬまんまを食べよ」ということではなく、必要に応じていいものを取り入れてなるたけ元気に長生きしてほしいなと、思ってます。トータルな意味での犬の健康には運動、医療、知的刺激、栄養がバランスよく存在することが肝だということは、もはや疑いようもありませんが、それらについてできるかぎりの最善を尽くした後は、あとは天命があるだけだと理解します。人間もきっと同じでしょう。



2022年3月30日水曜日

最近の草


 そだてている草(多肉植物など)の近況です。犬も子供もまっったく関係のない記事でごめんなさい。いつぞやもボヤいていた通り、私の地方の園芸やは管理があまり良くないところが多いので、買った株をすぐバラバラにして養生したりしていると、鉢ばっかり増えてしまいます。でも、こういう草は一般的にはミニチュアの頃が一番可愛いとされ貰い手も多いんで、これでいいのかもしれません。根がきちんと張って太ってきたやつから友達にあげたりしていますが、結構喜んでもらえます。



 去年の8月の時点ではこんなに初々しかった宝草。それから子株がボーボーに生えてきていつのまにか「ヤンママ風」の様相を呈しています。そろそろ植え替え時なのかもですが、これはこれで可愛いのでいじりたくないです。でもこのままだと根づまりしそうなのでやっぱりそろそろ土を変えた方がいい気もします(めんどくさし)



 これも去年の8月頃に買ってきて解体して、そこから発根していたエケベリア・ローラですが、こんな風になっています。盆栽用の浅鉢に入れて放置してたのであまり育ってないのですが、先週重い腰を上げて植え替えて見ました。大きく育ってほしいやつはちゃいろの鉢に入れてみました。夏に向けてバンバン光を当てたいです。先週の金曜あたりを最後にバージニアは氷点下の夜は終わったので、今後は外で管理します。デッカくなってネ。


 一番最近来たやつ、ハオルチア・エメリアエ。近所のホムセンでひと冬ネグレクトされてたようでとんでもない姿になっているけど、「もともとこういう植物だ」と思い込むことにしました。すると、これはこれで可愛く思えてくるので不思議です。窓がブツブツしてて触ると気持ちがいい。いつか子株がとれたら、植え替えをしてピチピチのプリプリに仕上げてやりたい草。



 休眠処理という名の屋外放置を経て芽を出しているギボウシ左グアカモレ・右ゴールドスタンダード。いやあ強い!こんな小さな鉢で何度もガチガチに凍ってもう絶対死んだと思っていましたが生えてきましたね~。枯れ葉など体積物をそのままにしたのと、完全に乾燥させたのがよかったかもしれません(むしろ中途半端に水やってたら死んでたかも)。しかしさすが日本の野草、アメリカにはるばる渡ってきても大和魂は受けつがれていると思いました。

 無事新葉も出てきたので、また今年も室内で育成してみたいと思います。ゴールドスタンダードは西日で焼け死ぬと知ったので今年は同じ失敗はしないようにしたいです。というか、気を付けてあげないとちょくちょく植物が焼け死ぬ家です。普通に天気のいい日にデッキとかに出て照度計で計っても8万ルクスは固いので、さっさとサボテンでも買ってきた方が良いのかも知れません(この思考、破滅への入り口)。


2022年3月29日火曜日

採血が出来ない問題



 木の芽時を迎えているここ北バージニアの田舎です。数日は天候が良かったので、例のパワー散歩ができました。上の写真は、これでだいたい2日間4回分の散歩の分量です。大型犬1頭と成人1人で取り組むとけっこうな収穫がありますね。この犬はとても力持ちです。記念写真?を撮った後は、仕分けをしてリサイクルに出します。

 セラピードッグの訪問も、先方からの連絡が来はじめました。こんどは、某旧ソ国の部門です。これを書いている今は日曜日ですが、今もあの閉鎖空間の中で朝も夜もなく働いている人がいることを思います。でも最近、この訪問活動のやり方もそろそろリファインしないとな、という懸案事項が出てきました。




 上はこの1カ月、3回目の獣医科訪問で撮った写真。コディの獣医嫌いは徐々に悪化していると感じていましたが、齢7歳にして採血を拒否しだしました。飼い主の度重なる獣医訪問の苛立ちが伝わっているのか、伺うような目をしてるのがちょっと笑えます(笑)。いや、これから年をとって、尚更検査が大事になるのに、本当は笑いごとではないのですが。

