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2021年9月27日月曜日

収穫の秋(?)


 

 突然肌寒い日々が続いている北バージニア地方です。日中は日差しが暑いのですが、朝夕はかなり冷え込むようになってきました。家のまわりにワインのためのブドウを作っている家が点在するのですが、道から、棚のブドウがずいぶん育ってきているのが見えます。近所のダイズ畑も、急に黄金色に色が変わり、小さなエダマメみたいなやつ(というか、正にエダマメですね)が鈴なりになっています。収穫の季節がもうすぐそこといった風です。

 そんな中私とコディは「ゴミの収穫」という新たなゲームを発見しました。こういう、犬とやるどうでもいいミニゲームみたいなのを考えるのが大好きですが、、、私はいつも犬とばかり遊びすぎで、人間とぜんぜん遊ばないので、たまに自分でも「これでいいのか」と心配になるのですが…、、、まあ、この調子で30ウン年来ているので、今更の改善は見込みにくいでしょうか。とにかく、毎朝1時間の有酸素運動の時間を、まわりに目を光らせながら歩くようになりました。写真は今日の朝の収穫???です(今日はとくに大漁でした)。

 この地域には、入植期から残存する、土やジャリがむきだしの未舗装路が多くあります。通称Loudoun's Rural Roadsなどとよばれ、史料価値があるらしく保存の試みがなされています(資料1資料2資料3資料4資料5)。放っておくと数カ月ほどでボコボコになるため、定期的に砂利を継ぎ足しているようです。昔のままの道というのは、現代のように車がひっきりなしに往来することに耐えうる強度がないのだと思います。そこへ行くと馬などは、悪路でも丈の高い植物の茂った農耕地でも平気で進んでいくし、騒音はないし道はもとの綺麗なまま、ガソリンはいらないわ、時折コヤシまで撒いていくわで、「ちょっとそこまで」ののりものとして優れた点が目につき、地元のホースマンが通りかかると見とれてしまいます。

 話をもとにもどしますが、この地面の「ボコボコ」の上を、近隣で働くお兄さんやおじさん達のトラックがどんどん走って行く時、荷台にちょっと置いてあったカンとか、ドーナツの袋とか、そういったものがはずみでぽろっと道に落ちるようです。よく見ると、ストーリー性を感じるゴミがあります。小さな飼葉桶が落ちていたこともあります。アンティークショップに置いてありそうなガラスの瓶をみつけた時もあります。写真をとっておけばよかったかな。

 空き缶は危ないので自分でひろいますが、紙箱系やペットボトルがあった時は、コディに拾わせます。指で指し示して拾わせて、手の上に持って来させます。まだ、手近な所にあるオブジェクトしか持って来られないですが、だんだんに遠い所に落ちてる異物(ごみ)を識別できるようにしてみたいと思います。この半月ほどでこの近隣のはおおかた拾いつくしてしまったので、今後は別の道へも足をのばしてみたいと思います。


2021年9月5日日曜日

犬の聴覚過敏とつきあう

Echeveria lola – "Mexican Hens and Chicks"

 

 近所の園芸店で買ってきたエケベリア。思うところあって掘り返してみたら、根っこがグズグズで茎の中央部まで根腐れが進んでいた。アメリカの「その辺の植木屋」で多肉を買うと結構よくある展開です。葉っぱをばらばらにしてひと月くらい、最近発根がはじまりましたよ(白いマルのところ)。上手く発芽までいってほしいです。こうして根っこが出ても、芽が出ないというヤツもいます。

 昨晩は犬のコディのクンクンという声と、階下をウロウロ歩き回る音で目が覚めました。時折大音響で雷が鳴っています。山の近くに引っ越してから「短時間で急発達するビックリするほど激しい雷雨」というのが、このあたりでよくありがちな天候イベントだと気付きました。

 コディが雷を不安がる様子をはっきりと見せたのは、実は昨日が初めてです。5歳を過ぎたころから音にやや敏感になってきている印象があって気にかけていましたが、不安感が強くなってきているようです。犬の聴覚過敏の類は、遺伝による先天的なものと、恐怖体験によってあとから身に着くものとに大別されるとされ、また近年では落雷前後に発生する静電気が不安感を増幅させるのではないかという説がいわれています。

 加えて、牧羊犬は聴覚過敏に陥る傾向が強いことが分かってきており、特にボーダーコリーとジャーマンシェパードで多く報告されています。コディの場合はおそらく犬種的なものと、中年を過ぎての2度の引っ越しや、すごい嵐が来る地方に来てしまった事で、音に対する嫌悪感が累積してきていると考えられます。田舎の家は、今まで5年間過ごした郊外の家とくらべて雑音が一切ありません。本当にめちゃくちゃに静かなのです。騒音が全くない環境なので、逆に雷の爆音とか、「へんな音」がより際立って感じられるのかもしれません。呼び鈴への反応も強くなったように思います。生活環境から生じたかもしれないこれらの不安感だとか警戒心は、不可抗力とはいえ、可愛そうに思います。

 犬に聴覚過敏の傾向がある場合、①特定の音に対して過敏性を減じる(ディセンシタイズ=脱感作)トレーニングを行う、②犬の精神の安定を助けるとされる道具や医薬品の助けを借りるという2つの対処法が一般的です。これに私はあと、➂日中に運動をたくさんするも付け加えたいと思います。人間でもそうですが、衣食住にも困らず、仕事も肉体労働もせず、日がな一日ブラブラしていたら、誰だって余計な事が気になりだすと思います。犬もきっと同じなのではないでしょうか。



 ということで、早速雷の音源を使ってトレーニングを開始しました。並行して、時間をきっちり測って運動する時間を増やしました。最近暑かったこともあって、散歩に出かける時間や長さはやや適当になってきていましたが、時間を計って有酸素運動の時間をたっぷりとり、その後に筋肉を使う運動をする時間もメニューを組んで入れるようにしました(この時間帯に、今練っている筋トレメニューをテストしています。いい感じになってきたら、そのうちノートに残したいです)。

 また、これはまだ試していませんが、クレートを防音仕様にするのはどうかとも思いつきました。家庭で使える防音ブランケット(参考)などが市販されていますが、これをクレートを囲むように、若しくは直接貼り付ける形で設置して、小さな防音室のようにする考えです。それで、ものすごい嵐が来る夜だけ、クレートで寝て貰えば多少はマシになるのではないかと思いました。ただ、コディは非常に暑がりなため、クレートの中の風通しが悪くなるとそれはそれでストレスを感じると思われます。なのでもう少し考えてみる必要がありそうです。

 あとは、以前、専門店でバイトをしていた店によく売れていた「サンダーシャツ」「サンダースプレー」も、購入しました。私はどちらかというとこういう民間療法ぽいものよりもすぐに薬に頼るほうなので効果には懐疑的でしたが、当時のお客さん達は効果があると言っていたので…、、、

 ところでこのシャツの購入には手こずりました。案の定、チャートの上では大丈夫そうだった「XL」が、胴回りがぜんぜん足りず、返品したり新しいのを取り寄せたり、ひと仕事でした。コディのように大きくかつ体格のいい犬の場合、使えるグッズがそもそも限られます。ほかの大型犬種、ボルゾイとかデンなどとも体形が全く異なるので、「超大型」と書いてあるグッズを買ったとしても、サイズがあわないという失敗が多いです。XLのシャツは、胸の所がパツパツで襟元から厚い胸毛が噴き出し、パリのゲイバーで見たおじさんみたいになっていました。コディの名誉のために写真は載せないことにします。


2021年9月1日水曜日

オオカミと犬、遊び、絆 雑考



 とても面白い話を耳にしました。オオカミと「取ってこい」:子オオカミのボール遊びが何を意味するか(Science)。スウェーデン・ストックホルム大学で研究用に集められた幼いオオカミの子供にボールを投げたところ、ごく少数ではあったものの、ボールを投げた人の所へ持ち帰る行動を見せた個体が初めて観察されました。この行動は全体の数からみると珍しい行動でありながら、他にも同様な行動を見せた個体が少数おり、オオカミの中に特性として受け継がれているのではないかという研究者の考えが述べられていました。これは太古の昔、犬がオオカミから分化した過程がどのようにはじまったかという話題について極めて一般的な「食べ物が介在して順化が起こった」とする論に一石を投じる発見だといいます。

