
ふた月ほど前の誕生日に、「1日娘なしデー」を自分で申請・自分で手配していました。
子供が生まれてから3年近く、1人だけで朝から晩まで過ごせたことはなかったので、すごく楽しみにしていました。前から行きたかった、地域の生物関係の協会がまとめている両生類の生息状況を調べる会へと行くことができ、ドライブ往復5時間(車の中で大声でチャゲアスを歌いやばい解放感を味わう)歩きまくり両生類や昆虫の写真を撮りまくり沼地でジャブジャブして、とても楽しい日曜日を過ごすことができました。結果、気に入っていたボロ靴が、さらにボロく沼の匂いまでも発するようになってしまったので、腹をくくってスポーツ用品店に行きました。その時のことです。
「練習中」のベストをつけたコディと一緒に靴のコーナーでうろうろしていたら一人のおばあさんがやってきました。犬を撫でてもいいか聞いてくれたので、どうぞどうぞと言ったところ「大きな犬が大好きなの」と、かがんですごくうれしそうに撫でていかれました。小柄な人だったから、コディのくさい野性的なアロマ溢れる被毛に顔をうずめんばかりでした。普通、こういう場合だと、1~2分くらい撫でるとみんな立ち去るものですが、だまって10分以上撫でていて、本当に本当に犬が大好きな人なんだと思いました。
家に帰ってから急に思ったのですが、あのおばあさん、もしかして何らかの事情で家で犬を飼えない人だったのかもしれないな。あたりまえのように犬との暮らしを享受している自分の環境を、考えさせられました。ひとはどんな時に犬を飼うのか……。日々の生活が、あるていど安定していて、今日と同じ一日が、おおむね明日も見込めて、自分と家族の面倒をみたうえで「さらにだれかの世話をする」余剰分のエネルギーがあるから、はじめて踏み切れることです。そうやって考えると、ヒトの短い一生の中で自分の犬をもてるということは、本当に得難い、恵まれた出来事です。
自分だっていつか犬が飼えなくなる日が来るはずです。
家に帰ってから急に思ったのですが、あのおばあさん、もしかして何らかの事情で家で犬を飼えない人だったのかもしれないな。あたりまえのように犬との暮らしを享受している自分の環境を、考えさせられました。ひとはどんな時に犬を飼うのか……。日々の生活が、あるていど安定していて、今日と同じ一日が、おおむね明日も見込めて、自分と家族の面倒をみたうえで「さらにだれかの世話をする」余剰分のエネルギーがあるから、はじめて踏み切れることです。そうやって考えると、ヒトの短い一生の中で自分の犬をもてるということは、本当に得難い、恵まれた出来事です。
自分だっていつか犬が飼えなくなる日が来るはずです。
もしかしたら、明日かも知れない。
そうやって考えると、自分の犬と今出来ることをすることは、非常に大事だと思わされました。ほんとに月並みな言い方なのですが、犬がいるこの一日、一日を大事にすること。もし明日自分になにかあって、コディが知らない誰かにもらわれていったとしても、迷惑をかけずに一生かわいがられて幸せに暮らせる犬にしておくこと。娘にも、犬への指示の出し方を教えていなかったですが、今日から始める事にしました。私の事を信じて一生懸命ついてくる犬の「頼れるオヤブン」であり続けるためには、自分の健康にも気をつけなきゃなと思いました。
犬の期待に応えようという、鉄より硬い責任感の芽生えです。
犬の期待に応えようという、鉄より硬い責任感の芽生えです。
そうやって考えると、私の犬は私をより強く人間らしくしているといえるかもしれません。犬がヒトを人間にするって、おかしな話です。今日はそんなことを考えていました。