 この日は口腔に出来た発疹の治療の経過を見ておしりのチェックと、フィラリア予防薬の処方のためのルーティーン採血をすることになっていました。2回目の訪問ですでに採血が出来なかったため「トラゾドン」を処方され、前日の夜と当日の訪問2時間前、時間を計って服用していた・・・にもかかわらず、獣医看護師の人が針を近づけると受付まで聞こえる大声を出して身をよじり、獣医さんが「採血は危険」という判断になったようです(…)。

 私からすると大声を出して抵抗すれば災いから逃れられるとは学習して欲しくなかったので、そのままガッと血をとって欲しかったのですが、獣医さんや看護師さんからしたら「口を開けて暴れる大きなシェパード=危ない」となるのも、理解できます。もう少し小さい犬の場合はマズルをして強制的に補綴して施術をする選択肢もあるが、コディの場合は活動レベルや興味、食欲、歩様、排泄、屋外での過ごし方といったものに全く変化が見られない為、また歯のクリーニングを麻酔下で今後半年以内に行う可能性があるということで、一旦「現状維持&経過観察」とし、採血や検診、必要な予防接種のセットは麻酔下でやることにまとまりました。トホホです。

 それにしても、これまでに幾度となく獣医さんで治療を受ける練習を、山ほどの報酬とともに繰り返してきたわけですが、どんなトレーニングも万能ではないということを思い知りました。本当にやれやれです。この採血の件や、音に敏感になってきていることは、中年を過ぎて徐々にストレス耐性が低下してきているということでもあるのかな?と感じます。少しでも改善策を探るために、調べたりプロの知り合いなどに聞いてみたいと思います。同時にセカンドオピニオンをとりに行くことも考えて、良い獣医さん探しを続けています。コロナな日常が終わったばかりで、どの獣医科もまだまだアポイントメントが取りにくい状態のため、検査などは早め早めにやったほうが良いためです。


 人間でもそうですが、犬もどれだけ一生懸命練習をしたとしても、何もかもにおいて完璧とか、いつも優等生、というわけにはいかないのでしょう。コディだってとても優しく頭のいい犬ですが、砂糖に覆われた中に優等生と野生児という二面性がこう、ピタッとサンドになっていて、鈴カステラみたいな状態になってるのだと思います。私はこういうタイプの犬はパンチがあってむしろ好きなのですが(多分、自分もどちらかというとそういうタイプだから)、現実問題困る事もあります。肩の力を抜きながら改善にむけて出来ることをしていきたいです。


コディのバックパック


 サクラやアンズの花が満開のバージニア北部、ここ数日はかなり冷え込んで、陽光の中で時折パラパラくる粉雪が光っています。我々のほうは、前回のノートに書いていた秘密兵器が来たので、ここ1か月ほど慣らし運動をしていました。なかなかいいかんじです。トングと、軍手もゲットしました。私の軍手は、なんと花柄です(全くもってイラナイ情報)。


 コディが背中にしょっている緑の袋がその「秘密兵器」です。ノルウェーのサーミ自治区にある小さなキャンプ用品会社にオーダーしました。容量は40リットルで、ちょっとしたヒト用デイパックよりもたくさんものが入ります。テントなどの野外用品に使う布地を工業縫製で縫い合わせてあります。これが届くまですごい紆余曲折があって、ノルウェー語しか対応してないオーダーサイトからは注文も振り込みもできず、発送も基本的に国内のみだったため、直接交渉してインボイスを作成して送ってもらったのでした。時間はかかりましたが、スタッフの方がとても親切に対応してくれたので実現しました(ありがとう)。

 最初の2週間ほどは空の状態でしょわせて歩かせて、慣らし運動と荷重分配の確認をしましたが、左右のウエイトの違いに結構繊細なので、そこさえ気をつければあとは比較的シンプルで非常に使いやすいバックパックです。なによりこの緑色をすごく気にいっています。派手じゃなく、でもバックグラウンドには埋もれず、素朴だけどちょっと目を引くような、しかしカッコつけすぎない、なんともいえないいいデザインだと思います。