 言い換えると、大昔オオカミが人の集落のまわりをウロウロするようになったのは、食べ物だけが目的なのではなかったかもしれない、遊びが介在して順化がはじまったということも考えられるかもしれない、ということになります。近年コンパニオンドッグ界隈でも「犬と人との遊び」の重要性が説かれるようになって久しいですが、そもそもイヌという種族自体が、ヒトとの遊び能力を基にして選抜が起こった可能性すら出てきたというわけです。

 最近コディにまだ熟れていないナシの実を投げていて思いついたのですが、、、人が何の気なしに投げた枝を同じ場所に戻しに来たり、崖下に転がり落ちて行った果物を拾ってきてくれたりするオオカミが、稀に存在したのかもしれません。オオカミもヒトもこれをおもしろいと思い、ヒトは感心して、これは何かの役に立つかもしれないと思ったかもしれません。おもしろい行動をするオオカミに積極的に餌やおやつをなげてやったりして、いつしかそういう「ヒトにとっておもしろいオオカミ」は集落のまわりで暮らしはじめ、おもしろいヤツ同士で結婚しさらにおもしろい子供が生まれ、そしていつしか村の中で、家の中で暮らすようになった。コディを見ながらそんなことを思うと、何かとても自然な気がしました。

 写真は小さい頃のコディ君です。コディは、食べ物をくれる人も好きでしたが、一番は棒や転がるもので遊んでくれる人になつきました。ゲーム全般と、かじるのがとにかく好きで、家をかじられないために一日の大部分を外で過ごしました。大型犬、超大型犬は子犬のうちは運動制限を進められることが多いですが、自由運動に関しては何も制限せず毎日たっぷりとさせました。外の草原で私と共に遊びまくっている時が一番楽しそうに見えたのです。しかし、撫でられることはあまり好きではなかったので、褒め方にはコツがいりました。


2021年8月19日木曜日

よしなしごと


 夏が過ぎてゆきます。娘のアメリカの学校びらきまであと丁度一週間となりました。本当に長かった「ホームスクーリングもどき・うぃずコロナ」もあと1週間です。パンデミック以降、子供達が学校で学ぶ権利や、普通に友達と話したり遊んだりする暮らしは圧迫され続けてきましたが、あがき続けた1年と5カ月が終わろうとしています。頑張っても誰に表彰されるわけでもない地味な日々の連続の中で、私は大量の時間といつのまにか髪の毛を失いましたが(昨日、1年半ぶりに会った美容師がびっくりするほど)、子供らのために力いっぱいがんばったと思うので、満足です。

 ところでここ2カ月ほど草に手を出していました。ふだん一人で何かの作業に従事する「個人の時間」を何よりも大切にしているたちなのですが、半年以上自分の時間が全くなかったので、見えないうっぷんが溜まっていたのでしょう。そういう時、逆にこうやって全く関係ない事に着手して、さらに自分の首を絞めてしまう悪いクセがあります。上の写真のは、学生のころ日本で集めていた種類で、とてもなつかしいです。たまたま立ち寄った古道具家で「品種不詳土ナシダニあり根っこ2本」みたいな状態で物置から引っ張り出されてきた個体ですが、家で養生していたところ元気を盛り返してきました。新葉も出ています。すごい生命力ですね~。



実験的に室内で育てているギボウシ(Hosta 'Guacamole')につぼみがついた



 草だの、爬虫類だの魚だの、両生類だのを愛好して幾星霜ですが、こういったいきものが好きなのは、こうして逆境に強い生きる力であったりとか、生きようとする姿勢とか、まわりを気にせず自分の都合のいいほうに勝手にどんどん伸びたり、体温や感情がない(なく見える)分、自分の時間を生きている様子がひときわ鮮烈に感じられるせいかと思います。


たのしみです


 しかしアメリカで日本と同じように趣味のことをやろうとすると、たとえばいい用土や道具がぜんぜん見つからなかったり、あっても高かったり、大量だったり、取り寄せなどで時間が掛かったりで、着手しにくいことがあります。また冒頭の話のように死にかけのやばい状態の草なども平気で売っていたりするので、どんなに安い草でも丁寧に世話をして売っていた日本の地元の植木屋を思い出し、恋しく思いました。ここでは、あらゆるサービスが玉石混合で、よい店や人を調べる事自体に多くの時間や費用を費やさねばなりません。チャイルドケアなどもおなじですね。日本の保育園のような、朝から夜まで、食育あり、連絡帳も書いてもらえて時間外の突発保育もあり、などなどなど…のレベルを期待しようとすると、月に2000ドルは必要です。安価に、非常にバラエティ豊かなサービスを享受することができるという点では、日本はすごくいい場所だと感じます。



 ここ1週間のコディ君です。アパラチアン・トレイルに短いハイキングに行ったり、園芸店に連れて行ってもらってこやしの袋の上でローリングしたりと悠々自適に過ごしていました。上の写真はその後ペット用品店でシャワーをしているところです。こうして、オフロの中でヨレヨレになっている姿もとても可愛いですが、大きい図体&6歳という大の成犬のくせに、ク~ンク~ンといかにもか細い声を出すのが少しはずかしい。今回は特にとなりの洗い場にいたアメリカン・エスキモードッグ達がキリッ!とした表情で、サクッと洗ってもらっていたので、コディの情けなさが際立っていました。頭脳は子犬の時のままなのです。「あかちゃんおじさん」と呼ばれてます。


2021年8月3日火曜日

「できないこと」の重要性



 しばらくブログを留守にしていた間、北バージニアの僻地はキイチゴの旬を迎えていました。いろいろな種類があるのです。夕方、暗くなってきた農道のわきに西日に照らされて光るキイチゴは宝石のような輝きを放ちます。その姿を記録したく何度も写真を撮りましたが、私の腕ではあまりうまく写せませんでした。表面につぶつぶがたくさんあるせいか、なかなかピントが合いません。

 面白かったのが、犬のコディがキイチゴが大好きだと分かった事です。コディは雑草は比較的ついばむものの、野菜やフルーツといったファンシーな食べ物は一切受け付けない男です。ところがこのキイチゴを投げたところ、パクっと空中でキャッチして、いくらでも食べることが分かりました。これらの果物には抗酸化成分があるというし、なによりキャッチする時の顔があまりに面白いので夕食後の散歩でキイチゴキャッチをするのが毎日のルーティンとなっていました。季節がすぎ、枯れた果穂を見た時は寂しかったですが、また来年のキイチゴに期待が膨らみました。

 本日は(これまで若干6年ほどのぺ~ぺ~ではありますが)ヒト幼児と大型イヌを一緒に育てる中で気が付いた犬や子供が「できなかったこと」「しなかったこと」の重要性についてごちゃごちゃとムダ話をしたためたいと思います。勉強やらしつけやらで、犬や子供に何かをやらせようと働きかけたが、できなかった、しなかった、ということはわりとよくあります。親や飼い主はついついイライラしてしまうのですが、これらはとても大事なことで、そこで立ち止まって時間をとって、考える価値のある事だと感じています。

 ホームスクーリングもどきを1年以上続けている娘(5歳10ヶ月)は数字に殆ど興味がありません。日系人の子女向けにオンラインのプレイグループをしていると、周囲には4歳くらいで九九まで出来る子とか、小学校に入る前に低学年の漢字をマスターしている子などがちらほらいるのでちょっと焦ってしまい、「娘、記号に弱いのではないか」とか「算数が苦手になるかも知れないので学校へ上がった時のために先取りして教えるべきか」などという気になることもあります。でも、算数は一旦置いておいてほかの科目をしていると、地図記号や、漢字の意味を考える事は、わりと好きだということがわかりました。

 地図記号はもちろん、漢字などは象形文字で、ある意味記号です。つまり、頭の中で実像と結ぶことができる記号や、物語性のある記号は好きなのです。この事から、娘は(他の大勢の子供達と同様に)より多くの学習内容を実像と結べるように、より多くの身体的経験を必要とするタイプだという事が分かります。これは今後10年以上娘という子供の性質と向き合う上で意味のある発見です。

 ここでフト気付いたのが、「自分の娘が数字に興味が無い」ということに気付いた時点で、そのことで頭がいっぱいになり、その苦手を「消す」ためにがむしゃらに反復練習などを日々繰り返していたとしたら、おそらくこの発見はなかったと思われることです。または、ずっと後になってから、もしかすると練習のしすぎで漢字や算数などが嫌いになってから、その事実にたどり着いていた可能性もあります。


