2026年2月16日月曜日

パラ活の現在


 例のおしりに出来た腫瘍の関係で、腫瘍専門のお医者さん・外科専門のお医者さんの立ち合いのもと、CTを使った腫瘍の具体的なイメージングと転移の有無を調べ、より詳細な現状の把握と、手術が可能かのアセスメントを行うことになった犬ですが、検査までの2週間弱の間だけでも、腫瘍をこれ以上大きくしないために何かできないかと考えました。ほんとに付け焼刃もいいとこなのですが、何かすることで自分の気がまぎれると思いました。それで、週に1回の「パラ活」を基本毎日にし、もともとのレシピ(パラダイム+タンパク質+オイルのみ)に沿ったやり方で与えることにしました。

 パラダイムってなにかな?という方は以前、私がパラダイムをあげはじめた時の記録を見て頂けるとわかりやすいかと思うのですが、簡単に言うとアメリカで売っているわんちゃん向けの低糖質グリーンフードミックスです。日本でも楽天などから手に入るようですが、コディが好きな「グリーンスーパーフード・プレミックス」は肉由来成分(いわゆる鶏ガラや牛骨からの抽出物)がネックになって、現在は国内では入手が困難なようです。←こう言われると再現レシピを研究してみたくなります。


 ベースのお肉類は経済的かつ、肝臓や腎臓にあまり負担をかけない・脂っこくないたんぱく源として「卵白」「鶏肉」などを中心にすることにしました。卵白はコストコなどでパックに入っているのをもともと自分の筋肉維持のために買っていましたが、非常に単価が安いです。あとは、お魚とかお肉とかその時々で入手できるものを適宜のせてやることにしました。

 2~3日に1回スロークッカーで丸鶏やら、ガラ+ももやなんかをゆでる生活が始まりましたが、これが慣れると意外と便利なのに気が付きました。一緒にスープもとれるし(シイタケ🍄も入ってるのでおいしい)、子供と喋りながら作った鶏のほぐし身で自分達の夕食もついでに作ったりして、なんで自分はトリをゆでる生活にもっと早くにコミットしなかったのかと思いました。丸鶏は経済ですし、プラスチックの汚染も比較的少ないでしょうし、利点が沢山あるなあと感じます。

 また、骨からとったくず肉と、一緒に煮出した後のシイタケ、煮汁の一部をフードプロセッサの「ピュレ」サイクル等でクリーム状になるまで攪拌して写真のような状態にし↑、冷蔵庫へ入れておくと、煮汁に含まれるゼラチンの力で勝手に固まってムースというか『犬缶の中身』みたいな存在が作れると分かりました。もしかしたらお料理が得意な方の間では周知のレシピなのかもしれないですが……「犬缶(みたいなもの)がウチで作れた」ということにちょっと有頂天になってしまいました。風味が良いので、薬やサプリメントを包んで餌の上にトッピングするのにちょうど良いです。

ごはん、く~ださいな! ずっと張り込んで待っている犬
ご想像の通り パラダイム100%になってからずっとバク食いです


 子供の日本語の家庭学習も5年生の準備に入りました。
 勉強は高学年になった去年の4月からいろいろやることが増えてしまったので、写真のようにガントチャート的な形式でまとめて各単元のだいたいの進行を網羅できるようにしてきました。作るのは面倒ですが、一度作れば年間を通して今週・来週でやる内容が一覧で目視できるのはよかった。今5年生バーションを作っています。5年生、6年生の学習は漢字も難しくなっているので「算・理は出来る範囲で先へ」「国・社は音読と書字をメインに定着まで繰り返す」の作戦でいこうと思っています。

 家での勉強なので、提出期限や発表の機会がなく、そういった練習を積めないのは良くないなあと思います。一方で、単元を急いで済ませて先へ進んだり、点を取るためにとにかく丸おぼえというプレッシャーがないのは、のんき者の我ら親子には合っていると思います。あと、これまでの家庭学習を通して自分の子供の各教科の成績も含め、ものの見方、理解の仕方、苦手なこと、間違うパターンなどほぼ全てを把握できたことは、自分の子供に対する人物理解を圧倒的に深めてくれました。多分今後の人間関係にも生かせるのではないかなと思います。


 雪の表面が固まって、その上でおもしろおかしいひとたちが遊んでる。
 ふたりともこの宇宙に二度と来ない一瞬を生きている。
 この一瞬をなるたけ楽しくしたい。わしゃ、頑張るよ。

 子供のおかげで犬のことだけで頭いっぱいにならないし、犬のおかげで子供のことだけで頭いっぱいになりません。ひとつの事をぐっと探求するのが好きな方ですが、この2匹のせいで、物理的にできません。たくさんの時間をムダにしてきたのかも知れません。でもそんな自分の過ごしてきた時間も結構、よかったんじゃないか?と思い始めました。生活の中にほかの生命体が存在することで、自分のことで頭いっぱいに一切ならない・なれなかったことは『良いことだった』という、何か本能的な手ごたえのようなものを感じています。

