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2019年7月10日水曜日

ボストンへ行ってきました(再び)。

クインシー・ベイに浮かぶ小島から臨む、ボストン市街のながめ。


 北米の夏の休日、ジュライ・フォース(独立記念日)の週は、マサチューセッツ州ボストンの友人宅に寄せてもらっていました。トランク大小3つ、友達一家へのお土産の大きなダッフルバッグ、成人2名、3歳児1、犬1+犬のお皿やブラシなどなどを詰め込んだパンパンのマイカーに乗って、I-95 NからNJ Tpke、コネチカットの歴史街道へ…と、約10時間かけて北上しました(どこかで読んだ書き出し)。




 独立記念日は、家族や友達と食事などをして、夜になったら花火を見に行く、というのが典型的なアメリカ国民の過ごし方です。私達も例に漏れず庭でグリルなどをして過ごしました。滞在先は古民家が集まっているエリアで、昔ながらの近所づきあいが根付いていました。食べ物を並べているとどこからともなく近所の人があつまってきて、勝手に話に花を咲かせていました。


なんか興奮しておもしろい事になっていた


 ヒトある所にイヌあり、近所の御宅の犬達とコディも一緒に遊ばせてもらうことが出来ました。この庭を出てすぐのところにドライブウェイがありときおり車も通るのですが、地域の犬達はみんな勝手知ったるといった感じで、飼い主達も気にも留めない様子でした。ふだんの生活の中で他の家の犬が勝手に庭に入ってきたりすることは結構よくあるみたいです。アメリカの昔の犬の暮らしぶりに近いと感じました。

 それから今回初めて夏のボストンに滞在して、一般家庭に冷房がないことを初めて知ったんですね。自他共に認めるすごい暑がりである自分は死んでしまうのではないかと、道中心配していましたが、築112年の(アメリカ的には)古い家の中は日中は意外なほど涼しく、湿度の低い風が一日中吹いていてさわやかでした………、というのは今年がラッキーだっただけで、去年はマサチューセッツも猛暑で大変だったそうです。
 



 数軒先に、昔偉い軍人だったお爺さんが住んでいました。第二次世界大戦を戦った人です。かなり年をとっていて、自宅でターミナルケアを受けられている様子でした。ある日の夕方、彼の為だけにパレードが執り行われました。非常に名誉な事だそうです。自分も結構長くアメリカに住んでいますが、こういう事は見たことがありませんでした。窓辺から重そうに腕を持ちあげて敬礼に応えるお爺さんの姿が見えました。

 戦争では、間接的に、いやもしかしたら直接的に、多くの日本人の命を奪った人なのかもしれません。今目の前で死にゆくその人を見て、複雑な思いでした。個人のレベルでは、怒りや憎しみなど、何も感じる事がないからです。今までの人生の中に散りばめられた「戦争への間接的記憶の断片」を急に意識して、戦争への思いがふくらみました。自分の娘と、その友達は、バグパイプの音に合わせて楽しそうに踊っていました。その仲良しの娘達にだってそれぞれ、ユダヤ人とドイツ人の血が流れています。




 パレードの時もまた勝手にどこかの家の犬が、ヒモもつけずにフラフラ挨拶しに来ていました。花火といいバグパイプといい、結構な爆音で鳴らしていたけれど、全く物怖じせずみんな自由に歩き回っていた(笑)。豊かな社会性を持った犬達でした。私がかねてから礼賛している「村のいぬ」の像に、また少しピントがあったようで、非常にインスパイアされました。


やや疲れ気味

 今回は庭や近所をうろつく事がメインだったコディ。暑さと、朝から晩まで子供だらけで、あまりよく眠れなかったみたいです。この犬は旅行はいつもこんな感じですね。夜は冷房のある友人夫妻のメインのベッドルームに入れて貰ったりして、すごい特別待遇を受けていたのに(うちのが来ると毛まみれになるラグに文句を言うどころか、こんな事してくれる友人夫妻に感謝)。バージニアの家はずっと狭くて暗い家ですが、静かだし涼しいのでやはり落ち着くようで、帰ってからは3日位ずっとゴロゴロ&寝ぼけまなこで過ごしていました。

