2015年9月9日水曜日

ついに、100パウンドに? ほか



 日中はまだまだ暑く、思考の中でも二言目には「来年こそはカナダに引っ越そう」「オレゴンに引っ越そう」等と渇望する日々、けれども日が暮れると鳴く虫達がかすかな秋の気配を感じさせてくれるようになってきた、ここ北バージニアです。我が家の一員、犬の「コディ」もついに8か月を迎え、今週辺り体重も100パウンドに到達しそうな雰囲気です。シェパードらしい胴長・短足体型なので、まだ成長途中の足にかなりの重量がかかってそうな気がして、最近はつい餌を減らし気味にしてしまうのですが、お腹が減るとピイピイ悲しそうに泣くので、餌に低カロリーでそこそこかさのあるヨーグルトや蒸したサツマイモなどを添えたり、缶詰には少し水をまぜてみたり、満足感が出るように色々工夫して頑張っています。が、効果の方は果たして。




 こうしていよいよ大きくなってきても所謂大型犬の体に子犬の脳ミソが搭載された状態なので、散歩中ふとした拍子に危険を感じる事も出てきました。たまにリーシュウォークの集中が途切れた時などに見せる引きがものすごいパワーなのです。私はアジア人の女性としてはやや大柄で、かなり力もちな方なのですが、それでも犬の行動を常に先読みして両手でリードをしっかり持って衝撃に備えていなければ、転倒や引きずられる可能性も十分にあると思える力強さです。この犬の場合、ふだんの躾や訓練を通して「理性」を鍛えることに重点をおいて、日々根気よくやっていくことが特に大切なんだと改めて思います。




 ところでそんな日ごろの考えを突然実戦で試され、そしてあっさりと敗れる(爆)という経験をしたのは、近隣のファーマーズ・マーケット(上の写真)をのぞきに行った時の事でした。ここのマーケットでは食品と、手芸品・クラフトのセクションが分けられていて、後者のセクションには犬も入れるので、愛犬家が多く訪れる場所です。今回、自分達もアフリカから輸入されたという犬の首輪を見に行ったのですが、コディはここでどうやら一瞬の隙にハチに刺されてしまったようなのです。今まで感じた事のない痛みに一瞬パニック状態になった犬の体が突然躍り上がり、雑踏の中に駆け出そうとし、予想もしていなかったその動きとパワーに圧倒された我々人間の方も若干パニックに。




 スワレのコマンドを出しながらおいしいトリーツをたくさん与え、最終的には徐々に落ち着かせる事に成功しましたが、子供やお年寄りも多くいる市場の中を暴走したらと、気が気ではありませんでした。犬のほうは落ち着いたとはいえとても辛そうだったので、この日は買い物もそこそこに市場を後にしましたが、家に帰って見てみるとどうやら右目のまぶたのあたりを刺されたようでした。これでは痛かったはずですね。このあと(犬がフテ寝している間に)以前買っておいたイージーウォークをおろして、コディサイズに調整しいつでも使えるようにしておきました。自分の場合、今後ベビーカーなどを押しながら犬と歩くことも出てくるはずなので、躾の継続もさることながら、こういう補助的な道具などには、もっと早くから慣らしておくべきだったと気付けた出来事でした。


最近は、リーシュウォーク自体もちょっとボロボロなので、なるべくこまめに出掛けて練習している。
今日は一緒に、まだ青いドングリを5つみつけた。秋の気配をそこここに感じる。



 話題その2。毎日2回のドッグラン習慣も、はや4か月目に突入しました。コディが子犬の今のうちは可能な限り続けようと思っています。以前から練習していたラン内での呼び戻しは、うちの犬の場合、オヤツよりもオモチャを報酬に使ったほうが反応が良いことを発見して以来、各段に良くなりました。

 ラン内でのコディは、取っ組み合いをしているうちにだんだん興奮して相手の頭や首、脚部を執拗にハグハグしたり、また何かの拍子にハンピング/マウンティングを繰り返すことがあります。前者はシェパードに見られる典型的な遊びの方法、後者はオス犬一般(たまにメスも)に広く見られるものですが、ランのような公共の場では他の犬の迷惑になることに変わりはないので、度が過ぎて来たら「オイデ」と呼び戻して、一定時間ボール遊びをしてあげて、それまでやっていた行動から気持ちを切り替えさせることで、今のところはなんとなく対処できています。

