2019年5月4日土曜日

セラピードッグの準備クラス



 愛犬もかつて通ったことのある、セラピードッグのための準備クラスに、お呼ばれしました。と言っても、リクエストは犬の方にではなく、3歳6ヵ月の娘にです。この日、セラピー犬、介助犬、ファシリティドッグ候補の若イヌなど、合計6頭の賑やかなクラスで、簡単なノーズワークごっこや犬のパズル、double leash walkingと呼ばれる二本のリードを使った犬との歩行、読み聞かせ、ブラッシング、犬にコスチュームをつける、などなどのタスクを一緒に練習していきました。クラスの終わりにトレセン長が娘に歩み寄り、「大きくなったら、サービスドッグのトレーナーになってここで働いてネ!」と言ったところ、「私はおひめさまのねこを育てる人がいい」とか言って、自己主張していた(笑)。犬に舐められたり踏まれて泣いたりしながら育った娘は、ネコが好きです。

 娘が将来なりたいものは、「ピンクのウサギをお世話する仕事」とか、「みんなに食べ物をあげるしごと」「お買い物をする仕事」「虹をつくる仕事」などなど、わりかしコンセプチュアルなものが多いです。可愛いものとか、おひめさまが大好きで、アメリカの女の子の王道を行く嗜好の持ち主と言える一方、「お買い物をする仕事」のリストの内容があぶらあげだったり、プリャニキ(ロシアのおやつ)だったり、いきなり懐から小判を出すマネをしたり、文化的にいろいろ混ざっていて、面白いと思います。いつまでもこのユニークさを失わず、強く生きていってほしいと願います。


お風呂に入れられた後

 ここ一週間ほどは、天気が良くて涼しい日が続いていたので、犬も日がな一日ベランダに寝そべって過ごしていました。体重があるのに、痛くないのかなと思うのですが、家の中でも外でも、固い地面に直にゴロ寝します。特に、「屋外の」「半日陰」「固くて冷たいコンクリート」みたいな条件がそろった場所が大好きな様です。雑木林からの風がくるので、いろんな匂いや音もすぐキャッチ出来て、寝ながらでも好奇心が満たされるのだと思います。水も、室内の清潔なボウルにためてある水道水より、外に出しっぱなしになっているお皿の、小枝や落ち葉入りの「はっぱのアロマウォーター」の方が好きです。

 私の住むこのボロ屋は、雑木林に面しややせり上がった台地に建ててあるため、このベランダはちょうど林床から5メートル程度のところに、さながら木の上の秘密基地のように浮遊しています。木陰のおかげで一日中薄暗く、狭く、穴ぐらみたいな場所が好きな私にとってはパーフェクトな家です。ベランダの至近距離まで野生のタカやノスリやフクロウ達が来たりして、住んでいてぜんぜん飽きることがありません。でも、娘にとっては狭すぎることが、だんだんと不便になってきていました。あと数年、いやもしくはもっとすぐに、この家を後にせねばならならなくなるでしょう。




 次の家は、住むと予定している年数的に、コディの最後の家になろうかと思います。考えれば考えるほど、犬の命は短く、儚く、本当に寂しい事です。出来ることならば、広い庭とプールにアヒル小屋のある、お屋敷みたいなお家に住まわせてやりたいですが、それは叶いそうにないので、「車で10分以内に空地やきれいな川のある場所」というのを絶対的条件に入れて探しています。全体的に段差が少なくて、小さくても庭がある家を想像しています。他にも、「大きな老犬」が住むのに適する環境とはなんだろうと、今から考えています。

 また最近は件のながら散歩と並行して、「むこうから人がきたよ」だの「犬がきたよ」だのと、犬にせっせと話しかけるようになりました。多分、傍から見たらあぶない人みたいに見えてる可能性もありますが、「今のうちからこうしておけば、もしそのうち愛犬の目が見えなくなったり、耳が悪くなることがあっても、二人五脚で楽しく散歩が出来るのでは」という実験です。

 うちの犬はトレイルのような場所で何かの気配がすると、グッと首を持ち上げて尾を立てますが、そういう時「あれは人だよ。」というとシッポが下がるので、なんとなく意味は分かっているようです。犬が来るときも、「あれは犬だよ。leave the dog.」とか言うと、時々鼻息を荒くしながらも素通りすることが出来ます(※)。散歩道で何かに遭遇する前の段階で、心の準備が出来るか・どうかは、コディの心の平穏度に密接にかかわっていると感じます。(※コディは雑木林のトレイルの様な場所では、他の犬に対して警戒し吠えます。)

 もうひとつ面白いのが、上手にふるまえた時「おりこうさん!あとでオヤツがもらえるね。」と言うのですが、これをちゃんと覚えていて、家に帰ってからおやつの棚の前で待っています。わりと記憶力がいいので感心します。どうも犬の中で、「あとでオヤツ」というアイデア自体が報酬化しているようです。

 効果があるのか、ないのか分からない、細かいことばかりですが、人・犬ともに事故や病などのライフイベントが、いつ訪れるかは分かりません。これは、先代の犬に教わったことのひとつですが、いつも、どこかで、来るべき犬生のシナリオについてなんとなくシュミレーションしておくことは大事だと感じています。