2018年4月30日月曜日

省エネ花見


 愛犬「コディ」3歳3ヶ月、娘「ちいさいにんげん」2歳6ヶ月の春です。いたずら盛りの人間の子供と脳みそパピーちゃん(体重59キロ)と共に花見をするのをおっくうがっているうちに、あっという間に桜は散り八重桜のシーズンになってしまいました。仕方ないから、また近所の植木屋Merryfield Garden Centerでお茶を濁してます。

 一度しかないコディの犬生を預かっているんだから、暑くなる前にもっと色々な経験をさせてやらねばと思うのですが、なかなかうまくはいきません。でも、ここでストレスを溜めてはダメなんだと、過去2年間のダブル育児を通して学びました。できないことがあって当たり前だと、出来てることにフォーカスすべきだと、「出来てない事は、できてない」と、そんな自分の姿をリアルに見つめてしまうところがある自分にとってはなかなか難しいですが、日々勉強です。
 

 植木屋さんでは、春の草花の入荷が最盛期になっています。猫の手ならぬ見知らぬ東洋人の手も借りたいぐらい忙しいのでしょうか。働かない?と声をかけられました。この植木屋さんといえば、先日話していたセラピードッグ・インターナショナル(TDI)のテストが、正式に来週末になることが決まりました。

鶏糞たべていい?

 相変わらず写真写りがパッとしないコディ君。TDIのテストがんばってくれよ。植木屋での自主練が功を奏すか?!どう考えても練習量が不足してるんで、当たるも八卦当たらぬも八卦みたいな気持ちですね(言葉の用法が違う)。

 テストに出るためにはシャンプーをしたり爪切りをして、きちんとして出かけないとなりません。一度洗うと完全に乾くまでとても時間がかかるので、先週末にシャンプーを済ませましたが、活発なので既にドロドロです。ショーに出したりするわけではないから、おまたの内側の毛はいつもカットしてしまうのですが、今回は胸が一番深く落ち込む部分から鼠径部にかけても、びみょう~に毛先をそろえてみました。飼い主の自己満で誰も気づかない微妙なことだと思いましたが、既に散歩道で二回ほどスタイルを褒めてもらえて、こんな毛先のちょっとした変化が意外と犬の全身の見た目に影響を及ぼすことに驚きました。


 今日のトリは、バージニア州グレート・フォールズの周辺を散策中に出会った、ブルガリアンシェパードです。私の散策するエリアはスラブ系、東欧系移民の二世が多いみたいで、自国から引っ越してきた彼らの親世代が、犬もついでに連れてくるようです。今までにも、ルーマニアンシェパードや、それから遠目にカルパチアンシェパードかなと思われる犬を見た事があります。比較的賑やかなアメリカの郊外の住環境だと飼いにくい犬種だと思われますが、体格が大きく堂々として、山や牧場で一緒に住んでいたらこんなに頼もしい仲間はいないと思わされます。写真の犬も、このあたりから先に進むと立ち上がって吠えるだろうと思われたので、オーナーの方の了承を得て、離れたところから写真を撮りました。

2018年4月24日火曜日

犬の友情

友達犬同士の挨拶。手早くスムーズかつリズミカルな犬グルーヴ


 東京でドーベルマンを飼っていた頃は、学生だったのもあり、犬と外出するといえば深夜と早朝のランニングやサイクリングが主なもので、他の犬や飼い主と交流することは殆どありませんでした。それが3年前に今の犬が家族に加わってからというもの、ドッグランに頻繁に通うようになり、「犬にも友情がある」という自分史上、世紀の大発見がありました。

 多頭飼いや、もともと社交的でイヌとどんどん出かけていた人からしたら「なんだ、今さら」というような事かもしれません。でも、子犬の時から自分の犬の目を通して、その犬と犬がどうやって出会い、どうして仲良くなったか。それからどんな事があったのか、その全てのストーリーを網羅する立場になってみたら、個体と個体の間に確かに存在する絆と、原始的な友愛の姿に感動しました。


