2014年11月19日水曜日

においのゲーム

 てんかん患者の発作を事前に感知したり、人体の奥深くで増殖する微小なガン細胞を嗅ぎ分けたりと、知れば知るほど、犬の鼻と言うのはすごい器官だと思う。色んなものをフンフンと嗅ぎ分けるのは、犬達が生れた瞬間から、多分死ぬまで行っていることのひとつだから、「においを使ったゲーム」は犬達にとって頭と、体を一度に使えるという意味で、いい遊びだと言えるのではないだろうか。また室内で出来るものも多いので、天気の悪い日や、ハンディキャップのある犬でも遊ぶことが出来る。今日は、そんな匂いを使ったゲームにはどんなものがあるのか、調べた事をまとめた。


・どっちの手?ゲーム 難易度★☆☆☆☆

 匂いを使った、クラシックで手軽なゲーム。握った両手の一方に小さなおやつか、オモチャを隠し、「見つけろ」のコマンドで犬に当てさせる。差し出された手には鼻タッチか、手で優しくタッチする、または手の傍に座る事を覚えさせる。


・消灯ゲーム 難易度★★☆☆☆

 事前に犬を部屋から出しておく。ドアを閉めて見えないようにし、部屋の特定の場所におやつを3つほど隠す。電気を消し、犬を部屋に誘導する。「見つけろ」のコマンドで、犬におやつを探させる。繰り返すうちに、犬は飼い主が「見つけろ」とコマンドを出すうちは、まだどこかにおやつが隠されていることを学習する(=コマンドに対する信頼の構築)。隠し場所をだんだんに複雑にする(棚などのくぼみや地面から離れたところに設置するなど)ことで、ゲームの難易度を上げることが出来る。


・かくれんぼゲーム 難易度★★★☆☆

 このゲームは、「マテ」のコマンドが完璧でない場合、ふたり一組で行うのがやりやすい。フェンスで囲まれた庭や屋内など、ある程度の広さのある場所で、一方の人が犬をホールドしている間に、もう一方の人が隠れる。犬をホールドしている側の人はここで、「彼はどこへ行ったの?どこへいっちゃったのかな?」と、楽しい声を出して犬の気持ちを盛り上げる。

 準備が出来たら「見つけろ」のコマンドを与え、犬に隠れている人を見つけさせる。このゲームは、隠れる側が小さく咳払いをしたり、軽く身じろぎなどをする事で簡単にすることも出来るし、難易度をあげたければ、隠れた上から毛布をかぶったり、犬が見つけることが出来るものの、実際にそばに行くことが難しい場所に隠れる事などが有効である。


・さがしものゲーム 難易度★★★☆☆~

 このゲームはおもしろいだけでなく、犬が自分が飼い主の役に立っていることを感じ、意欲的に仕事をする自信を身に付けることができるものである。まずは静かで安全な道に、リードをつけた犬を誘導する。歩きながらポケットから小さなアイテム(最初はハンカチなどが好ましい)を、自然な感じで落とし、気付かないフリをしながら犬と共に歩み去る。15、6歩進んだところで、ポケットにハンカチがないと、探し求めるフリをする。「ハンカチはどこ?ハンカチを見つけられる?」と犬に向かって聞きながら、アイテムを落とした地点までゆっくりと後戻りする(同時に地面を指さしながら「見つけろ」のコマンドを出し、犬を勇気づける)。

 犬が楽にアイテムを見つけられるようになってきたら、ロングリード等を使用して犬が自分でにアイテムの傍まで飼い主を誘導できるようにする。落とすアイテムを金属(スペアキーや、スプーン、ブレスレット等)にしたり、引き返すまでの距離を伸ばすことで難易度を上げることが出来る。


・3、2、1、ゴー!ゲーム 難易度★★★★☆~

 オフリード可の公園や、すいているドッグランなどの安全な運動場へ行く。犬にリードをつけ 脚側停座させ、アイテム(最初は犬のお気に入りのオモチャなどが好ましい)を犬に見せた後、オモチャを放り投げる。「見つけろ」のコマンドで犬を放し、犬にアイテムを見つけさせる。