 日本やアメリカだと「犬のバックパック」といえばファンシーか、スポーティか、タクティカルか(軍隊みたいなスタイル)みたいな極端な選択肢しかなくて、それぞれのカテゴリにマッチする犬の場合は良いのですが、コディ郎のようにファンシーでもスポーティでもタクティカルでもない犬にとっては「どれをしょってもなんかヘン」という状況になってしまうのが悩みでした。また、私はこれは「犬に荷物をしょわせる」という文化がないことが原因と思っているのですが、容量自体も多くないものがほとんどで、ハイキング以外の実務に耐えるような製品がありません。



 私とコディがせっせと片付けた通りを地元のホースマンが通っていきます。思わず口元が緩んでしまいます。私達2人の秘密のプロジェクトによってきれいに保たれた道をあなたたちは何も知らず歩いて行くのだと、ちょっとほくそ笑みに近い笑いです(笑)。

 ニュースを見ればウクライナ情勢がヘッドラインを席巻する中、私は自分にできる事を実直に続け、家族や子供や、こういう光景が見られる日々を守っていかねばいけないと、思いを新たにしました。騒がず、弱った心に鞭打って奮い立たせ前に向かって歩み続ける事が時に必要だと、40年前ソビエトを捨て亡命者となった私の家族達は教えてくれました。

 遠くの世界の不正に対して憤ることと同じかそれ以上に、今目の前にある問題を自分のものとして捉え、能動的に取り組むこともまた重要であると思いました。家族や友や隣人のために働くこと。(がらくた拾いみたいな些細な事でも)思い立ったことを実行できる健康や時間がある今日一日を感謝しながら生きようと思いました。

2022年2月23日水曜日

コディ7歳


 1月初旬、犬のコディが無事7歳の誕生日を迎えました。

 コディの最近の主な関心事はトレーニングと散歩です(というか生まれた時からずっと主な関心事ですかね;)相変わらず子犬の様にドスドス跳ね回り飼い主がやりたいことには何でも付き合うという気概を見せてくれるので、嬉しいです。本気でどこにでも一緒に連れて行ってもらえると思っているので、私は常に「50キロを超える犬のカタマリと共に生きる人」としての人生を余儀なくされているわけですが、私自身も車のルームミラーにコディが写っていないと違和感を感じるのでどっこいどっこいといったところでしょう。嗚呼、シェパとシェパ飼いの共依存

 「一度シェパードを飼ったらもう他の種類の犬を飼えなくなる」という言説をときどき耳にしますが、こうしていつのまにか、ビッチリと隣についてくる犬の存在に慣れ過ぎてしまうためかと思います。「一緒に買い物に行きたいひと」と声をかけると「ワン!」と当たり前のように返事をする存在に慣れきってしまうのです。私は「家の柵の外に出るまでおしっこしてはいけない」と言うとおしっこしてはいけない、おしっこしてはいけないという目をして健気に小走りする犬に慣れきってしまいました。

 つい最近、アメリカ人のご近所さんがバージニアの土着のハウンドを養子に引き取ったのですが、あまりにもシェパードと行動が異なるのでカルチャーショックを受けました。広いお庭のあるお宅なのですが、匂いをとりながらひらひらとそこいら中を駆けまわっていました。ロングリードを着けていないとあっという間にどこかへ見えなくなってしまうのです。何もない草原に座ったとして、自分もすぐ近くに腰を下ろしてジト~~~~~っと熱気の籠った上目遣いで見つめてくるシェパードとは全然違いました。ハウンドは、個人的にシェパードなんかよりずっとずっとしつけにテクニックを要するのではないかと思いました。


この犬、愛情が重め ※小さくシッポ振ってます 


 とまあ、愛犬もめでたく7歳児となったわけですが、日課の散歩も決定版と言えるものに進化してきました。①行きは犬トレ散歩、②コディが地面の匂いを嗅いでいる時は私がスクワットなどの運動をし、そして➂帰りは道に落ちているごみを拾って帰る、という「なんだかわからないパワーな散歩」になっています。日本の友達とスカイプで話しながら歩く事もあり、朝夕の散歩がかなり有意義なものになりました。