 そんな中新たに出てきた課題としては、このボール遊びからトッテコイにつなげた時、取りに行ってボールを前足で囲ったきり戻ってこないケースが、少しづつ増えてきていることです。様子を見ているとどうも、本来飼い主の持ち物であるゴムボールを、自分でも所有できるかどうか試しているようです。こういう行動はごく小さい子犬の頃以来最近まで一切とったことがなかったので、実は色々考えているんだな~と思うと同時に、どうすれば犬が飼い主にボールを返すことはフェアであると分かってくれるのか、考えています。


テラピーワーク・プレップの面々。犬も人も老若男女が集まって一緒に勉強する。

話題その3。セラピー犬のクラスもまだまだ続けています。コディはここに編入して初めて、「クラス内での素行の悪いイヌ」のカテゴリに入った感じがしています。今までとった3つのクラス内では比較的優等生だったのですが、田舎の秀才が都会の進学校で落ちこぼれるあのパターンという感じで(笑)。年齢のせいもあるのだと思いますが、とにかくワサワサと落着きなく、教室の反対側にいる別のワサワサ犬(これもシェパード)と「お喋り」しようとしてワンワンと吠えてみたりと、ランバンクシャスな行動ばかりとっています。セラピー犬にとって無駄吠えはタブーらしいので、これからもこまめな練習が必要になりそうです。コディのやつは特にかなり野太い声で鳴くので、患者さんが心臓の弱い人だったりしたら大変。


コーギーちゃんのおしり。。。かわいい



 話題その4です。第一子「小さいニンゲン(♀)」が生まれるのが2~3週間後かも知れないし、今日の夜かもしれない、という状況になってきて、乳幼児部屋を整える作業もほぼ終わりになりました。そんな中、クロゼットの中のペイントの色が見れば見るほど気に入らない・・・という、激しくソワソワした謎の心理状態に陥った「わし」は、中身を全部出して塗りなおすことにしました。今まで準備期間は何カ月もあったはずなのになぜ、今なのか(笑)。しかしこうして期限が迫って来る中、何かの制作の大詰めを迎えるという状況にはけっこう身に覚えがあり、懐かしいような、またこのパターンかあとちょっと自分に呆れるような気分を味わっています。そんなこんなでペイントは無事塗り終えることが出来たと思えば、今度は乳児部屋に飾るモービルつくったろと、本当になぜ今更?とセルフつっこみしながら、しこしこ作成モードに入っています。果たして、間に合うだろうか?


最近購入したマキタの掃除機。Makita XLC02ZW 18V Compact Vacuum
吸引力はそれほどでもないけど、充電式で手軽に犬の毛もどんどん吸ってくれるので、
ハードウッドの床には最適だと思った。部屋の改装の時もかなり役立った。
しかし延長ノズルを購入したら、同じ白でも色がぜんぜん違いました。マキタさん!頼みます。

↑このハリネズミのぬいぐるみ、実は犬のオモチャ。





2015年8月29日土曜日

ウルフドッグを飼うこと



 写真は、私が数年前日本の友人の持つケンネルの一角に住み着いて制作をしていた時に、そこで飼育されていたオオカミ犬と撮ったものです。ジャーマンシェパードとオオカミをベースにしたハイブリッドで、大きな体格に反して性質はとても奥手で用心深く、見知らぬ人からはスキあらば逃げ出そうとする極めて「オオカミ犬らしい」個体でした。

 今なにげなく「オオカミ犬らしい」と書きながら思いだしたのは、この写真を撮った時、しかし、オオカミ犬というのはオオカミとイヌから生れ出でたにも関わらず、オオカミともイヌとも異質な存在なように感じたことです。野生のいきものであり(例え飼育下にあっても)私達人間との関わりをミニマムにしようと努力するオオカミ達と、人間と共に生きる事を好み、イヌ族の世界にあって重大なボディサインである「リーダーとのアイコンタクト」をも積極的に行い、それによって脳から幸せホルモンさえ分泌してしまうイヌの間には、姿形はよく似て居ても、なにか隔絶とした境界線が存在するような気がします。

