2021年3月24日水曜日

犬はシェルターから迎える事が最善である。という風潮について。

  

 今日は、「シェルターと犬」という、比較的センシティブな話題にふれるので、読んだら意見の違いを感じる人も多くいらっしゃると思います。あらかじめ申し訳ないなあと思います。そのうえで、個人のブログなので、最近犬をとりまく世間についての私個人の違和感を書いてみたいと思います。

 今日のテーマは、ここアメリカにおいてですが、「犬はシェルターでもらうことが『是』であり『最善』である」という社会の風潮が、近ごろ強まりすぎているような気がしているという点についてです。このことは自分の中で以前、ブリーダーから犬を迎えるということを面と向かって否定された出来事から尾を引いていて、今日はそのことについて身近な出来事も取り上げながら考えてみたいと思い、PCの前に座りました。

 本題に入る前に、間違えのないように強調しますが、シェルターから来て素晴らしいコンパニオン・ドッグになっている犬は星の数ほど存在し、そういうすばらしい可能性を秘めた大勢の犬達が毎年、大勢、処分されているということは改善されるべき問題です。これは、私個人の考えの中でも前提とする大事な部分ですので、とりちがえのないよう、おねがいいたします。




 本題です。慈善の精神が重んじられる国・アメリカに住んでいると、愛犬家なら当然、犬はシェルターから迎えますね!というプレッシャーを感じることがあります。SNSでは、犬好きの友達の多くが「犬をアダプトしよう!」というポストやビデオクリップなどを毎日のように気軽にシェアしてくるし、TVニュースのチャンネルによっては、ヒューマンソサエティ系のコマーシャルが繰り返しよく出てきます(寂しい檻の中で可愛そうな目をした子犬と共に、悲しい音楽の流れるコマーシャルです)。

 フェイスブックの地域のグループでは、「○○という犬種の子犬を飼いたい。誰かいいブリーダーを知りませんか。」といった質問に、「質問の答えにはなってないのはわかっているけど、あなたの犬はシェルターで引き取るべきです。」「A D O P T!」と書き込む人らが大勢表れて、その剣幕に驚かされたこともあります。上に書いた通り、道で出会った見知らぬ人との犬トークでも「ブリーダーなんか要らないのよ!」と、熱心に持論を展開されたこともあります。

 ペット量販店では、レジで「恵まれない犬や猫に募金をしますか?」と聞かれる・又はそういった質問が支払いのパネルに表示されることはわりと普通で、「しません。」を選択する事は当然の権利ながら、なんとなく自分が弱い者を助けないやつになったような気になる事もあります。


大好きなベーグルチェーン「ティム・ホートンズ」(やすい)
 

 時には、「イヌネコはシェルターから」を熱心に推し進めるあまり変なことになっている構図も見られます。ちょっと前の例になりますがたとえば、ロードアイランド州でペットショップで陳列(販売)される犬や猫はシェルターやレスキューから来た生体に限る、という法案が議会を通過して、一部犬好き界隈で話題になっていました。そもそも環境が劣悪な場合があり問題視されている生体販売店に、家や家族をなくして、心身の不安定な状態の犬猫を連れてくるのでは愛護の観点からも本末転倒に思えますが、そもそもこのような法案が出来る気運があり、大真面目に検討されたということ…、これを「いいアイデアだ」と思う人がまとまった数いたのだという事実に、はっきり言ってかなり驚いたのを覚えています。




 犬の世界にとって、犬と飼い主の人生に苦痛と深刻な影響を及ぼすかもしれない「パピーミル」や、無計画な「バックヤード・ブリーディング」の存在は潜在的に危険なものです。また無責任に捨てられた動物を一時保護観察する場所として、機能的なシェルターがあることは言うまでもなく重要です。そのようなシェルターからいきものを引き取り大切に飼い育てることも、倫理的良い行いと言えます。

 けれども、この「倫理的よい行い」を追求する過程で、『純血種の犬や、それをふやすブリーダーという職業自体もすべて悪である』『みんな、ブリーダーの犬を飼わずにシェルターの犬を飼うべきである』『ブリーダーから犬を買う者は、みんな、無知で愚かである』と、極論に走る人が大勢いるという点には、注意が必要ではないでしょうか。

 犬について真面目に考えたことのある人なら、それは問題を単純化しすぎているとすぐに気付くと思います。しかし残念ながらここアメリカでは若い人などを中心に(ほとんど義憤といっていいレベルの感情とともに)上記のような主張を持った人に何度も出会ったことがあります。冒頭に書いたフェイスブックのご近所グループで「純血種の犬が欲しい」と言った人を攻撃的になじっていた大勢の人々も、この類に入るでしょう。




 そもそも、「シェルターで犬をもらう」という行いの善性について語る前に、「シェルターで犬を貰うことは万人にとって適した行いか」という別の疑問についても、もっと世間で議論されるべきではないのかな。はっきり言って、シェルターの犬をもらっているけど、上手に育てられると思えない家庭環境の人を大勢見たことがある。


 個人的な話になってしまいますが、ペット業界に居た頃、まわりにはシェルターでテクニシャンとして長く働いたり、ボランティア10年選手など、さまざまな人がいました。そんな中で経験を重ねた人ほど、シェルターの犬をもらうことに対して慎重だったことが印象に残っています。

 長年シェルターにいる様々な犬を観察し、時には自宅に引き取って寿命を全うさせる経験を誰もが持っている彼らは、誰にでも気軽にシェルターの犬を勧めるようなことはありませんでした。シェルターに居る犬について本当に色々な事例に触れ、時にはずっと後になってから予期せぬ健康上・行動上の問題が浮上するケースを経験していれば、そのようなことは出来ないのです。

 10年に満たないような私の北米生活歴の中にも、思い返せば「シェルターから犬を貰ってきたら、家の敷地内では可愛かったのに、ある日散歩中に豹変して、近所の老犬に襲い掛かって酷く噛んでしまった」というような話を複数耳にしました(←これは実際私と仲が良かった同僚に起こったことで、残念ながら老犬は死んでしまったのです。コミュニティにショックが走りました)。恥ずかしながら、私自身が仕事中にシェルター出身の噛まれかけた経験も何度かあります。

 前の家に住んでいたときも、隣の団地の犬で、非常に良く吠えるので「s h a t  u p---!」と毎日プロングで引きずられ、大声で叱咤されながら散歩しているハウンド系の犬がいました。子犬のうちに迎えたものの、育ったら猛烈に車を追い道行く犬に凶暴性を見せるようになり、早速、電気カラーで四六時中ビシビシ電流を流されながら散歩しているボーダーコリーミックスの若イヌがいました。どちらもシェルターや里親イベントでもらわれてきた犬たちです。

 上の2頭についてオーナーと立ち話したことがあります。2頭ともとても利口で可愛い犬達だし、オーナーの人達もごくごく普通のアメリカ人で、本当に普通にいい犬、いい人々なのです。ただ、住環境があきらかに犬に合っておらず、また飼い主達も犬の犬種的なニーズであるとか、どのくらいのトレーニングが必要であるとか、そういう事にとりたてて強い関心をよせるタイプではなかったところで悲しいほどのミスマッチが起き、それらが犬と飼い主両方のQOLを著しく下げていたのです。