 コディは、私が道に落ちてるものを拾うためにしょっちゅう止まっても気にしないようです。根気よく待っているので「おりこうだね」とほめると嬉しそうです(今日のノートの一番上の写真が、ほめられた時のようすです)。気が向いたらペットボトルなどを拾ってきてくれることもあります。今、このゴミ拾いのために海外から秘密兵器を取り寄せているので、届くのが楽しみです。

「チン」というコマンドでフセから顎を地面に着ける。チョコベビーみたいな形になる。


 健康面に関しては、一般的に「大型犬のシニアエイジ」と言われる7歳のマイルストーンを通過し、やや下り坂といったところです。この犬は、メンタル的な意味では5歳くらいから老化が始まっていたと感じますが、今後は肉体的な面でも徐々に衰えが見られるようになってゆくでしょう。実際、2021年の間は細かい健康問題を経験しました。その中でも大きかったのはかみなりを本格的に怖がるようになったことと、口・おしりの穴付近になぞの炎症が現れるようになったことです。

 おしりの炎症については、今は寛解していますが、一時期けっこうひどくて、病院へ行くと肛門嚢関連の問題を疑われて全身麻酔をかけて検査したりと、わりと大事になりました。結局これといった原因は分からなかったのですがその後も時々赤くなるので、長い付き合いになりそうだと感じています。コディは黒い大きなシェパードなので、見た目でソンをするというか、基本的に病院の人にはものすごく警戒されますし、やっぱりコディ自身もあまり体を触らせないので、主だった検査や治療は麻酔下で行われることになるんだと、実感した一件でした。早期発見が特に大事な犬と言えます。今後は定期的に獣医科に通ってメンテナンスをしながら、原因の特定に務める1年になりそうです。

 また、右の前足に時々痛みがある様です。よく観察したところ、若犬の時にドッグランでひねった所と同じ個所が痛んでいるようで、これも獣医師と相談しながら投薬と、運動に制限を加えながら、筋肉を強くする補助的なエクササイズを今後も続けて経過を見ています。しかしまあ、こういう時に処方される薬がとにかく高いです。アメリカはそもそも動物の医療費の上昇が言われて久しいですが、年齢がそれに輪をかけて、医療費は今後もっともっと必要になっていくと思います。仕事を増やして財布の準備をしておこうと思いました。




 獣医さんから「念のため肛門腺に優しい食事を」と指導を受けました。具体的には食べなれたえさに食物繊維をプラスするというだけですが、よく低糖ダイエットなどに使われるサイリウムパウダーを勧められたのにはおどろきました。ドッグフード1カップあたり、おおさじ1杯を添加します。そのままだと、少しの水分で皿にくっついて残ってしまうので、フィッシュオイルを加えて少しこねこねしてから与えています。上の皿がコディの1日分のえさです。時間がある時はこれをロープをつけた、小さな穴をあけた空の牛乳の容器に入れて庭を引きずっていき、なんちゃってトラッキングをさせます。また、ときどきオーブンでカボチャを焼いて与えています。

 ベースにしているドッグフードはここ数年はずっとVictor Purpose Performanceです。このフードはちょっと心配になる位安いのですが、アメリカの国内産だという点と、時々読む警察犬のフォーラムでおまわりさんがおすすめしていたので試したところ便の状態が良くなり、以来ずっと使っています。使役犬は忙しくておなかこわしている暇がないので基本、最も失敗の少ないエサ(大抵はすごく粗食)で一生やっていく犬が多いですが、コディもその作戦を踏襲しました。これにゆで卵や、スープを作った時にでた鳥肉、ゆでた野菜などを入れています。


 ここ最近の犬のアップデートは以上です。そうそう、そういえば数日前、春一番かは分かりませんが夜中にものすごい強風が吹きあれました。翌日にコディが窓辺でウ―――ッと唸るので見てみると、前に友達がプレゼントしてくれた鳥さんのおふろが倒れていました。コディはあまり唸らない犬なので驚きましたが、「いつもの様子とちがうもの」に敏感でよく気が付きますね。