2026年2月13日金曜日

腫瘍専門医へ


 前回コディの肛門嚢線がん(Anal Sac Adenocarcinoma)が分かったことで、北バージニアで一番設備の整った腫瘍専門外来としてフェアファックス郡にあるVCA SouthPaws Veterinary Specialists & Emergency を紹介してもらい、全データを持って受診してきました。聞いてきた通りすごく大きな獣医科医院で、偶然にもコディが訪問のリクエストを受けたことのある(人間の)医療センターと同じ区画内にある病院でした。

 診察では、肛門嚢線癌はシニア犬ではそれほど珍しくなく、大体7~8割は悪性で何もしなければだいたい4カ月から半年程度で犬は亡くなるでしょう、と言われました。対処法としては、高齢ということを考慮して緩和ケアのみでいくか、治療する場合は可能ならば手術を、それと並行して必要に応じて化学療法、分子標的薬(パラディア)、化学療法+投薬を組み合わせたものと状況に応じて選べると詳しく説明を受けました。

 話を聞いて、まずは一旦「どのくらい悪くなっているのか」調べる必要があると分かりました。前回書いた通り、肛門嚢線がんでは腫瘍のサイズが比較的小さいうちからリンパ節や肺などへの転移を起こすため、例えば「手術しようと思ってお腹を切ったけど、既に色んな所にがんが散らばっていて、あまり出来る事がなかった」というような流れは避けたいと思いました。翌週に改めて検査の予約をとって腫瘍専門のお医者さん・外科専門のお医者さんの立ち合いのもと、CTを使った腫瘍の具体的なイメージングと転移の有無を調べ、より詳細な現状の把握と、手術が可能かのアセスメントを行ってもらうことにしました。

かえろー かえろー かえろー かえろー かえろー
私の帰り支度を見るや否や、急に目に光が戻りシャキシャキと出口に向かう犬。

 私達の課題は、採血が出来ない問題でふれた通り、七歳を過ぎた頃からコディが侵襲的な治療の一切を拒絶するようになったことです。そのため頻繁・定期的な検査や採血などごとに鎮静をかけることになります。今回の診察でも、先生が検査室から出てきて笑いながら「全身どこでも触れて良い子なんだけど、肛門の触診だけは頑として絶対にさせてくれなかった」と言われました。家でオシリに触ったり、手袋して指をちょっと入れる練習はしており、コディも大丈夫なはずなのに、病院ではこうです。おじじ、もうちょっと頑張ってくれ!と思います(病院では家と違って悪さしても叱られないから、わざとやっているのだと思います)。

おトイレにあったこのささやかな「ひっかけるところ」…これがありがたかった
子犬の時からずっと使っているこのヒモ、犬の大きさに対してあまりに不釣り合いだとこの写真を見て気付きました

 

 今回の受診の前にも「事前さんぽ」をしました。
 コディの病気が分かってからこちら、ずっと考えこむ時間が続いていたので自分にとってもよい気分転換になりました。事前さんぽはセラピードッグの訪問の際もいつも気を付けていたことで、目的地に最低でも15~30分前に到着し、建物の周囲や可能であればエントランス内などを好きなだけ点検させてやる時間です。これは毎回通っている、かかりつけの獣医さんの時も毎回欠かさず行ってきました。こうすることで犬も緊張がほぐれると感じます。かっこよく言うとストレスマネジメントというやつですね。

 初めてこんなに大きな病院に来たので、病院の前でコディとふたりで記念写真を撮ろうとしました。が、ふとみるとこんな真冬に、外にあるベンチで、顔を真っ赤にして泣き崩れているひとがいました。ここは自分の犬をなくすか、なくさないかの運命の瀬戸際の人が来るところだったと、いきなり現実を叩きつけられたように感じました。自分達のことしか考えていなかったと恥ずかしく思いました。同時に、自分達自身もその瀬戸際に立たされているんだという事を、痛い程実感しました。

2026年2月9日月曜日

グッドエンディングに向けて


 1月に話していた全身の健康診断を受けてきたうちの犬ですが、その結果、右の肛門腺に肛門嚢腺がん(Anal Sac Adenocarcinoma)がみつかりました。全体としては悪性度が高いものが8割くらいの、サイズに関わらず、リンパ節にすぐ転移したり浸潤を起こしやすい種類のがんだということでした。基本的に治る事はないそうです。かかりつけ医の勧めを受けて、いったん外科医の訪院がある二週間後に手術の予約を入れました。その間に腫瘍学専門の獣医科医院に予約をとり、ここから先の取り組みについて詳しく話を聞くことになりました。

 血液検査の結果は例の肝臓の数値以外はすべて正常でした。がんが住み着いているだけで、まだあまり体の機能を破壊していないということだと理解しました。今後の麻酔や投薬などがあってもがんばれそうです。しかし、7歳すぎから50項目以上に分かれた詳細なブラッドパネルをしてきましたが、よく考えてみたら血液検査だけでは犬の早期のがんは拾えないですね。なんで今までこのことに思い至らなかったのだろう。