牧羊犬大行列 コーギーオーナーの女性のコーディネート(フレキシ二丁ぶらさげ)にも見惚れる。



 今日は、一年前に自分達の住むエリアから引っ越してしまった、ボーダーコリーのニックと、コディが再会した日でした。ニックのお母さんが、ずっと車を飛ばして会いに来てくれたのです。コディもニックもそれはそれは喜び、これみよがしに相手の首筋にアゴをのせたり、相手の上に乗っかったり、ドヤ顔で肩に手をかけたり、若いオス同士特有のわざと「ウザい」事を連発して、遊びを始めようとあの手この手でがんばっていました。


ずっと離れていても、ニックの頭蓋骨の味わいは変わらないようです。歯ざわりがいいのか?
ニックのお母さんは、コディの口の中に自分の愛犬の頭がスッポリ入ってる状態が好きで、黄色い声援を飛ばしていた。


飛行機と、走っている車の車輪と、浜辺のさざ波が大好きなニック。
放っておくと足が擦り切れるまで追うので、「さざ波追いかけ用」のクツを持っている。

ニックのお母さんと。
犬は、自分の仲のいい犬の飼い主とも仲良くなる傾向があるように思う

耳どこいった

 楽しい再会はあっという間に過ぎ、すぐまた分かれ分かれになる時が来てしまいました。別れを惜しみながら帰る準備をしていた時、ニックがコディの方に近づいてクンクンクンとにおいをかいだかと思うと、カジュアルな感じにヒョイッと足をあげて、おしっこをかけました。

 過去三年間ほぼ1日1回はドッグパークをひやかしている自分ですが、こんな風に犬が犬にマーキングするのを目の当たりにしたことはなく、とてもびっくりしました。なぜかコディにおしっこをひっかける事を思いついたニックがいじらしく、飼い主どうしまた絶対2匹を遊ばせてやろうねと約束を交わし、パークを後にしました。
 


2016年4月9日土曜日

新しい友達

ベランダでものおもいにふける?コディ


 四月となりました。気候はまだ暖かくなったり、寒くなったり雪がちらついたり(!)と不安定ですが、鳥や動植物の様子を見ると春はちゃんと訪れているようです。うちの犬「コディ」は生後14か月めに入り(おつむの方はともかく)体の方は体重が50キロを超え、毎日の赤ん坊連れ散歩のおともをりっぱに務めてくれるようになりました。

 今週で、コディを去勢してからだいたい1ヶ月が経ちました。ホルモンがだいぶ抜けたからなのか、どうなのかは分かりませんが、見慣れないものやほかの犬に対する反応がマイルドになった気がします。それから、散歩の途中でも撫でられると喜んで、耳ペタでヘラヘラするようになりました(以前は散歩中は常に真顔、シッポは先っちょを気持ち程度に振るだけだった)。去勢前と後とでオビディエンス的な意味合いでの行動は変わらないものの、以前はもっと衝動のおもむくままに探求したい欲求があったのを、我慢しながら散歩していたのかも知れません。今の方が全体的にリラックスしているように思います。


コディとニック


 それからこれも去勢に関係した事かもしれないと思っているのですが、いつも行くドッグランでとても面白い事が起こりました。コディに大人のオス犬の親友が出来たのです。ドッグランによく来るボーダーコリーのニックは、飛行機と走っている車の車輪、浜辺のさざ波がちょっと強迫的なレベルで好きな(←ボーダーコリーあるある)かわいい犬ですが、このニックとコディとは、今までの1年間ほぼ毎日のように顔を合わせていながら、1度も一緒に遊んだことがありませんでした。

 この2匹は年齢も違うし(ニックは3歳半)、ニックの好きな遊びというのは走り回る他の犬を追いかけて鼻先でこづきながら自分の思ったほうへ走らせると言う、いわばハーディングごっこなので、どすこいぶつかり稽古派のコディとは接点がありませんでした。ところが数日前、ランに入って互いに軽く挨拶 を交わした所で、二匹の間で何か「パチッ」と化学反応が起きた瞬間を目撃しました。そして、彼らは猛然と遊び始めたのです。