2022年1月4日火曜日

ビーチから吹雪へ




 あけましておめでとうございます。新しい一年が始まりました。この辺鄙なブログを見に来て下さっている皆さまのご健康と、さらなるご活躍をお祈りしてます。不肖私も新しい一年を迎えるにあたって机に向かってノートを広げ「これから達成したい事」をつらつらと書き出したところ、まああまりにも沢山あって、正月早々武者震いするはめになりました。


マノア・バレーにて

 年末、年越し、お正月は、義父を訪ねハワイ諸島で過ごしました。自分が小学校の低学年頃までは、ホノルルに家があった為この地は何度も訪れていますが、大海原に沸き立つ雲や植物の生い茂る自然、マウナケアの圧力を感じるほどの星空や、怒れる火山などの素晴らしさを本当に噛み締められるようになったのは、30歳を過ぎた頃からです。

 今回の滞在では夕日の沈む浜辺に大きいテントを出してクリスマスの御ミサを開く教会や、サーファー姿のサンタさんなど、南国情緒に満ちた年末を過ごすことが出来ました。最終日は朝からヤシのしげるプールで過ごしました。

 バージニアに帰り着いて空港の外へ出てみると猛吹雪で、ほんとに小学生なみな感想なのですが「地球ってすごいな。」と思いました。大宇宙から見たら私なんか星の地表に蔓延るアメーバやパンカビ以下の存在でしょう。でもこの地球のパンカビでいられるのは幸せです。

タンタルスの丘にて。見晴らし台の近くに生えていたサボテンら

 休暇中コディは何をしていたかと、バージニアのシェパードのプロIさんのお家で家族ぐるみのお世話になっていました。朝はIさんと散歩し、昼はIさんの愛犬シェパードや仲間のシェパード達と遊び、夕方はIさんの息子さんのソファにのさばって一緒にテレビゲーム実況を見、夜はIさんの娘さんのベッドで一緒に横になるなど(!)大変可愛がってもらっていたようです。

 Iさんはコディを預かると「性格がいい、しつけがいい」「顔がいい」「この犬を育てたあなたは素晴らしい」と、いつもすごく褒めてくれるので嬉しくなってしまいます。「7歳という年齢からするとものすごいよく遊ぶ犬。遊び相手が来ると24時間いつでも遊べる。まわりの犬が疲れると人間を遊びにさそっていた(笑)。」というコメントももらい、やっぱりシェパードに慣れている人にとってもわりと元気な犬なんだなと思いました。気候が寒かったせいもあるでしょう。寒いと無限に遊ぶ奴なのです。

 そんなコディも今年はシニアの域に入り、身体の不調が出始めてもおかしくない年齢になってきました。こちらも、トレーニングや体調を日々うまく気を付けながら、家の愛犬としてセラピードッグとして、なるべく良い日々を積み重ねていけるよう注力したいです。



2021年11月21日日曜日

感謝祭の日/娘6歳


 秋が過ぎていきます。2015年に生まれた娘も、はや6つの誕生日を迎えました。日本的な見方をすれば、子どもは7つまでは神様のもちものなので、娘も今まさに「自然発生的なバブバブとした者」から、徐々に意思を持ったひとりの個体として、人間世界への移行を果たしている所なのでしょう。ここ最近などは前歯がグラグラすると言うので見せてもらうと、たしかに下の前歯の後ろから、もう永久歯が頭を出していました。神秘的でした。最近では顔立ちや行動からも幼児っぽさが抜けてきて、(おつむの方はともかく)見た目はだんだんと少女然とした感じになってきました。

 感謝祭の週はボストンに移り住んだ旧友の一家が会いに来てくれ、当日は準備したごはんを囲んでささやかな夕食を摂りました。キッズらにクックパッドにのってた「フルーツターキー」を作る様言ったらちゃんと上手に作ってくれ(写真)、みんなで床を這いまわってた頃から比べると、何たる成長ぶりかと思いました。こういった機会にあの人も会いたい、この人とも話したいと思う人がいろいろいるのは本当にありがたいなと、感謝の気持ちを噛み締めました(感謝祭だけに)。コディも久々に子犬時代からの友達「ショーン」に再会してお互いの顔をなめたり、互いの水皿の水をぺろぺろ飲んだりしていました(笑)。