 最善を期するなら、定期的なCTやソノグラフに投資するしかないんだな。それでも、年間行える回数には限度があるでしょうし、なんでも人より時計の進みが早い動物です。調べたところ、ごく初期のがんや、転移も「微小転移」の段階では、CTでも写らないと知りました(がんのタイプによっては大きくなる前に転移が始まることも知りました)。早期発見には運の要素が大きく関わるなと思いました。今までこういうことは全部お医者さんまかせであまり調べてきませんでしたが、また、「自分で調べて自分で対策」は基本だったな、と思い出させられました。それに、調べても実際やっただろうか。犬のがん難しいな。

おーーーい コディーーー

 コディ君お前さん、どうやら死ぬらしいぞ。
 前、話した20歳まで生きてみる計画、忘れちゃったの。

 でもまあ、心配しなくていいからね。生き物はみないずれは死ぬんだから。
 まだまだいいことはたくさんあるから、時間はあるんだからお楽しみにね。
 たまには我慢しないといけない事もあるだろうが、そういう時はがんばれ。

 診断をうけとった日の夜、改めてコディを呼び、大きなさんかく耳に向かって、その先の脳みそによく沁み込むようにこれらをよくよく、言って聞かせました。コディは真剣に話しかけてもらえて興奮し、私のズボンに石頭をこすりつけて喜んでいました。これから1000日先なのか、500日先なのか、300日なのか、もっともっとずっと短いのか分かりませんが、別れの時は確実に来るんだと思い知らされた私は、自分の寝床に行ってドアを閉め、布団をかぶって泣きました。心のどこかでコディは超・超・長生きして、いつまでも、いつまでも、一緒に遊んでいられるような気がしていたからです。

はーい! ぼくはここよー

 このあいだの雪には手こずっていましたが、まだまだ活発に駆け回るし日々のトレーニングにも反応よく、筋肉もちゃんとあるし「この大きさの犬の11歳としてはむしろ元気」とお医者さんにも言われた犬っち。

 犬を飼うことは、犬を学ぶこと、犬のいる人生から学び続けることだと思いますが、私の教科書は私の知らない間に、勝手に新しい章に突入していました。本当をいうともうこのあたりで読むのをやめたい気持ちもある。すばらしい犬の伝記だったと、楽しいことばかりの一生だったと、この最後の章は残して、本棚に戻せたらどれほどよかったかな。

 ここからは、考えをつくして、できるだけ楽しい旅路にしていくのが自分の役割なんだと思いました。たとえ暗闇へと向かう旅でも、コディが安心してついて来られるように、明るい背中の飼い主として行こう。少しの変化で慌てたりめそめそしたりせず、最後まで立派な飼い主をやるんだ、勤めを果たすんだと思いました。



2026年2月1日日曜日

0にする人

屋内だョ!全員開花(写真外にも大量にある)

 家計簿を確認していて大変なことに気が付きました。

 去年一年間、うちで育ててる観葉植物関連でのトータルの出費が0円になり、複利(※手持ちの草が生み出す子株)だけで楽しんでいる、趣味として『完全自走状態』を達成していたことに気付きました。ちかごろはやりのFIRE状態です!シュミだからHobby Independence, Retire Early、名付けてハイヤーかな。いえいえ、私はリタイアなしのただのハイで満足です。

 植物に関しては人並みに欲求もあり、「あの品種ほしいな」「こんな鉢ほしいな」「こんな植え方はどうだろうか」「そのためにあんな石コロが欲しい」などと妄想すること多々です。が、手持ちの草がどんどん増えている状況なので、今はこれらの管理だけで十分です。おそらく今年中に今の自分が管理できる限界点に到達するでしょう。無限に沸いてくる子株はそろそろちぎって捨てるフェイズに入っているのかもしれないですが、なかなか捨てることができません。私の弱点です。


 もうひとつ0円になったのが「スナネズミのおやつ代」です(虫が苦手な方、すみません)。近年の物価高のあおりを受けてか、ミルワームもすきなだけ買おうとすると結構高いなあと思うようになっていました。それで、家で野菜くずなんかを利用して繁殖させることにしました。例の雑草ゾーンで草の種とったり、食べられる雑草をむしったりしてせっせと与え、今二世代目がもうすぐサナギになるところまで進んで、幼虫がわきわきしてきて賑やかです。ワーム・インデペンデンス(ワイヤー)になる日が近づいています。

 餌になる生き物としては、最近子供に「スズメガの幼虫も買ってくれ」とせがまれています(スズメガの幼虫も、「ホーンワーム」といってアメリカでは餌用生物のひとつです)。9ヶ月先の11歳の誕生日プレゼントにイモムシを予約する我が子。心配です。今年はアメリカの小学校の最高学年、日本で言えば5年生になる年です。特に女子は急に大人びて性格や趣味に応じてグループができ、メイクアップセットのことや芸能人、Kpop Demon Hunterの話やなんかで盛り上がっているころです。そんな中でカメムシだ、イモムシだ、インコだスナネズミだとしている我が子供。(かといって理科や算数がとりわけできるわけではないのです!)


