2024年10月20日日曜日

散歩の愉しみ



いや~、散歩には最高の季節がやってきましたね

空の色、枯草の色合い、行き過ぎていく景色がいいなあと思いながら歩いています

うちの犬は毛深いのでこれから3月上旬までが「散歩シーズン」です。

個人プロジェクト(ごみ拾い)も再開です。コディよ、がんばってね。




いきものウォッチングにもちょうどいい季節になりました。

・ドッグトレーニング
・ドッグフィットネス
・自身のトレーニング
・個人プロジェクト
・気分転換
・両生類の観察(長年の趣味)

などなど、相変わらず散歩に全部盛り込んでいます。
日々新しい場所を探索するきっかけとしても見過ごせないですね

私が生き物を探したりそのへんの人と立ち話する間、待たされるコディは不満顔ですが!


第一村人発見


最近自室を整理して、ついでに生活習慣も見直していました。

今年は年始の抱負通り、貯筋にはげみ、ずっとほったらかしだった検診なども受けてきました。
脳MRIをとって脳の灰白質や白質の容積を見たり、認知機能の確認もしてきました。
こんなにも忘れっぽいのに信じられないですが異常ナシ。

次は膝と脊椎の専門のスキャンを受けてみたいですがいつになるかな。
婦人科系、マンモグラフィーなども主治医にこれからは毎年しなさいと言われたので、ハイ、します。笑
偏食も何とかしたい。私は同じものばかり食べるので栄養状態が偏ってるみたいです
これは、血液検査で分かりました。

犬だったらドッグフード食べてるだけで健康なのに、人間は大変だ。


カエルが通ります 美しいですね


生活習慣の見直しは始めてみると結構おもしろくて、発見が沢山ありました。
今年は生活の中で不要な癖化していたものをいろいろやめたんですよ。
何かをやめること、やめどき、というのは判断が難しいものですが
「途中までやってほったらかしになっていた趣味」などは一旦、すべてリセットしました。

外食、計画外の買い物(※多肉植物以外)、snsもやめました。
意味なく人と逢う事もやめました、、、というとなんか孤独な中年の第一歩みたいなひびきですが
人間関係も投資と捉え、今後はこれはという目的がある人や催しに重点的に力を割り振るということです。

こうして削り出した時間を、優先度の高い事柄に集中して使っていこうと思います。


わたしは散歩はきらいです byおこげ


今の私にとって優先度の高い事柄は勉強、家族と個人のプロジェクトです。

不思議なのですが小さい頃から楽しんでた事
たとえば読書、新聞のスクラップ、運動、自然観察、捕獲と釣り、飼育栽培、
どうでもいいこまごまとした考え事や調べもの、それらを手帳をつける、お話を書く、犬、
そういったことはやはり生活の基本として残るし、いくらやっても飽きないということです

つまり楽しいのでしょう。

「三つ子の魂百まで」とは本当に言い得て妙であります。




見慣れた農道は無心で歩けるので、いろんな考え事も捗ります

人も犬も馬も、みな無心に行く古い道です

これも散歩の愉しみの一つでしょうか。


2024年10月15日火曜日

犬の優しさ



読みやすくなるかなと思って、ブログの書き方を変えてみました。

頻繁に改行すると字は見やすいけど、長い文の時は大変ですね。

私は話したい事が沢山あるのでこの書き方は向いてないのかも知れないな、、、

だめだと思ったら諦めます(笑)




コディも順調に年を取ってます。相変わらずの調子で、ありがたいですね。

今日はいつの間にか見た事ないくらいでっかい洋梨をひろってきて得意げに見せてくれました。

梨の木は百メートル近く離れた所にあるのです。

ちょっとしたチワワくらいある梨を、わざわざ私のためにデッキまで運んできてくれたようです。




この梨で遊ぼうよと誘ってます。

犬のおもちゃはなんと質素なんだろうと思うと、ちょっと涙が出そうになりますね。

ぼろぼろのボールとか、おもちゃ箱にあるがらくたも、コディはほんとに大事にしています。

そのわずかな大切なおもちゃも、いつでも、何でも私にくれようとします。

ものも、自分の時間も、なんでも惜しげもなくわけてくれます。

これが大昔から人類の心を打ち続けてる犬の優しさなんだろうな。




私はこれほどの愛と優しさに見合う飼い主なんだろうか。

私は自分のおもちゃを山ほどもっているのにひとつも犬に分け与えていないと感じる。

これを書いたらちょっと外に行ってこよう。犬と。


2024年10月10日木曜日

バージニア、秋です。



 カエデの葉の紅葉がはじまりました。バージニアの山々が一番華やかになる季節がもうそこまでやってきてます。昨夜は見上げると立ち眩みがするほどの満点の星が見えました。うちの地域はみんな夜が早すぎて夜も7時くらいを過ぎるとどこの家も真っ暗で、道を歩いてるのはポッサムかアライグマだけとなります。天の川も、流れ星も、自宅の庭から見放題なのは嬉しいです。寒風にガチガチと鳴る奥歯に耐えられればの話ですが・・・。



 どうして昨晩の夜更けの星空について私が詳しいのかというとお腹をこわしていたこちらの犬に夜中たびたび起こされたためです。コディのトイレの共をするため、シャツ一枚みたいな恰好で外に出てしまったのでめちゃくちゃに寒かった!一度起きると眠れない体質なので諦めて起床し、数日分の食料やおやつを焼いたりしていました。コディも外に出てトイレしたあとは台所をうろうろして焼きたてのクッキーやロールパンを欲しがっていました。