2016年2月24日水曜日

この犬な~んだ




 ドッグランに来ていたのはハンガリアン・クーバースの女の子でした。生後五か月。この犬のオーナーの女性とは以前から顔見知りで、もう一頭既に成犬のクーバースを飼っているので、よくこの犬種についての話を聞かせてもらっていました。というのもネット上にある「あなたに適した犬種は?」みたいなセレクター・ツールを使うと、自分の場合、ベルジアンシェパード三種やブラックロシアンテリアと共になぜか参考にあがってくることがある(全然傾向が違うのに)犬種だったのもあり、勝手に親しみを感じていました。

 犬種の詳しい説明はウィキに任せるとして、他の山岳護羊犬と比べるとあまり磨かれてない素朴さを感じる犬です。オーナーの話によれば実際にピレネー犬やバーニーズ等と比べるとずっと実務に傾いた犬達だとか。本質的にソトイヌで、気候が許す限り庭でまったりしている事を好むそうです。この子犬も触ってみると(綿雲みたいな見た目に反して)結構硬めの巻き毛をしていたり、体つきも子犬とは思えないほどがっちりしていて、悪天候下でも職務を全うできるよう頑健なつくりになっているように思いました。警備と言う点ではバッチリで、家(と言っても日本の感覚では「洋館」的な間取り)の中に入れると窓から窓へと、ひとつずつ移動しながら安全確認してくれるそう(笑)。ただオビディエンスは全然ダメで、自分で考え自分で行う、とっても独立独歩な犬とのこと。


こちらはお姉ちゃんのほう。 果敢に挨拶しに行ったコディ(彼女の方は興味ナシ)





 コディ、彼女は高嶺の花過ぎるよ。100遍くらい顔を洗って出直してこないと。と言っても洗顔が大嫌いなおまえにとってはチャレンジだろね・・・。

 この後何かがクリックしあったのか、ちょっぴり追いかけっこをして遊んでくれたお姉さんクーバースでした。それにしてもコディ、メス犬へのチェックが念入りになってきているな。未去勢で1歳過ぎ、場合によってはテンション高め、比較的ラフな遊び方を好むと、ドッグランでは煙たがられがちなキャラを潜在的に備えているのでちょっと気を付けて見ていてやらないと。



2015年9月20日日曜日

ワサワサ期



 家の犬「コディ」は生後8カ月半になり、思春期/adolescenceならではと思える行動が増えてきました。ブリーダーと何度も話し合った結果、1歳過ぎまでは去勢をしないで様子を見るということにほぼ決まったので、ホルモン爆発ワサワサ期が絶好調といった様子です。日によって行動の良し悪しに差がありますが基本的にせかせかとせわしなくなり、ドッグランでは遊び方が荒っぽくなり、他の犬の無礼に対しては口答えをすることを覚え、ほんのひと月前まで大喜びで通っていたトレーニングのクラスにもあまり身が入らなくなったようです。

 体力は圧倒的にパワーアップしていて、以前はドッグランで軽く遊ばせてからクラスに参加すればかなり落ち着きリラックスした状態で授業を受けることが出来ていましたが、最近では同様の効果を得るには先ず原っぱや川などでみっちり運動させてから、その後クラスに向かう車の中でごはんをお腹8分目ほどに食べさせて(ご飯を食べるとなぜか落ち着く←それでも基本はワサワサしている)授業を受けるなど、いろいろ工夫が要るようになりました。




 犬がへとへとになるまで運動した後=その後の運転や餌やり・足シャワーなどをしてやる自分自身も同様にへとへとになっている事が常なので、クラスから帰った後はお互いベッドに一直線という状況になります。本などで妊娠10ヶ月の項を読むと「夜中頻繁に目が覚めて大変な時期です」等と書かれていますが、自分の場合はあまり当てはまらないようです。

 ともあれ、犬の思春期というのは子犬時代の社会化や、構築してきた関係のボロが浮き彫りになる時期と言われるので、これからしばらくは、いままでやってきたことの通知表を受け取るような気持ちで問題行動の芽に気をくばり、事実を受け入れ、根気よく対処していく期間になりそうです。