 メディアやSNSでは里親の家で幸せに暮らしている犬が繰り返し脚光を浴びるなか、現実の世界では、だれにも取り沙汰にされない、「うまく適合しなかった例」も沢山あります。例えばの話、このような飼い主たちは、将来的な体格や、性格や行動がある程度予想しやすい「きちんと殖やされた純血種の犬」を飼っていたら、犬にとっても人にとっても、あるいはまったく違った結果があったのではないか?と思うときがあります。




 以前シェパードをアダプトすることでもグダグダとうんちくを述べていましたが、「シェルターの犬をもらう」という行為の問題点は、きちんと犬の健康や行動を把握できる、犬の心の動きをこまかく観察して、リスク回避やマネンジメントが出来る「アドバンスド飼い主」向けの犬がいたとしても、量販店などの里親イベントであったりシェルターであったり、カジュアルな感じで、「あなたは良い事をしている」という高揚感つきで、安価なペットとして犬を飼えてしまうところにあります。これは本当に良い事でしょうか。

 だから、「犬はシェルターから迎える事が是であり、最善である。」という風潮がいつしか勝手に現代の倫理規範のなかに書き加えられ、この「新倫理」が、

・好きな犬を飼う、その為にブリーダーへ行く
・自分と家族の生活に適した犬を真剣に選ぶ

という個人の自由までもさまたげ、ときに圧迫する様子すら見られることは、危険な傾向ではないかと思います。「個々の人は犬に割けるリソースが全く異なる」「個々の人は、犬を迎え入れる家庭環境に大幅な差異がある」などという、犬を生涯にわたって大切に飼う上で本来、最も重要視しなければいけない観点が、そこからは完全に抜け落ちています。




 大切なのは、どんな時も、出自がどんな犬であっても、毎日自分の犬を大切に世話をして最後まで飼いきることであり、また誰がどんな出自の犬を飼っていても、そこに至った他者の考えや行動、「選択の自由」を尊重する事ではないのかな。

 今日書いたことはもしかしたら世の中の多くの愛犬家とは逆行する考え方なのかもしれません。しかし、より多くの人が「シェルターにいる、かわいそうな犬達をたすける」という、感情に根差した視点を大切にしながらも、そこから一歩を踏み出して考える必要があると強く感じたため、書いてみました。


 今日の写真は5年前に散策したなつかしい夏のトロントから。ほんの数日だけの滞在でしたが、いっぺんで好きになってしまう魅力にあふれた街でした。犬もたくさんいてシティライフを謳歌してるように見えました。いいなあ~。現実逃避はこのへんにして、今日の無駄話をおしまいにしたいと思います。


2021年1月6日水曜日

6歳



 犬が6歳の誕生日を迎えました。いつも通り特別なことは何もしませんでしたが、原っぱでボール取りと鬼ごっこを沢山して、最近覚えた「娘はどこ?ゲーム」をやって遊びました。「Where is 〇〇(娘)!」と言うと一生懸命娘のところまで走って行ってフセをするルールです。コディはどんなに下らないことでも、ゲームとわかるといつも必死の形相です。学生時代、見た目に反してクソ真面目な性格だねと言われていた(自分ではそうは思いませんでしたが)私は、勝手に親近感を感じています。

 6歳になったコディは、今までのタウンハウス(日本のメゾネットみたいな家)やアパートメントで、ペット然として暮らしていた頃と比べると、どこにこんな力が?と思う位行動が変わって、ちょっと圧倒される位、活力がみなぎっています。せな毛を逆立てて唸りながら家を守る所を見ると、普段のテディベアの様な姿からはかけ離れた様子にこれが同じ犬かといった思いですが、アパート暮らしから田舎へ、という住環境の飛躍によって、犬も人と同じで与えられた環境に馴染もうとする適応能力の非常に優れた動物だということ、そして性質に見合った環境を与えられれば、いつでも能力全開の姿を見せてくれる生き物だという事を実感しました。

 最近のコディ君は万事そのような感じなので、こうして文章を書いている今のように、一日の終わりに、やけに幼い顔で私の足元で寝てる姿を見ると「かわいいな」という思いもひとしおです。時おり顔なんかを撫でてやると口をむにゃむにゃしたりして、もうすっかり子犬気分です。この世に、飼い犬に「ずっとそばで寝ていたい」と思われる飼い主だということ以上に素晴らしい充足感を与えてくれることも早々ないと思われます。元気な愛犬がいてくれる1年を大切に過ごしたいと思います。




2021年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます。


 
 こんな辺境ブログですが、見に来て下さる皆さんにとって2021年が、より良いものとなりますように心よりお祈り申し上げます。ゆく年がありとあらゆる厄を持ち去ってくれていますように。


 初霜が降りる頃、わたしたち一家は北バージニアのはずれへ転居しました。東京にもあきる野や奥多摩といった別世界がありますが、若干あのような感じで、周囲は静かな住宅地や畑が点在し山が見え、道端では馬や羊や野生のシチメンチョウに出会ったりする、のどかな土地柄です。

 今後目立った問題が起きなければ娘はここで少女時代を、コディはシニア時代を過ごすことになります。自分にとっては、自然観察や創作などのライフワークにさらに力をいれる場となりそうです(仕事はどうなった?)。自由に使えるスペースが出来たので、家の中に魚や植物や両生類の水槽エリアを設ける企みを練っています。目の前に何も書かれていないスケッチブックが置かれたような気分です。

 このようなザ・準郊外といった環境は犬にとっても人にとっても、いかようにしてソーシャルライフを継続していくかが課題となりそうです。この暮らしは個々の人の性質や性格が浮き彫りになる側面もあると気付きました。特に犬は、この場所に住み始めてから面白い程行動が変わっているので、追い追いログを取っていければと思っています。ということで、いつものようにのんびり進んでいくブログとなりそうですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。




2020年11月2日月曜日

夜のDC市街地 11/2



 大統領選の開票日前夜の11月2日、コディと二人で夜更けのワシントンDC市街地を歩きました。ジョージタウンからダウンタウンまで運転する間も、かなり多くの建物にベニヤの板張りがされているのが見られ、また政府機関の建物前には大型トラックが乗りつけ、目の前で次々と鉄のバリケードやコンクリートの車両止めなどが設置されていきました。DC近郊民としてやや悲しい事ですが、この街のデモや暴徒の類はなれっことはいえ、この日のDCはどこかビリっとくるような「本気だな」と思わせる街の雰囲気がありました。明日の大統領選が歴史的な選挙になりえるものだと肌で感じました。