 それから、人間の子供もそうですが、犬も、他者が持ってるものが「すごくいいものだ」と思う傾向があるなあと思いました。ション君はもともと「人がくれるものはなんでも大好き」というタイプです。そのション君にブロッコリーをあげていたところ、コディも一緒になって必死でブロッコリーください!していたのには驚きました。コディは生粋の肉男で雑草と根菜とキイチゴ以外の野菜は頼まれても食べないですが、ともだちが一生懸命もらおうとするのを見て、この小さい木はいいものに違いない!と思ったようです。「???」と目を白黒させながらブロッコリーを食べている様子を見て腹を抱えて笑ってしまいました。いつも本当に笑わせてくれるヤツです。

思ってたのと違った犬 テンション下がると耳と耳の間が離れます

 これまでの6年間、犬と子供を同時に育児してみて、まあ犬はもう人間年齢で言えば私すら追い越した立派なオジサンになったわけではありますが、育てる上で同じ考え方ができる点が多々あると思いました。前回長々と独り言を言っていた褒めることの有効性などもその一つかなと思います。ドッグトレーニングをしていく中で、犬に「自分にとって価値ある人だ」と認められていることは、そもそもの前提条件としてだいじだと思うという話でしたが、人間の子供にもこの考え方が通用するのではないかと思います。

 子供に「この人は私が生存していくのに有用な知恵や、物資を持っている」「この人の関心を得ることは私がよりうまく生きていくオッズを高める」とどこかで思われていること(それらを「信頼」「親子の絆」と表現する人もいるでしょう)、そういう存在だと認められていることには、大きな価値があると思いました。子育ての世界では比較的「大人の指示をよく聞く子供」「勉強が好きな子供」をどう育てるか、などのテクニック面に焦点をあてて論じる傾向がありますが、所謂おりこうな子供というのは、様々な手引きによって作られるのではなくて、上記の様な関係性がもともとあったために、平均より多くの系統だった学習をコンスタントにこなせた結果、「生じる」ものではないかと思いました。


 娘が6歳になり、義務教育1年目にあがり、一般的に言うヒトの子育て期間の1/3が終わりました。そろそろこの「犬といっしょ子育て」から、本格的にステップアップして、人間特有の要求や問題とも付き合ってゆかねばならない予感があります。「親だ」というだけで一生懸命着いてきて、無私の愛情を注ぎ続けるという、ちょうど小さな子犬にも見られるあの特別な時がもうすぐ終わろうとしており、これからは少しずつ「この人についていこう」「この人の話を聞こう」と自由な意思決定でアクセスしてくる、というところまで来た感があります。


 それと同時に、過去6年間の犬と子供のダブル育児を通してコディから教わってきた「ものの見方」「考え方」は、私と娘の関係性の土台を維持するのに今後も役立っていくのではないかと思いました。振り返ってみれば、仕事などもぼちぼちしながら、外国でワンオペで乳幼児と元気な超大型犬を同時に世話するのは、困難な局面も多々ありましたが、有意義な挑戦だったと言えます。見返った後方の景色が感慨を誘うというのは登山に似ていますね。引き続き「子育て山」のぼりをがんばっていこうと思いました。次の尾根は、まだ雲の中ですが。


2021年11月19日金曜日

褒めることの有効性


 どの飼育書、しつけ本にも必ず書かれていることがあります。犬がいいことをしたら「犬を褒める」ということです。でも常々疑問に思っていることがあって、「褒める事はいつも必ずしも有効なのか」ということです。これはいままでいろいろな犬にふれあったり、また以前飼っていたドーベルマンや、今飼っているシェパードに毎日かかわる中で出てきた問いです。

 この世には「褒められる事が有効な犬」というのと、そうでない犬がいるように思います。私の思う「褒められることが有効な犬」というのは、①生まれつき褒められる事への感受性が豊かな犬、そして②後天的に褒められる事への感受性が豊かになっている犬の2種類です(厳密に言えば、同じ犬でも状況によって感受性が増減しますが、、、たとえば家のキッチンと公園とでは褒めへのリアクションが違ったり、、、今回は「本質的に褒められることが有効かどうか」について考えたいと思います)。