コーギーのオシリを意味なく激写・拡大してしまう


 それにつけても残念だなあと思うのは、子供が生まれるのが犬の成長にとって大切なこの時期と重なってしまう事です。コディが来てからの半年間、毎日最低4、5時間は散歩や運動や遊びなど一緒にできる活動に費やしていましたが、これからはそうもいかなくなるだろうし、犬と向き合う気力も体力も、暫くは1/2以下になるでしょう。

 ・・・という話をコディのセラピークラスのトレーナーの人と話していたら、彼女はおもむろに「大丈夫よ!私なんか何を血迷ったのか、息子が生れたと同時に生後四か月のキャトルドッグを飼い始めたわよ。」と、微妙にはげまして?くれました。

 アメリカに来て発見した事の一つにこの、子供と子犬を同時に育てようとする人が一定数存在するという事実があるんですが、特に家族のサポートがあるわけでもない中、みんないったいどうやって時間をやりくりしているのかなあ?といつも不思議に思います。敷地が広い家が多いから、自宅で運動させられるのかな。シダを植えるスペースしかない、猫の額ほどの裏庭の我が家からすると非常に羨ましい話です。

 近年家庭に犬がいる事は情操面のほかにも乳幼児の免疫力を向上させたりアレルギーを発症するリスクを下げたり、子供にとって非常に健康的だというのが科学的に分かってきているそうです。大変ですが、こうした具体的メリットもあるんですね。

※ハイパーアクティブで気の強い中型犬。ふつう農場などで飼われる




 ここから先は、アットランダムにここ10日間で撮れた写真をアップしていきます。

 ここのところ大きくなったお腹が段々下がってきて腰を圧迫するようになり、股関節にかなり痛みを感じるようになりました。最近ボロボロなリーシュウォークの練習もかねて、ア朝昼晩45分~1時間ほどの散歩が習慣になっていましたが、これも思うように歩けなくなってきてきました。最近膝の手術を終えて回復過程にあるニンゲン(♂)が「足の怪我は痛みより何より、自由に歩行できないストレスが一番堪える」と言っていた意味がよく分かるように。

 上の写真は散歩コースの道で見つけた森林管理の業者の人々です。トラックに粉砕機をつなげたものに乗って来るんですが、大音量のマシンに犬も少しドキドキしたようです。





 もうしばらく来られなくなるかもしれないと思い、週末に近くのデパートにも行ってきました。主にスポーツ用品と、アウトドアのお店を見ました。L.L.Beanというお店で犬のセクションを発見、ここはもともとアウトドアや狩猟用のサプライショップとして始まったそうで、ラブラドール・レトリーバーがマスコットのような存在みたいですね。ラブをモチーフにした雑貨がいろいろありました。




 
 これまで足掛け5か月の間、朝晩通っていたドッグランともしばしお別れの時が近づいています。ここへ来ると犬達とだけでなく、人々とも交流を持つことが出来たので、コディだけでなく自分自身の「社会化」にも役立っていた気がします。写真はどうしても家に帰りたくないブルテリア。


人間の操作方法を心得ている犬って面白いですね。
飼い主は大変そうだけど



 産科のクラスにも参加してきました。陣痛・出産専門の看護師の方が講師でした。参加者は20週中ごろの方が多かったので、もう39週近い自分はびりっけつです。講義内容はほとんど知っていたことばかりでしたが、出生後の注射の内容だとか、ワクチンを打つ時期(肝炎などものによっては遅らせられる事)、また新生児が生まれてすぐするリストバンドの重要性など、病院のインサイダーでなければ知らないようなこぼれネタが色々挟まれていて、総合的には受けて良かった気がする。そうそう、信じがたい事ですがアメリカには赤ちゃん泥棒というのもときどき出るらしく、とにかく入院中見知らぬ看護師が接近してきたら注意するようにと言われ、なんかすごいなと思いました。


