2014年9月30日火曜日

無題



 「思春期」と言う、人間の人生の中でもとても重要な時を共に過ごしてきた愛犬が死んでから、3年の月日が過ぎた。かなり年をとっていたその犬を日本の家族のもとに残して、遠く離れた国へ来て、そこに新しく生活の拠点を作ろうと日々がんばっていた頃だった。ある明るく曇った日、訃報は電波に乗って6544マイル離れたニューヨーク州の自宅に届けられた。

 その日の夜から不思議な夢を見るようになった。夢の中での自分は愛犬に同化して、見慣れた家族の家の中で、出された餌の入ったボウルの前に座っている。上には好物の蒸しキャベツものっている。突然胸が大きな鉄の拳で掴まれた様になり、体の奥からせりあがってくるような痛みと、驚きの中で、目の前の景色が赤や黒に点滅する。そして真っ暗になる。それは家族から聞いた愛犬の最後の(私の乏しい想像力を駆使した)再現のようだった。そして気が付くと、また犬になった自分が、見慣れた家族の家の中に立っている。この夢を、多い時では一晩に5回ほど繰り返し見た。そんな夜が一週間も続いたから、さすがに心身ともに元気な自分も神経衰弱一歩手前という風になった。

 この犬は、家族の中で自ら進んで「私の犬」というポジションに収まっていたけれど、「精神的に殊更近しい間柄」という感じはしなかった。でもいざ死んでしまうと、私とこの犬とは無意識のレベルで密接に繋がっていた事がわかった。毎日の平凡な散歩だって、すべてを繋ぎ合わせれば何千キロメートルも一緒に歩んできた犬。それは私の成長と人生の旅路を共に歩んでいたということでもあったと思う。死んでしまった日の事を思い出すと3年たったいまでも、この犬に対してもっともっといろいろしてやれたのになという思いが沸き起こる。

 もっと一緒にトレーニングをしたりとか、もっとがんばって働いて、もっといい餌をやればよかったとか、なぜ車の免許をもっと早くとって、もっともっと海や山へ沢山冒険に連れて行ってやらなかったのだろうとか、後悔することばかりが思い浮かんでくる。蝶のように朗らかでひらひら私の周囲を飛び回り、いつも笑わせてくれた犬。今は私のアメリカの家の居間に、ポーセリンの骨壺に入って静かに佇んでいる。まわりの温度と比べて一層冷たいその入れものに触るたびに、本当に驚くほどに小さな"モノ"になってしまったと呆気にとられる。死んだことを未だどこかで信じておらず、その中身は3年たった今でも、まだ確認できていない。

 ブリーダーの家で売れ残り、あまりかまわれることもなくひとりぼっちで大きくなっていたこの犬は、オモチャにも食べ物にも興味のない育てにくい犬だった。その一方で、自身の時間と愛情を惜しげもなく飼い主である私に注ぎ、多くの事……、「犬という生き物について」、その良い保護者であるための「飼い主学」について、考え、学びはじめるきっかけをくれたことは揺るぎのない事実だと思う。

 私は来春、新しい子犬を家に迎えいれる事にした。その犬に将来どういう犬生を歩ませてやれるかは自分の采配にかかっている。約15年ぶりの「子育て」ならぬ「犬育て」をするにあたって、観察と試行錯誤した痕跡をブログを使って残すことにした。最初の愛犬に教わったことを元にしながら。


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