 ①は、遺伝的背景などによって、ほとんど生まれつき褒められることが大好きなように見える犬です。子犬なのに声掛けすると短いしっぽをピロピロ振って、いくらでも人間の活動に付き合おうとするような犬です。特別人に対して親和性を育みやすい性質などの副産物なのかもしれません。私からするとそんな犬と暮らす事が出来ている人は大変ラッキーだと思うのですが、世の中の多くの犬はむしろ、飼い主との沢山の良い思い出を通して「褒められること=いいこと」と、頭の中でしっかりとヒモ付けられて、はじめて褒められることの意味を真に理解できるようになっていくように思います。これは②のパターンです。

 ②の犬は、しかし、「自分が褒められてる」「褒められることはうれしいことだ」とピンとくるまでに、かなり時間がかかることもあります。飼い主の側がそう思える状況を十分に作れていないなど、理由は多々考えられますが、生まれ持った性質としか思えない事もあります。私が以前飼っていたドーベルマンもそうで、「この犬は自分が褒められて心の底からよろこんでいる」と私が確信するまでに、じつに7年位かかりました。しつけ本に出てくるみたいな「素直に喜んでくれる犬」「褒められようとがんばる犬」になるまでに、じつに寿命の半分以上が経過してしまったのです。後から思えば、犬にとって私と言う存在がまだまだそこまで重要視されていなったからだと思います。ドーベルマンは強い犬なので、そんなどうでもいい存在の人間にほめられようが怒られようがシッタコッチャネ~、だったというわけです。

 犬のしつけを考えるとき、トレーナーさんの言う通りにやっているけどなかなかうまくいかないな、というペアの中には、こうしてほめるとかしかるとかいう以前に、犬と人の関係がまだきちんと構築できていないケースもけっこうあるのではないかと思いました。そういう時「褒める事」は報酬として全く意味を成さなくなります。




 考えてみればあたりまえなのですが、実際のところ自分に対してどんな価値があるのかはっきり分からないひとが、自分がやったことに対して突然キャーキャー言って喜んだって、なんか嬉しそうだと気分が盛り上がることはあっても、それで天にも昇るような気分になったり、震えるほど感激するということはないわけです。周囲のドッグトレーニングの様子を見ていても、そんな状況になっている場面を時折見ます。飼い主はワオ!グッド!とすごく嬉しそうだけど犬自身は全く気にしてなかったり、気弱な犬とかだと、どうも自分が原因らしい飼い主の豹変(?)に挙動不審になっている場合すらあります。こうなると「褒め」は通過して犬にとってはドッキリの域に入っていきます。個体によって適切なレベルの褒め方があるとも考えられます。

 また超個人的な見たてになりますが、これは、叱る時も同じだと思います。もともと飼い主と強い絆で結ばれている犬は、少々叱られたり、小突かれたりした位では揺らぎませんが、仮にそれら抜きでいきなり叱ったりしたら、「頭ごなしな学校の先生」とか「暴力的なオヤジ」みたいな感じになってしまい、自らの飼い主としての魅力を著しく下げることになるでしょう。また犬は驚き、「こわいから言う事を聞く」ようになるかもしれません。これは良い人&犬の関係を築く上で、多くの人が目指したい所ではなさそうです。先進国社会では犬を叱ることについては非常に賛否両論ありますが、私は、自分の犬を厳しく叱ることがあります。ただし叱る時はふだんからその10倍、いや50倍は褒めるようにして、関係性を良くしておくことが前提です。また、叱る事も褒める事も犬にわかる・伝わる形で行う事を最優先に考えている、ということは明記します。


 「褒め」のもう一つの側面として、「犬をやたら興奮させてしまう」という効果もあるように思います。これは逆に褒められることの意味を既にとてもよく分かっている犬に起こりやすいように思います。たとえば今飼っている犬のコディは、特定の状況で遊びをしている時に「グッドボーイ」と言うと、真顔になり、耳が直立し、身体がこわばり、私を凝視する瞳がギラギラしてくることがあります。これはコディが褒められた喜びの絶頂にいる時の表情なんです(以前通っていたドッグランに、この状態のコディがどうしても怖くて冷汗がでて体が硬直してしまうという人がいました)。