 子供の教育費用も0円です。

 以前、海外で『日本人』を育てるというブログに書いた通り、わがやは運動の習い事が非常に忙しく、またなにもない日の夜も子供は本でも読んでとっとと早寝しなさい!というお家なので、日本語のオンラインスクールや補習校に子供を行かせることができていません。それで、小さいうちは家で教えられるものは家でやろうという試みを続けて約5年目になりました。

 家の子供は日本の学校ではこの春5年生になる年ですが、国際結婚家庭の子としては少し変わっていて高学年になっても未だに日本語の方が少し上手なようです。正確には、日常会話は英語の方が流暢で、日本語は言葉選びや言い回しで迷うことがある一方、日本語の方が難しい語彙が分かり(『特殊詐欺』とか『水道管の凍結・破断』とか)読む本も日本語の方が難しいものを読んでいる、という状態です。今後中学校にかけて英語のボキャブラリーなどが貧困になるのではないか?と心配しています。今は現地校の英語の成績が悪くないのでそのままにしていますが、学年が上がったら英語の先生を頼んだりした方がいいのかも知れないです。

 しかしこうやってうちで日本語でものを教える試みも、いったいいつまで続けられるのかなぁと最近は思い始めました。私自身が教えやすい言語が日本語であるという都合や、有事の際に日本に移住しても速やかに馴染んでやっていけるようにと(旧共産圏出身の家族の方針です)子供には日本語で勉強させていますが、英語とはほんとにかすりもしない程かけ離れた言語で、2つのことばの間で無理させているなあといつも思います。それに、子供ももっと大きくなれば、「親とお勉強」なんてだるいなと思う時もくるはずです。

 バイリンガルの人間を育てることって、実際にやってみると、家族じゃなければできない程かなりの労力がともないますし、「グローバル人材」とか「国際交流」とかキラキラした文脈で語られ過ぎてるような気がしています。それ以外に道がなくてやっている者からすれば「家庭の事情で仕方なく目指すもの」という位置づけです。


雪がきれいに積もりました 自宅警備員も出動。

 こうやって考えてみると、私は外に出かけていってお金をとってくるような、いわゆる「0を1にする」ような仕事は今はあまりしていませんし、今後またフルタイムで就労したとしても、子供や家のことを抱えながらビシバシやっていく能力も時間的余裕も不足しているのかも知れません(もともと仕事はかなり好きな方でしたが今は子供や家のことをちゃんとやることが自分の最重要課題であるとはっきり感じています)。でも、後方支援で生活の基礎をかためる作業、いわゆる「コストを0にする」労働や「0を0のままにしておく」観察力にかけてはけっこうちゃんとやれちょる、私は結構イケちょるのではないか、と思い始めました。

 0にしておく重要性……未来に起こるわるいことを未然に防ぐ努力……
 これがまた数字に出ないからなかなか重要性に気付かれることがありません。
 交遊関係や職場などでそういう人を見つけたら大切にしようと思いました。


2026年1月25日日曜日

いろいろ思うこと


 先週までの陽気と一変し寒波が通過中の北バージニアです。

 今回の寒波はいつもと違ってなんとなく空気にぬくもり?がある感じがします。山あいのこちら地域では、気温もずっとマイナス10℃台で、風も吹いているのでぬくもっているわけなどないのに不思議です。日曜日は一日中外で雪かきしていましたがとても捗りました。不思議といえば、今回のこの雪、すべて霰(あられ)で出来ているんです!よく見るとビーズみたいに、透明な氷の球体の集合で、「名和晃平さんの彫刻作品」みたいで可愛い雪です。

 コディはこの雪の中にいつも通り勇んで飛び出していき、それからふっと考える顔になったのち、手足を引っ込めたり持ち上げたりしながら小走りで帰ってきました。深い雪が足腰・関節にこたえるのでしょう。11年の犬生をかけてようやく「冬は寒い、雪は冷たい」と分かったのかも知れません。10年前、ドカ雪の中で遊んだ時の日記が残っていますが、こうして遊べたのも犬が若くて元気で、何にも心配のない私達だったからです。過ぎ去りし輝ける時間よ!思い切り雪で遊ぶ全ての犬と人間に幸あれ。


霰(あられ)の図 これ、木の枝や車に積もらないんです
停電になりにくそうで助かります

 コディと今まで本当に色々な冒険をしてきましたが、その無理がつもり積もって、今こうして歯は欠け・すり減り、紫外線で目は濁り、肩や膝も関節炎やら、耳もよくなりすぎて?しまったし、この飼い主のせいでより可哀想なシニアライフになっちゃっただろうか……と、雪遊びをしなくなったコディを見て今日はすまなく思っていました。

 口の中まで土だらけにして野山を走り回っている時、コディの瞳は輝いて本当に生き生きとして見えました。私はその表情を見るのが嬉しくてつい、次から次へと、いろんな冒険に連れ出し、さまざまなことを常に話しかけ、こまごまとしたスキルをことあるごとに教え、能力を伸ばしてセラピードッグをさせと、もしかしたらこの犬の生活をむやみに複雑にしてきたのかも知れないな。よかれと思って田舎に引っ越したことも、それによって出来なくなったこともいろいろありました。


