この秋から子供がアメリカの小学3年生にあがりました。3年生なんか学校が楽しいさかりかと思ったら、最近ぜんぜん行きたがりません。聞いてみたところ、授業でも昼食の時間でも、机をたたいて音を出したり、暴言・暴力を伴うスペシャルニーズの子の隣に座らされ、なかなか授業に集中出来なくて困っているといいます。成績も少し下がってしまいました。
授業は百歩譲って我慢ができるが、昼食の時間に日本式の弁当を「気持ち悪い」「匂いがする」とイスを蹴りながら大声でなじられるのにはさすがのちびもムカつきが限度を超えてきたようです。ここ2ヶ月ほど、何度も先生に頼んでいるのに席も変えてもらえなかったらしく、先日ついにキレて「SHUT UP, If teaches weren't looking, I'm gonna kill you」とすごんだみたいです。すると「脅迫」の罪で、スクールカウンセラーの部屋に行かされてしまいました。
アメリカの小学校では「脅迫」は重い罪なので、すぐ自宅にも電話がかかってきて親の私達も知る所となりました。うちの子供は学年でいちばん小さく華奢な女子で相手は中学生かと思うほど大柄で隆々とした体格の男子ですが、まったく同等に裁かれるところにアメリカの小学校っぽさを感じた一件でした。うちの子供はカウンセラーの部屋に座らされ、すっかり悲しくなってしまい、泣きながら「ごめんなさい」と謝ったそうです。
私はアメリカの小学校のこういう杓子定規な教育方針は子供にとって本当に有害だと思うのですが、それを踏まえてもこの件で私が先生に働きかけなかったのは主に二つのことを自分の子供に学んでほしかったからです。まずひとつは「自分の環境は自分で改善する」ということです。先生とか食堂のおばちゃんのような「エライひと」に変えてもらおうとするという甘えた気持ちを捨て、自分が実際に人間関係に介入して取り組めという実体験です。そして、その失敗から学ぶ「世の中には我慢する価値のない場合が存在する事」です。
さらに、私は学校から帰ってきた子供に言いました。
「すぐに状況に流されて謝罪してはいけない」ということです。
日本の社会では特に「潔く謝ることは良し」とされていますが、これは、「自分に非が無くても相手を慮って謝った」という点を誠意として感じてくれる感受性をもった者同士の場合のみ成立するルールです。いわゆる日本人ルールですね。しかし一般的には謝られた相手は、自分の被害者性が正当なものだったと思い始めることが多いです。ひょっとすると本当は誰のせいでもなかった不運について、急に「加害者」が可視化されるためです。すぐに謝らない性根の曲ったヤツ、そう思われるリスクを冒してでも謝罪しないことを突き通すことが大事な局面が存在します。これを日本人の親は注意しておかないといけないです(日本人の親は「相手も話が通じる相手」と思ってすぐ謝らせる傾向があります)。
私自身は女子しかいない学校で12年間育ったので、これって特に女児に強い傾向かなと思っているのですが、論理などの正当性よりも相手の感情とか「空気」を優先しすぎる傾向があると思います。するとその場の交流はやり過ごせるのですが、長い目で見ると人間関係であったり、コミュニティがあらぬ方向に行く原因になっているように思います。なんでも「なんで謝るのか」理由を確かめてから謝ること、理由を確かめて、「やっぱり謝らなくてよい」と感じたら、たとえすごく相手を可哀想に感じたとしても、謝らなくてよい。ということを子供に言いました。ちびにとっては、踏んだり蹴ったりの一日だったかも知れません。