2014年10月29日水曜日

WOLFHOUND



 自分の住む街で「犬デー」があった初夏の思い出。小さな表通りに小さなテントをたてて、グッズ屋やレスキューグループがそれぞれの活動内容を展示していた。訪れる人は皆、自分の犬を連れてきて、通りがまるごとドッグ・ランのような様相となっていた。写真はアイリッシュ・ウルフハウンド、この犬種には今までの人生で4、5回ほどしか遭遇したことがないけれど、会うたびにそのあまりのでかさにいちいち新鮮な驚きがある。





2014年10月24日金曜日

I AM WORKING



 「犬が嫌いなアメリカ人」というのに、まだ遭遇したことがないのだ。この国で3年半暮らしてみて、アメリカ人はそもそも非常に動物好きの人が多いと感じるが、こと犬の事となると単なる動物の域を超えて、「共に社会を支える仲間」のような感じで、敬意さえ抱いている節がある。ひとつの証拠として、例えばアメリカの警察犬は人間の警察官と同じく「オフィサー」の地位を与えられているし、軍用犬は人間の兵士と同じく「ソルジャー」の称号を持っている。警察犬は出動すれば始末書を書くというし(人間が代筆する)、もし軍用犬が作戦中に命を落とした場合、人間の兵士にするのと全く同じように、一機何億ドルもする軍用ヘリを飛ばして回収し、星条旗に包んで本国へ持ち帰る。なきがらは「四本足の兵士」として丁重に埋葬される。

 写真はある日、管理人の別の趣味でもある、ライフルの即売会で見かけた黄ラブ君。背中の看板には「DO NOT PET ME I AM WORKING」と書かれてある。シュールだった。



2014年10月19日日曜日

SHONE



 夏、友達の犬を一日預かった。写真は、森の中の遊歩道で一休みの様子。マルチプー(マルチーズとプードルのミックス)のこの犬はかなり頭が良く、何でもパパッと理解するので毎回とても驚かされる。でも一番ビックリなのは、この犬はもともと怪しげなインターネットの通信販売で購入された犬だという事だ。本当に可愛いション太郎君。キラリとひかる逸材は意外な所に転がっていることもあるようだ。




2014年10月14日火曜日

仕事と犬と



 たまにバイトしている近所のペット用品店にて。

 先日、一匹の犬が遊びに来た。一瞬ヨークシャー・テリアの雑種かな?とも思えるこの犬は、珍しいオーストラリアン・テリアというれっきとした純血の犬で、スエーデンのブリーダーから取り寄せられたのだという。この犬には庭や散歩道で小動物を獲ってしまう癖があり、オーナーの方は犬の急な動きをコントロールできるような、特別なハーネスを買いに来たのだった。元気ハツラツとしたとても可愛い犬で、オーナーの話の通り動くものなら何にでも興味を示していた。それもそのはず、この犬は原産地オーストラリアでは家や農場の敷地内に入ってくる害獣類、なかでもヘビをやっつけることを生業とする使役犬なのだそうだ。爬虫類が豊富で毒蛇もいるオーストラリアならではのテリアなのだった。

 しかし、話を聞いててアレ?と思ったのは、犬に小動物を獲られては困る人が、なんで小動物を獲ることに特化した犬をわざわざ選んで飼うのかという点だった。話を要約すると、オーナーはこの犬種の「溌剌とした可愛らしさ・適度なサイズと利発さに一目で惚れ込み」「小動物への衝動はしつけとトレーニングで対処する」と考えて、家族に迎え入れる事に決めたようだった。確かに、少なくとも人生のうち10数年を共にするパートナーを選ぶにあたって、サイズや外見などのオプションに拘るのはだいじなことである。だけども犬種に与えられた「仕事」とは、使役犬の根幹を成す存在意義といってもいいものである。その仕事をさせないことを前提に飼われたのではちょっと犬がもったいないというか、かわいそうだなと感じた。

 こういう状況を頻繁に目にするにつけ、世の中、まずはじめに仕事があり、そして犬が作られたという事を、考える。これは使役犬に限らないが、どんな犬種でも作出されたいきさつや目的がある。しかし、その意味を真剣に吟味することなく、こういう犬達をペット的に飼いたがる人が巷にはけっこう多い気がする。結果、例えば管理人の地元のシェルターは、里親募集中のジャーマンシェパードや、ベルジアンシェパード、ラブ、ボーダーコリー、それらの雑種などが多々見られる。

 日本でもときどき道行く盲導犬や足の裏が擦り切れるまでソリを牽くアラスカ犬を「かわいそう」で「愛護精神に反する」と言う人が居るが、自分の場合、彼らはそういう仕事がなければそもそもこの世に生れてくる事すらなかったかもしれない犬達なんだと考えることにしている。彼らはもともと、社会の中で特別な使命を与えられ、それを全うして人間を助けるために生みだされた。それを人類の傲慢さだと言ってしまえばそれまでだけど、倫理問題はさておき、そのスピリットの赴くまま一生懸命仕事をすることは使役犬にとっては健全な事だ。その事を知っていれば、その犬が持っている仕事への強い欲求が、家庭犬としては不都合だったからといって「直そう」と考えることは、意味がないだけでなく、ともすると残酷な事だというのが分かるんではないだろうか。

 このオーナーの場合、どうしてもこの犬種を飼いたかったならば、もっと時間をかけて家庭犬向きの血統のなかから、とりわけおだやかな個体を探し出し、早くから作業衝動を昇華できるようなスポーツを積極的に教えてやるべきだったのではないかと思う。仮に小さくて、ふわふわしててどんなに見た目はかわいかったとしても、使命を帯びた「働く犬」なのだ。