ボールを返せという指示があるまで、返すことを「しない」犬。犬自身の考えがあるようだ。


 もうひとつの例はコディです。ドッグトレーニングをしている人なら皆「犬になにかをするようリクエストしたが、犬がそうしなかった」という経験を持っていると思います。私の犬コディも、家の裏庭で遊んでいる時に、たまに「オイデ」を無視することがあります(!)。

 コディにとっての「オイデ」はもともと非常に効力のある言葉で、ドッグパークの雑踏やパーティーの人混みの中や雑木林などでも、わりとすぐに戻ってきます。たとえどこかに向けて走って居ても、呼ばれたらUターンを描いて戻ってきます(シェパオーナーの方はどういう様子かすぐ想像出来ると思います)。

 ところがこの裏庭に居る時、時折「オイデ」を2回言われないと戻ってこない事があります。そういうときは、1回目の「オイデ」では、遠くで立って私の事を見ているのです。それで、興味を持っていろんなところやいろんな時間帯に呼んだりして調べたところ、特に日暮れ前の時刻に、東側の庭(公道と雑木林に挟まれて伸びるスペースです)の中にいる時、「オイデ」が2回要る傾向があると分かりました。

 しばらく今の場所に住んでみて気付いたのですが、この東側のスペースの外側は野生動物の通り道になっていて、シカや小さな生き物が頻繁に通過していることがわかりました。この動物の往来?が最も盛んになるのが、日暮れ前の1時間ほどでした。またあとで知ったのですが、公道をはさんだ向かい側(といっても200m以上離れていますが)に大きなマスチフがいる家があって、その犬の事も警戒しているようでした。

 コディは基本的に言われたことは守る性格ですが、シェパード的な敷地を守る気持ちや、イザとなったら自分で考えて決めようとする気質が強く残っています。その性質をどうしようもなくかき立てるのがこうした害獣の存在であり、この「夕暮れ時の東側の庭」だったということです。私の犬は脅威を身近に感じた時、自分のビジネス(危険管理)を優先する奴だということがわかります。こうして「オイデができないことがある」事の原因を探る過程で、愛犬の性格について、また少し理解を深めることができました。

 犬にもヒトの子供にも言えると思いますが、何かをやらせてみて、「とくいだった」「好きだった」ということから分かることと同等か、時にそれ以上のことが、この「できなかった」「しなかった」ことの分析から分かると思います。だから、やらなかったことの原因を真剣に考えることなく、子供を強制的な練習メニューに放り込んだり、犬にはEカラーをつけるなどして、好ましくない行動をさっと消去しようとすることは、心情的にはとてもよく理解できますが、相手を知るための非常に重要なチャンスをも消去していると言えます。

 別の話でもすこし触れましたが何かを飼い育てる、教えるということは、結局は相手を知ることがほぼ全てなのではないかと考えます。ナンデこれが出来ないのかとか、ナンデしないのかとか、そういうことを探ったりする中で、少しずつ状況が改善したりすることもあるし、ふいに相手から感謝されたりすることもあります。藻掻きながら、親と子だったり飼い犬と飼い主という「オリジナルの関係性」の構築を目指していくことが、結果的に良いことなのではないかと思いました。



2021年8月1日日曜日

ホームスクールもどき:1年5ヵ月の振り返り


 娘5歳10ヶ月についての話題です(最後の方にコディ君も出てきます)。

 去年の3月、新型コロナウイルスの流行を受けて、バージニア州全域で学校が休校となり、引っ越しも重なってプリスクールを退学した時から始めた「ホームスクールもどき」も1年と5ヵ月目に突入しました。子供は、日本の学齢だと春から年長で、アメリカの学齢だと、秋からキンダーガーテン(幼稚園)に進む頃です。

 見様見真似、子供を寝かせてから手順本などを読み教育関係のポッドキャストなどを聞きかじり、主宰していた「オンラインプレイグループ」と、友人らと週1で開催した「ラーニングポッド」(いずれ、別記します)を軸にしながらスケジュールを組んで、なんとかかんとかやってきたわけですが、そんなあがきも数年後見返せば面白いのではないかと思い、ここに記録したいと思います。


 まず、ホームスクールもどきをやって困難だった点についてです。一言で言うと、親、めちゃくちゃ大変ということです。一人っ子家庭であり、しかももともと要領が非常に悪くマルチタスクができない私の場合、自分の持ちうるマンパワーのじつに75%は家庭学習とそれにまつわる労働に消費されてしまい、のこりの15パーセントで仕事、犬の世話、犬の運動、引っ越しの後片付け、運転、買い物、家の修理、などなどを過不足なく行うのは非常に困難でした。

 大変さの要因として、5歳すぎという年齢もあったように思います。本来幼稚園という社会の末席で人の波に揉まれているであろう年代の人を家庭に留め置いているわけですが、同年代の子供達と自由に遊ぶことはできないので、それに見合った活動量を家庭内で満たす必要がでてきます。手先を動かしたり、知的好奇心などを満たしてやる題材が日に複数個必要になりますが、興味の幅が犬などとは比べ物にならない位広いのです(あたりまえですね…、すっかり基準が犬になってました)

 活動の前後の準備や後片付け、材料の用意などを先だって行う必要があるので、計画性と計画を遂行するエネルギーがないと(どちらかだけがあってもダメ)、ただ無為に時間が流れるということに容易に陥ります。4歳から5歳という非常に感受性ゆたかな時期を核家族の非常に小規模な輪の中で過ごしたことによって、子供達の身体能力や心理に、中長期的な意味でどのような影響が出るのかといった点が不明なことも、心配事項です。


 次に、ホームスクールもどきをやってみて良かったかなあと思う点を見てみます。まず思い出がたくさん出来たことは良かったところだと思います。と言っても毎日毎日をギリギリ及第点くらいにするのが精いっぱいだったため、「すごい所に行った」とか、「特別すごいことをした」とか、そういうことは本当に何もないのですが、チビが朝元気よく目を覚ますところから夜ふとんに送り込むところまで、毎日の成長を欠かさず目に焼き付けることが出来たのは、貴重な体験だったと思います。わが子を育てるとは、この世で自分だけに与えられたプロジェクトであり、その報酬の一つにこの「二度とない時間を共有することができる」というものが挙げられるのではないかと感じました。


 家庭学習に関しては、子供の興味に沿ってカスタマイズした勉強ができるという点が一番よかったと思いました。私達の場合は語学、(年相応な内容の)社会科やお金の話、もらった日本の「どうとく」の教科書(こちらでは学ぶ機会がない)、アメリカの歴史(5歳児なので「むかしのえらい人」などがメイン)等、初等教育で教わる機会の少ない題材を自分の子供の興味に沿う形で取り入れられたことはよかった。運動などの習いごとを、時間を気にせず自由に組み込むことが出来たのも非常に助かりました。

 また、コロナを契機として、さまざまなオンラインクラスの開講が増えたことの恩恵もかなりあったように思います。娘はオンラインクラスを利用して、音楽と生け花のクラスをとりました。生け花は、おばあちゃまたちに混ざって一丁前に質問したりして、楽しかったようです。音楽の先生は外国に住んでいたので、自分の知らない遠くの世界に思いを馳せたようでした。まだ「好き」の方向性が定かではない子供に新しいアイデアを与えたり、その様な子供の様子をつぶさに観察できた事も、今後の子供そだてに役立つのではないかと思われました。



 最近のコディ君です。北バージニアでもワクチン接種が進んで、ホームパーティなどが多少開けるようになってきました。このような時、コディの役割はテーブルの下で皆の足を温める係です。人間とゲームをすることが好きなので、話の合間に誰かが小さなピンポン玉などを意味ありげに転がしたりするとすぐ目を光らせながら寄ってきます。「家でパーティをすると、かならず最後は皆フュリーと遊んでいる」と、ブリーダーがコディの母犬について話したことを思い出します。コディはきっと母犬に似ているのだろうと思う瞬間です。

 また、ボールや転がされたものを拾ったら、私の手のひらまで持ってきて置くよう教えてあるのですが、こういうのを人に見せるとすごく賢く見えるらしく、けっこう感心されたり話題のタネになるので、なんてことのない日常動作ですが教えてあげてよかったな~と思います。

 こうして家の中では猫を被っているコディ男ですが庭に居る時は引き続き猛犬のフリにも余念がありません。人が通りかかると芝居がかった吠え方で知らせます。私がコディを呼び戻そうとドアを開け、道行く人に「犬が失礼しました。」と言うと、「He should bark.(君の犬は吠えるべきだ)」「That's his job!(それが彼の仕事だからね!)」などと返ってきます。今まで都会や郊外で暮らしてきて、犬が吠える事は近所迷惑でしかない、という文化に親しんできたため、都会と田舎でのものの価値基準の異なりを実感するところです。