モビールもどきの作成もちょろちょろ進めています。BGMはもちろんあの曲で。

 仮設置 天井のファンをまわすと折り紙の鳥がフリフリ揺れます。高さの調節がむづかしい

下から見ると模様が見えます。
近所に住む日本人の友達が、赤ん坊が好む模様(こんなの)があると教えてくれたので、参考にしました。




・・・(おまけ)・・・
 
 日本に残してきた愛ハト「ぽっぽさん」近影。

 13歳になりました。餌もよく食べているようで元気ですが最近、とまり木の握りが甘くなったような気がします。ジュズカケバトの平均的な寿命はだいたい15年前後と言われていますが、20年、30年以上生きる鳥もチラホラいるようなので、頑張って長生きしてほしいです。

 しかし鳥はこんなに小さな体なのに長寿ですごいですね。おなじ小動物でも、我が家のロボロフスキー・ハムスター三匹娘は最近、老化が目立つようになってきました。悲しい反面、ただ無表情に走り回っているだけなのにふとした瞬間「あ、なんか年取ってる」と分かるのがちょっと可笑しくもあります。無常な世の中です。


2015年8月29日土曜日

ウルフドッグを飼うこと



 写真は、私が数年前日本の友人の持つケンネルの一角に住み着いて制作をしていた時に、そこで飼育されていたオオカミ犬と撮ったものです。ジャーマンシェパードとオオカミをベースにしたハイブリッドで、大きな体格に反して性質はとても奥手で用心深く、見知らぬ人からはスキあらば逃げ出そうとする極めて「オオカミ犬らしい」個体でした。

 今なにげなく「オオカミ犬らしい」と書きながら思いだしたのは、この写真を撮った時、しかし、オオカミ犬というのはオオカミとイヌから生れ出でたにも関わらず、オオカミともイヌとも異質な存在なように感じたことです。野生のいきものであり(例え飼育下にあっても)私達人間との関わりをミニマムにしようと努力するオオカミ達と、人間と共に生きる事を好み、イヌ族の世界にあって重大なボディサインである「リーダーとのアイコンタクト」をも積極的に行い、それによって脳から幸せホルモンさえ分泌してしまうイヌの間には、姿形はよく似て居ても、なにか隔絶とした境界線が存在するような気がします。

 「オオカミ犬」というのは、野生の動物と、一万年以上の時をかけて人類との共同生活に特化・順応したイヌと言うピース(作品)を、興味本位に混ぜ合わせる行為のつまるところです。研ぎ澄まされた野生と人への強い親和性をミックスしようとすることは、「きれいな色になりそうだから」と水彩絵の具とアクリル絵の具を混ぜることに近いかもしれません。時には奇跡的に調和のとれた個体が生れることもあるし、ひとつの個体の中にイヌとオオカミの性質が偏在する、不可思議な動物が出来上がることもあります。

 自分が今まで見たオオカミ犬達は(そんなに数は多くないけれど)オオカミの血のパーセンテージに関わらず、兄弟同士でもない限り一頭一頭姿や性格もまちまちで、その気質を理解するのには、たくさんの時間と経験が必要なように思えました。ひとつきほど前に北海道で、本来の飼い主の留守中飼われていたオオカミ犬の世話をしていた女性が命を落とされるという大変痛ましい事件が報道されたのが記憶に新しいと思いますが、長年のオオカミ犬ブリーダーで世間のいう所の「有識者」だった被害者の方の知識をもってしても、群れとなった時の彼らのダイナミズムを予測することは困難だったのではないか、という感想をもちました。




 今日のブログはオオカミ犬の存在に対する倫理とか、それを飼育することの是非についてとやかく言おうという目的で書いているのではないんです。オオカミ犬はきれいだし、かっこいいし、存在としておもしろいし、それに「オオカミ(みたいな犬)を意のままにしたい」という欲望自体は、過去数万年にわたって「自然」「野生」を支配下に置こうと苦闘してきた人類としては、しごく当たり前なものと言えます。

 ただ例のニュースをきっかけに、自分なりに興味を持って、オオカミ犬を飼育している人の手記やブログ等を読んでみたところ、僭越ながらオオカミ犬を「適切な飼い方をしているなあ」「犬と人が素晴らしい関係を築いているなあ」「この犬は幸せそうだなあ」と思えた飼育者というのが世間にほんの一握り、いや、一つまみにも満たないのだという現状を知りました。