雪の中の移動に手こずり、バツが悪そう


 コディの飼い主歴11年目にして思うのは、「この犬の飼い方について飼い主として胸を張って言えることは何もないなあ~」ということです。自分が「これが良い」と思った判断が果たして正しかったか、それはだれにもわかりません。犬はそのとき・そのときを見つめて生きているので、わたしの方でもその場・その場で最良の判断をし続けて今に至りますが、それが長期的には、特に犬の健康などを考えると、プラスに働かない部分もきっといろいろあったはずです。


眠くて ぶたちゃんのようなコディ

 そういえば、引退した麻薬探知犬が、もう永遠に仕事する日は来ないのに、実働時代の名残で外出中常にボールを咥えたきりになっているのを見たことがあります。犬本人はもちろんその状態が落ち着くし、楽しいからやっています。それを見てふと思いました。命が燃え尽きるまで活動に従事するよう、それで幸福まで感じるよう「そう生まれてきた」犬の宿命とはなんと哀れで、愛おしいものなのかと。

 「そう生まれてきた」原因は、もちろん私達にあります。たとえば、鼻ペチャの犬は健康的でない、鼻ペチャの犬を繁殖することは人間のエゴだ!という人がいますよね。でも私が思うに鼻ペチャだけが人間のエゴじゃないんですよ。私からするとコディだって、疑いようなく私のエゴを具現化し昇華する存在です。ある見方をすれば、私がやりたがることを全て叶えるために、文字通り彼はいつも大喜びで身をすり減らしてきました。飼い主に「私はいいことをしている」といつも思いこませてくれました。この事そのものがこれまで連綿と続く人の「犬作り」の結果です。これは鼻が低いとか足が短いとかいうのとはちょっと比べ物にならないレベルの「生物の改造」です。

 純血種の犬だけに限らず、雑種などであっても、必ずその血筋のどこかで人の手は入っています。現代よりずっとずっと資源の限られた時代にも犬は飼われてきました。「役に立つ犬がほしい」「かわいい犬がほしい」これらはわたしたち人の中にずっと強烈な動機としてあったはずです。そうやって犬の精神の構造(を司る脳の構造)までも人間が選別・制御を繰り返した結果が「犬」です。よって現存する犬とは、程度の差はあれ、すべからく人間のエゴ、都合と需要の産物です。

 鼻がぺちゃんこなのは命にかかわるからいけない、というのは明確で分かりやすいのですが、では、犬がこのような精神構造を持って生まれてきているということは、全く犬の命に関わらないと、私達ははたして言い切れるのでしょうか?むしろ、目に見えないだけで本当ははかり知れないほど多くの犬の苦しみ・孤独や死の源泉になっているのではないでしょうか?たとえどんなに乱暴で怖い主人でも、愛着を感じ好かれようと努力し、しっぽを振って付いていこうとするこの無垢な精神が、どんな肉体の構造よりも犬にとって不当で有害なものになりうることを私達はすでに知っています。

 そうやって考えると、全ての犬を飼う人間が、自分の犬も含め、本質的には犬っていうのはみな私達人間の都合のためにあるべき姿、形、本能を曲げ、時に超・強化された形で生み出されてきたことを認識することに意味があると思う。そしてどんな犬の生もまた、程度の差はあれ、不可避的に私達の都合のために日々費やされているのだという事実について思いを馳せることも必要だと思う。

 私自身も自分の犬を含めてまわりのいろんな犬を思い出すと、思いつくほぼ全ての犬は「可愛い」か「ひとの役に立つ」か、その両方かに仲間分けすることが出来て(愛玩犬や老犬だって「愛情の受け手」として立派に人々の役にたっている)、ほとんど例外がないのです。もしこのどちらにも当てはまらない場合、その犬の命は人間社会では極端に粗末に扱われていたり、あるいはなかったことにされているのだ……なんてなことを、つらつらと考えていた今日でした。

 なんか、ここまで書いてみて、自分に反論したい意欲が湧いてきたな(笑)
 「犬という存在はそれだけじゃないんだよ、と信じたい自分」がいるのですよね。

 人間世界の倫理を凌駕する存在として「自由と超自然」を信奉するわたしとしては、人の需要があるかぎり、鼻ペチャ犬は永遠に鼻ペチャ、ダックスフントはますます短足であっても仕方がなく、キャバリアキングチャールススパニエルを可愛がりたい人は、僧帽弁閉鎖不全症の治療費をたっぷり準備したうえで自由に可愛がるべきであり、それをいけないと思う人はそう信じて一生懸命戦えばいい。犬を捨てることは仕方がないと思う人がいれば、捨てられた犬を拾う行為をもって自らの善性の根拠としたい、そういう人があっていいと思います。