2021年4月12日月曜日

相容れぬものたちー犬と子供

トウモロコシ畑の前で

 このブログにもごくたまに登場してきた「ちいさいにんげん」こと娘は、現在5歳6ヵ月です。この頃は心身ともにずいぶん成長してきました。そのせいかは分かりませんが、ひと月ほど前でしょうか、初めて犬が自分から娘を遊びに誘う素振りをみせました。『シャイロ・シェパ―ドは子守り好きな犬種』と言われる中、コディは徹頭徹尾、「何かを一緒にしてくれる人」にしか興味のない奴で、娘が寄ってきてもいかにも迷惑そうに避けたり、または完全に無視&抱きしめられるのなんて本当にもっての外(グーッと言って逃げる)、という態度だったので、突然の変化におどろきました。

 変化のきっかけは、ある日庭で子供が「犬的にすごくいいかんじの棒切れを拾って」初めて「犬に向かって上手いぐあいに投げた」瞬間でした。犬がこの人間は実は、何かを一緒にしてくれる人なのでは???と、あからさまにピーン💡と閃いた表情をしていたので笑いました。それからは庭で用もなく2匹でチョロチョロする姿が見られるようになったりして、互いに利害の一致をベースとした、何らかの関係が芽生えた様子が見て取れました。とはいえ犬の方は娘の事を完ぺきに信頼しているわけではなくて、まだまだ気安く触られたりするのは本意ではないようです。必要以上に近寄ったりじゃれたりといったことは、ありません。


狭いアパート時代も折り重なりながら成長してきた


 彼らの様子を見ていると、「犬と子供」の関係性は、世の中においてわりと誤った印象を持たれているもののひとつではないかと思います。一見すごくかわいく、ほほえましいですが、実際は犬側の多大な譲歩やガマンによって成り立っている場合も多いように思います。

 時々、小さな子供達を対象に「犬とどう関わるか」というミニワークショップを、実地やオンラインでやっています。特に実地だと、コディくらいの大きさのシェパード犬に触れる機会は殆どないので、子供達は皆大ハシャギです。その一方で、小さな子供と犬との正しい関わり合いは(自制心が未熟であったりして)困難な場合も多い事、子供のみならず両親・おじいちゃんおばあちゃんなどの家族も、犬との安全な関わり方をあまりきちんとは考えたことがない場合も、多いことに気付かされます。

 アメリカの数字ではありますが、犬の咬傷事故の犠牲者の68.0%は、5歳以下の子供です。その中では3歳児が被害に遭う率が最も高く、全体の15%を占めています。また犬にかまれるというと狂暴な野良犬などを想像しやすいですが、実はほとんどの子供は面識のある犬(自分の家の犬だったり、親戚や友達の家の犬など)に噛まれています(NIH調べ。米国で飼われている犬の全体数を考慮すれば、実際に噛まれ病院へ行くほどのケガをする率はそう高くはないとはいえ、世間では、「犬と子供」というかわいいコンビを推進するのと同時に、犬は本来、小さな子供にとってはけっこう危険な動物だということ、また子供は犬との安全なかかわり方を学び、実行できるようになるまでに、思ったよりも長い期間を要するという事実も、広く知られて欲しいと感じます。


2021年4月4日日曜日

地面の効用


 一晩中吹き荒れたものすごい風が、幹の太さがひとかかえもありそうな庭木をなぎ倒して過ぎ去っていくというすこぶるワイルドな春一番を経て、バージニア北部の我が家地域にも春がやってきました。オオイヌノフグリや、カタバミ、シロツメクサなどといった日本でもお馴染の植物がそこここに群生しているので(というか、日本に移入していった植物の言わば『元ネタ』がこちらという事も多い)、あまり「ザ・海外の春」という感じはしません。両生類がたくさん見られるシーズンも始まっているので、結構頻繁に留守にしました。

 犬的な話題と言えば、最近、犬の解剖学と生理学に興味を持って、時折時間のある夜に本や文章を読むことが出てきました。フィットネスの観点から「中年以降の犬の健康をどう守るか」という疑問について考えた時、日々適切に体を動かして代謝を健全な状態に保つことが一つの解だと思いますが、それ以外にも衰えていく筋肉を安全な方法で増強したり、犬の体の柔軟性を維持・高め、ケガを予防していくには、どのような方法があるのかを探っています。もう一つ大切なカギとなるのは栄養だと思いますが、情報量が膨大なエリアなので、こちらはなかなか手が付けられていません。検定の時に覚えた知識も、だいぶ風化してしまいました。

 上の写真は、先日の雪の日の写真です。結果的に今年最後の積雪となった日でした。このような雪や岩などで段差ある自然の造形はまさに「でこぼこ」で、アットランダムに起伏が繰り返され、時に氷が張ってツルツルの滑りやすいところなどもあります。自然の大地の表面を、気を付けて歩き続ける事は、犬にとってはそれだけで(脳も含めた)全身運動、と言っても言い過ぎではないと感じます。犬の生活の舞台が、こうした場所からアスファルトの舗装路に変わっていく過程で、「歩行」のプロセスに使われなくなった脳の分野や、微細な筋肉群がきっとあるはずです。日々の暮らしの中で、これに似た運動を置き換える方法を考えています。


2021年1月6日水曜日

6歳



 犬が6歳の誕生日を迎えました。いつも通り特別なことは何もしませんでしたが、原っぱでボール取りと鬼ごっこを沢山して、最近覚えた「娘はどこ?ゲーム」をやって遊びました。「Where is 〇〇(娘)!」と言うと一生懸命娘のところまで走って行ってフセをするルールです。コディはどんなに下らないことでも、ゲームとわかるといつも必死の形相です。学生時代、見た目に反してクソ真面目な性格だねと言われていた(自分ではそうは思いませんでしたが)私は、勝手に親近感を感じています。

 6歳になったコディは、今までのタウンハウス(日本のメゾネットみたいな家)やアパートメントで、ペット然として暮らしていた頃と比べると、どこにこんな力が?と思う位行動が変わって、ちょっと圧倒される位、活力がみなぎっています。せな毛を逆立てて唸りながら家を守る所を見ると、普段のテディベアの様な姿からはかけ離れた様子にこれが同じ犬かといった思いですが、アパート暮らしから田舎へ、という住環境の飛躍によって、犬も人と同じで与えられた環境に馴染もうとする適応能力の非常に優れた動物だということ、そして性質に見合った環境を与えられれば、いつでも能力全開の姿を見せてくれる生き物だという事を実感しました。

 最近のコディ君は万事そのような感じなので、こうして文章を書いている今のように、一日の終わりに、やけに幼い顔で私の足元で寝てる姿を見ると「かわいいな」という思いもひとしおです。時おり顔なんかを撫でてやると口をむにゃむにゃしたりして、もうすっかり子犬気分です。この世に、飼い犬に「ずっとそばで寝ていたい」と思われる飼い主だということ以上に素晴らしい充足感を与えてくれることも早々ないと思われます。元気な愛犬がいてくれる1年を大切に過ごしたいと思います。




2020年11月2日月曜日

夜のDC市街地 11/2



 大統領選の開票日前夜の11月2日、コディと二人で夜更けのワシントンDC市街地を歩きました。ジョージタウンからダウンタウンまで運転する間も、かなり多くの建物にベニヤの板張りがされているのが見られ、また政府機関の建物前には大型トラックが乗りつけ、目の前で次々と鉄のバリケードやコンクリートの車両止めなどが設置されていきました。DC近郊民としてやや悲しい事ですが、この街のデモや暴徒の類はなれっことはいえ、この日のDCはどこかビリっとくるような「本気だな」と思わせる街の雰囲気がありました。明日の大統領選が歴史的な選挙になりえるものだと肌で感じました。


