2021年8月1日日曜日

ホームスクールもどき:1年5ヵ月の振り返り


 娘5歳10ヶ月についての話題です(最後の方にコディ君も出てきます)。

 去年の3月、新型コロナウイルスの流行を受けて、バージニア州全域で学校が休校となり、引っ越しも重なってプリスクールを退学した時から始めた「ホームスクールもどき」も1年と5ヵ月目に突入しました。子供は、日本の学齢だと春から年長で、アメリカの学齢だと、秋からキンダーガーテン(幼稚園)に進む頃です。

 見様見真似、子供を寝かせてから手順本などを読み教育関係のポッドキャストなどを聞きかじり、主宰していた「オンラインプレイグループ」と、友人らと週1で開催した「ラーニングポッド」(いずれ、別記します)を軸にしながらスケジュールを組んで、なんとかかんとかやってきたわけですが、そんなあがきも数年後見返せば面白いのではないかと思い、ここに記録したいと思います。


 まず、ホームスクールもどきをやって困難だった点についてです。一言で言うと、親、めちゃくちゃ大変ということです。一人っ子家庭であり、しかももともと要領が非常に悪くマルチタスクができない私の場合、自分の持ちうるマンパワーのじつに75%は家庭学習とそれにまつわる労働に消費されてしまい、のこりの15パーセントで仕事、犬の世話、犬の運動、引っ越しの後片付け、運転、買い物、家の修理、などなどを過不足なく行うのは非常に困難でした。

 大変さの要因として、5歳すぎという年齢もあったように思います。本来幼稚園という社会の末席で人の波に揉まれているであろう年代の人を家庭に留め置いているわけですが、同年代の子供達と自由に遊ぶことはできないので、それに見合った活動量を家庭内で満たす必要がでてきます。手先を動かしたり、知的好奇心などを満たしてやる題材が日に複数個必要になりますが、興味の幅が犬などとは比べ物にならない位広いのです(あたりまえですね…、すっかり基準が犬になってました)

 活動の前後の準備や後片付け、材料の用意などを先だって行う必要があるので、計画性と計画を遂行するエネルギーがないと(どちらかだけがあってもダメ)、ただ無為に時間が流れるということに容易に陥ります。4歳から5歳という非常に感受性ゆたかな時期を核家族の非常に小規模な輪の中で過ごしたことによって、子供達の身体能力や心理に、中長期的な意味でどのような影響が出るのかといった点が不明なことも、心配事項です。


 次に、ホームスクールもどきをやってみて良かったかなあと思う点を見てみます。まず思い出がたくさん出来たことは良かったところだと思います。と言っても毎日毎日をギリギリ及第点くらいにするのが精いっぱいだったため、「すごい所に行った」とか、「特別すごいことをした」とか、そういうことは本当に何もないのですが、チビが朝元気よく目を覚ますところから夜ふとんに送り込むところまで、毎日の成長を欠かさず目に焼き付けることが出来たのは、貴重な体験だったと思います。わが子を育てるとは、この世で自分だけに与えられたプロジェクトであり、その報酬の一つにこの「二度とない時間を共有することができる」というものが挙げられるのではないかと感じました。


 家庭学習に関しては、子供の興味に沿ってカスタマイズした勉強ができるという点が一番よかったと思いました。私達の場合は語学、(年相応な内容の)社会科やお金の話、もらった日本の「どうとく」の教科書(こちらでは学ぶ機会がない)、アメリカの歴史(5歳児なので「むかしのえらい人」などがメイン)等、初等教育で教わる機会の少ない題材を自分の子供の興味に沿う形で取り入れられたことはよかった。運動などの習いごとを、時間を気にせず自由に組み込むことが出来たのも非常に助かりました。

 また、コロナを契機として、さまざまなオンラインクラスの開講が増えたことの恩恵もかなりあったように思います。娘はオンラインクラスを利用して、音楽と生け花のクラスをとりました。生け花は、おばあちゃまたちに混ざって一丁前に質問したりして、楽しかったようです。音楽の先生は外国に住んでいたので、自分の知らない遠くの世界に思いを馳せたようでした。まだ「好き」の方向性が定かではない子供に新しいアイデアを与えたり、その様な子供の様子をつぶさに観察できた事も、今後の子供そだてに役立つのではないかと思われました。



 最近のコディ君です。北バージニアでもワクチン接種が進んで、ホームパーティなどが多少開けるようになってきました。このような時、コディの役割はテーブルの下で皆の足を温める係です。人間とゲームをすることが好きなので、話の合間に誰かが小さなピンポン玉などを意味ありげに転がしたりするとすぐ目を光らせながら寄ってきます。「家でパーティをすると、かならず最後は皆フュリーと遊んでいる」と、ブリーダーがコディの母犬について話したことを思い出します。コディはきっと母犬に似ているのだろうと思う瞬間です。

 また、ボールや転がされたものを拾ったら、私の手のひらまで持ってきて置くよう教えてあるのですが、こういうのを人に見せるとすごく賢く見えるらしく、けっこう感心されたり話題のタネになるので、なんてことのない日常動作ですが教えてあげてよかったな~と思います。

 こうして家の中では猫を被っているコディ男ですが庭に居る時は引き続き猛犬のフリにも余念がありません。人が通りかかると芝居がかった吠え方で知らせます。私がコディを呼び戻そうとドアを開け、道行く人に「犬が失礼しました。」と言うと、「He should bark.(君の犬は吠えるべきだ)」「That's his job!(それが彼の仕事だからね!)」などと返ってきます。今まで都会や郊外で暮らしてきて、犬が吠える事は近所迷惑でしかない、という文化に親しんできたため、都会と田舎でのものの価値基準の異なりを実感するところです。


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