 結局のところ、人間社会というのは、そういうひとの勝手と都合が激しく自由にぶつかる騎馬戦みたいな状態にいつもなってるのが「いい状態」なんだと思う。倫理的に不衛生だったり、個々の人にとってはストレスフルな状況なのだろうけど、歴史を振り返るといつもこのストレス、不快感をバネにして、文化の発展が生じているように見える。人類にイライラしたりツラそうな人が目につくのは、つまり、それが私達のサバイバルに強烈に作用する特徴だからなのではないか。そして犬達には、この宿命の檻の中で、自ら更なる幸福を求める強靭な生物として生きてってくれと思います。


2026年1月22日木曜日

11歳1カ月の宅トレと投薬


 久々のどぴーかんだったので、元・トウモロコシ畑(現・宅地)をうろうろしました。この一角、私が勝手に草を刈ったり木を抜いたり植えたりしている場所です。去年の秋ごろから食べられる雑草があることに興味を持って、もとから生えてるやつを中心にちょっとずつ位置をずらしたりして、いたずらしています。暖かい間は子供が可愛がってるイモムシの食草などもここで沢山入手できました。

 冬になってから気付いたのですが、宅地開発でこういう草ぼうぼうの所が狭まるにつれ、こうして残った僅かなスペースの中で見つかる野生生物の痕跡がより多くなりました。犬もクン活がすごくはかどるようです。困ったことにコディは野生動物のフンが好きで油断すると「パクっ」とやってしまうことがあるので見張らねばならず、なかなか自分のことがすすみません。



 シニア期に入ってからこの「パクっ」が原因でお腹をこわすことが増えました。
 わがやの裏庭を横切る動物といえばシカ、ウッドチャック、コットンテイル(ウサギ)、ポッサム、アカギツネ、スカンク、ハタネズミなどが主です。このどれかのフンにコディは猛烈に当たってしまうようです。このため、最近のコディは拾い食い禁止はもちろんのこと、裏庭を一人でのんびり歩きまわることも禁じられてしまいました。私が監督出来る時間には限りがあるので苦肉の策ですがちょっと可哀想です。


 裏庭に戻ってまた散策していたらコットンテイル(ウサギ)のしっぽだけ落ちてました!これ、犬が庭に出ることが減ったことで、敷地の中にキツネが侵入してきているのだと思う。深夜食堂のあとがところどころあります。「明らかに家禽」という見た目の、可愛がられてたであろうどこかの家の鶏の翼だけが残されていることなどがあると、申し訳ない、うちのキツネが……ととてもすまない気分になります ※うちのキツネではない

 ウサギの尾への反応を見ていて、コディが随分年をとったことを知りました。
 このしっぽ、コディはぱくっと口に入れてもごもごしていたのですが「だめだよ」とやさしく注意するともう「わかった」と納得した顔になり、もとの草の上に置いていました(写真2枚目)。中年頃までのコディなら大興奮してしっぽを空中に咥えて放り投げ、ドスドスと走り回って大騒ぎしていたに違いありません。その後もしっぽを大事に両足で抱え込んで暫くはクチャクチャとやったりしていたはずです。そういえば最近は鹿追いもついにあの煮えたぎるような鬼気迫る感じが薄れて、ちょっとカジュアルな追い方になってきました。物質への執着心が薄れてきたのでしょうか?人間の年寄りなどはものや環境に対する執着は年と共に増すような気がしますが、犬は逆なのだろうか。

身共の手、シワシワ(笑)

 先週と今週の宅トレは犬用スロープの練習がメインでした。コディの場合、このスロープだけは時々やらないと退化してしまうのでいつも頭を悩ませています。体重があるので揺れるスロープに登るのがだんだんおっくうになってしまうのでしょう。

 加齢とともに関節炎がでてきていることから、スロープなどで不自然な体制になるのが苦痛・落ち着かない→スロープをしっかり使えない→外出ができない、などとと問題が連鎖します。特に獣医さんに通えるかどうかは大問題です。自宅診療をしてくれる獣医さんとも連携していますが、コディが車に乗れなくなる日、それが基本的には「医療を享受できる犬生の終わり」を意味していると思っています。スロープは超大型おじじのライフスキルといえます。


ボヨボヨパッド(仮称)をしいてスロープを足で揺らし、「揺れても大丈夫」と教え込む
わざと墜落する場面も再現して「もし墜落しても大丈夫だし死なない」ということを確認させる

「もっとやろう」と言ってます
死なないと理解したのか明るい表情 笑



 スロープを使って、地域のかかりつけのお医者さんにも行ってきました。
 2月の全身の検査の前に、主治医の先生と主要な検査について話し合いました。特に後肢の関節炎に関してはコディの生活の質に直結することから、レントゲンを撮って必要ならばすぐその場で治療(関節内注射など)を行うことにしてもらいました。また、膝に少し腫れがあるということでガバペンチン300㎎を12時間に1錠飲むようにいわれました。シェパードは効きすぎることがあるみたいなんで、多かったら減らしましょうとのことです。