 このゲームはクラシックなオビーディエンスの一種目である「持来」に近いが、アイテムを投げる距離を徐々に伸ばしたり、アイテムのサイズを小さくしていったり、また段階をおって芝生の深いところへ移動することで、犬が嗅覚を使う比重を上げていくことが出来る。特に意欲的な犬の場合、その場で拾った自然物(木の枝等)を、アイテムとして使う事も出来る。

 このゲームを室内で行う場合、犬がアイテムを目視する度合いを下げるために部屋の電気を消し暗くしたり、電気のないクロゼットの中に向かってアイテムを投げる。


・「ワン&オンリー」ゲーム 難易度★★★★★

 これは3、2、1、ゴー!ゲームの進化版といえるもので、フィールドの中に複数設置してある似通ったアイテムの中から、特定の匂いの付いたものを選択し、拾ってくる(もしくはポイントする)というゲーム。最初に用意するのは犬が好きなオモチャ(テニスボールなど)複数個。指定アイテムとして使うボールにだけ印をつけるなどして、区別できるようにしておく。下準備として、犬をフィールド外に繋ぎ、フィールド内には事前ににボールをばらばらに置いておく。下準備が出来たら、印のついたボールだけを持って犬の元へ行く。暫くボール投げなどをして、飼い主と犬の匂いをよくなじませたら、犬をフィールドの入口へ誘導し脚側停座させ、印付きボールを、すでに他のボールの設置してあるあたりに投げる。「見つけろ」のコマンドで犬をリリースし、嗅覚を使って目的のボールを探し出させる。


参考:http://suzanneclothier.com/system/files/articles_pdf/Scent%20Games.pdf

2014年11月14日金曜日

子犬の時間割り


 約15年ぶりに子犬を迎えることになったので、復習もかねて今、いろいろ読んで頭をリフレッシュしている。10年ひと昔とはよく言ったもので、自分の中の犬についてのいろいろな知識や認識が古いものになっていたことに気が付く。かといって、ものごとは新しいから必ず正しいというわけでもないと思うので、沢山知識を入れたうえで、経験と照らし合わせてよく吟味する時間が必要だとも思う。今日は生後4ヶ月までの子犬の1日のスケジュールに注目して、たぶん最も平均的で、子犬にとっても自然と思われる時間わりのめやすを作った。経験者の皆さん、「もっとこうしたほうが良くなる」等、もし、アドバイスがありましたらぜひお願いします↓。




 世の中なにごとも時間わり通りに行くことの方が珍しいので、実際に子犬が来るとなったら人間側の都合とあわせて多分色々変えていかないといけないと思う。ただ、だいたい生まれてから半年くらいまでは、子犬に人間社会のマナーを教え、ソーシャライズすること(『社会化』)がとにかく重要視されているので、自分の事は多少、あとまわしになっても、積極的に連れ出してやる事が大切である。

 またトイレの回数が非常に多いが、トイレトレーニングはそもそも失敗する余地がないことが、結局は楽に教える道だと思うので、頻繁に連れ出すようにすることがミソだと感じる。室内で出来るようにしておくことはいずれ老犬になった時の便利さもあるが、犬の本来の性質には逆行していると感じるため、寒いがまめに外でさせる事にした。

 通して見ると分かるけれども、フルタイムでのお世話が必要になる。けれど、その犬の一生にわたって影響のある時期だけに、最初にまとまった時間を投資して、きっちり環境を整えることが大事だと思う。仕事の片手間などではとても出来ないので、我が家の場合、主に世話をしていく人(私)が事前に休みを取って準備をした。