 見る写真、見る写真、フェンスで囲まれたコンクリートや、地面むき出しの所にしいた薄汚れたベニヤ板の上で、ひとり孤独に寝そべっている犬達がいる一方で、「社会化」されて様々な場所を連れまわされ、まるでファッションアイテムのような扱いを受けながら日々を生きているような個体も多く(トレーニング上しなければならないのだとは分かりますが、)私個人の感覚からするとやや気の毒に感じました。もちろん、中には性格的にそういう生活を享受出来る個体も居ると思います。しかし、そんな生き生きとした表情をしたオオカミ犬はごく少数派のように感じられました。

 僅かながらオオカミ犬と触れ合ったことのある者としては、彼らの多くに共通する気質を考えたら、どこかのどかな緑のある広々とした敷地で、とりたてて家族以外と親しくしたり芸をすることを強いられることなく、家を守り、家族だけを愛しながら、静かに生きていくのが、自然な彼らのしあわせなのではないかと思います。飼う人間の方も本気でオオカミ犬が好きで家族にしたいのならば、「家のあまったスペースに運動場と犬舎を作って」とかいうことでお茶を濁さず、田舎の方へ行って広い土地を買い、敷地を囲い、自分の生活の全てを彼らと共に楽しむ、くらいの気持ちで臨むべきではないでしょうか。

 犬とオオカミは似て非なる動物です。けれども、「自分の家族に対する深い愛情と献身」は変わりません。オオカミ犬を飼う時、自分の飼っているいきものが全身全霊をかけて寄り添ってくるのを、飼育者は100%受けて立つべきであり、またそうすることが出来る環境を準備する事も、単なるヒトの好奇心が生んだ副産物たちへの「責任を全うする」ということの一環ではないのかな、と今日は考えていました。


2015年8月9日日曜日

二度目の恐怖期?

外でたくさん運動して、シャワーも浴びて餌も食べ、これから午後まで昼寝。平和な時間。

 家の犬「コディ」は生後七か月目を迎え、時々ふと大人っぽい表情をのぞかせるようになった気がします。好奇心いっぱいの眼差しで、自分の後をどこでもついて回り(時に風呂やトイレの中まで)、いつもこちらの様子を伺っているのを見ると可愛らしく、「いつまでもパピーちゃんでいてくれたらいいのになあ」と思う反面、本当に活発で日々三度の散歩にドロドロになるまで転げまわって遊び、絶え間のない躾の努力、ひっきりなしの掃除と洗濯、ドッグランやデイケアへ連れて行けばその「おみやげ」に、やれ鼻づまりだ、下痢だと気をもむことも多く、「はやく大きくなって落ち着いてくれ」と思う時もあります。成長とともに、その時々で良い事と悪い事があるんですね。人間とおんなじか。禍福は糾える縄の如しってやつなのだろうか(ちょっと違う?)。




 そういえば、AKCから封書が届きました。前回のブログに書いた、優良家庭犬(CGC)の認定証でした。バンダナやタグなども、申請すれば名前入りで作ってもらえるようです。愛犬家を相手においしいビジネスだなあ、と思いながらも、ついつい無意識にパンフレットを手に取り、「このタグかっこいいな」「ワッペンも欲しいな」とか、考えてしまっている自分がいる。




 話題その2。人影疎らな月曜日の昼過ぎ、バージニア州の北端にあるセネカ広域公園で軽くトレッキングをしてきました。この公園は有名なグレートフォールズ国立公園と地理的に非常に近いにも関わらず、ほとんど地元民しか訪れることのない公園で、その広々したサイズや、丘陵と水場の連なる地形、ほどよい人けのなさも手伝って、犬飼いにとっては北バージニアの隠れた名所と言えるんではないかと思っている場所です。


不審な物音がないか聞き耳をたてる。

コディはここで久しぶりに「オフリードで知らない人とすれ違う」という状況になったのですが、ほんの数週間前ならシッポ高速回転しながら喜び勇んで飛びつきに行っていただろう所を、今回はまったく無視する様子を見せました。コディの、外界や知らない人に対する警戒心が増していると確信した出来事でした。というのもこの丁度数日前にも、コディはたまたま足を運んだ街の広場で遠くに見えた犬に対して、警戒して吠えていたのです。また別の日には日暮れのドッグランの暗がりで遊んでいる(手を広げてバタバタしている)子供に向かって吠えた事もあり、今まで見せた事のないそのような行動に、もしかして新たな「恐怖期」に入ったのかな、と思っていたためです。