 現在の主治医の先生はなぜかいつもコディの事を補助犬と勘違いしています。
 私が何か補助が必要な人に見えているからでしょうか(残念ながらコディには私のひどい英語の補助は出来ないのです……)。そんな獣医さんですがご本人もジャーマンシェパードを飼っているためか、コディへの愛撫の仕方が私と同じ、犬の頭蓋骨をグワシッと強めに鷲掴みするスタイルで親近感を感じています。今まで出会った犬の中でいうと、シェパードとボーダーコリーはグワシ派が多い気がします。

2026年1月16日金曜日

犬のアンチエイジング(雑考)

今朝のお散歩より

 人間の医療でも「抗加齢」「アンチエイジング」という概念が近年大きく取り沙汰されるようになっていますが、人間が長生きするならペットも、というのはごく自然な欲求かなと思います。うちの犬は2020年からDog Aging Progectという北米のリサーチプロジェクトに登録していて、積極的に治験などには参加してないのですが、犬の加齢についてさまざまな取り組みや研究が進んでいることを知りました。プロジェクトのブログだけでも面白いので、時間がある人はぜひ見てみてください。

 またアメリカではloyalというカリフォルニアのバイオテック企業がシニア犬、大型犬・超大型犬を対象に「犬の健康寿命を延ばす薬」を商品化してワイヤード・マガジンやフォーブスなどで取り上げられました。この薬は3か月~半年に1回の注射か錠剤の薬を摂取するもので、おもに大型犬の間で成長に関わるホルモン(GH)特にインスリン様成長因子1(IGF-1)という物質が成熟後も過剰に発現して老化を促進させることを抑制し、犬の健康寿命を延ばす、とされています。老犬専用の薬剤も別途開発しているようです。現在はリサーチを目的とした試験段階にあり、完全なデータが出る前に販売を開始できる米国FDAの「条件付き承認(Conditional Approval)」を2026年内にも取得できれば、獣医師の処方箋を通じて実際に利用可能になる見通しになっているとのことです。

 わたしたち人間の社会では、生活習慣や医療にかけられる費用などによって個人の健康や寿命に差があることはすでに知られていますが、こういったことがペットの世界にも波及していっていることがより鮮明になる出来事だなあと思いました。こうして健康だけでなく、「若さ」「QOL」にまでも格差が広がっていくのでしょう。犬の寿命、犬の死。こういうのは大昔から富める者も貧しい者も全ての人類に平等にふりかかる不幸だったから、みんなギリギリなんとか我慢できてきたと思うのですが、人類はいったいどうなってしまうのかな。おらの大切なたった一匹の友達シロはおいぼれて病であっけなく死んぢまったのに……その横で長者どんちのポチはええもん食べてええ薬さもろていつまでも若く長生き………こりゃかなり辛そう。

 しかし犬を産業動物という観点から見ると、モノ・お金・時間・人手と、莫大なリソースを割いて育成されるワーキングドッグが元気に活動できる期間を延ばせることには、かなり大きな経済効果がありそうだなとも思います。まあでも、そういう純粋?な目的以外にフトコロ具合次第でアナタタチにも売ってあげるよ!まだ肝心の効果は実証中だけども!とすぐなるところがいかにもアメリカの会社という感じがします。


 さて獣医さんのおすすめでELLE VETというサプリメントをコディにあげはじめてからだいたい半月ほど経ちました。CBDオイルだけでなく、より活性の高いCBDAはじめとするカンナビジオール生薬がベースで、抗炎症・抗ストレス、認知機能のサポートなどを謳った製品です。私はもともと漢方的なものにそんなに信仰を抱く方ではなくて、効果はあまり期待していなかったのですが、コディの様子がなんか少しリラックスしたような気がして「あれれ」と興味を持ってみています。特にちょっとした音でバタバタと慌てることが減ってのんびり寝ていることが増えたように思います。でももともと最近はよく寝てたしな……天候がずっと安定しているのでそのせいかも知れません。もう少し様子を見てみようかな。

 サプリメントをあげはじめて改めて思ったのですが、音に対する不安感はかなりコディを苦しめ、生活の質を下げていたんだなということです。特に10歳を過ぎてからは、寝ていても少しでも家の中で変な音がするとガバッと跳ね起きて「ガレージに避難させてくれ」と言いに来たり、ガレージに避難すると今度は「外で変な音がしたから家に入れてくれ」と訴えにくる回数が徐々に増えて、ちょっと脅迫的といっていい状態になってきていました。一日のうち何度も重い扉を押し開けて入ってきてしまうので、施錠しないといけないことが出てきていました。

 老化のうちの一現象、可哀想だが仕方がないとこれまでも運動や投薬など色んな工夫をしてきましたが、加齢に伴う変化はだんだんに起こるものが多く、付き合ってる飼い主の方も「もとのふつうの状態」をいつの間にか忘れていた気がします。「今あるこの彼の状態はわりと良いものである」と思いたくて、無意識に認識をアジャストしてしまっていたと反省しました。これは、犬の具体的な健康状態を見誤るだけでなく、私がゆくゆくは自分達の関係の健全性をも見誤るのだ、ということを表していると思います。