 話を社会化に戻すけれど、この時期を逃さず正しいトレーニングをするために、生後2か月半までに最低1セットのワクチン接種を済ませておく。接種後一週間は、子犬を抱いて外を歩き回るだけでも社会化効果が期待できる。外に頻繁に出るのが楽だという意味で、春先や秋口などの出歩きやすい季節に子犬をもらってくるのも、あんがい大事かもしれないなあと思っていたけど、ドッグトレーナーの同僚に聞いたら「全然問題ないし、屋内でやれることもたくさんあるから大丈夫」だという。

 4か月までのトレーニングの要点は、その同僚をはじめ色々な人にとにかく社会化、社会化、社会化と叩き込まれた。社会化は、トイレ・トレーニング、クレート・トレーニング、リコール(「コイ」)トレーニングと共に子犬の必須4項目と言える。次に、基本のコマンド・・・スワレ、フセ、タテ、マテ※、ツケ、ドロップ※、サガセ、サガレなども、ゲーム感覚にしてこのあたりからなんとな~く教え始めると良いと思う。子犬は、管理人の趣味の問題で、将来様々な環境下でのウォーキングや山でのトレッキングやハイキングをかなりすることになる。ので、上の米印(※)のついたコマンドは特に大切である。これらのアクティビティに付き物な、車内で静かにしている事、長時間クレートに入ること、風呂や湖など色々な温度の水に入る事、色々な表面(ツルツルした所、鉄のメッシュの上(←苦手な犬が多い)、障害物の多い林床、エレベーターに乗る等)に慣れる必要もあるため、早い段階で練習をはじめる。

 余談だが最近シュッツフント(防衛競技)に造詣の深い元警察官の知り合いから聞いた話によると、いかにポジティブな条件付けと共に行うトレーニングであっても、あまり初めからメソジカルにやりすぎると犬でも自分で探求したり、楽しんで考える力が育たなくなるという。これは何の根拠もない個人の感想に過ぎないけれど、プロテクションスポーツというテクニカルな科目を長年教えている人の談なので、一考すべきポイントだと思った。

 自分自身、周りにいた犬や飼ったことあるのもワーキンググループの犬ばかりなので、近年主流の「正の強化(positive reinforcement)」をもととしたしつけやトレーニングが、こういう系統の犬に対してどんなように作用するのか、まだ感覚としてよく分かっていないことも懸案事項です。これも、本をたくさん読んで、トレーニングクラスなどのトレーナーの話をよく聞いて、仔犬に教えると同時に、自分でもコツをつかんでいかなければいけないと思います。


2014年11月4日火曜日

VICTORIA



 たまにバイトしている近所のペット用品店にて。

 普段とても利口な犬でも、ふとした瞬間に知られざる素顔をのぞかせる所を見ると、犬にもちゃんと「ふだんの顔」と「よそ行きの顔」とがあるらしいことに気が付く。写真のビクトリアもそうだった。とても素直で優しくて聞き分けの良いこの犬は、実はスパが大の苦手なのだった。どうやら自分がスパに入れられると分かった瞬間、階段のところにスポッとはまって、鼻フンフン、目ショボショボ、今にも泣きだしそうな顔になっていた。




 目をギュっとつむっていた・・・。必死の考えも空しくこの後、シャワーでじゃばじゃばと丸洗いされていた。がんばれ、ビクトリア。




2014年10月31日金曜日

YOU ARE MY CHOPSTICKS



 ヨーロッパ人やアメリカ人の台所を見ていて、どうしても、どうしても、分からない点がある。それは、「箸」という道具を一切使わずに、みんなどうやって炊事全般をこなすのか?という点だ。自分が日本人だからかもわからないが、台所における一膳の箸ほど、大胆にして繊細な調理活動を行え、なおかつ軽くて手になじみの良いキッチンツールを他に知らないのだ。しかも箸は調理器具と、食器をも兼ねている。これだけ便利な道具がほかにあるだろうか?