 ここまで厳重な囲いはここ最近では見たことがない、というか記憶にない。

 人通りがちらほら。コディが子犬の頃に散歩した街道にも板張りが。
中にはラクロスのスティック等で武装しているホームレスなどもおり、正直あまり雰囲気がよくない

ホワイトハウス前からワシントンモニュメントを臨む。
フェンス前にはBLMの若者達が集まって音楽を流したり、ひとつひとつの張り紙に目を落としている

賛否両論のBLMペイントの上で。

 
 コディは道にいる報道のお兄さん達や、列をなして待機する警察官達、BLMのお姉さんなどに話しかけられたり、撫でてもらい、終始ごきげんでした。メディアと活動家、そして法執行機関と今日のアメリカで「三竦み」とも言える人々の心の垣根を犬は軽々と越えていった。みな明日、数日後、来週は、どこでどうなっているのかも知れず、人々はアメリカ史という巨大な流れの中にくるくると翻弄されつづける木の葉のようです。でも、この流れもよくよく目をこらすとまた何千、何億、何十億という夥しい人々の意思や思想、思念、思惑といったものでつきうごかされているのだと気付きます。この流れは一体どこへ向かうのか……、まずは明日の開票を楽しみに、帰路につきました。


2020年10月1日木曜日

急に涼しくなりました。

Lake Skaneateles, New York


 疫病に暴動に山火事にと、波乱ばかりの2020年に夏も遠慮したのか、今年の北バージニアは本格的に暑くならないうちにすっかり秋模様となってしまいました。どこへも行かずに終わってしまった今夏なので、今まで撮りためた写真を引っ張り出しては眺めて旅行へ行った気になっています。

 上の写真は、以前住んでいたニューヨーク州北部の街で、ちょうど今頃の時期によく魚釣りをしていた湖のデッキからの眺め。五大湖周辺のこのエリアはヒトの手指に似た細長い形の湖が多数あり、全部まとめて「フィンガー・レイクス」と呼ばれています。ここはその中のスキニーアトラス(スカニースルズとか、スキニアレスと表現されることも)という湖です。かつては北米でも有数の水質と透明度を誇ったのですが、17年頃から毒性のある青緑色の藻が大量発生してしまい、水質の再生が課題となっています。地域の努力でまたきれいな水が戻ってくることを、本当に心から願ってやみません。


スマイル100万点

 犬5歳娘5歳と、「おれたちのコロナ戦争」も継続中です。現地校がなくなって、週に一回のデイケア以外は自宅でホームスクーリングもどきをしている娘が、PC上でお友達に「まいにちたのしいよ。」と言っていたのがせめてもの救いと言えます。

 自分の方はといえば、日中は家や子のせわをして夜皆が寝静まってから仕事をしたり、買い物へ行ったりなどしているので、寝不足です。元気盛りの犬とわが子と、こんなにも濃密な時間を過ごせる1年間は今後一生ないと思いますが、たまに突発的に一人になりたい時もあります。ぶらっと一人で…、中央アジアでも行きたいな。ウクライナでもいい。バルト三国もいいですね。


この足裏みてください

 今週は、犬をブラッシングして、オフロに入れて、全身乾かしアンダーコートをすきました。歯石のチェックをし、ほんの先っちょを切ってお茶を濁す爪切り&パッドの間の毛を切って、4つの足裏を写真のの状態にするまでで半日が経過してしまった。これでも大分スピーディになったつもりでした。兎に角みんなでアメリカ生活のホワイトシェパードわんた氏は、足裏トリムをしたら藪でケガしやすくなったと聞いて以来、どうするのが正解なのかは分からないのですが。

 「いそがしい」とか言いながらこうして自分で不要な作業工程をいろいろ作り出し、ムダな労働と分かっていつつ一旦手を動かし始めると止まれないのが悪いクセだなと思いますが、犬はきれいになったから、まあいいや。


あらっ!手が入ってしまった。

 犬をきれいにして出かけた先は地域の獣医さんです。この場所でずっとやってる小さな病院なんですよ。セラピードッグの活動を続けるためには、定期的に健康診断のフォームを更新しなければなりません。コディは獣医での素行があまり良くないので(診察室内で、この図体でなんでというくらい巧みに注射や診察から逃げ回る)獣医さんや看護師の皆さんにはせめて清潔な犬を診てもらいたい。

 コロナのパンデミックのおかげで獣医さんの方式も大分変わっていました。車からドロップオフしたあとは、病院のスタッフの方で全ての工程をやって下さいます。途中で獣医さんが出てきて、行った治療と検査結果等を口頭で教えてくれます。待合室などで不要な混雑も起きないこのやり方は、検診程度で訪れる患者にとってはいいなと感じました。あとで看護師の方にも話を聞きましたが、飼い主から離されることで診察室内での行動が改善する犬も多いそうです。でも「コディアックはあなたと一緒にいた方がおりこうだけどネ」と言われてしまいました。あらら。


2020年8月16日日曜日

シェパードと借家


 今、借りているアパートでは犬を飼うことができます。先日は共用エリアでジャーマンシェパードの子犬を散歩している住人と世間話をしました。「コロナで在宅勤務になって、運動不足だし、丁度いいからこの子を迎えたの。」と話してくれました。訝しげな眼で私の事を見るその子犬の様子を見ていて私は、今年生まれた子犬達が社会化に大きなハンデを課されていることに気が付きました。

 この話題については、やっぱり同じことを考えてた人がいたみたいで、アメリカンケンネルクラブの記事にもまとめられていました。また「行動の変化」という点に目を向けると、成犬であっても、自主隔離生活期間が長引くにつれて分離不安傾向が強まる等の問題が考えられるようです。犬によっては分離(セパレーション)の練習をし直す必要が出てくるかもしれません。この話題について気になる人はBloomberg Businessweekのこの記事も見てみてください。残念なのですが、時間的にまとめる機会がなさそうなので、、、

 
関係ない写真:ボロ屋の思ひ出


 時を遡って3月、家を借りる前の話です。借家を斡旋してくれるエージェントが、車の窓から無言でこちらを覗いているコディを見たとき、一瞬むずかしい表情になりました。予想しなかった「アメリカで犬と一緒に家を借りる」という段になって、比較的犬にやさしいイメージのあるこのバージニアでも、ジャーマンシェパードやロットワイラー、ドーベルマン、ピットブル等がいる家庭は賃貸探しが比較的難しいことを、改めて実感した瞬間でした。

 私達の場合は、事前に「都市の優良家庭犬資格(CGCU)」を取った時のペーパーワークとセラピードッグ(TDI)の証明書(☞これをとった時の長くドキドキした話)、実際の活動の経歴などを簡単にまとめたものを準備しておいて渡したところ、賃貸の査定の時に有効だと言われました。アメリカの優良家庭犬資格などは「やれば誰でもとれる」とか、とってもあまり意味がないとか様々なことを言われていますが、公的な認定はこうした場面で効力があるという事を、再確認しました。大型の犬やいかにも強そうに見える犬種の飼い主は目指すと良さそうです。いつかどこかで役にたつこともあると思いました(法廷でも有利に働くそうです)。