 コディは炭水化物にはあまり興味がないんです。
 でも、「家で作ったパン」は例外的にやたら欲しがります。特別な何か感じるものがあるのでしょうか?背丈があるのでカウンターもテーブルのものもなんでも手が届きますが、私から直接わけてもらうまで絶対に待っているので、律儀だなと思います。

 コディの聞きわけの良さは一般的な犬のレベルをはるかに超越していてたまにちょっと心配になるほどです。時々友達の家に行ってそこんちの犬と遊んだりすると「ああ、犬って本来こうだったな」と思い出すことが色々あります。小型犬も含めてどんな犬でも好きで色んな見どころがあるなと感じていますが、聞き分けに関してはシェパードの仲間は飛び抜けて良いなといつも思います。しかも一回「するな」と言えばもう二度としないことも多く、しつこく同じ約束破りをする犬というのがあまりいないのもすごい。9年間で「犬」に対する期待値がかなりズレてきてしてしまった。
 
スナネズミも養い始めた我が家

 話をもとに戻して、、、とくべつ料理好きでも得意でもない私がなぜせっせと焼き菓子などを作っているのかというとズバリ経費削減のためです。前回のブログでも触れたように、犬がちょっと具合が悪くなっただけですぐ驚くほどの医療費がかかります。そんなことを言っている自分達だっていつ病気や事故に遭うか分からないものです。

 日本と同じでアメリカも物価上昇が続いています。あまり先のことを考えすぎるのも無意味かもしれないですが、できるだけ計画的にやらなきゃなと思い立ちました。生まれて初めてかんたんな家計簿もつけてみたりして。数値化されるとゲームみたいになってきてちょっと楽しくなっています。
 

 そんなこんなで、ちょっとずつ「家庭で育てられる食糧調べ」にも着手していますよ。

 ハーブ類は、費用対効果がすごく高いんだなあと気が付きました。バジルなんか環境が合えば際限なく茂って雑草みたいな顔でのさばってます。ペストにして、家で作った「なんちゃってピザ生地」にのせて、チーズを加えて焼けば一食できます。コディのためにとってる鶏ガラスープも、ニンニクとキノコ、ちょっと摘んだディルを入れるだけで食事の足しになって、とっても得した気分です。

2024年10月8日火曜日

あやまらなくてもいい


 この秋から子供がアメリカの小学3年生にあがりました。3年生なんか学校が楽しいさかりかと思ったら、最近ぜんぜん行きたがりません。聞いてみたところ、授業でも昼食の時間でも、机をたたいて音を出したり、暴言・暴力を伴うスペシャルニーズの子の隣に座らされ、なかなか授業に集中出来なくて困っているといいます。成績も少し下がってしまいました。

 授業は百歩譲って我慢ができるが、昼食の時間に日本式の弁当を「気持ち悪い」「匂いがする」とイスを蹴りながら大声でなじられるのにはさすがのちびもムカつきが限度を超えてきたようです。ここ2ヶ月ほど、何度も先生に頼んでいるのに席も変えてもらえなかったらしく、先日ついにキレて「SHUT UP, If teaches weren't looking, I'm gonna kill you」とすごんだみたいです。すると「脅迫」の罪で、スクールカウンセラーの部屋に行かされてしまいました。

 アメリカの小学校では「脅迫」は重い罪なので、すぐ自宅にも電話がかかってきて親の私達も知る所となりました。うちの子供は学年でいちばん小さく華奢な女子で相手は中学生かと思うほど大柄で隆々とした体格の男子ですが、まったく同等に裁かれるところにアメリカの小学校っぽさを感じた一件でした。うちの子供はカウンセラーの部屋に座らされ、すっかり悲しくなってしまい、泣きながら「ごめんなさい」と謝ったそうです。

 私はアメリカの小学校のこういう杓子定規な教育方針は子供にとって本当に有害だと思うのですが、それを踏まえてもこの件で私が先生に働きかけなかったのは主に二つのことを自分の子供に学んでほしかったからです。まずひとつは「自分の環境は自分で改善する」ということです。先生とか食堂のおばちゃんのような「エライひと」に変えてもらおうとするという甘えた気持ちを捨て、自分が実際に人間関係に介入して取り組めという実体験です。そして、その失敗から学ぶ「世の中には我慢する価値のない場合が存在する事」です。

 さらに、私は学校から帰ってきた子供に言いました。
 「すぐに状況に流されて謝罪してはいけない」ということです。

 日本の社会では特に「潔く謝ることは良し」とされていますが、これは、「自分に非が無くても相手を慮って謝った」という点を誠意として感じてくれる感受性をもった者同士の場合のみ成立するルールです。いわゆる日本人ルールですね。しかし一般的には謝られた相手は、自分の被害者性が正当なものだったと思い始めることが多いです。ひょっとすると本当は誰のせいでもなかった不運について、急に「加害者」が可視化されるためです。すぐに謝らない性根の曲ったヤツ、そう思われるリスクを冒してでも謝罪しないことを突き通すことが大事な局面が存在します。これを日本人の親は注意しておかないといけないです(日本人の親は「相手も話が通じる相手」と思ってすぐ謝らせる傾向があります)。

 私自身は女子しかいない学校で12年間育ったので、これって特に女児に強い傾向かなと思っているのですが、論理などの正当性よりも相手の感情とか「空気」を優先しすぎる傾向があると思います。するとその場の交流はやり過ごせるのですが、長い目で見ると人間関係であったり、コミュニティがあらぬ方向に行く原因になっているように思います。なんでも「なんで謝るのか」理由を確かめてから謝ること、理由を確かめて、「やっぱり謝らなくてよい」と感じたら、たとえすごく相手を可哀想に感じたとしても、謝らなくてよい。ということを子供に言いました。ちびにとっては、踏んだり蹴ったりの一日だったかも知れません。