 「オオカミ犬」というのは、野生の動物と、一万年以上の時をかけて人類との共同生活に特化・順応したイヌと言うピース(作品)を、興味本位に混ぜ合わせる行為のつまるところです。研ぎ澄まされた野生と人への強い親和性をミックスしようとすることは、「きれいな色になりそうだから」と水彩絵の具とアクリル絵の具を混ぜることに近いかもしれません。時には奇跡的に調和のとれた個体が生れることもあるし、ひとつの個体の中にイヌとオオカミの性質が偏在する、不可思議な動物が出来上がることもあります。

 自分が今まで見たオオカミ犬達は(そんなに数は多くないけれど)オオカミの血のパーセンテージに関わらず、兄弟同士でもない限り一頭一頭姿や性格もまちまちで、その気質を理解するのには、たくさんの時間と経験が必要なように思えました。ひとつきほど前に北海道で、本来の飼い主の留守中飼われていたオオカミ犬の世話をしていた女性が命を落とされるという大変痛ましい事件が報道されたのが記憶に新しいと思いますが、長年のオオカミ犬ブリーダーで世間のいう所の「有識者」だった被害者の方の知識をもってしても、群れとなった時の彼らのダイナミズムを予測することは困難だったのではないか、という感想をもちました。




 今日のブログはオオカミ犬の存在に対する倫理とか、それを飼育することの是非についてとやかく言おうという目的で書いているのではないんです。オオカミ犬はきれいだし、かっこいいし、存在としておもしろいし、それに「オオカミ(みたいな犬)を意のままにしたい」という欲望自体は、過去数万年にわたって「自然」「野生」を支配下に置こうと苦闘してきた人類としては、しごく当たり前なものと言えます。

 ただ例のニュースをきっかけに、自分なりに興味を持って、オオカミ犬を飼育している人の手記やブログ等を読んでみたところ、僭越ながらオオカミ犬を「適切な飼い方をしているなあ」「犬と人が素晴らしい関係を築いているなあ」「この犬は幸せそうだなあ」と思えた飼育者というのが世間にほんの一握り、いや、一つまみにも満たないのだという現状を知りました。

 見る写真、見る写真、フェンスで囲まれたコンクリートや、地面むき出しの所にしいた薄汚れたベニヤ板の上で、ひとり孤独に寝そべっている犬達がいる一方で、「社会化」されて様々な場所を連れまわされ、まるでファッションアイテムのような扱いを受けながら日々を生きているような個体も多く(トレーニング上しなければならないのだとは分かりますが、)私個人の感覚からするとやや気の毒に感じました。もちろん、中には性格的にそういう生活を享受出来る個体も居ると思います。しかし、そんな生き生きとした表情をしたオオカミ犬はごく少数派のように感じられました。

 僅かながらオオカミ犬と触れ合ったことのある者としては、彼らの多くに共通する気質を考えたら、どこかのどかな緑のある広々とした敷地で、とりたてて家族以外と親しくしたり芸をすることを強いられることなく、家を守り、家族だけを愛しながら、静かに生きていくのが、自然な彼らのしあわせなのではないかと思います。飼う人間の方も本気でオオカミ犬が好きで家族にしたいのならば、「家のあまったスペースに運動場と犬舎を作って」とかいうことでお茶を濁さず、田舎の方へ行って広い土地を買い、敷地を囲い、自分の生活の全てを彼らと共に楽しむ、くらいの気持ちで臨むべきではないでしょうか。

 犬とオオカミは似て非なる動物です。けれども、「自分の家族に対する深い愛情と献身」は変わりません。オオカミ犬を飼う時、自分の飼っているいきものが全身全霊をかけて寄り添ってくるのを、飼育者は100%受けて立つべきであり、またそうすることが出来る環境を準備する事も、単なるヒトの好奇心が生んだ副産物たちへの「責任を全うする」ということの一環ではないのかな、と今日は考えていました。