 ここまで厳重な囲いはここ最近では見たことがない、というか記憶にない。

 人通りがちらほら。コディが子犬の頃に散歩した街道にも板張りが。
中にはラクロスのスティック等で武装しているホームレスなどもおり、正直あまり雰囲気がよくない

ホワイトハウス前からワシントンモニュメントを臨む。
フェンス前にはBLMの若者達が集まって音楽を流したり、ひとつひとつの張り紙に目を落としている

賛否両論のBLMペイントの上で。

 
 コディは道にいる報道のお兄さん達や、列をなして待機する警察官達、BLMのお姉さんなどに話しかけられたり、撫でてもらい、終始ごきげんでした。メディアと活動家、そして法執行機関と今日のアメリカで「三竦み」とも言える人々の心の垣根を犬は軽々と越えていった。みな明日、数日後、来週は、どこでどうなっているのかも知れず、人々はアメリカ史という巨大な流れの中にくるくると翻弄されつづける木の葉のようです。でも、この流れもよくよく目をこらすとまた何千、何億、何十億という夥しい人々の意思や思想、思念、思惑といったものでつきうごかされているのだと気付きます。この流れは一体どこへ向かうのか……、まずは明日の開票を楽しみに、帰路につきました。


2020年10月1日木曜日

急に涼しくなりました。

Lake Skaneateles, New York


 疫病に暴動に山火事にと、波乱ばかりの2020年に夏も遠慮したのか、今年の北バージニアは本格的に暑くならないうちにすっかり秋模様となってしまいました。どこへも行かずに終わってしまった今夏なので、今まで撮りためた写真を引っ張り出しては眺めて旅行へ行った気になっています。

 上の写真は、以前住んでいたニューヨーク州北部の街で、ちょうど今頃の時期によく魚釣りをしていた湖のデッキからの眺め。五大湖周辺のこのエリアはヒトの手指に似た細長い形の湖が多数あり、全部まとめて「フィンガー・レイクス」と呼ばれています。ここはその中のスキニーアトラス(スカニースルズとか、スキニアレスと表現されることも)という湖です。かつては北米でも有数の水質と透明度を誇ったのですが、17年頃から毒性のある青緑色の藻が大量発生してしまい、水質の再生が課題となっています。地域の努力でまたきれいな水が戻ってくることを、本当に心から願ってやみません。


スマイル100万点

 犬5歳娘5歳と、「おれたちのコロナ戦争」も継続中です。現地校がなくなって、週に一回のデイケア以外は自宅でホームスクーリングもどきをしている娘が、PC上でお友達に「まいにちたのしいよ。」と言っていたのがせめてもの救いと言えます。

 自分の方はといえば、日中は家や子のせわをして夜皆が寝静まってから仕事をしたり、買い物へ行ったりなどしているので、寝不足です。元気盛りの犬とわが子と、こんなにも濃密な時間を過ごせる1年間は今後一生ないと思いますが、たまに突発的に一人になりたい時もあります。ぶらっと一人で…、中央アジアでも行きたいな。ウクライナでもいい。バルト三国もいいですね。


この足裏みてください

 今週は、犬をブラッシングして、オフロに入れて、全身乾かしアンダーコートをすきました。歯石のチェックをし、ほんの先っちょを切ってお茶を濁す爪切り&パッドの間の毛を切って、4つの足裏を写真のの状態にするまでで半日が経過してしまった。これでも大分スピーディになったつもりでした。兎に角みんなでアメリカ生活のホワイトシェパードわんた氏は、足裏トリムをしたら藪でケガしやすくなったと聞いて以来、どうするのが正解なのかは分からないのですが。

 「いそがしい」とか言いながらこうして自分で不要な作業工程をいろいろ作り出し、ムダな労働と分かっていつつ一旦手を動かし始めると止まれないのが悪いクセだなと思いますが、犬はきれいになったから、まあいいや。


あらっ!手が入ってしまった。

 犬をきれいにして出かけた先は地域の獣医さんです。この場所でずっとやってる小さな病院なんですよ。セラピードッグの活動を続けるためには、定期的に健康診断のフォームを更新しなければなりません。コディは獣医での素行があまり良くないので(診察室内で、この図体でなんでというくらい巧みに注射や診察から逃げ回る)獣医さんや看護師の皆さんにはせめて清潔な犬を診てもらいたい。

 コロナのパンデミックのおかげで獣医さんの方式も大分変わっていました。車からドロップオフしたあとは、病院のスタッフの方で全ての工程をやって下さいます。途中で獣医さんが出てきて、行った治療と検査結果等を口頭で教えてくれます。待合室などで不要な混雑も起きないこのやり方は、検診程度で訪れる患者にとってはいいなと感じました。あとで看護師の方にも話を聞きましたが、飼い主から離されることで診察室内での行動が改善する犬も多いそうです。でも「コディアックはあなたと一緒にいた方がおりこうだけどネ」と言われてしまいました。あらら。


2019年11月6日水曜日

犬。おりこうにする


活動ログです。今年の春から、政府関係の機関で定期的に訪問活動を続けてきましたが、この10月の終わりにワシントンDCで行われた内部イベントにおいて、ウェルネスプログラムのアンバサダーとして介助犬達と共に抜擢される出来事がありました。タイミングの問題も大いにあったと思いますが、同じファシリティに来るセラピーチームがいくつもある中で私達のチームが選ばれた事は、今までの地道な活動が評価されたようで嬉しかったです。150名以上の人が入れ替わり立ち代わり会いに来る状況は多分これまでで一番の大舞台でしたが、犬も最後まで指示をよく聞いて、本当によくがんばっていました。

 コディは会場でただ一頭の「触れる犬」だったので、本当に多くの人々の注意をひいていました。広報の人も来て取材を受け、ニュースレターに載るそうです(もらった上の写真は許可を得て、解像度を落としてポストしています)。いつも思いますが、こういった場所で日々激務をこなす全ての人をセラピードッグがたちどころに笑顔にする様子にはほとんどショックといっていいほどの驚きを感じます。自分の育てた犬が、おそらく自分自身の10倍は社会の役に立っているであろう様子を眺めるのは、とてもおもしろい経験です。


 コディはこの日、前回のログにも書いた「say hi」を、何十回と根気よく繰り返していました。彼は訪問中は撫でられることも、おやつもないのに、一体何をモチベーションにしながら私の指示を聞いているのかと、ときどき不思議に思う事があります。いつも私の目を凝視しており、「おりこう君だね」と言うと、なんとなく嬉しそうな目をするので、ここまで育っていくどこかの過程で、褒められる事そのものが好きになったのかもしれません。もしかしたら、子犬の頃散歩や自主練でちょくちょく出掛けていたこのDCの街だから、沢山の「楽しい思い出」の欠片がそこここに漂っているのかもしれません。その街にこうして立派に育って(?)戻って来られたことは、ごく個人的なことながら一抹の達成感を感じさせてくれた出来事でした。










2019年10月24日木曜日

元気です

元気です^^

 北バージニアも、ようやく朝夕の冷え込みが秋を感じさせる頃となりました。今、木々の葉もどんどん色が変わっており、数日単位で野山の情景が変わっています。美しい季節となりました。

 我が家では毛の生えた兄に続いて娘・「ちいさいにんげん」が、無事に4歳を迎えました。初めてのお誕生日会は50名近くの人に来てもらえ、それだけで別の記事に起こしたいほど、印象的な日となりました。こういう事があると改めて「友達っていいな」と思います。子供が人生の早い段階において、「暖かい人の輪の中にいられるかどうか」は、親が進んで助けてあげることのできる、数少ない項目のひとつかもしれません。そのことは、いずれ自分の力で「日系/ロシア系アメリカ人」としてこの国で人生を歩んでいかねばならない娘にとって、特に重要なことの様な気がしています。




 友達は犬にとっても結構大事みたいですね。コディは人間中心主義者ですが、そんな彼にとっても、落ち着いた環境で気心の知れた犬と遊ぶ事は、心に刺激を与えてくれるようです。コディは家で、「ショーン」とか「ニック」とか、特に仲のいい友達犬の名前を口にすると、耳をピンとたててワン!と大きな声で鳴きます(単語が「ネコ」とか「アライグマ」だと、ワンワン💢という感じでドアまでダッシュするので、反応の違いは明らか)。名前の指す相手がだれかをはっきりと認識しているようです。犬同士でも、一緒に遊んだ経験が彼の脳裏にしっかりと記憶されている事が伺えます。写真は、最近できたお友達で、しばいぬの「花野」ちゃんです。子犬の可愛さの中にクールさを覗かせる日本犬、最高ですネ。



フサフサ君のとっておきの顔を見てください 笑

 訪問活動ログ。今回、特別に屋内の写真を撮らせてもらえました。アメリカの外務省にあたる所の、付属機関の中で、沢山のセキュリティを通過した先にある場所(セラピードッグも鑑札まで外して身体検査を通ります)。私はコディがいなかったらここに来ることはおろか、こういう場所があるという事すら、一生、知り得なかったでしょう。犬が私の知らない新しい場所に連れていってくれるようです。がんばっているコディの事を誇らしく思いました。