 こうなると、コディの場合はその後何かをさせてもバーンと元気が爆発してしまい、乱雑で適当な動きになってしまいます。「グッドボーイ」があまりに刺激的すぎて、コディの心と体のコントロールを弱めてしまいます(考えようによっては、犬に爆発的な力を出させるようなタスクには向いてるのかも知れません)。このことから、場所や状況によっても、適切なレベルの「褒め」があるのではないかと思いました。

 いつもの如く長くなってきたので振り返りますが、犬を褒めることも(叱る事も)、まずは関係ができてから、犬に「この人にほめられたい」と思う人になることが、多分先決だということ。そして、個体・場所・状況によっても適切な褒め方があるんではないか~?、、、というところまでまとめて、おわりにします。

 今日の写真は2ヶ月前に発根していたエケベリアです。ゆっくりですが窓際でも成長を見せてくれています。これらは皆同じ親株から出たクローン体のはずですが、成長速度や体色にけっこうばらつきがあるのがおもしろいです。来春頃には人にゆずれる位の大きさになってるかも知れません。



2021年11月16日火曜日

「ミッション・レディネス」


 犬の運動機能の向上についてちょこちょことオンラインの講座を受講したりして、勉強を続けています。日々の生活のすきま時間を利用してなので、自分でも考えたりためしたりしながらだと遅々として進みませんが、徐々に犬の体を見る目が養われてきているような気になって?楽しいです。学んでいるのは主にワーキングドッグ(警察犬、探知犬、救助犬や牧場で働く犬等)、プロテクションスポーツをする犬のハンドラーを対象としたものなので、自分の犬には転用できない事もありますが、参考として全て頭に叩き込むつもりで見ています。

 題材の中に、「Mission Readiness/ミッション・レディネス」という言葉が出てきます。「使命を果たす準備がととのっているか」というような意味でしょう。作業犬にはさまざまな使命がありますが、ペットに毛が生えたようなコディにも、セラピーの訪問という使命があります(日夜命がけの作業に従事する犬がいる中、本当にお気楽な『使命』ですが)。

 犬達は要請があった時、即座に社会の役に立つために、最上級のパフォーマンスが出来る状態を極めておく必要があります。これだけ言うと、使役する人の側の都合を押し付けているみたいですが、心技体がバランスよく整っていることは犬の自信を向上させ、ストレスを軽減し、怪我を防止し、間接的にその犬が長く健康に仕事に従事することが出来るという意味でもあります。犬自身の福祉にとっても非常に大切なことなのです。


 ワシントンDCは新型コロナウイルスの流行下、政府の施設の多くが閉鎖されたため、政府付属の機関に定期的に通っていたコディの活動も休止していました。ワクチンの普及と共に街のようすは元にもどってきたものの、セラピードッグ達が気軽に訪れられる状況はまだまだといった感じで、コディも加齢とともに以前と違った行動を見せているし、もしかするとこのまま引退かなあなどとのんきにしていました。

 ところが先月になって緊急の招集がかかりました。行き先は、最近政権が崩壊した中近東の国のタスクフォースで、土日祝24時間稼働しているとのことでした。ライフワークバランスを重視すると思われがちなアメリカ人が、昼も夜もスーツで缶詰になっている部署というのはふつうではありません。こういう、緊張感の高い場所へ行くほど、犬も人もむしろ平常運転でいることの方が大切です。窓のない政府の建物の中で日夜、冷たい活字と早口の要請の渦の中にいる人々にとって、犬は温かい生命や、日常の象徴ともいえるものです。ふつうの、どうでもいい会話の糸口であったり、落ち葉やよだれや、生き物の温もりを運ぶことがコディの「ミッション」です。夜間の訪問でしたが、準備は万端で臨むことができました。

 この訪問をアレンジしてくれているコーディネーターの方は、この機関にセラピードッグが定期的に訪問するようプログラムを確立したのは「2年前、初めて訪れてくれたコディアック(『The pup who started it all』)が大きなインスピレーション源になった」と、あとでメールに書いてくれました。また、訪問後自宅にブリンケン現合衆国国務長官のサインの入った感謝状が届けられました。セラピードッグの訪問活動を通して、こんなに大きな賞賛を立て続けにもらうことは今後もないと思われますが、「Mission Readiness」を意識しながら日々犬も人も心身の状態を整えていたことが、わかりやすく報われた出来事でした。