 とまあちょいちょい苦労しながら晴れてのアパート暮らしが始まったわけですが、3ヶ月ほど暮らしてみて「やっぱりうちの犬にはやや無理があるかな~」と感じています。手前みそですが、コディはとても良い番犬で、そのおかげでボロ屋時代は毎日安心して暮らすことが出来ていました。ところがアパート生活では彼の番犬としての「良い資質」が、ぜんぶ裏目に出てしまうことに気が付きました。

 窓が沢山あって明るい部屋ですが、逆に家の前の通り道が丸見えで、コディは定期的に見回りに行き、吠えようとします。声量があるのでとてもうるさいです。「もういいよ」と言うと渋々吠えるのをやめますが、「ウオ~、ウオ~」「ピーピー」と文句を言う事もあります。犬からしてみれば、「あそこにまだヘンな人がいるのに」といったところでしょう。フラストレーションがたまるようです。

 また、住居の構造的にも難しい点があります。自動ドア、みしらぬお掃除の方、オートロックが開く「ピー」というハイピッチ音など、犬的にこれはチェックしないと!と強く気持ちを煽る仕掛けが点在します。エレベーターなどもまさにそうで、セラピーの訓練でも実地でも何度も利用して全く慣れたものでしたが、日常使いのエレベータだと、急にドアが開いていきなりガウガウと吠える犬が現れたりします。

 コディは、吠えられると引き下がらず、前に出ていくタイプです。案の定速攻で覚えて準備(ドアが開いたらとりあえず吠える)するようになってしまい、ついには人が立っているだけでも吠えるようになりました。セラピードッグとしては、かなりまずい状態です。別途練習することになりました。シェパ飼いの皆さんはご存知だと思いますが、いらんクセは一度で覚え、直すのには10倍時間がかかるので、結構疲れました。

 最も深刻な懸案事項は、集合住宅で夜不意になったりする全館火災報知器の爆音です。5歳を過ぎて音に敏感になりつつあるようで、火災報知器が鳴った日のコディのテンパり様は、とても可哀想でした。私達の安全な暮らしのために絶対必要な装置だと思いますが、音とあわてて移動する人々の喧騒や、階段で出会う混乱した他の犬に吠えられたりと、感受性のやわらかい1才未満の若い犬や、音響シャイな犬などにとってトラウマになってもおかしく無い状況が生じます。「もう、鳴りませんように」と祈りながら住んでいます。


2020年6月7日日曜日

近況です


野獣の近影です

 
 おひさしぶりです。お元気でしょうか。

 世間はもう、コロナウイルスに付随したあれやこれや、暴動に付随したの話題のあれやこれやで持ち切りですね。コディの訪問活動も休止になり、子供も休校になり、引っ越し、仕事は夫婦共々完全リモートになり、何処へも行かないのに毎日が大忙しで、ブログに何かを書きに来ることが困難になっていました。来年の夏ごろにはすべてが落ち着いて、またくだらない駄文を書いたりできるのではないかと予想しています。


 整理をかねて、ここ半年の変化を箇条書きにします
(本当にいろいろあって…、自分でも何が起こったか確認のため;笑)

・家を引っ越して、借家にうつりました。我がボロ屋を恋しんでいます。うちの犬も大きな図体をエレベーターに押し込め、シーズー、トイプードルやマルチーズに交じってすっかり「そのつもり」みたいな顔でアパートに住んでるので、おかしいです。コディはかなり大きいので、借家に移るまでには紆余曲折がありました。また、シェパードのQOLを考えると、長期的なアパート暮らしは適してないと思わされるところがいくつかあり、それについては別件で書いて行ければと思います。(書きました。⇒シェパと借家

・前の家をパンデミックのロックダウン下で売りに出すことになりました。最終的に良い買い手に恵まれたのですが、日に日に社会の情勢が悪くなる中での大改装、不動産屋さんとの打ち合わせ、クロージングなど、しばらく思い出したくない程、大変でした。今後はここから新しい家に移りますが、しばらくは気楽な賃貸暮らしでいいやと思っています。次の引っ越し先は未定ですが、同じノーザンバージニアエリア内で検討しています。コディの最後の家になるので、老犬にとって暮らしやすい環境かどうかも、気を付けて検討したいと思います。

・バージニアは3月15日から、公立学校の休校が続いています。休校は6月中旬まで、その後夏休み期間に入るので、保育園等は8月までない事になります。我が家は教育はソーシャルスキルや運動能力などに非常に重きを置いていますが、幼い子供達がそれらを学べる場が全くなくなったことに危機感を感じています。自分達の勤務形態も、夫婦そろって完全在宅勤務になり、娘が遊んで声を張り上げて叱られる様子を見ると、可哀想です。特に、いつも優しい父親に注意されるのがショックらしく、心因性とおぼしき頻尿になってしまいました。感受性が敏感なところがあるみたいで前にも一回なったことがあるのです。2~3週間そっとしておいて、経過観察しています。

・保育園やチャイルドケア施設が閉鎖されたことをうけて、バージニアはじめ東海岸の日本人のお母さん達のオンラインプレイデートをつくりました。今は2歳半~7歳くらいの子が平均7、8家庭くらいで集まって、毎日、日本語の本読み、読み書き、実験、歌、工作などを行っています。Co-op形式で、先生は日替わりでお母さんやお父さんが担っています。このブログは子育て関連の読者の方は殆どいらっしゃらないのかなと思いますが、東海岸在住者で、もし参加したい方がおられましたら、どうぞご連絡ください。

・コロナに関連して。毎年楽しみにしているイベントごとなども次々に中止が決まり寂しい思いをしています。まず、私達家族が好きなバージニア州、スカイメドウ公園の「いちご祭り」が中止になりました。アメリカン・ベルジアンマリノアクラブのナショナルが5月に当州で行われる予定で、ボランティアとして働く予定で去年の末から非常に楽しみにしていたのですが、これも延期になりました(知らせを見てイスの上でしばらく言葉を失う位がっかりしてしまった)。毎年参加していた、バージニア両爬協会のリサーチトリップもなくなりそうです。今回の出来事で身体的・経済的にも甚大な被害を受けた方が非常に本当に多いと思うので、こんなふざけたことでがっかりしていてはいけないと思いますがが、残念でした。


 これ以外にも文筆的な活動で連載らしきことをしていたりと、まだまだお伝えしたいことが山のようにあるので、あるていどまとまった形になってからまたこちらに書きにきたいと思います。まずは、この夏をがんばって乗り切ることを念頭に。みなさまもどうぞお気をつけて、楽しい夏をおすごしになられてください。



2020年1月21日火曜日

歯医者さんを探す


 新しい一年も始まったことなので、うちの愛犬の汚い口と歯について少し書いてもよいでしょうか。
(正月早々、真の犬好きにしか受け入れられない話題のチョイスだな)