 以前は少し難易度が高かったまるまる2時間の訪問も、きちんとこなせるようになってきました。秘訣は犬を立たせておくことかもしれないと思っています。「say hi」というキューで、立って近くの人にあいさつに行くことを教えたので、受動的に撫でられるばかりでなく、自分から挨拶に行ける事がどうもプラスに作用しているような気がします。ほんの些細な要素を微調整するだけでも、ストレスが軽減されることを実感しています。今後も観察を続けたいと思います。



2019年7月19日金曜日

4歳半の夏

たるみまくり(無精ひげも生えた)

 ボストンから帰って、冷房の効いた部屋でトドのようにゴロゴロしている犬。ベランダに出てセミの声を聞いたり、ホタルを見たりしたいのですが、暑いらしくすぐ家にひっこむ。散歩中も、上り坂をジョギングで上がろうとすると「ゆっくり登ろう」とアピールしてきて、首輪ごとリードがすっぽ抜けた事2度。しかし本犬気付かず、すっかりリードがあるつもりで歩いていました。慣れ親しんだ散歩道だと、リードの存在を感じさせない風船のような犬なので、散歩がしやすく助かるのですが、これはちょっと笑えた。

 ところで、本当にリラックスしている犬って、頭をさわっただけでも分かる気がしますね。人間と同じく、犬も頭部や顔にあつまった筋肉群の緊張がほどけるのかな?フニャフニャした触り心地です。ドッグマッサージって効くのかな~と思っていたけど、こんなに筋肉があるのなら、犬もきっとこったりするのでしょう。


 一週間冷房のない環境で過ごしたからか、帰ってからアンダーコートがごっそりと抜けました。上の写真の、灰色がかったところにアンダーコートレーキをかけるとブラシの歯いっぱいに毛がとれます。背骨に沿ったあたりはピカピカのサマーコートです。やはり、室内犬だと自然にズバッと毛が生え換わるようなことはなく、だらだらといつまでも換毛が続く気がします。バージニアは今の季節雨が多く、泥はねも多いので、脚やお腹の毛は自然に見える範囲で先っちょを切りそろえました。

 散歩中、犬の毛艶を褒めてもらえることがたまにあります。どんなシャンプーを使ってるの?と聞いてくる人もいます。私はいつもコディを食器を洗う中性洗剤をよく薄めたもので洗っているので、そう正直に言うと大そう驚かれます。コンディショナーは、もともと馬用に配合されたMane and Taleという製品です。なるべく地肌につかないように、毛先にちょっとつけてくしで撫でつけてから流します。そのへんのスーパーで買える安物ですが、洗い上がりもその後も、問題なく使えています。匂いもきつくないです。


 そんなこんなで、コディ4歳半の夏。この夏から冬を終えれば5歳になると思うと、イヌの壮年期真っ只中というところかと思いますが、まだまだ毎月ひとつは新しい発見があります。
 
・ボール遊びのあと車に乗る時、口にボールを咥えたまま荷台に飛び上がるようになった。
・ながら散歩でボールを咥えながら帰る時、ボールを咥えたまま排便をするようになった
(オシッコは前からしていましたが、ここへ来て「ながらウンチ」もマスター)
・散歩の時のオシッコの回数が増えた。マーキング的意思を持って故意に分散している感じがある。

などなど、主にボールにまつわる行動にちょっとした変遷が見られました。いつもするわけではないのですが、ボール好きに筋金が入ってきたようにも思えます。年齢と共に、目には見えにくくても、日々何らかの成長?変化?をしていると言えるかもしれません。

 時折ドッグランなどへ行くと会える昔からの犬トモ達の行動も、最近変わりつつあります。特に大型犬仲間の間で元気よく遊ぼうとする犬がすごく減ってきました。コディはプレイバウしたりお尻をドンと相手にぶつけてみたり、一人もみくちゃになって遊びに誘おうとするのですが、疲れているのか、暑いからか、はたまたコディとはもう遊べないと感じるのか、あそびに乗ってきてくれる犬がぐんと減りました。もともと遊び方が乱暴で、いいバランス感で遊べる犬が少なかったので、これは本当に残念でした。コディのでっかいグーパンチではたかれても、頭をすっぽり咥えられても怯むどころか、むしろ大歓喜でコディを追い回していたボーダーコリーのニックが、とても恋しくなりました。




 訪問活動も復帰しました。このファシリティでは、セラピードッグが訪れることの有効性が認められて、正式なウェルネス・プログラムの一環として定期的な犬の訪問活動が採用されたそうです。こんなかわいい看板も立ててもらいました↑。コディが来ると聞いて、早めに来て看板のそばでわくわくしながら待ってる人も居ます。相変わらず、行くと犬のしつけ関連の質問が多いので、答えられる範囲で答えますが、英語が下手なので、満足のいく説明がなかなかできません。いい練習になっています。

 セラピードッグ協会を通してリクエストを受ける時、殆どの訪問先は2時間くらいの指定をしてきます。しかしうちの犬の場合、終わりごろになると出入り口の開け閉めの音に耳を澄ませたり、外を見る動きが少し増えたりと、「帰りたいのかな?」と思わせる行動が増えてきます。1時間30分~45分の間が、「楽しい」と「疲れた」のターニングポイントという感じがします。シェパードはこういう点で他の犬種、たとえばレトリバー系やブリー系の犬とは性質が違うと感じます。タイマーをセットしておき、訪問時間の途中で一旦トイレ休憩を入れ、ほんの少しの間でも小さなおもちゃで遊ぶなどして、犬のメンタルをリセットしてやるといいようです。

 シェパード全般そうかも知れないけれど、コディもまた、普段の生活の事からトレーニング中の癖までちょっとした「調整ポイント」がいろいろあって、対象をジロジロ観察して、どうやったらもっといいパフォーマンスをしてくれるかなあと考える事がとても大好きな自分のようなタイプにとっては、知的好奇心を延々と満たしてくれる最高の題材と言うことができます。けれどもそういう細かいりくつ抜きで、ただただ楽しく犬と付き合っていきたい人々にとっては非常に疲れるというか、めんどくさい犬にもなり得るという点を、理解しておくことは重要だと思いました。


2019年6月4日火曜日

雷が来る前



 仕事から帰ってくる最中、西の方で雷雨警報が出ていたので、2時間程で自分のところまで到達すると考え、このブログにももう何度も登場している(→登場その1登場その2バージニア州ターナーファームへ散歩に行きました。私が出かける日は朝から殆ど動かしてもらえないので、家の中で退屈していた犬です。大喜びで走り回り、ボール拾い、馬用の堀を飛び越えたり、馬糞を味見したり、ワタオウサギの通った後を嗅いだりする横で、いかにも怪しい黒い雲が沸き立つ様子を眺めました。雷雨という気象イベントはわくわくします。こういう時に急に冷たい風などが吹いてくると、おっ、来るな!という感じで、走り出したいような高揚感を感じます。


「ここはよく馬糞が落ちているところだよ。おいしいよ。」

 かと思えば急にまぶしい日が照ったり。この心をかき乱す空の様子を見て、昔の人は、妖怪や神様を連想しました。私達の脳は否定形を認識出来ない、と聞いたことがあります。科学が発展する前、天気などの現象の起きる理由についても「(理由が)ない(=わからない)」ものをそのまま「ない」としておくことが出来ず、なんとかして「有る」とこじつけた結果が神話や物語なのだと考えると、空想を産む構造になっている自分の脳に愛着のようなものが芽生えます。


ダニが~~~草のタネが~~~

 コディはセージとかローズマリーとかの刺激臭のする薬草系の匂いが大好きです。ここの牧場の傍に生えている名前の分からない葉が三角形の植物も、つぶすと強いハーブの匂いがして、たまらないようです。葉っぱを見つけるとゴロンゴロンと全身にまんべんなくまぶそうとします。すべてをなぎ倒してめちゃめちゃにするので、娘と一緒に見ていた「しぜんとあそぼ」のイノシシを思い出します。なんか、ドクダミとかも好きなんじゃないかな?生えてなくてよかった。

