2025年6月15日日曜日

小さな獣医科医院


 コディが10歳になったのを節目に、ふだんの検査や予防接種を受けている病院とは別に、高齢になってきた愛犬に優しく接してくれ、コンサルテーションに時間をかけてくれて、またもしもの時の往診や、自宅での緩和ケアに特化した獣医さんを根気よく探してきました。運よく「ここは」と思える医院を隣村に見つける事ができ、さっそく検診にいってきました。

 行ってみて驚いたのですが、ここの獣医さんは看護師さんがおらず、いわゆる「診察室」もありませんでした。改装されたオフィスはおそらくかつては農家の納屋だったらしく、ところどころ名残がありました。診察はこの広々したスペースで1頭ずつ行ってもらえます。怖がり屋や緊張しやすい犬にも優しく、ふだんに近い犬の動きがみられそうですね。非常に画期的だなと思いました。

 オペレーションは、写真の獣医師さんが全て一人でやっていて、奥に検査機器がいくつかと小さなラボがあるのと、残りは移動用のバンにすべてまとめてあるのだそうです。今まで通った事のある獣医さんとはだいぶ形態が異なるので面白いなと思いました。


すみっこに子供が座れるイスと机もありました

 今回の主な話題は、2月の検査で分かった肝臓のALT(SGPT)の値が高まっていること、後ろ脚の筋力が弱り気味なこと、前足とオシリまわりの毛の変色について、腫れやすい歯茎のケアなどなど、シニアライフのちょっとした懸念事項についてアドバイスをもらいました。

 まず肝臓については老齢なのである程度は仕方がなく、今何かしなければいけないというような数値ではないという見立てでした。タンパク質や脂質の代謝にも関わらないだろうということで、ドッグフードをベースにしながらも「毎日1回なにかうまいものをあげる」という生活に戻して大丈夫、と言われました。またコディが心置きなく『うまいもの』を食べられるぞ!と嬉しくなりました。

 後ろ足の筋力については、じっくり触診してもらい、また行動や歩様の観察で、おそらく軽度から、もしかすると中程度に進む段階の関節炎があるだろうと言われました。後肢に違和感や痛みがあるので、そこから少しずつ体重のかけ方が変わっていったり特定の動作を避けるようになり、そのことの繰り返しで筋力の低下が生じているのだろう、という見立てでした。

 これは私自身も色々調べて、思っていた通りの内容の診断だったので、聞いてスッキリしたと同時に「これからどう緩和・改善させるか」ということに関心が向きました。獣医さんの方針ではまずは薬で炎症や痛みをとりながらサプリメント類で栄養を補い、筋力を温存するための運動を、ということでした。同時に積極的投薬などで老化した肝臓に負担をかけすぎないように気を付ける必要があるとのことでした。

 印象に残ったのはシニア犬の健康に関して獣医さんの、なにごとも『完治』を目指さない事、という発言です。コディの若い頃を知っていることで無意識にそのころの状態をベースに考えていたかも知れませんが、人間でいえば75歳をゆうに超えています。全身的なコンディションが緩やかな下降線上にある今のこの状態そのものがこの犬にとっての「健康」なのだと、今回、私のものの見方も変えていった方がいいなと思いましたし、現状に即した日々のケアをしていないとな、と思いました。


2025年6月1日日曜日

「あなたの犬、咬みますよ」

 


 所用で知り合いの家に行った時、そこの家の、もう成人した子供さんがウエストバージニアのパウンド(保健所)から引き取ったという若い犬と出逢いました。ヒーラー系の小柄な雑種で可愛い犬です。子供さんの大学院がお休みの間、友人夫婦に預けられたというその犬の目つき、挙動を一目見てあれ?と思いました。この犬は以前だれかを咬んだことがあるのでは、と感じたからです。



 その知り合いは私よりかなり年上で、よい関係ですがなんでも言い合えるようなすごく親しい間柄というわけでもないのです。そこへきて、しかもまだ何も起こっていないうちから「この犬咬みそう」なんて、あまり空気を気にしない私でもさすがに言えないぞ。でもちょっと考えてしまいました。