 今まで歯磨きは最低でも1日1回~2日に1回、ときどき見える範囲の歯石をスケ―ラーでとり、ということを自宅で行ってきましたが、おそらくもともと唾液の量が少ない犬なのと、子供関連でバタバタした際に歯チェックの間隔が明いてしまうことがあり、この頃奥歯に固着した歯石がみられるようになりました。つい昨日生まれたばかりという感じのコディもこの1月で5歳、犬のアクティブイヤーの半分をすぎたこのタイミングで、本格的な歯のクリーニングについて考えていく必要があるように思いました。

 そこで「どうぶつの歯医師さん」探しです。実は、コディの主治医の先生にも歯のことは話していて、クリーニング費用の見積もりまで出してもらっていたのですが、ここでハタと気付いたのは、人間は体の事は内科で歯は歯科へ…とやるのに、動物は外科も内科も歯科も眼科もぜんぶ一緒になっている、これは大変な事だという点です(改めて獣医さんとは大変な仕事で、頭が下がります)。何が言いたいかというと、歯の事なので犬でも歯科に特化した医院を探して行くべきではないかという考えに至りました。

 自分たちの住む北米の場合、アメリカ獣医歯科学会(American Veterinary Dental College)という獣医師向けの継続教育機関があり、認可を受けた獣医師が各州のどのクリニックに在籍するかが楽に分かるページがあります。これは、教育を受け技能を身に着けた獣医師をとりまとめる協会等が実際的には存在しない日本の状態と比較すると、恵まれているといえるかも知れません(日本の場合は小動物歯科研究会として長年獣医歯科学の知識と技術の啓蒙・実習を行ってきている会があるので、直接連絡をとれば最寄りの学会員の紹介を受けられるのではないかと思いました)。

ところどころきたないんです

 コディはもともと口まわりがあまり強くなく、歯茎も炎症を起こしやすかったり、病気ではないですが歯肉の異形成なども子犬の頃からわりとよく見られました。周辺の皮膚も敏感で食器が汚いとすぐ潰瘍になるので、毎日の食器の熱湯消毒を習慣化しました。固いものをガシガシと齧るのが三度の飯より大好きなため成犬になった今、歯も色んな所が擦り減り、欠けています(これはシェパには比較的見られることなようです)。犬のオーラルケアなどという概念が希薄だった1990年代後半の日本に生きた先代ドーベルマンなんかは、歯磨きなどは誓って1回もしていなかったですが歯は死ぬまで真っ白に輝いてたので、やや不公平だなあという感じです。

 話を歯医者に戻すと、私は上記のページを見ながら3件ほど獣医歯科専門クリニックをリストアップしたので、次はひとつひとつの病院にアポをとり、実際の歯の状態を見て貰ってコンサルテーションを受け、価格の査定をしてもらうことにしたいと、今の時点では考えています。コディの場合、ついでに麻酔下で耳の検査と爪切り、採血とセットのワクチンもできないか、交渉してみたいと思います。犬の歯医者さがしの旅が始まる予感がしてきました。

2019年11月6日水曜日

犬。おりこうにする


活動ログです。今年の春から、政府関係の機関で定期的に訪問活動を続けてきましたが、この10月の終わりにワシントンDCで行われた内部イベントにおいて、ウェルネスプログラムのアンバサダーとして介助犬達と共に抜擢される出来事がありました。タイミングの問題も大いにあったと思いますが、同じファシリティに来るセラピーチームがいくつもある中で私達のチームが選ばれた事は、今までの地道な活動が評価されたようで嬉しかったです。150名以上の人が入れ替わり立ち代わり会いに来る状況は多分これまでで一番の大舞台でしたが、犬も最後まで指示をよく聞いて、本当によくがんばっていました。

 コディは会場でただ一頭の「触れる犬」だったので、本当に多くの人々の注意をひいていました。広報の人も来て取材を受け、ニュースレターに載るそうです(もらった上の写真は許可を得て、解像度を落としてポストしています)。いつも思いますが、こういった場所で日々激務をこなす全ての人をセラピードッグがたちどころに笑顔にする様子にはほとんどショックといっていいほどの驚きを感じます。自分の育てた犬が、おそらく自分自身の10倍は社会の役に立っているであろう様子を眺めるのは、とてもおもしろい経験です。


 コディはこの日、前回のログにも書いた「say hi」を、何十回と根気よく繰り返していました。彼は訪問中は撫でられることも、おやつもないのに、一体何をモチベーションにしながら私の指示を聞いているのかと、ときどき不思議に思う事があります。いつも私の目を凝視しており、「おりこう君だね」と言うと、なんとなく嬉しそうな目をするので、ここまで育っていくどこかの過程で、褒められる事そのものが好きになったのかもしれません。もしかしたら、子犬の頃散歩や自主練でちょくちょく出掛けていたこのDCの街だから、沢山の「楽しい思い出」の欠片がそこここに漂っているのかもしれません。その街にこうして立派に育って(?)戻って来られたことは、ごく個人的なことながら一抹の達成感を感じさせてくれた出来事でした。










2019年10月24日木曜日

元気です

元気です^^

 北バージニアも、ようやく朝夕の冷え込みが秋を感じさせる頃となりました。今、木々の葉もどんどん色が変わっており、数日単位で野山の情景が変わっています。美しい季節となりました。

 我が家では毛の生えた兄に続いて娘・「ちいさいにんげん」が、無事に4歳を迎えました。初めてのお誕生日会は50名近くの人に来てもらえ、それだけで別の記事に起こしたいほど、印象的な日となりました。こういう事があると改めて「友達っていいな」と思います。子供が人生の早い段階において、「暖かい人の輪の中にいられるかどうか」は、親が進んで助けてあげることのできる、数少ない項目のひとつかもしれません。そのことは、いずれ自分の力で「日系/ロシア系アメリカ人」としてこの国で人生を歩んでいかねばならない娘にとって、特に重要なことの様な気がしています。




 友達は犬にとっても結構大事みたいですね。コディは人間中心主義者ですが、そんな彼にとっても、落ち着いた環境で気心の知れた犬と遊ぶ事は、心に刺激を与えてくれるようです。コディは家で、「ショーン」とか「ニック」とか、特に仲のいい友達犬の名前を口にすると、耳をピンとたててワン!と大きな声で鳴きます(単語が「ネコ」とか「アライグマ」だと、ワンワン💢という感じでドアまでダッシュするので、反応の違いは明らか)。名前の指す相手がだれかをはっきりと認識しているようです。犬同士でも、一緒に遊んだ経験が彼の脳裏にしっかりと記憶されている事が伺えます。写真は、最近できたお友達で、しばいぬの「花野」ちゃんです。子犬の可愛さの中にクールさを覗かせる日本犬、最高ですネ。



フサフサ君のとっておきの顔を見てください 笑

 訪問活動ログ。今回、特別に屋内の写真を撮らせてもらえました。アメリカの外務省にあたる所の、付属機関の中で、沢山のセキュリティを通過した先にある場所(セラピードッグも鑑札まで外して身体検査を通ります)。私はコディがいなかったらここに来ることはおろか、こういう場所があるという事すら、一生、知り得なかったでしょう。犬が私の知らない新しい場所に連れていってくれるようです。がんばっているコディの事を誇らしく思いました。