 良い牧羊犬とは羊飼い達にとって、箸のような存在かもしれない。写真は以前牧羊犬のナショナルチャンピオン戦を見に行った時のものなのだが、プロのトレーナーと、プロの牧羊犬のアイコンタクトの強烈さといったら、よーく眼をこらすと彼らの瞳と瞳を繋ぐ、二本のビームが見えてきそうな程だった。彼らは、彼らの間にほとんど半物質として存在しているらしき二本の「視線」を、あたかも箸のように駆使して羊をかき集めているように見えた。たまに集団から離れて飛び出した一粒の米粒(羊)も、お箸犬たちは見逃さない。

 箸という道具の特別さのひとつは、繊細な指先の機能が延長されたことにある。同様に、「良い牧羊犬を持っている」という事は、羊飼い自身の、その繊細な指先が10メートル、20メートル、時には何百メートル先までも伸びていって、自由自在に作業が行えるということと近いのかもしれない。




2014年10月29日水曜日

WOLFHOUND



 自分の住む街で「犬デー」があった初夏の思い出。小さな表通りに小さなテントをたてて、グッズ屋やレスキューグループがそれぞれの活動内容を展示していた。訪れる人は皆、自分の犬を連れてきて、通りがまるごとドッグ・ランのような様相となっていた。写真はアイリッシュ・ウルフハウンド、この犬種には今までの人生で4、5回ほどしか遭遇したことがないけれど、会うたびにそのあまりのでかさにいちいち新鮮な驚きがある。





2014年10月24日金曜日

I AM WORKING



 「犬が嫌いなアメリカ人」というのに、まだ遭遇したことがないのだ。この国で3年半暮らしてみて、アメリカ人はそもそも非常に動物好きの人が多いと感じるが、こと犬の事となると単なる動物の域を超えて、「共に社会を支える仲間」のような感じで、敬意さえ抱いている節がある。ひとつの証拠として、例えばアメリカの警察犬は人間の警察官と同じく「オフィサー」の地位を与えられているし、軍用犬は人間の兵士と同じく「ソルジャー」の称号を持っている。警察犬は出動すれば始末書を書くというし(人間が代筆する)、もし軍用犬が作戦中に命を落とした場合、人間の兵士にするのと全く同じように、一機何億ドルもする軍用ヘリを飛ばして回収し、星条旗に包んで本国へ持ち帰る。なきがらは「四本足の兵士」として丁重に埋葬される。

 写真はある日、管理人の別の趣味でもある、ライフルの即売会で見かけた黄ラブ君。背中の看板には「DO NOT PET ME I AM WORKING」と書かれてある。シュールだった。



2014年10月19日日曜日

SHONE



 夏、友達の犬を一日預かった。写真は、森の中の遊歩道で一休みの様子。マルチプー(マルチーズとプードルのミックス)のこの犬はかなり頭が良く、何でもパパッと理解するので毎回とても驚かされる。でも一番ビックリなのは、この犬はもともと怪しげなインターネットの通信販売で購入された犬だという事だ。本当に可愛いション太郎君。キラリとひかる逸材は意外な所に転がっていることもあるようだ。




2014年10月14日火曜日

仕事と犬と



 たまにバイトしている近所のペット用品店にて。

 先日、一匹の犬が遊びに来た。一瞬ヨークシャー・テリアの雑種かな?とも思えるこの犬は、珍しいオーストラリアン・テリアというれっきとした純血の犬で、スエーデンのブリーダーから取り寄せられたのだという。この犬には庭や散歩道で小動物を獲ってしまう癖があり、オーナーの方は犬の急な動きをコントロールできるような、特別なハーネスを買いに来たのだった。元気ハツラツとしたとても可愛い犬で、オーナーの話の通り動くものなら何にでも興味を示していた。それもそのはず、この犬は原産地オーストラリアでは家や農場の敷地内に入ってくる害獣類、なかでもヘビをやっつけることを生業とする使役犬なのだそうだ。爬虫類が豊富で毒蛇もいるオーストラリアならではのテリアなのだった。