 今思えば問題行動の段階で相談してくれていた時に、当たり障りのない助言しかできていなかったな。私が地域の訓練士さんのおすすめのリストを持って行ったりしていたころ、彼等はまさに事故が起こるせとぎわにいたのに。そんな人に悠長に『アドバイス』とは我ながら聞いてあきれるな、、、その咬まれて死んだ近所の老犬、保健所送りになった同僚の愛犬への責任は私にもあるのだ。

「グッドボーイはどこかな?」と探すフリをする私
自分を見つけてもらえるかも知れない嬉しさで頭を抱えてるコディ

 ここで私がやいやいすると「少しのことでおおげさな人」みたいに見られることが多いのもまた悩む所です。

 〇行動を起こさない➱ 犬が事故を起こす、友達が怪我をする、犬の命がなくなる
 〇行動を起こす  ➱ 何事も起こらない、自分はうるさい友達と思われる

というような構図になったりします。これはウィン&ウィンの逆で、マケ&マケみたいな、不毛な二択です。ただ私が「うるさい友達」と思われるポジションで満足していればいいだけなのですが、悲しいかな、「よき友人と思われたい」という欲望が私にも存在するんですよね・・・

 間をとってやさしく指摘したり、訓練をすすめたりすればいいじゃんと思うかもしれないですが、経験上、やさしく指摘するのだと危機感がちゃんと伝わらないことが多いです。犬に関して、大抵の人は実際に問題が起こってはじめてあれ・・・ちょっとやばいかな?となるものだからです(そういう必要性にピンと気付いて未然になにかしようという性格の飼い主だと、そもそもあやしい状況までいかないことが多いです)。

チラッ

 何よりも、私がこういう些末な大人の都合みたいなことをことをごちゃごちゃと思案している間にも、今すぐにでも軌道修正しなければならない目の前の怪しい犬が、何のおとがめもなく、「また自分の思い通りにやれた」と自信をつけている様子が手に取るようにわかります。私の中に住んでいる『犬しつけ職人』が居ても立っても居られなくなる瞬間です。

 こういう時「もし私が犬の訓練士の資格でも持っていたなら、もっとはっきりと進言できたのかな。」と思います。いや、無理かもしれないな。世の中でもまれる中年をやって久しく、すぐ相手の立場や気持ちを考えすぎるクセがついてしまって、それは良いことだと思うのですが、目の前の問題に即座にとりかかって目標を達成したり、現状を打破する際のスピード感みたいなものが大幅ダウンしたと思う。


 こういう時、嫌われ者になったり、うるさい人と思われてもいいから、ブレイクスルーする力が欲しい。上手に伝える術はどこかにあるはずで、それをさがし続けないといけないと思う。場面や状況、相手によっても変えていかないといけないし、そういうのを「本物のソーシャルスキル」と言うのだと思う。ただあたりさわりのない、安心させるような耳ざわりのいい事を言って、相手の問題を真剣に解決しようとしない、それだと相手は結局は失敗したり、困ってしまうことが多い。そういうのは真の意味での社交上手ではないし、なにより不誠実である。


 人間の教育現場でもよくある葛藤なのですが。

 なんだかんだ10年くらい教育関係の領域の末席をうろついていると「この子は、幼いころにあまりしつけをしてもらえなかったんだな」という子供に出会う事があります。しつけって、勉強以前の問題で学校とかへ行くずっと前から「父さん母さんはこう考えるんだ」「ウチではこうやるんだ」ということからくる、その人の行動原理を形作るものということですが、この部分が抜けてる子がちょっと増えてる気がします。