 以前は少し難易度が高かったまるまる2時間の訪問も、きちんとこなせるようになってきました。秘訣は犬を立たせておくことかもしれないと思っています。「say hi」というキューで、立って近くの人にあいさつに行くことを教えたので、受動的に撫でられるばかりでなく、自分から挨拶に行ける事がどうもプラスに作用しているような気がします。ほんの些細な要素を微調整するだけでも、ストレスが軽減されることを実感しています。今後も観察を続けたいと思います。



2019年7月19日金曜日

4歳半の夏

たるみまくり(無精ひげも生えた)

 ボストンから帰って、冷房の効いた部屋でトドのようにゴロゴロしている犬。ベランダに出てセミの声を聞いたり、ホタルを見たりしたいのですが、暑いらしくすぐ家にひっこむ。散歩中も、上り坂をジョギングで上がろうとすると「ゆっくり登ろう」とアピールしてきて、首輪ごとリードがすっぽ抜けた事2度。しかし本犬気付かず、すっかりリードがあるつもりで歩いていました。慣れ親しんだ散歩道だと、リードの存在を感じさせない風船のような犬なので、散歩がしやすく助かるのですが、これはちょっと笑えた。

 ところで、本当にリラックスしている犬って、頭をさわっただけでも分かる気がしますね。人間と同じく、犬も頭部や顔にあつまった筋肉群の緊張がほどけるのかな?フニャフニャした触り心地です。ドッグマッサージって効くのかな~と思っていたけど、こんなに筋肉があるのなら、犬もきっとこったりするのでしょう。


 一週間冷房のない環境で過ごしたからか、帰ってからアンダーコートがごっそりと抜けました。上の写真の、灰色がかったところにアンダーコートレーキをかけるとブラシの歯いっぱいに毛がとれます。背骨に沿ったあたりはピカピカのサマーコートです。やはり、室内犬だと自然にズバッと毛が生え換わるようなことはなく、だらだらといつまでも換毛が続く気がします。バージニアは今の季節雨が多く、泥はねも多いので、脚やお腹の毛は自然に見える範囲で先っちょを切りそろえました。

 散歩中、犬の毛艶を褒めてもらえることがたまにあります。どんなシャンプーを使ってるの?と聞いてくる人もいます。私はいつもコディを食器を洗う中性洗剤をよく薄めたもので洗っているので、そう正直に言うと大そう驚かれます。コンディショナーは、もともと馬用に配合されたMane and Taleという製品です。なるべく地肌につかないように、毛先にちょっとつけてくしで撫でつけてから流します。そのへんのスーパーで買える安物ですが、洗い上がりもその後も、問題なく使えています。匂いもきつくないです。


 そんなこんなで、コディ4歳半の夏。この夏から冬を終えれば5歳になると思うと、イヌの壮年期真っ只中というところかと思いますが、まだまだ毎月ひとつは新しい発見があります。
 
・ボール遊びのあと車に乗る時、口にボールを咥えたまま荷台に飛び上がるようになった。
・ながら散歩でボールを咥えながら帰る時、ボールを咥えたまま排便をするようになった
(オシッコは前からしていましたが、ここへ来て「ながらウンチ」もマスター)
・散歩の時のオシッコの回数が増えた。マーキング的意思を持って故意に分散している感じがある。

などなど、主にボールにまつわる行動にちょっとした変遷が見られました。いつもするわけではないのですが、ボール好きに筋金が入ってきたようにも思えます。年齢と共に、目には見えにくくても、日々何らかの成長?変化?をしていると言えるかもしれません。

 時折ドッグランなどへ行くと会える昔からの犬トモ達の行動も、最近変わりつつあります。特に大型犬仲間の間で元気よく遊ぼうとする犬がすごく減ってきました。コディはプレイバウしたりお尻をドンと相手にぶつけてみたり、一人もみくちゃになって遊びに誘おうとするのですが、疲れているのか、暑いからか、はたまたコディとはもう遊べないと感じるのか、あそびに乗ってきてくれる犬がぐんと減りました。もともと遊び方が乱暴で、いいバランス感で遊べる犬が少なかったので、これは本当に残念でした。コディのでっかいグーパンチではたかれても、頭をすっぽり咥えられても怯むどころか、むしろ大歓喜でコディを追い回していたボーダーコリーのニックが、とても恋しくなりました。




 訪問活動も復帰しました。このファシリティでは、セラピードッグが訪れることの有効性が認められて、正式なウェルネス・プログラムの一環として定期的な犬の訪問活動が採用されたそうです。こんなかわいい看板も立ててもらいました↑。コディが来ると聞いて、早めに来て看板のそばでわくわくしながら待ってる人も居ます。相変わらず、行くと犬のしつけ関連の質問が多いので、答えられる範囲で答えますが、英語が下手なので、満足のいく説明がなかなかできません。いい練習になっています。

 セラピードッグ協会を通してリクエストを受ける時、殆どの訪問先は2時間くらいの指定をしてきます。しかしうちの犬の場合、終わりごろになると出入り口の開け閉めの音に耳を澄ませたり、外を見る動きが少し増えたりと、「帰りたいのかな?」と思わせる行動が増えてきます。1時間30分~45分の間が、「楽しい」と「疲れた」のターニングポイントという感じがします。シェパードはこういう点で他の犬種、たとえばレトリバー系やブリー系の犬とは性質が違うと感じます。タイマーをセットしておき、訪問時間の途中で一旦トイレ休憩を入れ、ほんの少しの間でも小さなおもちゃで遊ぶなどして、犬のメンタルをリセットしてやるといいようです。

 シェパード全般そうかも知れないけれど、コディもまた、普段の生活の事からトレーニング中の癖までちょっとした「調整ポイント」がいろいろあって、対象をジロジロ観察して、どうやったらもっといいパフォーマンスをしてくれるかなあと考える事がとても大好きな自分のようなタイプにとっては、知的好奇心を延々と満たしてくれる最高の題材と言うことができます。けれどもそういう細かいりくつ抜きで、ただただ楽しく犬と付き合っていきたい人々にとっては非常に疲れるというか、めんどくさい犬にもなり得るという点を、理解しておくことは重要だと思いました。


2019年7月10日水曜日

ボストンへ行ってきました(再び)。

クインシー・ベイに浮かぶ小島から臨む、ボストン市街のながめ。


 北米の夏の休日、ジュライ・フォース(独立記念日)の週は、マサチューセッツ州ボストンの友人宅に寄せてもらっていました。トランク大小3つ、友達一家へのお土産の大きなダッフルバッグ、成人2名、3歳児1、犬1+犬のお皿やブラシなどなどを詰め込んだパンパンのマイカーに乗って、I-95 NからNJ Tpke、コネチカットの歴史街道へ…と、約10時間かけて北上しました(どこかで読んだ書き出し)。