 しかし、話を聞いててアレ?と思ったのは、犬に小動物を獲られては困る人が、なんで小動物を獲ることに特化した犬をわざわざ選んで飼うのかという点だった。話を要約すると、オーナーはこの犬種の「溌剌とした可愛らしさ・適度なサイズと利発さに一目で惚れ込み」「小動物への衝動はしつけとトレーニングで対処する」と考えて、家族に迎え入れる事に決めたようだった。確かに、少なくとも人生のうち10数年を共にするパートナーを選ぶにあたって、サイズや外見などのオプションに拘るのはだいじなことである。だけども犬種に与えられた「仕事」とは、使役犬の根幹を成す存在意義といってもいいものである。その仕事をさせないことを前提に飼われたのではちょっと犬がもったいないというか、かわいそうだなと感じた。

 こういう状況を頻繁に目にするにつけ、世の中、まずはじめに仕事があり、そして犬が作られたという事を、考える。これは使役犬に限らないが、どんな犬種でも作出されたいきさつや目的がある。しかし、その意味を真剣に吟味することなく、こういう犬達をペット的に飼いたがる人が巷にはけっこう多い気がする。結果、例えば管理人の地元のシェルターは、里親募集中のジャーマンシェパードや、ベルジアンシェパード、ラブ、ボーダーコリー、それらの雑種などが多々見られる。

 日本でもときどき道行く盲導犬や足の裏が擦り切れるまでソリを牽くアラスカ犬を「かわいそう」で「愛護精神に反する」と言う人が居るが、自分の場合、彼らはそういう仕事がなければそもそもこの世に生れてくる事すらなかったかもしれない犬達なんだと考えることにしている。彼らはもともと、社会の中で特別な使命を与えられ、それを全うして人間を助けるために生みだされた。それを人類の傲慢さだと言ってしまえばそれまでだけど、倫理問題はさておき、そのスピリットの赴くまま一生懸命仕事をすることは使役犬にとっては健全な事だ。その事を知っていれば、その犬が持っている仕事への強い欲求が、家庭犬としては不都合だったからといって「直そう」と考えることは、意味がないだけでなく、ともすると残酷な事だというのが分かるんではないだろうか。

 このオーナーの場合、どうしてもこの犬種を飼いたかったならば、もっと時間をかけて家庭犬向きの血統のなかから、とりわけおだやかな個体を探し出し、早くから作業衝動を昇華できるようなスポーツを積極的に教えてやるべきだったのではないかと思う。仮に小さくて、ふわふわしててどんなに見た目はかわいかったとしても、使命を帯びた「働く犬」なのだ。




2014年10月9日木曜日

FRANCE



 以前フランスに居た時の写真が出てきた。これはパリのとあるギャラリーの戸を開けたら、大きなマスチフの大きな尻が出迎えてくれた時の光景。今オーブンから出てきたばかりみたいなこんがり香ばしそうな毛の色と、堂々たるタマタマが妙にマッチした立派な犬だった。彼は、いわゆるパリジャンらしく来客の扱いは手馴れたもので、来る人一人ひとりに鼻スタンプのギフトを送る、「鼻配りの出来る男」だった。

 イヌ好きの間ではよく知られた事だけれど、ヨーロッパ、中でもフランスやドイツでは「犬権」が非常に尊重されている。結果、街中が犬だらけだ。一番驚いたのは、同じくフランスの雑踏の中で、黒い巨大なボルゾイが紐もつけずに飼い主の後をきちっとつけて歩いていた事だ。ふたりはおいしい匂いの漂うカフェの脇を通り、鳩のたむろする広場を抜けて、地下鉄の駅にすーっと吸い込まれていった。サイトハウンドの中でも特にこの犬種に馴染みのある人なら、それがどんなに凄い事か分かってくれるかもしれない。



2014年10月4日土曜日

TOWPATH



 現在自分では犬を飼っていないくせに、コーヒー片手に時々近所のドッグランのベンチに座っては、もみくちゃで遊んでいる犬達や彼らの社会を垣間見るのが好きな私です。怪しいですね。