 今の学校って、子供が小さい時は「まだ小さいから愛情を求めている」とか、低学年くらいになると「苦手も個性だから尊重し、良い所を見つけて褒めて伸ばす」というアプローチで、『子供の人権』とか、最新のナントカ式教育技術をうたう『識者』みたいなのが急に出てきて、耳ざわりの良い事を説き、今実際に目の前の子供に起こっている問題の実質的な解決が先延ばしにされてしまうことが多いと思う。親も「プロの先生が言うのだからこの通りでいいのだ」と安心させられてしまったりして、その子供の勉強だったり素行上の問題について本当に責任を持って取り組んでる人が実はだれもいない、という図になっていたりしています。

 そうこうするうちに、こういう子達の多くが小学校ではぼんやりとした不適合を起こし、4、5年生くらいから学力も伸び悩むようになり、中学校位になると思春期もあってだんだんまわりから手を差し伸べてくれる人も引いていき、親も仕事で忙しかったり、なおかつ衰えてきて積極的に介入したり子供の軌道修正ももはや出来なくなり、だれからも真剣に向き合ってもらったことがないから自分自身の価値に気付かず、大人を尊敬することも知らず、よって手本となる人もいない、夢もない、得意な事もない、誰からもなんとなく放置された若者が残される・・・そんなに珍しい話ではないと思う。

犬の口元のこの「ふぐふぐ」した所が大好きです
コディの「ふぐふぐ」は触り心地も匂いもとてもかわいい

 この経路を逆算して子供に接するので、私は小さい子供に対しても、子犬などに対しても、比較的厳しいと思います。すると「○○ちゃんのきびしいお母さん」「こわい先生」と思われることもあります。いつの間にかよそんちの子供のしつけを肩代わりさせられてる時もあります。

 でも、犬の子だって小さなよちよち歩きの頃からその10ヶ月後の姿を想像しながら育てないとならないですよね。抱きしめたいほど愛らしい子犬の中にも「今、正した方がいい行動と考え」がある。そういうのをひとつひとつ優しくでもしっかりとしつけてやるのは重要な飼い主の、というか飼い主にしか出来ない役目です。人の子供も同じなのではないかな。小さい頃から傍について「あなたたちは大人からどう見られているか」「社会からどんなふるまいを求められているのか」「その中でどう生きていくか」子供に知らせてあげることが親やまわりの大人の責任なのではないかな。

 とかなんとかああでもない、こうでもないと思いめぐらせながら歯科治療を受けていた今日です。実は今日の日記は全部歯医者さんのイスの上で書いてます。「ウエストバージニアのパウンドから引き取ったウチのダルメシアン、同居の犬を咬むんだよね。今日マズルを買うわ。」という歯科衛生士さん。すわ、チャンス到来!!!「今日からすぐやるといいこと」を紙に書いて渡しました。それにしても『ウエストバージニアのパウンド』はいったい、どうしたことか?興味がわいてきました。一度覗いてみたいです。

~オマケ~


 チビのスナネズミがやたらと人に慣れてきました。見ているとずっと手の上にだっこされています。私はストレスで死を覚悟して固まってると思ってたのですがこの状態のままトイレットペーパーの芯などを差し出すとカリカリかじっていたり、そのうちねむたそうな感じになってきます・・・どうやら娘の言う通りほんとにリラックス?しているのかも??

 スナネズミがこんなによく人に慣れるとは知らなかったので、どうやったの?と聞いたら「お母さんが言った『おどろかさない、5秒くらいの短い間やさしくだっこする、暴れてもケージに下ろさない、掴まれたり撫でられても落ち着いていたらすぐケージに下ろしてミルワームをあげる、落ち着いていられる時間を少しずつ延ばす』ことをやった。」と言います。

 聞くとこのやり方をなんとかの一つ覚えみたいに毎日10回、20回と愚直に繰り返していたようなのです。時間のある小学生すごい!ということと、やはりストレスでは?という一抹の不安、それからスナネズミもトレーニングが入るんだ!と二重の意味で感心しました。そして、トレーニングの基本はやっぱり頻度だなと確信しました。チビは、もう一匹の方も全く同じことしたけどあまり覚えがよくない、お勉強が苦手なのかな、とかブツブツ言っていました。こんなに小さな齧歯類だけど個性がちゃんとある!と感心しました。