 好きな匂いと言えば、女性用の制汗剤に含まれている何か特定の物質にも、強烈な反応を示す事がありますね(笑)。この行動、ふだんの生活の中ではただ笑えるだけなので今まで問題視したことはなかったのですが、最近行き始めたややお堅めの訪問先だと、皆スーツやフォーマルな白のブラウス等を着ているので、毛や鼻水が付着することを避けねばならず気が抜けません。突然そういう機会がやってくるので防ぎようもないし、訪問中は場にネガティブな印象を与える「NO」という言葉も使わないようにしているので、困りました。


 10分位思い切りゴロゴロして、そのあとはこうしてひっくり返ったまま頭だけ動かし草の匂いを嗅いでいました。この時、コディの太ももらへんにあるこんもりした草のかたまりの中から、野生のハツカネズミみたいな小さな茶色いネズミが飛び出して、命からがら走り去っていくのが見えました。ネズミにとってはとてつもない大災害でしょう。多分、怖くて固まっていたけど、ガサガサが止まったので意を決して飛び出したのだと思います。さっきヒトの脳はわりとショボいなあ~という話になっていましたが、このように「幸福はいつも知らない誰かの犠牲の上に成り立つ」と、その事を認知出来る点についてはなかなかいいと思いました。

2018年10月15日月曜日

プールじまいの日



 9月上旬の某日のはなしです。近所のプールで「プールじまい」がありました。この日は雷雨警報が出ていて、小雨が降る中あやしい風と雲の動きを見ながら近隣の犬たちがプール遊びを楽しんでいました。衛生法の関係で人と犬が一緒に泳ぐことは出来ないそうですが、普段川でしか泳がせてやれないコディがこうしてプールで遊んでいるのを見て、「庭つきプールつきの家に住まわせてやりたいなあ」と心の底から思いました(笑)。コディが生きているうちになんとか実現したいけれど、このエリアでは難しいかも知れないな~。

 家族に子供が加わったことにより、この先住む家を選ぶ時は、学区を考慮に入れて慎重に選ばないといけなくなりました。北バージニアはかなり教育熱心な風土があり、北米の他の都市と同じくレベルの高い学校、特に高校があるエリアは、高級住宅地に囲まれていたり、韓国系やインド系など高学歴の移民が大勢いて比較的競争が激しい状態になっている傾向があります。自分たち親がどこに住むかで、子供の小学校生活がかわってくると思うと、責任重大なんですね。


だれか手伝ってくれるひとを探しているコディ↑

 娘には、将来すごい職業についてほしい!人の役にたつ立派な仕事をしてほしい!とか、そういう願望も展望も全くなく、重要視しているのは「いい友達に囲まれて、家族なかよく、そこそこ健康的な生活習慣があり、小さな幸せも感じ取れる感受性をそなえた人に育つ」ということだけなので(典型的なミレニアル世代の思考だな)、その前提ならば娘が将来つく仕事がお花屋さんでも、ケーキ屋さんでも、車のエンジニアや木こりでも、親としてはぜんぜん満足なのですが。あ、もしかしたら犬の訓練士になるかもしれないな。でも、娘はイヌよりネコがいいと明言してるからな…………いやいやキャット・ビヘイビアリストにならないとも限らない(本当にいろんな職業がある!笑)。ちなみに、今現在の本人が好きでよく気にしているのは森のきのこなので、今日は「きのこはかせ」という職業があるよと、教えたところです。






 この日はいつもの散歩中に向こうですれ違うだけの近所の犬とも間近に触れ合えました。上の写真の細い犬はとなりのクラスターに住んでる犬で、一度森の中で会ったことがあるんですが、フライボールの選手なんですよ。それ用にブリードされた犬で、ボーダーコリーとウィペットを使った血統だそうです。陸でも水中でもうなぎの様に素早かった。持来欲があって、疲れ知らずで、いろいろさせたら楽しそうだなあ思いました。すごく気の強い犬で、他の犬が少しでもダミーに興味を示すと、怖い顔でガウッ!とやって、牽制していました。




 コディもプカプカいいかんじの動きをみせてくれました。この犬の泳ぎはスピードはないですが、絶対沈まなそうな安定感がうりです。この日はじめて、コングのダミー(アマゾンのページ)をおろしましたが、よかったです。コディは水の上のアイテムを持ってきた後、陸場で何回か強くくわえなおす癖があり、その時に弱いダミーだとつぶれたりナイロンの表皮がとれてきたりしてしまうのですが、コングのダミーは余計な飾り等がなく、中も空洞がないようで、長持ちしそうに思えました。


クズリ顔の犬です

 そういえば小学生の頃は、「海底二万マイル」の船長のペットのアシカが可愛くて水の生き物に憧れ、自分もいつかアシカを飼いたいなあと夢を膨らましていたんですよね。思えば、先代のドーベルマンは見た目的にはかなりアシカに近い犬でした。ドーベルマンて、かわいい性格でベタベタと甘えてくる犬が多いので、飼い主と見つめあってる時はいつも耳が寝ていたりします。そうするともうほぼアシカ100%といっていい顔になるんですが、記憶の中の先代ドベも、いつも耳がなくなってつるっと滑らかな丸顔です。それと比較すると、コディは海感はそんなにないかな。写真を見てて、なんかクズリに似てるなあと思いました。まあいいや、クズリでも(笑)。



2018年9月19日水曜日

犬の医療費

病院では暴れん坊で大変だったので、写真はナシ。かわりに、「チョウが来る」と言われて植えたのに、3年間害虫などにやられっぱなしだったミルクウィード(トウワタ)についにやってきた、アサギマダラの記念写真をば


 コディの病院を変えました。今までは、GoogleとYelp両方でとても高い評価がついていたVienna Animal Hospitalに通っていましたが、「小さい人間」が保育園に通いはじめたことから、googleなどの評価は多少劣るが通学路の近くにあって立ち寄りやすい、近所の「R獣医科医院」に決めました。今後は定期メンテナンス的な健診・ワクチンや定期的に投与する薬はここでもらい、なにか応用的な出来事が起きた場合は慣れ親しんだ前の病院・前の先生の所へ戻る、という風にしていこうかなと考えています。

 病院を変えるにあたって、ダニ媒介性感染症のスクリーニングやフィラリアの血液検査等も念のため全て受けなおし&三年に一度のワクチン数種とボルダテラもやったので、注射だらけの初診となってしまい、コディは抵抗を試みていました。唸ったり怒ったりすることは一切ないですが、振りほどこうとする力がすごいので、私+男性のテクニシャンの方×2の、3人がかりで補ていしていましたが、結局耳の検査はできずじまいでした。もといた方の病院でも、「この犬は耳のチェックは鎮静剤をあげないと無理」と言われていたので、よっぽどいじられたくなのでしょう。

 前回のログにも書きましたが、成犬になって、「嫌なことは 嫌」と表明してくることが増えたように思います。耳のことは、家で私と1対1の時は中までのぞかせてくれますが、それも家族がまわりにいたりすこしでも物音や気になることがあるとダメです。耳に関しては今まで特に嫌な思い出があるとかでもなく、シェパらしいというかどこか根本的に他人を信用していないような感じです。将来この事がもとで病気のサインを見過ごしたりだとか、大きな事態に発展しないといいんですが。また、そういう事に気付けるように自分でも(基本の健康チェックなど)いろいろ覚えていこうと思いました。

 もうひとつ大きな変更点は、ノミ・ダニの予防薬を、塗布薬のフロントラインから飲むタイプのNEXGuradに変えたことです。子供が犬をなでたり、触れ合うことが増えてきたので、子供により安全なVrabectoかこのNEXGuardにしようと検討していましたが、前者が3か月に1回の投与なのに対し後者は月イチで、フィラリア駆虫薬と同じサイクルで与えられるのが忘れ防止になって、いい点だと感じます。まずは数か月テスト的につかってみようと思いました。またVrabectoはセオリー上は三か月に一度の投与でOKですが、数種あるダニ媒介性感染症のうち一部に対しては、二か月目で防止効果が薄れるという説を獣医関係の知人に聞き、非常にダニの多いエリアに住む犬としてはどうかな?と思ったのも、この考えを後押ししました。

 この日の会計は390ドルでした。前の医院と比べると、全体的に良心的な価格になっている印象を受けますが、この値段はそもそも北バージニアのスタンダードにくらべて高いのか?低いのか?よくわかりません。もっと調べてみる余地があると思いました。コンシューマー・レポートの記事を読んでいたところ、私たちが生活に必要なサービスや、人間の医院と同じように、獣医科医院についても「ドクター・ショッピング」することがおススメされていました。アメリカの獣医科医院では、さまざまな医療費のベースに診療費(physical-exam fee)を設定していることが多いので、家のまわりの数件の医院にまずこの診療費を聞いて回るだけでも、その地域内で比較して高いお医者さんと、そうでないお医者さんがわかるということでした。