 独立記念日は、家族や友達と食事などをして、夜になったら花火を見に行く、というのが典型的なアメリカ国民の過ごし方です。私達も例に漏れず庭でグリルなどをして過ごしました。滞在先は古民家が集まっているエリアで、昔ながらの近所づきあいが根付いていました。食べ物を並べているとどこからともなく近所の人があつまってきて、勝手に話に花を咲かせていました。


なんか興奮しておもしろい事になっていた


 ヒトある所にイヌあり、近所の御宅の犬達とコディも一緒に遊ばせてもらうことが出来ました。この庭を出てすぐのところにドライブウェイがありときおり車も通るのですが、地域の犬達はみんな勝手知ったるといった感じで、飼い主達も気にも留めない様子でした。ふだんの生活の中で他の家の犬が勝手に庭に入ってきたりすることは結構よくあるみたいです。アメリカの昔の犬の暮らしぶりに近いと感じました。

 それから今回初めて夏のボストンに滞在して、一般家庭に冷房がないことを初めて知ったんですね。自他共に認めるすごい暑がりである自分は死んでしまうのではないかと、道中心配していましたが、築112年の(アメリカ的には)古い家の中は日中は意外なほど涼しく、湿度の低い風が一日中吹いていてさわやかでした………、というのは今年がラッキーだっただけで、去年はマサチューセッツも猛暑で大変だったそうです。
 



 数軒先に、昔偉い軍人だったお爺さんが住んでいました。第二次世界大戦を戦った人です。かなり年をとっていて、自宅でターミナルケアを受けられている様子でした。ある日の夕方、彼の為だけにパレードが執り行われました。非常に名誉な事だそうです。自分も結構長くアメリカに住んでいますが、こういう事は見たことがありませんでした。窓辺から重そうに腕を持ちあげて敬礼に応えるお爺さんの姿が見えました。

 戦争では、間接的に、いやもしかしたら直接的に、多くの日本人の命を奪った人なのかもしれません。今目の前で死にゆくその人を見て、複雑な思いでした。個人のレベルでは、怒りや憎しみなど、何も感じる事がないからです。今までの人生の中に散りばめられた「戦争への間接的記憶の断片」を急に意識して、戦争への思いがふくらみました。自分の娘と、その友達は、バグパイプの音に合わせて楽しそうに踊っていました。その仲良しの娘達にだってそれぞれ、ユダヤ人とドイツ人の血が流れています。




 パレードの時もまた勝手にどこかの家の犬が、ヒモもつけずにフラフラ挨拶しに来ていました。花火といいバグパイプといい、結構な爆音で鳴らしていたけれど、全く物怖じせずみんな自由に歩き回っていた(笑)。豊かな社会性を持った犬達でした。私がかねてから礼賛している「村のいぬ」の像に、また少しピントがあったようで、非常にインスパイアされました。


やや疲れ気味

 今回は庭や近所をうろつく事がメインだったコディ。暑さと、朝から晩まで子供だらけで、あまりよく眠れなかったみたいです。この犬は旅行はいつもこんな感じですね。夜は冷房のある友人夫妻のメインのベッドルームに入れて貰ったりして、すごい特別待遇を受けていたのに(うちのが来ると毛まみれになるラグに文句を言うどころか、こんな事してくれる友人夫妻に感謝)。バージニアの家はずっと狭くて暗い家ですが、静かだし涼しいのでやはり落ち着くようで、帰ってからは3日位ずっとゴロゴロ&寝ぼけまなこで過ごしていました。

2019年6月4日火曜日

雷が来る前



 仕事から帰ってくる最中、西の方で雷雨警報が出ていたので、2時間程で自分のところまで到達すると考え、このブログにももう何度も登場している(→登場その1登場その2バージニア州ターナーファームへ散歩に行きました。私が出かける日は朝から殆ど動かしてもらえないので、家の中で退屈していた犬です。大喜びで走り回り、ボール拾い、馬用の堀を飛び越えたり、馬糞を味見したり、ワタオウサギの通った後を嗅いだりする横で、いかにも怪しい黒い雲が沸き立つ様子を眺めました。雷雨という気象イベントはわくわくします。こういう時に急に冷たい風などが吹いてくると、おっ、来るな!という感じで、走り出したいような高揚感を感じます。


「ここはよく馬糞が落ちているところだよ。おいしいよ。」

 かと思えば急にまぶしい日が照ったり。この心をかき乱す空の様子を見て、昔の人は、妖怪や神様を連想しました。私達の脳は否定形を認識出来ない、と聞いたことがあります。科学が発展する前、天気などの現象の起きる理由についても「(理由が)ない(=わからない)」ものをそのまま「ない」としておくことが出来ず、なんとかして「有る」とこじつけた結果が神話や物語なのだと考えると、空想を産む構造になっている自分の脳に愛着のようなものが芽生えます。


ダニが~~~草のタネが~~~

 コディはセージとかローズマリーとかの刺激臭のする薬草系の匂いが大好きです。ここの牧場の傍に生えている名前の分からない葉が三角形の植物も、つぶすと強いハーブの匂いがして、たまらないようです。葉っぱを見つけるとゴロンゴロンと全身にまんべんなくまぶそうとします。すべてをなぎ倒してめちゃめちゃにするので、娘と一緒に見ていた「しぜんとあそぼ」のイノシシを思い出します。なんか、ドクダミとかも好きなんじゃないかな?生えてなくてよかった。

 好きな匂いと言えば、女性用の制汗剤に含まれている何か特定の物質にも、強烈な反応を示す事がありますね(笑)。この行動、ふだんの生活の中ではただ笑えるだけなので今まで問題視したことはなかったのですが、最近行き始めたややお堅めの訪問先だと、皆スーツやフォーマルな白のブラウス等を着ているので、毛や鼻水が付着することを避けねばならず気が抜けません。突然そういう機会がやってくるので防ぎようもないし、訪問中は場にネガティブな印象を与える「NO」という言葉も使わないようにしているので、困りました。


 10分位思い切りゴロゴロして、そのあとはこうしてひっくり返ったまま頭だけ動かし草の匂いを嗅いでいました。この時、コディの太ももらへんにあるこんもりした草のかたまりの中から、野生のハツカネズミみたいな小さな茶色いネズミが飛び出して、命からがら走り去っていくのが見えました。ネズミにとってはとてつもない大災害でしょう。多分、怖くて固まっていたけど、ガサガサが止まったので意を決して飛び出したのだと思います。さっきヒトの脳はわりとショボいなあ~という話になっていましたが、このように「幸福はいつも知らない誰かの犠牲の上に成り立つ」と、その事を認知出来る点についてはなかなかいいと思いました。

2019年6月2日日曜日

いちご祭りにて


 週末は、バージニア州スカイ・メドウズ州立公園ストロベリーフェスティバルに足を運びました。ワシントンDCからだと大体1時間20分ほどの場所に位置し、豊かな自然とワイナリーに囲まれた風光明媚な田舎の公園です。山積みになったいちごのカートンの出店を抜けると、ノーマン・ロックウェルの1940年代の大衆絵画からそのまま抜け出てきたような、年老いた大道芸人がいました。アメリカにもさるまわしがあることを初めて知りましたが、動物愛護の気運も高まるこのご時世においては、こうして野生生物を使役して収入を得るということは、失われていく文化・芸能のひとつと言えるでしょう。