 飼い主の中の「飼い犬の元気で幸福な姿」の像がいつの間にかゆがんでしまっていたということです。そうすると、正確に自分の犬のQOLを評価することは難しくなってきます。いずれ、客観的に見たら一日のうちほとんどしんどそうにしてるのに「ちょっとトレーニングした時間」とか「オヤツをもらったときの姿」「風の匂いを嗅いでる瞬間」とかを拡大解釈して、私の犬は毎日を楽しんでる!と思う事にするという風に、私自身が変容していってしまうのではないか。

 もし誰かが「あなたの一日のうちの5パーセントの喜びや楽しみは、残り95%の苦しみや痛みを帳消しにする」と言ったら、ほとんどの人は「そうかな」と言うと思うのですよね。自分の犬に対してだったらそれはOK、としようとするのは不公平に感じます。シニア犬の幸せ度合を測ることに関して、飼い主としての感受性が衰えていくのだったとしたら、それにかわるなにか客観的指標があるといいな、などと思うなどしました。

パラ活も続けています。

袋に小さな穴が開いていたんです……
なんと、全額返金してもらえました😲 アメリカの会社は、太っ腹なのかお金が欲しいのかよくわからないですねー

2026年1月8日木曜日

11歳になりました🌼

 



 2026年、明けましておめでとうございます。

 今年もコディと人犬一体、インターネッツ世界の片隅で引き続き楽しくやっていこうと思います。そんな私達の様子を見に来てくださっている画面の前のあなた様のご健康と、たくさんの幸せがやってきますように、心からお祈りしています。

 暮れに友人知人に配ってまわる「ホリデーカード」の写真を改めて撮っていたのですが、飼い主的にとても可愛い表情のが一枚あったのでそのまま新年のご挨拶に使うことにしました。コディは角度によってはタヌキとかテディベアみたいな顔に見える時があるのですよ~愛らしいのでブログのトップも少し可愛くしてみようとがんばりました(我ながらセンスのセの字もないのが悔やまれますが……)。

 コディは11歳になりました。後ろ足の弱り方や全身の姿勢に気になるところがあります。姿勢の点では特に去年の10月頃から、少しずつですが猫背気味になってきたのが気になっています。犬本人は毎日数回のトレーニングも意欲的でオフリードでは結構よく走るし、よく食べよく出しなのですが、2月の定期検査で重点的に調べようと思っています。

 ほかにも肝臓の数値など気になるところはぼちぼちあります。年齢とともに悪化してきた音への不安感や関節炎・歯肉炎に対する処方として、先月の中ごろから獣医師の先生に勧められたCBDA(カンナビジオール酸…カンナビノイド生薬)のサプリメントを摂り始めたので今経過を見ています。これについてはあとでまた別の日記にしようかな。


にほんブログ村 犬ブログ 老犬・高齢犬へ にほんブログ村 犬ブログ 犬 海外生活へ 

 前から参加している「ブログ村」も、老齢・高齢犬のカテゴリに引っ越しました。これまで高齢犬の生活についてあまりじっくり考えたり勉強する機会がなく「犬の中年期の延長線」みたいな感じで来てしまったので、これを期に色々なテキストとか個人の方のブログなどを読んで、老犬、特に「超大型としより犬」の生活の質を上げるにはどんなことができるのか学びたいと思っています。

 飼い主の本年の目標は「ためこまない」です。

 「ためこんだほうが良いもの」って、実はそんなにない気がします。もったいなくてしまってる冷凍庫の日本のふりかけとか、プロテインの試供品。使わなければ悪くなるだけです。家計簿にまとめてつけようと思ってるレシート。そのうちスナネズミにやろうと思ってるトイレットペーパーのしん。メールの返信、贅肉。人生に不可欠なお金や、知識などですら、ため込みすぎれば人間、おかしくなってくる気もするし。人にもらったカードや娘がせっせと作ってくれた「おくりもの」も多量にあるんですよね、これは処分しにくいなあ………私自身もカードや手紙を書くのが好きですが、こういうものを気軽に人にあげるのも注意しないといけないな。

 私の場合目下、すぐに改善しないとならないのが本と紙類です。

 子供を補習校にやらずに自分で日本語を教えてるので、学習関係のノートやプリント、使った後のワークブックなどが全部堆積してます。これ以外に教育関係の資料の紙の山があります。最近、戦前の家政学とか女子教育の本を読むのにはまってしまい、PDFを印刷して手元に置いてたり、おもしろかった論文などもすぐ印刷する癖があるのですがこういうのはもうやめないとですよね。己の生活空間が狭まってきていて。ちょっと怖いのが自室が「記憶に残る祖父母の書斎」と全く同じ様相を呈してきてるんですよ、、、つまり私のこの「紙類の山」との闘いは、遺伝子との闘いだということです。

 人生80年とした場合折り返し地点を過ぎてるわけですから、このままだと私は家族のおにもつになってしまいます。これは早期終活の一環として早急に対処せねばならないです!調べかけて付箋づけだけしてある事柄や、書きかけの文章、すでに教材を買って途中になっている講座(園芸関係の講座で生活に直結しないのでついつい後回しになってます;反省)なんかも、順次片付けていきたいです。