 大事な家族の医療費をケチるなんて不届きな感じに聞こえるかもしれないですが、Bloombergによると1991年から2015年にかけて米国の飼い主たちが獣医代に使った費用の総額は、4.9ビリオンドル→35ビリオンドルと、インフレや失業率などを考慮してもかなり異常な伸び率になっているので、個人のレベルでは、ふだんの医療コストはなるべく抑える工夫をし、その分をもしもの時のためにためておくのが得策なのかなと改めて思いました。個人で出来るもうひとつの工夫にペット保険もありますが、これに関しては自分でいろいろ計算してみた所、金銭的なメリットは薄いように思う(というか、運がかかわる)とこれももう少し勉強が必要だなと感じました。アメリカのペット保険については興味がある話題なのでそのうち別記事にでもまとめられたらと思います。

 そういえば産後の一番身動きできない時期に「モバイル・ヴェット」と呼ばれる移動診療所(VIP Petcare)も利用したことがありました。今はもう必要がないのでアカウントなどもそのままになっていましたが、基本のワクチンや処方箋などを安価にとれるので、必要に応じて使っていくのも手だと思いました。廉価な治療という点では、全米各州に支院のあるVeterinary Centers of America(VCA)系列の医院も定評があり、たまたまかもですが私の地域のものはとても評判がいいので一考の価値がありそうです。また、ペッツマートなどの量販店に入っているような企業がチェーン展開している獣医さんであっても、担当してくれるお医者さんによってはとても良いケアが受けられると聞いたので、運と適切な機会があれば試してみたいと思いました。




 一方、生まれて初めてパン生地を触り、感動しているちび。焼く前のパンだから「パンの赤ちゃんだよ」と言うと、「かわいい~」とか言って喜んでいました。かわいいの意味を本当に分かってるのかはよく分かりませんが、小さいものや、やわらかいものには条件反射的に「かわいい~」と言ってきます。「赤ちゃん」という単語も好きなようです。保育園では、とても女の子っぽい性格の子と、先生に言われました。なんとなく同年代の子供と比べて言語・精神面の発達が遅い印象があるので、まわりのペースにつられてあまりきびしくあれをしろ、これをしろとか言わないように気を付けないと。でも、「望みすぎないこと」の大切さは、今まで育てた二頭の犬、実家のドーベルマンとコディにしっかりと教えてもらっているので、安心ですね(笑)。この後は、オーブンの中でパンが膨らむ様子に釘付けになっていました。


2018年8月22日水曜日

最近の「レツゴー三匹」



 日本は大変に暑い夏となっているようですが、ここ北バージニアは今シーズン異常に雨が多くて、7月にはDCのローカスニュース等が、観測史上4番目の降雨量を記録したとを伝えていました。私達、母・子・犬の「バージニアのレツゴー三匹」は元気にやっています。とはいえ、コディは日中の行事などには暑くて参加出来ないので、少し遠出した先などでは来ている犬を撫でるなどして「犬分」を補っていました。

 写真は、バージニア州マナッサスのお寺「えこうじ」の、盆踊り大会で出会ったシバ。さすが日本犬、暑そうだったけどへばらずに動いていました。この祭りは、想像してたのと違って生粋の日本人の姿はあまり見えず、ハワイ系や地域の日系2世・3世おおぼしき人、白人仏教徒が多いような印象を受けました。かと思えば、見た目は完全に「一般アメリカ人」の黒人のお姉さんや、白人のオジサンなどが、急にすごく流暢な日本語で屋台の売り子さんと会話をしていたりと、単なる文化交流みたいなカジュアルで表層的なレベルだけではない、ディープな文化的シンクレティズムの現場を目にしました。


「帽子が落ちないように」と言ったら、律義に帽子をおさえながら遊んでいた。 ちょっと前だったら、すぐ忘れて池に落としていたと思う。
ラウドンカウンティ、Banshee Reeks Nature Preserveにて。ここは、リードにつないだ犬はOK。馬と自転車はNG。


 「ちいさいにんげん」は2歳11か月です。もうすぐ3歳とは信じられませんが、まわりの友達が言うように「乳幼児の世話は、時間が飛ぶようにすぎるから。」というのは、自分の場合はあまり当てはまらなかった気がしました。私は、話が通じない人と一日中過ごす事は、とても大変で一日がとても長く感じました。日常のこまかいことに、「こうしたい」というやり方があり、あまり融通がきかない方なので、ストレスを感じていたのでしょう。自分の世界に閉じこもりがちになる3年間でした。そんな時、嫌でも外に出て体をうごかし、計画をたててセラピーワークのためのドッグトレーニングをすること自体がセラピーというか、心のマッサージになっていたように思います。犬ってすばらしー!

 そんなこんなで育ってきたチビですが今月の頭頃に、急に階段をひとつポンと上がるように「成長した」と感じられる日がありました。おえかきで人間の顔らしきものを描くようになったり、出来事の因果関係を結び付けて考えられるようになったり、それと同時に突然オムツもとれて、軽作業の負担が軽くなりました。

 そう、わが子は一日に5回くらい💩が出る子で(草食動物みたい小出しにしてくる)しかも私はいちいち薄ーい石鹸水とシャワーで洗ってあげていたので、オムツかえだけでもすごく負担だったのですが、これにより突然心に余裕ができました。おまるもすっ飛ばして、トイレに抱っこしてのせて欲しいと言います。同時に羞恥心も芽生えたのか、💩の時は「目をつむってアッチの方をむいてて欲しい」とリクエストしてくるようになった(笑)。人間とは親がなにも教えなくても、「はずかしい」という気持ちを勝手にどこかから学ぶんだ!!と驚きました。幼児の世話とは、このように苦行9割、鮮烈な発見1割みたいな感じでやってくるから、皆続けられるのかなあと思いました。




 娘に対して「成長したな」と思う一方、「年をとったな」とふと思った瞬間があったのが犬です。3歳7か月、一般的に言えば、若さの盛りかと思いますが、なんていうのか、命の時計がカチッとひと針「老化・死」の方へ向かって傾いた感じがしました。ときどき何となくそういうのがわかる時がありますよね。娘も犬も同じ年に生まれたのに、人間と比較するとなんとあっという間に死を迎える生き物なのかと思うと、つらいです。日々、いかにおりこうかを話してきかせ、褒めちぎり、撫でさすっています。長く元気でいてほしいです。

 でも、単なる「長生き」だったら、望んでいません。もしいつかコディが不治の病になってしまって、楽しい日常生活に支障を来たすようになれば、迷わずに安楽死の道を選ぶでしょう。犬に苦しい思いは一切させたくないという強い意思があり、人類に飼われる動物だということの最大の利点のひとつである、「病や死の苦痛を感じずに済む」ということを、十分に享受してほしいと考えます。それに家族みんなの中で、リラックスして安心した気持ちで旅立ってほしい。

 デイケアは入り口でUターンし、どこへでも一生懸命付いて来ようとがんばる犬です。病院のケンネルの中で孤独に病気と闘うことが、この犬にとって良いことだとは思えません。「極端だけど理にかなっている」と思うのは、ボール投げしてる最中とか、「カム」と言ってこっちに向かっている最中、コディが一番楽しそうにしている時に死ねるように出来たらいいですが、そうすることは私にとっては難しすぎる事なので、もっと考える時間が必要でしょう。一つ言えるのは、人の場合も、犬の場合も「終活」に答えはないが、時々こうして考えること自体には意味があるように思うということです。

 話が脱線してしまった。そうそう、最近の犬は行動面でも変化があって、遅ればせながらテリトリー意識?が芽生えたようです。コディは散歩の初めに一回、中盤に一回、足も上げずにまとめてジャーとおしっこをする犬で、マーキングらしい事は殆どしないのですが、この「家から出て最初のおしっこをする地点までの区画」が彼の中で「見張らなければいけない場所」に決まったようです。このエリア内で近所の犬とすれ違う時にウーッと唸るようになりました。また、この区画外でも、遠くで知らない犬が睨んでいたり、吠えていたりすると尻尾を持ち上げて襟首の毛を立て、大きいアピールをするようになりました。吠えることもあります。吠えは、今のところは「やめい」と言うとやめますが、吠えだすと夢中になることもあると思うので、対策を練っています。