 3歳と8カ月を迎えて、知性が犬を上回ってきた「ちいさいにんげん」の世話が本当に忙しくなり、最近全体的に遊び足りていないコディは、悪い子でした。最近気付きましたが、犬って、足元が芝生だとてきめんに行動が変わりますね。この日の朝も運動が足りていなかったコディは走りたそうにあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、終始いれ込んでいて、いちご屋のディスプレイに突然前足を乗せたり(!)しまいには大きなダニを2匹くっつけて帰って家で念入りにブラッシングにかけねばならず、100点満点でいうと20点くらいのワルでした。

 どこへ行っても、行儀がいい、頭がいいと、割と褒められることの多い犬ですが、慢心せずいつもきちっとコンディションを整えてくることの重要性を再確認しました。


ワルの顔になっております。

 スカイ・メドウの名前の由来になったと思われる、広い空と丘陵を背景に写真を。こんな風景がどこまでも続いています。ワイドアングルのレンズじゃなかったのが残念です。そういえば最近、仲の良い友人の子供が洗礼を受けたのですが、家族の由来のあるヨーロッパの一地方に一族で何十人も集っている写真を見ると、とても賑やかで楽しそうでした。

 そんな様子を見た後だと、私達の家族写真はとても寂しく感じます。皆遠い所からやってきて、今この地に根付こうとしている3人きりのチームです。自由と孤独とが心中に去来します。喋らなくても、いたずらをしたり自己主張をしたり、フカフカとした毛の温かさを家庭に添えてくれる犬の存在は、我が家にとってとても意味があるのではないかと思いました(たとえワルであっても)。


2019年5月4日土曜日

セラピードッグの準備クラス



 愛犬もかつて通ったことのある、セラピードッグのための準備クラスに、お呼ばれしました。と言っても、リクエストは犬の方にではなく、3歳6ヵ月の娘にです。この日、セラピー犬、介助犬、ファシリティドッグ候補の若イヌなど、合計6頭の賑やかなクラスで、簡単なノーズワークごっこや犬のパズル、double leash walkingと呼ばれる二本のリードを使った犬との歩行、読み聞かせ、ブラッシング、犬にコスチュームをつける、などなどのタスクを一緒に練習していきました。クラスの終わりにトレセン長が娘に歩み寄り、「大きくなったら、サービスドッグのトレーナーになってここで働いてネ!」と言ったところ、「私はおひめさまのねこを育てる人がいい」とか言って、自己主張していた(笑)。犬に舐められたり踏まれて泣いたりしながら育った娘は、ネコが好きです。

 娘が将来なりたいものは、「ピンクのウサギをお世話する仕事」とか、「みんなに食べ物をあげるしごと」「お買い物をする仕事」「虹をつくる仕事」などなど、わりかしコンセプチュアルなものが多いです。可愛いものとか、おひめさまが大好きで、アメリカの女の子の王道を行く嗜好の持ち主と言える一方、「お買い物をする仕事」のリストの内容があぶらあげだったり、プリャニキ(ロシアのおやつ)だったり、いきなり懐から小判を出すマネをしたり、文化的にいろいろ混ざっていて、面白いと思います。いつまでもこのユニークさを失わず、強く生きていってほしいと願います。


お風呂に入れられた後

 ここ一週間ほどは、天気が良くて涼しい日が続いていたので、犬も日がな一日ベランダに寝そべって過ごしていました。体重があるのに、痛くないのかなと思うのですが、家の中でも外でも、固い地面に直にゴロ寝します。特に、「屋外の」「半日陰」「固くて冷たいコンクリート」みたいな条件がそろった場所が大好きな様です。雑木林からの風がくるので、いろんな匂いや音もすぐキャッチ出来て、寝ながらでも好奇心が満たされるのだと思います。水も、室内の清潔なボウルにためてある水道水より、外に出しっぱなしになっているお皿の、小枝や落ち葉入りの「はっぱのアロマウォーター」の方が好きです。

 私の住むこのボロ屋は、雑木林に面しややせり上がった台地に建ててあるため、このベランダはちょうど林床から5メートル程度のところに、さながら木の上の秘密基地のように浮遊しています。木陰のおかげで一日中薄暗く、狭く、穴ぐらみたいな場所が好きな私にとってはパーフェクトな家です。ベランダの至近距離まで野生のタカやノスリやフクロウ達が来たりして、住んでいてぜんぜん飽きることがありません。でも、娘にとっては狭すぎることが、だんだんと不便になってきていました。あと数年、いやもしくはもっとすぐに、この家を後にせねばならならなくなるでしょう。




 次の家は、住むと予定している年数的に、コディの最後の家になろうかと思います。考えれば考えるほど、犬の命は短く、儚く、本当に寂しい事です。出来ることならば、広い庭とプールにアヒル小屋のある、お屋敷みたいなお家に住まわせてやりたいですが、それは叶いそうにないので、「車で10分以内に空地やきれいな川のある場所」というのを絶対的条件に入れて探しています。全体的に段差が少なくて、小さくても庭がある家を想像しています。他にも、「大きな老犬」が住むのに適する環境とはなんだろうと、今から考えています。

 また最近は件のながら散歩と並行して、「むこうから人がきたよ」だの「犬がきたよ」だのと、犬にせっせと話しかけるようになりました。多分、傍から見たらあぶない人みたいに見えてる可能性もありますが、「今のうちからこうしておけば、もしそのうち愛犬の目が見えなくなったり、耳が悪くなることがあっても、二人五脚で楽しく散歩が出来るのでは」という実験です。

 うちの犬はトレイルのような場所で何かの気配がすると、グッと首を持ち上げて尾を立てますが、そういう時「あれは人だよ。」というとシッポが下がるので、なんとなく意味は分かっているようです。犬が来るときも、「あれは犬だよ。leave the dog.」とか言うと、時々鼻息を荒くしながらも素通りすることが出来ます(※)。散歩道で何かに遭遇する前の段階で、心の準備が出来るか・どうかは、コディの心の平穏度に密接にかかわっていると感じます。(※コディは雑木林のトレイルの様な場所では、他の犬に対して警戒し吠えます。)

 もうひとつ面白いのが、上手にふるまえた時「おりこうさん!あとでオヤツがもらえるね。」と言うのですが、これをちゃんと覚えていて、家に帰ってからおやつの棚の前で待っています。わりと記憶力がいいので感心します。どうも犬の中で、「あとでオヤツ」というアイデア自体が報酬化しているようです。

 効果があるのか、ないのか分からない、細かいことばかりですが、人・犬ともに事故や病などのライフイベントが、いつ訪れるかは分かりません。これは、先代の犬に教わったことのひとつですが、いつも、どこかで、来るべき犬生のシナリオについてなんとなくシュミレーションしておくことは大事だと感じています。