 その犬「トーパス」に初めて出会ったのも、そうして柵の外から犬達を眺めていたある日のことでした。子犬の頃、虐待を受け、最後は走っている乗り物から道路に投げ捨てられて、何日も生死の境を彷徨った犬だそうです。自力では抵抗したり逃げ出したり出来ない、素直で、無垢な子犬を痛めつける人が世の中にはいます。きっと彼ら自身も昔無力だった頃に、同様に痛めつけられたことがあるのかも知れません。よく、憎悪は社会の中で伝染病のように伝播していくと思う事がありますが、ものを言わない動物達はしばしばその連鎖の終着駅になる。今を明るく生きてる姿に、心打たれました。

2014年9月30日火曜日

無題



 「思春期」と言う、人間の人生の中でもとても重要な時を共に過ごしてきた愛犬が死んでから、3年の月日が過ぎた。かなり年をとっていたその犬を日本の家族のもとに残して、遠く離れた国へ来て、そこに新しく生活の拠点を作ろうと日々がんばっていた頃だった。ある明るく曇った日、訃報は電波に乗って6544マイル離れたニューヨーク州の自宅に届けられた。

 その日の夜から不思議な夢を見るようになった。夢の中での自分は愛犬に同化して、見慣れた家族の家の中で、出された餌の入ったボウルの前に座っている。上には好物の蒸しキャベツものっている。突然胸が大きな鉄の拳で掴まれた様になり、体の奥からせりあがってくるような痛みと、驚きの中で、目の前の景色が赤や黒に点滅する。そして真っ暗になる。それは家族から聞いた愛犬の最後の(私の乏しい想像力を駆使した)再現のようだった。そして気が付くと、また犬になった自分が、見慣れた家族の家の中に立っている。この夢を、多い時では一晩に5回ほど繰り返し見た。そんな夜が一週間も続いたから、さすがに心身ともに元気な自分も神経衰弱一歩手前という風になった。

 この犬は、家族の中で自ら進んで「私の犬」というポジションに収まっていたけれど、「精神的に殊更近しい間柄」という感じはしなかった。でもいざ死んでしまうと、私とこの犬とは無意識のレベルで密接に繋がっていた事がわかった。毎日の平凡な散歩だって、すべてを繋ぎ合わせれば何千キロメートルも一緒に歩んできた犬。それは私の成長と人生の旅路を共に歩んでいたということでもあったと思う。死んでしまった日の事を思い出すと3年たったいまでも、この犬に対してもっともっといろいろしてやれたのになという思いが沸き起こる。

 もっと一緒にトレーニングをしたりとか、もっとがんばって働いて、もっといい餌をやればよかったとか、なぜ車の免許をもっと早くとって、もっともっと海や山へ沢山冒険に連れて行ってやらなかったのだろうとか、後悔することばかりが思い浮かんでくる。蝶のように朗らかでひらひら私の周囲を飛び回り、いつも笑わせてくれた犬。今は私のアメリカの家の居間に、ポーセリンの骨壺に入って静かに佇んでいる。まわりの温度と比べて一層冷たいその入れものに触るたびに、本当に驚くほどに小さな"モノ"になってしまったと呆気にとられる。死んだことを未だどこかで信じておらず、その中身は3年たった今でも、まだ確認できていない。

 ブリーダーの家で売れ残り、あまりかまわれることもなくひとりぼっちで大きくなっていたこの犬は、オモチャにも食べ物にも興味のない育てにくい犬だった。その一方で、自身の時間と愛情を惜しげもなく飼い主である私に注ぎ、多くの事……、「犬という生き物について」、その良い保護者であるための「飼い主学」について、考え、学びはじめるきっかけをくれたことは揺るぎのない事実だと思う。

 私は来春、新しい子犬を家に迎えいれる事にした。その犬に将来どういう犬生を歩ませてやれるかは自分の采配にかかっている。約15年ぶりの「子育て」ならぬ「犬育て」をするにあたって、観察と試行錯誤した痕跡をブログを使って残すことにした。最初の愛犬に教わったことを元にしながら。