2014年10月9日木曜日

FRANCE



 以前フランスに居た時の写真が出てきた。これはパリのとあるギャラリーの戸を開けたら、大きなマスチフの大きな尻が出迎えてくれた時の光景。今オーブンから出てきたばかりみたいなこんがり香ばしそうな毛の色と、堂々たるタマタマが妙にマッチした立派な犬だった。彼は、いわゆるパリジャンらしく来客の扱いは手馴れたもので、来る人一人ひとりに鼻スタンプのギフトを送る、「鼻配りの出来る男」だった。

 イヌ好きの間ではよく知られた事だけれど、ヨーロッパ、中でもフランスやドイツでは「犬権」が非常に尊重されている。結果、街中が犬だらけだ。一番驚いたのは、同じくフランスの雑踏の中で、黒い巨大なボルゾイが紐もつけずに飼い主の後をきちっとつけて歩いていた事だ。ふたりはおいしい匂いの漂うカフェの脇を通り、鳩のたむろする広場を抜けて、地下鉄の駅にすーっと吸い込まれていった。サイトハウンドの中でも特にこの犬種に馴染みのある人なら、それがどんなに凄い事か分かってくれるかもしれない。



2014年10月4日土曜日

TOWPATH



 現在自分では犬を飼っていないくせに、コーヒー片手に時々近所のドッグランのベンチに座っては、もみくちゃで遊んでいる犬達や彼らの社会を垣間見るのが好きな私です。怪しいですね。

 その犬「トーパス」に初めて出会ったのも、そうして柵の外から犬達を眺めていたある日のことでした。子犬の頃、虐待を受け、最後は走っている乗り物から道路に投げ捨てられて、何日も生死の境を彷徨った犬だそうです。自力では抵抗したり逃げ出したり出来ない、素直で、無垢な子犬を痛めつける人が世の中にはいます。きっと彼ら自身も昔無力だった頃に、同様に痛めつけられたことがあるのかも知れません。よく、憎悪は社会の中で伝染病のように伝播していくと思う事がありますが、ものを言わない動物達はしばしばその連鎖の終着駅になる。今を明るく生きてる姿に、心打たれました。

2014年9月30日火曜日

無題



 「思春期」と言う、人間の人生の中でもとても重要な時を共に過ごしてきた愛犬が死んでから、3年の月日が過ぎた。かなり年をとっていたその犬を日本の家族のもとに残して、遠く離れた国へ来て、そこに新しく生活の拠点を作ろうと日々がんばっていた頃だった。ある明るく曇った日、訃報は電波に乗って6544マイル離れたニューヨーク州の自宅に届けられた。

 その日の夜から不思議な夢を見るようになった。夢の中での自分は愛犬に同化して、見慣れた家族の家の中で、出された餌の入ったボウルの前に座っている。上には好物の蒸しキャベツものっている。突然胸が大きな鉄の拳で掴まれた様になり、体の奥からせりあがってくるような痛みと、驚きの中で、目の前の景色が赤や黒に点滅する。そして真っ暗になる。それは家族から聞いた愛犬の最後の(私の乏しい想像力を駆使した)再現のようだった。そして気が付くと、また犬になった自分が、見慣れた家族の家の中に立っている。この夢を、多い時では一晩に5回ほど繰り返し見た。そんな夜が一週間も続いたから、さすがに心身ともに元気な自分も神経衰弱一歩手前という風になった。

 この犬は、家族の中で自ら進んで「私の犬」というポジションに収まっていたけれど、「精神的に殊更近しい間柄」という感じはしなかった。でもいざ死んでしまうと、私とこの犬とは無意識のレベルで密接に繋がっていた事がわかった。毎日の平凡な散歩だって、すべてを繋ぎ合わせれば何千キロメートルも一緒に歩んできた犬。それは私の成長と人生の旅路を共に歩んでいたということでもあったと思う。死んでしまった日の事を思い出すと3年たったいまでも、この犬に対してもっともっといろいろしてやれたのになという思いが沸き起こる。

 もっと一緒にトレーニングをしたりとか、もっとがんばって働いて、もっといい餌をやればよかったとか、なぜ車の免許をもっと早くとって、もっともっと海や山へ沢山冒険に連れて行ってやらなかったのだろうとか、後悔することばかりが思い浮かんでくる。蝶のように朗らかでひらひら私の周囲を飛び回り、いつも笑わせてくれた犬。今は私のアメリカの家の居間に、ポーセリンの骨壺に入って静かに佇んでいる。まわりの温度と比べて一層冷たいその入れものに触るたびに、本当に驚くほどに小さな"モノ"になってしまったと呆気にとられる。死んだことを未だどこかで信じておらず、その中身は3年たった今でも、まだ確認できていない。

 ブリーダーの家で売れ残り、あまりかまわれることもなくひとりぼっちで大きくなっていたこの犬は、オモチャにも食べ物にも興味のない育てにくい犬だった。その一方で、自身の時間と愛情を惜しげもなく飼い主である私に注ぎ、多くの事……、「犬という生き物について」、その良い保護者であるための「飼い主学」について、考え、学びはじめるきっかけをくれたことは揺るぎのない事実だと思う。

 私は来春、新しい子犬を家に迎えいれる事にした。その犬に将来どういう犬生を歩ませてやれるかは自分の采配にかかっている。約15年ぶりの「子育て」ならぬ「犬育て」をするにあたって、観察と試行錯誤した痕跡をブログを使って残すことにした。最初の愛犬に教わったことを元にしながら。