ポトマック川の支流で遊ぶコディ。ちょうど州境に位置するこの公園、
自分の立っている陸場(手前)までがバージニアで、この水場から南はメリーランド州になる。

イヌの「恐怖期」といえば子犬時代、一般的に生後8週から10週なかば頃の間に訪れるものがよく知られていますが、最近では個体が完全に成熟するまでに少なくとも3回の恐怖期があるという説が、自分の周囲のトレーナーやベテランオーナー達の間で支持されています。その厳密な時期については人によって意見が異なるものの、6ヶ月から14か月のあいだに2回目が、12から16ヶ月の間のどこかで3回目の恐怖期が来るというのが、聞いていて大多数の意見だと感じます。

 肝心な対処法といえばこれまた十人十色で、コレといった決定的な乗り切り方というのが無いのが悩ましいんですが、ひとつだけ共通しているアドバイスとして、「恐怖・拒絶反応を起こしている犬をなだめない」というものがありました。怖がったり訝しんでいる自分の犬に声をかけて安心させてやろうとすること(小型犬なら胸に抱き上げて撫でてやったり)は、自分達人間からすればとても自然な行動ですが、イヌにとってみれば外界に対する警戒心や、敵愾心を飼い主によって強力に後押しされたことになり、これがあとでいわゆる「問題行動」となって帰ってくることが多いためです。


ある日の「修行場」での光景。体重は40キロを超え、いつの間にか力もちになって、
こんなに大きな枝も運べるようになった

 コディの場合、警戒心から注意が逸れそうになったらすぐにオモチャか木の枝を見せて、「遊び」の方向にもっていって忘れさせる、という方法を試しています。このやり方が正しいのかは分からないけれど、何回か「トッテコイ」をさせ終わる頃には勝手に「警戒モード」が解除されていることが多いので、暫く続けてみようと思っています。ただ、この作戦は街中では使えないのと、そういう時オモチャのかわりとなる「警戒心を忘れさせるほど価値のあるオヤツ(=ジューシーなチキンなど)」というのを常に持ち歩くのは難しいのが、非常に悩ましい点です。


幼馴染のデビちゃん、ラブラドールのライリーと。

話題その3。相変わらず、毎朝のドッグラン通いも続いています。ドッグランという場所には、頻繁に通っているとそこにいる人々の間に独特の連帯感というか、コミュニティが形成していると感じる瞬間があります。皆愛犬を連れていると、自然と私的で、おたがい一段親密になったような感覚に陥るのかも知れません。だから話題も犬のしつけや餌の話から、どの乳酸菌がいいとかいうフランクなおしゃべりに始まり、「今の仕事をやめるべきか」とか、失恋の話、パートナーが癌になった事、など気付けば非常にパーソナルな会話になっていることがあります。コディの幼馴染、オーストラリアンシェパードのデビちゃんの飼い主も、今朝は持ってきたお茶をすすりながら、生粋の南ベトナム人である彼の父が、ベトナム戦争で砲弾の飛び交う中をべトコンと戦い、最後は小さな釣り船に乗って、命からがらアメリカへ亡命した話をしてくれました。アメリカという国は、一見マッチョで単調な国に見えますが、そこに住む人々の歴史も含めた驚くべき多様性には、ほとんど毎日ハッとさせられます。


ブラック・アンド・タンクラブ、別名「ばっちい子犬の会」
ロットワイラーミックスのサーシャ、ボースロンのブレイクビー。気が合う3匹。

活発なコリーの女の子、ビアトリクスはコディの事が好き。
「デビちゃんには言わないでね!」

ランによく来る、ダウン症の子がボールを投げてくれるのをじーっと待っているコディ。
「ボールを追いかけるコディ」を追いかけたくて、これまた辛抱強く待つブラックシェパードのガンナー。

帰宅後。